第4話「世界を救う才能」
――ミナヅキ・インダストリーの本社ビル。その最上階である六十階は展望施設として一般開放されているのだが、今夜は貸し切りのパーティ会場となっていた。
政界、経済界、法曹界、スポーツ界、芸能界……あらゆる世界の重鎮が一堂に会す華やかな舞台に、年端もいかぬ少女……凛音の姿もあった。淡い水色のパーティドレス。髪は下ろしてストレートで、トレードマークの眼鏡も外しているのだが、肩に提げたショルダーバッグはいつも通りで……いかにも、場違いである。
喧噪から離れ、凛音はガラス張りの壁面に寄り添って、夜景を見下ろしていた。
「凛音」
振り返った凛音の前に、父親の源次が立っていた。仕立ての良いダブルのスーツを着こなす四十五歳。常に険しい表情……眼光は細く鋭く、眉間に深い皺を寄せている……を浮かべており、それは愛娘に対しても変わらなかったが、凛音にしてみれば慣れたもの。今夜の父親が上機嫌なことを、その表情から読み取っていた。
「綺麗になったな。年々、母さんに似てくる」
「ふふ、ありがと」
小さく笑う凛音。源次はじっとその表情を窺う。
「……浮かない顔をしているな?」
「そんなこと……」
凛音は右手を頬に当てた。源次は凛音のショルダーバッグに目を向ける。
「お前には苦労をかけている」
源次は凛音に歩み寄ると、その両肩に手を置いた。
「お父さん?」
「……小さい肩だ。だが、この双肩に世界の命運がかかっていると思うとな」
「大丈夫。私には仲間がいるから」
「……STWか」
源次の手に力がこもり、凛音が小さく呻いた。「すまん」と、源次は手を離す。
「世界を救っているのはお前だ。STWはそのサポートをしているに過ぎない」
「そんな――」
「それに、リッターと言ったか……何だあの
「お父さん……」
「凛音。お前の戦闘記録の蓄積と解析は順調に進んでいる。直にお前じゃなくても世界を救えるようになる。お前が苦労することはなくなる。だから、それまでは、お前のその才能で世界を救ってくれ」
「……はい」
凛音が肯くと、源次は踵を返して喧噪の中へ戻って行った。凛音は冷たい壁面に背を預け、俯き、溜息をつく。……そうなれば、私も。
「凛音」
顔を上げた凛音の口に、何かが押し込まれる。この味と歯触り……鶏の唐揚げだ。
「ひへぃ?」
「ちゃんと食べてる? 駄目よ、飴ばっかで済ませてちゃ」
舞はそう言うと、左手に持った皿から右手で唐揚げを摘まみ上げ、口に放り込んだ。もぐもぐ。凛音も口の中の唐揚げを咀嚼し、ごくんと飲み下した。
「……ふぅ、司令もいらしてたんですね?」
「ええ。君のお父様と、リオン・ハートの一般化についてのお話をね」
「さっき、順調だって言ってましたけど……」
「それは随分と前向きな発言ね」
「そう、なんですか?」
「リオン・ハートは凛音、二名のサポート、スパコン……この全てが揃って初めて成立するシステムよ。これを一般化……タレントのない人達でも扱えるようにするには、スパコンを改良するしかないんだけど……地球の技術じゃ相当大変なのよ。あのミコが手こずってるぐらいだし。だから、ゾルダートの改良や量産とは根本的に違うってことぐらい、彼も分かってるはずなんだけど……」
――あるいは、私達に内緒のことがあるのかもね。舞はそんなことを考えながら、もう一つ唐揚げを頬張った。もぐもぐ。
「それじゃ、私の戦いはまだまだ続きそうですね!」
凛音はショルダーバッグを軽く叩いた。舞は指先を舐めつつ、凛音を眺める。
「辛い?」
「世界を救うためですから」
「……彼にも聞かせてあげたい言葉ね」
「そうか」
「ん?」
「……っていうのが、亀山さんの感想でした」
「やれやれ、ね。……まぁ、実際とんでもない話だもの。自分に世界を救う才能があるなんて言われても、ね」
凛音は肯く。私だって、二年前のあの日、父さんに言われるまで自分にそんな才能があるなんて思いもよらなかった。そして、才能がないことも。
「才能のあるなしが分かるってのも、善し悪しよね」
凛音は再び肯く。……そう。だから私は。それなら、亀山さんも――。
ぴろりろりん。ぴろりろりん。凛音はショルダーバッグの中から携帯ゲーム機と眼鏡を取り出すと、その場に座って眼鏡を掛け、臨戦態勢を整える。
舞は凛音をしばらく見守っていたが、やがて振り返って顔を上げ、星空を睨んだ。
ピンポーン。呼び鈴が鳴った。
……またか。歩は席を立ち、玄関に向かう。
「亀山さん、こんにちは!」
歩が扉を開けると、凛音が立っていた。手にした棒の先には、赤い飴玉。そして、その隣にはもう一人……緑色の髪と瞳を持つ、少女の姿があった。白色のワンピースが眩しい。凛音の背は歩の肩ほどまでだが、少女はさらに小さく、幼かった。
「……その子は?」
「リブラちゃんです! 初対面……ではないですよね?」
歩は肯く。アーサーに乗り降りする際、いつもこの少女に助けられ.……というより、運ばれている歩であった。頭を下げるリブラに、歩も頭を下げて応じる。
「立ち話も何なんで、上がらせて貰いますね!」
そう言って、玄関に立ち入ろうとする凛音。歩は反射的に扉を閉めようとするが、扉はびくともしなかった。見ると、リブラが片手で扉を押さえている。その間に、凛音は玄関で靴を脱いで進入を果たしており、「換気! 換気!」とベランダの戸を全開にしていた。歩は溜息をつき、リブラを玄関に招き入れる。
歩が一人暮らしをしているワンルームには、来客用のソファーや座布団など気の利いたものがあるわけもなく、凛音とリブラは一番座り心地の良い場所……ベッドに並んで腰掛けることになった。
歩は愛用の椅子を引き、背もたれを前にして座ると、二人を見比べる。
「……それで、何の用だ?」
「もちろん、決まってるじゃないですか!」
凛音はリブラに「ねー」と同意を求め、リブラは肯いた。歩は髪を掻き上げ、凛音に顔を向ける。
「君さ、前に来た時――」
「ごめんなさい! 私、酷いことを言ってしまって……」
凛音は立ち上がり、深々と頭を下げた。先手必勝か、と歩は思う。君はそれだけじゃなく、食べ物も粗末にしたんだぞ……とは言えない歩であった。
「俺がいなくても世界を救えることが分かったんだ、これ以上――」
「あれは奇跡でした」
「世界を救うには、奇跡の一つや二つ――」
「私は奇跡よりも、才能を信じています。……リブラちゃん、お願い」
リブラは肯いて立ち上がると、歩の前に立った。そして、歩の顔をぐいと両手で挟む。歩の顔が縦長に歪んだ。リブラは歩に顔を近づけ……鼻先が触れ合う直前に停止。その緑の瞳で、歩の黒い瞳をじっと見据えた。
「瞬きをしないで、リブラちゃんの目を見ていてくださいね!」
歩はそうするしかなかった。やがてリブラは顔と手を離し、歩を解放する。
「ちょっと待っていてください!」
凛音は歩にそう声をかけると、ショルダーバッグから取り出し出したペン、紙、バインダーをリブラに手渡す。リブラはそれらを受け取り、何かを書き始めた。凛音は飴玉を舐めながらそれを見守る。歩は目をぱちくりし、首を傾げた。
ややあって、凛音はリブラが書き上げたものを受け取り、さっと目を通す。
「……分かりました」
「何が?」
「亀山さん、貴方に小説家の才能はありません」
歩はひゅっと息を呑んだ。凛音は飴玉を一舐めして、先を続ける。
「ショックでしょうが、これが現実です」
「……何の根拠があって?」
歩はすぐに切り返したと思っていたが、実際には、五秒以上の間が空いていた。
「貴方のタレントを、この子が調べてくれました」
肯くリブラ。首を傾げる歩に、凛音は言葉を続ける。
「リブラちゃんは、ライブラなんです」
「……何だって?」
「世間に出回っている『ライブラ・アプリ』は、この子の能力を模したもので、リブラちゃんの方が精度は上です。そんなリブラちゃんに調べて貰った結果……」
凛音は手にした紙を振って見せる。
「貴方には小説家の才能がこれっぽっちもないことが分かりました」
凛音は紙を歩に差し出す。歩はそれを受け取ったが、目を通すことはなかった。
「それを、信じろって?」
「貴方がこれまでどれほどの数の小説を書いてきたのかは知りません。でも、三十四歳にもなってプロデビューできないのは、才能がないからじゃないんですか?」
歩は噴き出すと、首を横に振った。
「……何か、凄いな」
「ごめんなさい。でも、私は貴方に目を覚まして欲しいんです」
「目を、覚ます?」
「貴方は現実を見ていません。この世界が脅威に晒されていることは、貴方も身を以て実感したはずです。……現実感には乏しかったかもしれませんが、問題はリアルなんです。一つでも手抜かりがあれば、世界は終わります。こんな状況でも、貴方は夢を……本当に夢みたいな、叶わぬ夢を追うというのですか?」
歩は溜息をつくと、手にした紙を折り畳み始めた。二つ折り、四つ折り。凛音はそんな歩の鼻先に、飴玉を突きつける。
「貴方には小説家の才能がない。でも、世界を救える得難い才能を持っています。それに目をつむるなんて、何というか、その、正直言って、ずるい、と思います」
「君が言う才能は、持って生まれたものだ。それも、自分の責任だと言うのか?」
「それは……」
凛音は言い淀み、誤魔化すように飴玉を舐めた。歩は四つ折りにした紙をしばらく眺めていたが、やがてそれを机の上に置き、ぽんぽんと、軽く叩いた。
「結局、夢を諦めろってことだろう? そして、世界を救えと?」
「そうです。それしか、世界を救う方法は――」
メールだよん! メールだよん! 凛音はコートに手を入れ、携帯電話を取り出した。メールの文面を確認し、歩に顔を向ける。
「……今回もシュヴァリエがいます。しかも、新手の機体だそうです」
「そうか。大変だな」
凛音は飴玉を振りかぶったが、手を下ろして口に含み、ばりばりと噛み砕いた。そして、棒をゴミ箱に投げ捨てると、玄関に向かう。靴を履いて鍵を外し、扉を開けて外へ。コメットにまたがり、空へと急上昇。凛音はどんどん小さくなっていく、歩のアパートを見下ろした。
「……どうして、諦めないの?」
凛音はそう呟くと、正面を向いてコメットを加速する。
歩は扉に鍵をかけると、部屋に引き返した。ベッドの上にはリブラが座っている。
「……君は、行かないのか?」
リブラは歩に顔を向けただけで、何も言わなかった。
歩は首を傾げつつも椅子に座り、ノートパソコンに向かった。マウスを動かして省電力モードを解除し、原稿データを確認する。
これまで書いたものを、スクロールしながら見直していく歩。何気なく振り返ると……リブラは変わらぬ姿でベッドに座り、じっと歩を見詰めていた。
「……何か用?」
反応なし。歩は前を向き、いざ……と、キーボードを叩き始めたが、すぐにまた後ろを振り返った。リブラは変わらぬ姿で……歩は溜息をついて立ち上がる。
リブラの前に立った歩は、腰を曲げ、リブラにぐっと顔を近づけた。リブラは動じることなく歩を見返す。歩は怯みそうになりながらも、口を開いた。
「……君、才能が分かるって、本当?」
リブラは肯く。
「君は人間じゃないの? アンドロイドとか?」
リブラは首を傾げる。
「……まぁいいか。えっと、俺にはやっぱり、その……小説家の才能が、ない?」
リブラは肯く。
「パイロットの才能は、ある?」
リブラは肯く。歩はリブラから顔を離すと、低い天井を見上げた。
「……才能って、何だろうね? 才能があるってことは……それが望んだものではなくても、幸せなことなのかな? 才能を認めれば……幸せに――」
「やってみれば?」
歩が顎を引くと、リブラが歩を見上げていた。緑の瞳をぱちくり。
「……君、喋れたんだ?」
リブラは黙ったまま立ち上がると、ベランダの戸を閉めた。そして、歩の手を取って玄関へ向かう。歩は無言で促されるまま靴を履き、鍵を外し、扉を開けて外へ。リブラもそれに続く。歩は扉を閉めて鍵をかけ、ちゃんと鍵がかかっているかを確認する……と、リブラが背後から抱きついてきて……細い腕が腰に回され、ぐっと締め付けられたかと思うと、凄い力で引きずられていく。
「ちょ、ちょっと?」
アパート前の道路まで連れ出された歩は、空に向かって垂直に急上昇……どんどん遠ざかっていくアパートを呆然と見下ろしながら、歩は背中に声をかけた。
「……君、飛べるんだ?」
リブラは体を水平に倒し、急加速する。
「和馬君、下がって!」
司令室に凛音の声が響く。全面モニターにはリッター・ランスロットとシュヴァリエの戦いが映し出されていたが、ランスロットの劣勢は明らかだった。
新手のシュヴァリエ……紫色をしているそれは、緑色のシュヴァリエよりも巨体でパワーがあり、スピードもそれ以上というとんでもない代物だった。
戦闘が始まってからまだ三分だが、五分は保たないだろうと凛音の直感……軍師のタレントが囁いていた。それはもはや、確信と言っても過言ではない。
「……ちっ、聞こえてねぇのか! 強制的に転送できないのか?」と、晋太郎。
「できたとしても、その瞬間、僕達の敗北が決まってしまう」と、啓介。
「そんなことを言ってる場合じゃねぇだろ? このままじゃ、カズが……それに、あんなのが一機、地球にきたぐらいで――」
「それが通用する相手なら、STWは必要ないだろう?」
「畜生っ! 分かってんだよ、そんなことは! でもよぉ……って、あれは!」
目を丸くする晋太郎。啓介、凛音も、全面モニターに目が釘付けとなった。
――白騎士。リッター・アーサーは剣を抜き放ち、シュヴァリエに向かう。対するシュヴァリエも、ランスロットからアーサーに目標を切り替え、剣を構えた。
大きさはシュヴァリエの方が二回りは大きく、剣も倍に近い長さである。その巨体とリーチを活かした攻撃は苛烈の一言だったが……アーサーはその全てを軽々と受け流し、ほんの一瞬の隙を逃すことなく切り込んだ。爆発。アーサーはその衝撃に煽られることもなく、剣を鞘に収める。――戦闘終了。
「亀山さん!」
息を弾ませながらリッターの格納庫に飛び込んだ凛音は、アーサーを見上げている歩に駆け寄った。深呼吸をしている凛音に顔を向け、歩は口を開く。
「夢を諦めたわけじゃないからな」
「わ、分かってます! ……その、助かりました、ありがとうございます」
頭を下げる凛音。やがて頭を上げ、疑問を口にする。
「でも、どうして……?」
「才能って、何だろうと思ってね」
「へ?」
「自分の才能って奴を、ちょっと試してみたくなっただけさ」
「……それで、どうでした?」
「俺にはパイロットの才能はあっても、それを楽しむ才能はないみたいだ」
にやりと笑う歩。その「どや顔」が小憎たらしく、凛音は頬を膨らませる。
ああ、何か言ってやりたい……凛音が歯噛みしていると、リブラがとことこやってきて、歩に背後から抱きつき、そのままずるずると引きずっていく。
「送ってくる」と、リブラ。
歩は抵抗しても無駄と身を任せ……それどころか、凛音に向かって手を振る余裕すら見せていた。遠ざかる二人の姿を、じっと睨み続ける凛音。
「ああ、凛音ちゃん! 新城和馬、ただいま帰還しました!」
ヘルメットを小脇に抱えた和馬が、ふらふらとした足取りで凛音に近づく。
「……楽しむ才能がない? 何よ、それ。こっちは命がけだっていうのに」
「り、凛音ちゃん?」
「もう、なんなのよーっ!」
凛音の絶叫が、広々とした格納庫に響き渡る。和馬は驚いて転倒、後頭部を強打し、その場でのたうち回っていたが……凛音がそれに気付くことはなかった。
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