1.

『星を盗んだ』

 絵文字も顔文字もない、たったそれだけのメールが朋絵から届いたのは、日付が変わって少し経った頃だった。

 スマホの画面に表示されたメッセージを見て、私は眠りかけていた頭を数回振って起こす。

 ――どういうことだ、これは。

 書かれた内容をとっても、絵文字や顔文字が一つもないことをとっても、妙だった。

 内容がおかしいのはもちろん、普段の朋絵のメールには顔文字がふんだんに使われているのだ。いくら短いメールであっても、最低一つは顔文字を使っていたから、それが全くないのはおかしい。誰かが朋絵のスマホを使って悪戯しているとしか思えなかった。

 しかし朋絵本人にせよ、そうじゃない誰かにせよ、この文面は一体何なのだろう。

 首を捻って、けれど私は考えるのを止める。

 明日も学校だ。遅刻しても問題ないけれど、やっぱりちゃんと時間は守りたい。

 そう言ったら朋絵は律儀だと笑うのだろうか。それとも当たり前だと怒るのだろうか。

 メーラーを起動して、私は素早く先ほどのメールに返信を打って目を閉じる。

『何いってんの、早く寝なよ』

 そう、私はその奇妙なメールが、朋絵の大して面白くもない冗談だと思ったのだ。このときは。



 朋絵からおかしなメールが届いた翌朝、ベッドから身を起こして階下へ降りていくと、既に姉が食卓についていた。

 これは珍しい。私より四つ年上で、現在大学三回生の姉は、私が登校する時間に起きている

ことなど殆どないのだ。今日は何か用事でもあるのだろうか。

 一体いつ大学に行っているのか。以前そう問い詰めたとき、姉にへらへら笑いながら「美智も大学生になれば分かるよ」とはぐらかされたのを思い出す。

 姉は寝間着代わりにしている高校のジャージ姿のまま、ぼんやりとテレビを見ていた。私は底抜けに明るいBGMと聞き慣れたアナウンサーの声から、いつも見ている朝の情報番組なのだろうとあたりをつけて、姉の隣の椅子に腰を下ろす。予想したとおり、画面には見慣れたスタジオセットとアナウンサーの面々が映し出されていた。

 画面が切り替わり、天気予報が始まった。どうやら夕方から雨が降るらしい。反射的に折りたたみ傘を持って家を出なければと思い、すぐにその考えを打ち消す。私には必要のないものだ。

 台所から母が姉を呼ぶ声がした。姉がのろのろと立ち上がって、スリッパを鳴らしながら台所へ消える。姉と入れ違いに、カリカリに焼いたベーコンの匂いがダイニングに漂ってきた。その匂いを吸い込んで、私は今日が木曜日だったことを思い出す。

 木曜日はベーコンエッグの日というのが、梨木家の決まりごとの一つだ。

 というのも、母の持論が「木曜日こそ一週間で一番辛い日」であって、「その憂鬱な木曜日に打ち勝つためにはベーコンエッグが一番だから」らしい。前半はまだ理解出来るけれど、後半は正直よく分からない。

 ぼんやりしているうちに、いつの間にか天気予報は終わっていたようだった。

 いつの間にか、再び画面はポップなスタジオセットに切り替わっている。

 しかし、そこに並ぶアナウンサーの表情は、いずれもいつもの完璧に整えられた微笑ではなく、戸惑いを隠しきれない引きつった笑顔だった。

『続いてニュースです』

 歯切れ悪く、アナウンサーの一人が言う。

 何があったのだろう。知らず知らずのうちに首を傾いていることに気づいて、私はゆっくりと首を真っすぐに戻す。

 なにか凄惨な事件があって顔が強ばる、というのなら分かる。けれど、今のアナウンサーの表情はどんな顔をすればいいのか分からないというような、心の底から困り果てているのが分かるものだ。

 スリッパを引きずりながらダイニングに戻ってきた姉も、テレビをちらりと見てスタジオの異常に気づいたらしく、ベーコンエッグの乗った皿を二つ持ったまま固まってしまった。

 先ほどのアナウンサーが、視線を彷徨わせて――きっとカメラの向こう側にいる誰かに助けを求めているのだろう――言いにくそうに口を開く。

『……星が、消えました』

 姉が持っていた皿が、二つとも音を立てて食卓に置かれた。

 置かれた、というより、手から滑り落ちたという方が正しいだろう。

 しかし私も、姉の様子ばかりを気にしていられなかった。

 今、彼は一体なんと言ったのか。

 中途半端に引きつった笑顔のまま、黒縁眼鏡をかけたそのアナウンサーは続ける。

『消えたのは、やまねこ座の恒星の一つ、三一番星です。固有名はアルシャウカットで、視等級は――』

 途中からテレビの音声は耳に入らなくなっていた。

 ただ、私の頭の中には、深夜に受け取った、おかしなメールの文面だけがちらついていた。

「嘘だぁ……」

 思わず口の端から間の抜けた声が零れる。

 姉はと言えば、相変わらずテレビに視線を釘付けにされたまま立ち尽くしていた。

「どうしたのー?」

 私の声は聞こえていないはずなのに、台所の母からは間延びした、のんきな声が返ってきた。


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