第13話 紫水の疑問 白雪の確信

 魔界。

 太陽の光を浴びて人間が暮らすその大地の地下奥深く。

 人間界とは異界の扉で繋がっている近くて遠いその場所にその世界はあった。

 広大な庭園の中にポツンとひとつだけ平屋建ての和風家屋が建っている。

 庭を見渡せる畳敷きの和室では、白く輝く長い髪を薄紅色のかんざしでまとめ、同じ色の振袖ふりそでを着てしゃなりと座る女性の姿があった。

 風弓かざゆみ白雪しらゆき

 この部族の長の一人娘である。


「ああ……響詩郎きょうしろうさま」


 彼女が手にしているケータイの画面には隠し撮りしたものと思われる神凪かんなぎ響詩郎きょうしろうの写真が映し出されていた。

 彼女の部下である紫水しすいによって送られてきたその写真をうっとりと見つめている白雪は、すでに一時間もこうしていた。

 数ヶ月前。

 颯爽さっそうと現れた(白雪のイメージ)響詩郎きょうしろうが内紛に揉める部族の問題をあっさりと(やはり白雪のイメージ)解決してから、響詩郎きょうしろうは彼女にとってまさに白馬の王子となった。

 白雪が夢想にふけっていると、突如としてケータイが着信メロディーを発し始める。

 お琴の音色で奏でられる美しい調べを聴きながら白雪は上機嫌で電話に出た。


「もしもし」


『姫さま。紫水しすいです』


 電話の相手は人間界で響詩郎きょうしろうの監視に当たらせている腹心の部下・紫水しすいだった。


紫水しすい響詩郎きょうしろうさまの写真を送ってくれて感謝します。でももっと近くてもっと笑顔の写真が欲しいわ」

『……ぜ、善処します。ところで本日の定時報告ですが……』


 努めて事務的な調子で自らの職務を全うしようとする紫水しすいの言葉を遮り、白雪は手前勝手に話を続ける。


「ねえ紫水しすい響詩郎きょうしろうさまは私に興味がないのかしら?」

『は、はぁ……。い、いえ姫さま。そのようなことはございません』

紫水しすいはどう思うの?」


 白雪に調子を狂わされながら紫水しすいは、主の気分を害すまいと懸命に受け答える。


『そ、そうですね。響詩郎きょうしろう殿は真に良き女性を見抜く眼力に欠けているようです。姫さまのお人柄をよりよく知れば、間違いなく姫さまに夢中になるはずです』


 紫水しすいが努めて優しい調子でそう告げると、白雪は大いに喜んで黄色い声を上げた。


「そうよね。絶対そうよね。でも、問題は転生よね」


 部族の姫である白雪の結婚相手は同じ魔族でなければならないと一族のおきてで定められている。

 魔族の血を薄めないためだ。


『我が部族に人間から転生した者が入ってきた記録はありませんからね。仮に響詩郎きょうしろう殿が魔族に転生したとしても、我が部族に彼を迎え入れることを快く思わない者も少なからず出てくるはずです』


 自分もその一人であることは告げずに紫水しすいは話を続けた。


『それに響詩郎きょうしろう殿も人の身に未練があると思いますよ』


 紫水しすいのその言葉を聞くと、途端に白雪の声から喜色が薄れていった。


「そう。やっぱり生まれ持った体を捨てるのって勇気がいることよね。あ~あ。私の頭の中ではもう物語が出来上がってるのになぁ」

『物語……ですか。それはどのような?』


 正直なところ内容はまったく聞きたくなかったが、白雪が話したくてたまらなさそうなので紫水しすいは良い聞き役に徹することに決めた。

 紫水しすいの問いに白雪は再び黄色い声を出した。


転生玉てんせいぎょくのことは知ってるわよね?」

『無論です。新たな生を与えるという秘宝・転生玉てんせいぎょく

「あれってロマンティックよね。種族を超えて愛し合う男女にぴったりの宝具だわ」

『そうでしょうか。私は好みません。使用方法が破廉恥はれんちです』


 転生玉てんせいぎょく

 人と妖魔の生を司る勾玉まがたまである。

 霊能力のある人間が大豆ほどの大きさのそれを飲み込み、玉の霊力で己の体が満たされるのを見計らって相手の妖魔にその霊力を注入すると、妖魔は人に転生する。

 逆に妖魔が玉を飲み込んで霊能力者の人間に魔力を注入すると、相手は妖魔に転生する。

 古来よりそのような使われ方をしてきた由緒ある宝具であり、風弓かざゆみ一族に代々伝わる家宝であるが、紫水しすいはその使用方法を問題視していた。

 相手に霊力を注入する方法。

 それは接吻せっぷん

 すなわち口づけなのだ。

 それも自分の霊力を相手に送り込むため、渾身こんしんの気合を込めた息も切らさんばかりの濃厚な接吻せっぷんが必要になる。


『そのようなこと、少なくとも嫁入り前の姫さまがなさることではございません。転生は従来の方法である手術によって行われるべきです』


 電話の向こうの硬質な声に白雪は抗議の声を上げた。


「固い。紫水しすい固い。考え古い。今どき固くて古すぎる」

『固かろうが古かろうがダメなものはダメです』


 白雪はわずかに声を潜めて尋ねた。


紫水しすいってもしかして彼氏いない?」

『なっ……わ、私は戦で身を立てたいのです! 男性との交際など微塵みじんも考えておりません!』

「そんなこと言ってると、いつの間にか年ばっかりとって後悔するわよ」


 白雪のその様子にたまりかねて紫水しすいは思い切って自分の考えを口に出した。


『ふぅ。いいですか姫さま。僭越せんえつながら申し上げますが、やはり響詩郎きょうしろう殿には姫さまの夫君になられるという大役は荷が重いのではないでしょうか。ここは彼のためにも、姫さまにはやはり魔族のきちんとした出自の殿方を迎えていただき……』


 己の切なる願いを訥々とつとつと語る紫水しすいだったが、白雪はほとんど聞いていなかった。


「だったら私が人間に転生しちゃおうかしら。そしたら響詩郎きょうしろうさまと同じ長さの時間を生きて一緒に死ねるわ。その場合、響詩郎きょうしろうさまに転生玉てんせいぎょくを飲んでもらわないとね。響詩郎きょうしろうさまにくちびるを奪われる私かぁ……いいかも!」

『な、なんですと?』


 白雪の突拍子もない話に紫水しすいは仰天して声をひっくり返らせながら言葉に詰まった。


『な、なりません! おたわむれもほどほどになさってください。そのようなことはこの紫水しすい以外に決して口外してはなりませんよ姫さま! 後生ですから』


 紫水しすいいさめる言葉に、白雪は少しだけねて口を尖らせた。


「分かってるわよ。こんなことお父様たちに言ったら卒倒しちゃうものね。やっぱり響詩郎きょうしろうさまに魔族になってもらうしかないわよね」


 そう言って白雪が軽くため息をつくと、受話器の向こうから紫水しすいの咳払いが聞こえてきた。


『コホン。いいですか姫さま。響詩郎きょうしろう殿は武芸に秀でているわけでもなく、身体能力が特別高いわけでもありません。罪科換金士としての能力は確かに特異ですが、それだけでは我が風弓かざゆみ一族の王家に迎え入れるにはいささか役不足かと。仮にご結婚されたとしても、きっと彼はこちらで肩身の狭い思いをすることになると思いますよ』


 紫水しすいの言うそれは、嘘偽りのない言葉だった。

 かつて響詩郎きょうしろうは彼らの部族を内紛の危機から救った。

 それゆえ部族の民からは歓迎の意を持たれていたが、それはあくまでも響詩郎きょうしろうが客人の身分ゆえのことであり、彼が自分たちの一族に入るとなれば話は別である。

 面従腹背の冷たい視線を浴び続ける響詩郎きょうしろうの姿が紫水しすいには容易に想像できた。

 だが、白雪はそうは思っていなかった。


「それは違うわよ。紫水しすい

『なぜです?』


 確信めいた白雪の言葉の響きに不思議な感じを覚えて紫水しすいは尋ねた。


響詩郎きょうしろうさまは確かに力は弱いでしょう。でもあの御方は弱い人間ではありませんよ。紫水しすい。想像してみて下さい。もし私たちが風弓かざゆみの力を持っていなかったとして、私たちにとって異界である人間界に出向き、ある部族の問題を解決することができると思いますか?」


 白雪の話に受話器の向こうで紫水しすいが口ごもった。


『そ、それは……』

「武器を持たずとも敵陣に踏み込む。心根の弱い者には出来ないことです。紫水しすい。監視をするならばその人の内面まで見透かすほどに視線を注ぐことですね。せっかくの千里眼。有効に使えるように。それじゃ」


 そう言うと白雪はやはり手前勝手に電話を切った。


「さぁて。私も人間界に出向く準備をしないと」


 ケータイを袖口そでぐちにしまい込むと、白雪は嬉しそうにそう言って、部屋の中に置かれた三面鏡を覗き込んだ。

 そしてそこに映る恋する乙女の顔をじっくりと眺めながらつぶやいた。


「ああ。響詩郎きょうしろうさま。白雪は一刻でも早くあなたさまにお会いしとうございます」

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