蘇る本能 #17

 十数分ほど走って、ベンツがゆっくりと左に寄って停車した。運転手が素早く外に出て、後部座席のドアを開けた。

「どうぞ」

 叶が眉間に深く皺を刻みながら頷いて車を下りると、目の前に茶色の煉瓦れんが貼りの雑居ビルが峙立じりつしていた。周囲を見回していると、運転手が叶の前に立って「こちらです」と告げて、先に歩き出した。少し遅れて叶がついて行き、ビルの奥に設置されたエレベーターに乗って八階へ上がった。

 エレベーターを出て、薄暗い廊下を五メートルほど進んだ先に、灰色の扉が見えた。中央に『(株)鳳金融』と大書されたプラスティックのプレートが貼ってある。運転手は無造作に扉を押し開き、叶を振り返って「どうぞ」と告げた。

 叶が足を踏み入れると、中は複数の事務用デスクとひと組の応接セットが並ぶ、ごく一般的な事務所の体を成している。だがそこに居る従業員のかもし出す雰囲気は、堅気かたぎのそれではなかった。彼等は一斉に叶を挑戦的な目つきで見据えたが、叶は全く気にせずに運転手に訊いた。

「で、オレを招待した張本人はどちらに?」

「お待ちください」

 軽く頭を下げて告げると、運転手は部屋の奥にまった木目調の重厚な扉の前まで小走りに進んだ。その扉の中央には、白文字で『社長室』と書かれた真っ黒なプレートが貼ってあった。運転手が扉を二度強くノックして、

「社長、お連れしました」

 と言った。直後に中から、

「お通ししろ」

 と重低音の返答が聞こえた。電話で聞いた薩摩の声だ。

 叶が従業員達の間をって社長室の前まで行き、運転手が開けた扉をくぐると、すぐに背後で扉が閉められた。

 社長室は事務所と同じくらいのスペースがあり、正面には誰が描いたのか、ライオンと鳳凰が戦う絵が掛かっていた。左手に重厚な作りの木製のデスクが置かれ、傍らにはファイル等が入った書棚と、大きめの金庫が並んでいる。右手に応接セットが設置されていて、窓側の革張りのソファに座っていた四十代後半から五十代前半と思しき中年の男が、前腕に嵌めるタイプのアルミ製の杖を頼りに腰を上げた。

「ようこそおいでくださいました。私が薩摩です」

「どうも、叶です」

 笑顔の薩摩に対し、叶は一切表情を崩さない。

 薩摩に勧められて叶が対面に座ると、間の黒いテーブルの上に薩摩が自分の名刺を置いた。叶はすぐに取り上げて、一瞥しただけでポケットに放り込んで言った。

「オレのは持ってるんだろ」

「ええ、その節は私の部下が大変失礼を致しました。何分彼等も仕事でしてね」

 薩摩が応えた所で再び扉がノックされ、直後に運転手が湯呑みをふたつ乗せたトレーを持って入って来た。テーブルに湯呑みを置くと、軽く会釈して退室した。

「まぁ、どうぞ」

 叶に勧めつつ、薩摩は湯呑みを口へ運ぶ。叶が中を覗くと、中身は緑茶だった。そっと溜息を吐いてから、叶が切り出した。

「用件を聞こうか。アンタとサシで茶を啜ってられるほど暇じゃないんでね」

 薩摩はゆっくりと茶を味わってから湯呑みを置き、ひと息吐いてから口を開いた。


《続く》

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