6.

 翌日、みっちゃんが普通の姿で何事もなかったかのように登校してくる、なんてことはなく、相変わらずみっちゃんは半透明の幽霊みたいな体のままだった。

 そしてやっぱり、わたし以外には誰も、その存在に気づくことは出来ないようだった。

 みっちゃんもみっちゃんで、授業をしている先生のところに寄っていって変なパントマイムをやってみせたり、かと思えば教卓の上に腰掛けて退屈そうに足をぶらぶらさせていたりして勝手気ままに過ごしていた。

(そのせいで一人吹き出してしまって、何度わたしが変な目で見られたことか!)

 あるいは、姿を見せないと思ったら、屋上でひなたぼっこをしていたと後で教えられたこともあった。

 みっちゃんは自由気ままに、それこそまるで猫みたいに過ごしていたのだ。

 そのうち、学校に来ない日もでてきた。

 あとで何があったか聞いてみると――こういうときみっちゃんがスマホを持ち歩けないのが不便だと思う――今ならタダで旅行し放題ではと考えて実行に移そうとしたけれど、電車に乗っていても普段行かないような場所まで出ようとすると体の自由がきかなくなった、なんてことがあったらしい。

 やっぱり、体から遠ざかりすぎると活動できないのだろうか。

 そう考えると、今のみっちゃんの状態は案外不自由なのかもしれない。体が動かせない以上、行動範囲だってどうしても限られてしまう。

 しかし、みっちゃんが実体のないことを活かして色んなことに挑戦していたのもはじめの一週間ほどだけで、それ以降は自分の席について、退屈そうに授業を聞くようになっていた。

 みっちゃん曰く、「授業は毎日内容が変わるから、その辺をふらふらするよりも楽しい」らしい。

 そういう考え方もあるのか。わたしは妙に納得させられてしまった。

 こんなに不自然で、幽霊のなりかけみたいな友だちがいる生活も慣れてくるもので、気づけばわたしは何の違和感も感じなくなってしまっていた。

 学校でも、はじめのうちこそ空になっているみっちゃんの席を見ては彼女の心配をする子も多かったけれど、一ヶ月が過ぎようとしている今では、話題に上ることも少なくなっていた。

 あっさりしているとは思うけれど、仕方のないことかもしれない。なんせ情報がこないし、元々みっちゃんがクラスの隅っこでひっそり過ごしていることが多かったからというのもある。

 もしかしたらわたしだって、みっちゃんと喋ることが出来ず、姿を見ることも出来なければ、みんなと同じようにみっちゃんのことを忘れてしまったかもしれない。

 平日の夜にぽつぽつとメールを送りあって、学校で会えばひっそり人の居ないところで話をして。

 そんな生活が当たり前になって、みっちゃんがいずれは元通りになるだろうなんて話も忘れかけていた頃に、その日はやってきた。



 十月一日。少し肌寒くなってきたその日は、校則で定められた衣替えの日でもあった。

 原則として十月一日というだけで、その年の気温によっては早まったり遅まったりするけれど、今年はそんなことはなくてきっちり十月一日に衣替えをすることになった。

 昨日までは白いセーラー服、白いカッターシャツばかりだった学校が、急に黒のセーラー服に黒の詰め襟で溢れかえるようになって、毎年のことながら戸惑ってしまう。全く知らない世界に紛れ込んでしまったみたいな気持ちになるのだ。

(とはいえ、わたしだって冬服になっているわけだから、紛れ込んでいるというのもおかしな言い方だけれど)

 その中にあって、一人だけ夏服のまま、それこそ別の世界から紛れ込んでしまったような子がいた。

 みっちゃんだ。


 思えばみっちゃんが幽体離脱したままになって一ヶ月が過ぎていた。

 その間、わたしは隙を見て二回「お見舞い」に行って、みっちゃんが「生きている」ことを確認していたし、そうでなくても、もしみっちゃんが死んでしまったなら、どこかから情報が入ってきたはずだけれど、今のところそんな情報は入ってきていない。

 そして何より、半透明のみっちゃんはしれっとした顔でいつもわたしの隣にいて、いつの間にか、それが当たり前になっていたのだ。

 しかし、みっちゃんが幽体離脱をしたまま一ヶ月が過ぎるということを改めて考えたときに、もしかしたらみっちゃんはずっとこのままではないかという気がしてきた。

 そうすると、冬服の群れのなかで真っ白の夏服を着たみっちゃんは、急に死に装束を着ているように見えてきたし、学校中の冬服を着た生徒たちは、まるでみっちゃんの葬式に訪れた参列客のようだった。

 そして何よりもう一つ、わたしには気になっていたことがあった。気になっていたけれど、どうしてもみっちゃんに訊けなかったことがあった。

 それは、みっちゃんが前日、夏休みの最終日にあったことについてだ。

 けれど、どうしてもわたしは、みっちゃんにそのことを問いただせずにいた。訊いてしまえば今ぎりぎりで保たれている何かが、崩れ落ちてしまいそうな気がしたのだ。

 みっちゃんは相変わらず、何も言わない。

 どうするつもりだろう。みっちゃんは。

 ずっとこのままだろうか。このままでつもりなのだろうか。



『オリオン座流星群』

 十月の半ば、朝ご飯を食べながら見ていたテレビでは、間もなく接近するそれの話題で持ちきりだった。

 極大になるのは今月の二十七日。なんでも今年は条件が良いらしく、肉眼でもしっかりと流星群が見られるらしい。天気が良ければ一時間あたり十個から二十個の流れ星を見ることが出来るだろう、とも。


 これだ、とわたしは思った。

 今の状況を打破する方法は、これしかない。


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