後日談

「星が拾えると思ったもので」

『海へ行こう』

 短い沈黙のあと、急にみっちゃんがそんなことを言い出すものだから、思わずわたしは笑ってしまった。

 高校二年生の冬、夜中にみっちゃんを呼び出して海に連れて行ったことを思い出したのだ。

 といっても、あのときとは状況が何もかも違う。

 まず、わたしは高校を卒業して大学生になった。そして今の季節は夏だ。

 何より大きな違いは――みっちゃんはもう、ここにはいない。

「海? いいねえ、夏休み入ったし。いつにする?」

 笑いを噛み殺しながら返すと、みっちゃんは神経質そうに聞こえる声でぴしゃりと言った。

『今から。高校生の時行ったところに。場所、もちろん覚えているよね?』

 これでは本当に、あのときの再現だ。

 どうして急に、みっちゃんはこんなこと、言い出すのだろう。

 いなくなってから今日まで、一度だってこうして声を聞かせてくれたことなんてなかったのに。

「わかった。あのときはみっちゃん、来てくれたもんね」

 みっちゃんはもう返事をしてはくれなかったけど、わたしは急いで寝間着から着替えた。

 家の鍵と財布だけをカバンに入れて、家を出る。



 中学生の頃から使っているママチャリは、いい加減ガタが来ているのかこいでもこいでもなかなか前に進んではくれなかった。

 以前、同じようにこのママチャリに乗って海へ行ったときは、もう少しマシな走りをしていたように思うけれど、二年も経てばやっぱり劣化もそれだけ進んでいるみたいだった。

 嫌でも、高校生のときのことを思い出してしまう。

 冬の夜中の、肌が切れるのではないかと思うくらい、冷たい空気だとか。

 吐き出す息の白さで、夜の空気が煙ることだとか。

 あのときは後ろにみっちゃんを載せて海まで走ったけれど、今回は一人だ。

 話しかけたところで、みっちゃんはもう、返事をくれない。



 夜とはいえ夏だから、他にも誰か来ているんじゃないかと思っていたけれど、予想に反してそこには一人の姿しかなかった。

 何もかも、あのときとは状況が違うと思ったけれど、ここだけは同じだ。夜の海辺に二人だけ。

 白いシャツを着て、洗いざらしのジーパンを履いた姿が夜の闇の中にぼんやりと浮かび上がっている。

 こうしてみると本当に幽霊みたいだった。笑い出したくなる。

 ママチャリを止めて、鍵をかけて。

 波打ち際に立つ、そのひょろっとしたシルエットに向かって走りながら、あらん限りの声を張り上げる。


「みっちゃん!」


 細い肩が大げさに跳ね上がって、その幽霊みたいなシルエットが風に揺れる枯葉みたいに翻った。

 見覚えのあるゆるい笑顔がこちらに向けられる。

 片手に持ったコンビニのビニール袋がかさり、と音を立てた。

「朋絵、思ったより早かったね」

「『早かったね』じゃないよみっちゃん! ずっとメールすら寄越さなかったと思ったら急に電話なんかしてくるし! びっくりしたじゃん! いつ帰省してたの!」

 食い気味に言うと、みっちゃんがしてやったり、という顔で笑った。

「今朝だよ、夜行バスを使って帰ってきて、夕方まで寝てた」

 卒業式の日、おもむろに進学先を告げられたときのことが、不意に蘇った。

 東京の、聞き覚えのある大学名を告げられて、驚きはしたけれど、同時に納得できた。

 地元の大学じゃなくて、遠くの大学へ進学したのは、なんともみっちゃんらしい。

「……まあ、元気そうで何より」

「言いたいこと、たくさんあるって顔してるね、朋絵」

 ニヤニヤ笑うみっちゃんに促されて、しぶしぶわたしは口を開く。

「……わたしをびっくりさせたくて急に呼び出したのは分かったけど、本当にそれだけ?」

「理由? ……朋絵、今日は何の日か知ってる?」

「え?」

 何の日? みっちゃんの誕生日でもないし、もちろんわたしの誕生日でもない。

 かといって、他に何か記念日らしいものが思いつくかと言えば、全く思いつかなかった。

 答えに窮していると、みっちゃんの笑みがますます深くなる。

 夜空を背負ってるみっちゃんは、なんだか舞台役者みたいだ。 

「答えはね、ペルセウス座流星群が極大になる日、だよ!」

 珍しく興奮気味なみっちゃんが言い切った瞬間、わたしの視界の端っこで何かが瞬くのがわかった。

「みっちゃん! 今! 流れ星が! みてみて!」

「どこ?」

 ちょっと気取って言ったみっちゃんも即座にわたしが指さす方向を即座に睨みつける。

「さすがにもう見えないって。……でも」

「次から次へとくるな!」

 夜空に目を凝らして探すまでもなく、星は次から次へと降り注いできた。

 白い光が長く尾を引いて、水平線の向こうへ落ちていく。

「きれいだねえ、みっちゃん」

「うん。見られてよかった。にしても、フジファブリックの『星降る夜になったら』が聴きたくなるな」

「フジファブリック、名前だけ知ってるけど聴いたことない」

 何の気なしに返すと、信じられないものを見るような顔でみっちゃんがこっちを見た。……何もそんな顔しなくてもいいのに!

「折角だから聴こう。良いタイミングだし」

 ジーパンのポケットからウォークマンを取り出して、みっちゃんがイヤフォンを片方差し出してきた。

 受け取って、二人で片方ずつイヤフォンを付ける。静かみっちゃんがぽつりと呟いた。

「……まあ、流れ星を見に来たっていうのもここに来た理由の一つではあるんだけど」

 曲の再生を待っていると、不意にみっちゃんが沈黙を破った。

 理由の一つということは、何か他にも理由があるのだろうか?

 わたしが聞き返そうとするより先に、にやりと笑ったみっちゃんが答えを教えてくれた。


「今日なら星が拾えると思ったから」


 ——ああ、くそう。やられた。

 わたしもつられてにやけてしまった。

 みっちゃんがウォークマンの再生ボタンを押す。『星降る夜になったら』のイントロが流れ出した。





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星は海にかえす 市井一佳 @11_1ka

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市井一佳 @11_1ka

人に似た人でないものたちと、すこし不思議な話が好きです。 文芸サークル「フロッケリプカ」で文フリやコミティアに出展しています。 サイト:http://aliena.silk.to/もっと見る

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