君が探す恋のはなし
終電一本前の人の少ない駅、シャッターの下りた店が立ち並ぶ。少し酔った足取りで降りた階段の下で、イルミネーションが一瞬輝き、灯を落とした。
思わず、ため息をこぼす。
────どうせなら終電まで点けておくべきじゃないのか。
なんだろう、ついてないときは本当に何もかもが疎ましく、私を傷つける。明かりは点いているもののの、どこかぞっとする寂しさをたたえた駅を背に私は深く落ち込んだ。
突然、けたたましい女の笑い声が響いた。私の体の中で心臓がぎゅっと冷たく身をねじり、強いストレスをかけた。一瞬体を縮こまらせた後、怒りで眉をひそめる。恐らく、階段裏の女子トイレからだ。苛つきながら階段越しにそちらを睨むが、もちろん覗くようなことはしない。こんな時間でも駅前の派出所から制服姿の公僕のお兄さんが眼力利かせて突っ立ってるし、あの矯声に似た笑い声は明らかに酔っ払いの質の良くないものに違いない。無力無害な私は腹にぐっと力を入れて、じっと空のタクシー乗り場で次の車を待つことにする。
「…………それでさぁ、もうヤバかった!」
甲高いあの声が話し出す。別に聞く気はないが、ここは夜中のほぼ無人駅。深夜特有のあのはりつめた静けさが手当たり次第、音をよく運ぶ。
「────、やばくない!? さっき歌った時にさ、もうなんか気持ちが入っちゃってうわーって来て、もう涙出てきて…………」
それは、少し前の季節に流行ったJ-POP。やばいのは酔っ払いの歌唱力だろと心の中で毒づきかけて、この手の女は酔っても私なんかよりよっぽどうまく歌うもんだと思い出した。
────会いたいだとか一緒に居たいとか。
そんな演歌の時代からのお約束の歌詞を親の仇のように憎々しげに脳裏に並べて、ふと、胸の疼きに気がついた。
────会いたいだとか、一緒に居たかっただとか。
一気に酒が覚めて、なんだかしゅんとした気持ちになる。それは、身をすくませるほどの冬の寒い空気のせいか。慌てて、しぼんだ気持ちを奮い立たせる。
────くだらん。たかが流行り歌だ!
皮膚や爪や、パチンコや紳士服の店舗のように新陳代謝を繰り返す、使い捨ての流行り歌だ。一々心に留める時間的余裕も経済的余裕も私のような平凡な大人にはない。どうせ、閉店したら開店セールだ!
「…………本当に、なんか────やばいよね! あはは、引くー!」
「うん────」
急に自分を茶化すように笑った声に、否定するわけでも肯定するわけでもない曖昧な友人の声が添う。
────あ、無理。
そのことに気付いた途端、せっかく乾かしてきた私の眼球に盛り上がる熱い感触。
「でもさ、こういうことってあるよね!? やっぱ、こういうことって────」
声は途切れた。
私は、大きく息を吐いて、鞄からインフルエンザ予防用に持ち歩いている使い捨てのマスクと先刻購入したポケットティッシュを取り出した。そして、いかにも「寒くて風邪がぶりかえしたみたい」といった態でぐしゅぐしゅと鼻を鳴らしてから鼻をかみ、そっとマスクのゴムを耳にかける。ついでに、さりげなく見回した所、人影は無かった。
マスクが顔の大半を隠してくれたお陰か随分気が楽になり、私はほうと大きく息をついた。再び濡れた眼球が僅かに痛い。
────きょう、私の五年の恋が終わった。
五年なんて、入社してからの時間に置き換えると(忙しくて)あっという間だし、小学校六年間に足りぬのだと思うと短すぎるようにも思う。
────なんとなく、結婚すると思ったんだけどなあ。
今日私は、相手の裏切り以外の破局というものもあるのだと初めて知った。心変わりも裏切りと言う人も居るかも知れないが、それはさすがに酷と言うものだろう。脳内でかのひとと別れてから何度目かのリフレインタイムに突入する。別れを告げた声から始まって、その理由、最近の止まりがちの会話、喧嘩の声と遡り、仲良かった頃の弾むような声が鮮やかによみがえる。
「元気でね」
そう言った彼女の声はさっぱりとしたもので、この長いか短いかわからない五年の間で私は彼女がこんな風にするときにはすっぱり整理ができているのだとよく知っていた。
────どうして急に。
すがるつもりで呟いた私の言葉は、最後に大層彼女を怒らせた。
何度も何度も話し合ったよね? メール出さなくなってどれくらい経ったかわかってる? 煩いメールが少なくなってスッキリした、くらいにしか思って無かったでしょう? 私、もうずいぶんとメールも電話も折り返してしかいなかったけど、気付いてさえいなかったものね。あなたの大層な恋愛論とやってることはずいぶん違うようだけど、次は少し気を付けた方がいいと思うわ。私は合わなかったのよ。きっと合うヒトが見つかるわ。幸せを祈ってる。元気でね。
機関銃のような彼女の言葉にろくに返すことができなかったのは仕方ないだろう。そのあと、悪友のツレに連絡を取って飲んで愚痴を聞いてもらったが、そりゃしゃーないという言外に「お前が悪いわ」という態度だったので、私はいい友達を持ったんだろう。
これが、彼女の心変わりで新しい相手が居るのなら、多少はうらむこともできたのだろうが、残念ながら、そんな疑う隙もないまま、彼女はあざやな笑顔を浮かべて、ぷりぷりと怒って去って行った。
────そんなに怒るなら、別れなければいいのに。
もし、喉まで出かかったその言葉を私がこぼして居たら、恐らく、魚用のフォークをテーブルに突き刺されて居たかも知れない。
────会いたい、ずっと一緒に居たかった。
使いふるされた陳腐なはずのその言葉が胸に刺さる。そして、改めて思い出す。
────会いたい、一緒に居たい。
流し見て居たメールの文面、会話の端からこぼれた言葉が今更ながらに思い出される。付き合ってから久しぶりに、頭が彼女のことで溢れるのに、これが最後だという。この脳味噌をどこへどこがリコールすればいいのか。
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