第33話 師桐のライセンス

 芒雁が『フロイト』を解除し、芒雁の夢の世界が一度終わった。そしてしばらくすると、テレビのチャンネルを切り替えたように、弥生は新しい世界へと辿り着く。

 弥生が右を向くとすぐ隣には芒雁がいた。芒雁は左手で弥生の右手をしっかりと握っている。二人とも『フロイト』を解除した時のままの体勢だった。

 弥生はぐるりと辺りを見回す。そこには石造りの建物が並んでいた。屋外だったので空が見える。今は夜のようで、真っ暗な空に星や月がまたたいていた。星がやけに眩しい。

「ここは……?」

 弥生は辺りを観察しながら芒雁に尋ねる。

「師桐がいる世界へと接続できたはずだ。そう、つまりここが……」

「師桐の夢の世界?」

 芒雁はこくんと頷く。

「……それにしても。何だか日本じゃないみたい」

 日本ではないことは弥生にもすぐに気づいていた。石造りの建物の形状や柱。そしてそれに彫り込まれたデザインはどこか西洋的な雰囲気を醸し出している。

「行こう。師桐の所へ」

 芒雁が歩き出したので弥生も手を引かれるように歩き出した。

 歩き出してからすぐに弥生はあることに気づいた。いくら夜だとはいえ、人の姿が一つも見当たらない。それどころか立ち並ぶ家のどこにも人がいる様子がない。まるでゴーストタウンだ。

「……だれもいないね」

「うん」

「どうしてかな?」

「さあな。他の夢でも関係者以外の誰かがいたことねえし、そういうもんなんじゃねえのか?」

 芒雁はあまり気にしていないようだった。

「そうなのかな」

 他の夢はお菓子の山だったり、草原だったり廃墟だったりした。

 必ずしも人が必要ではないそれらの世界に誰もいないのは、何となく納得できていた。ただ人が暮らすための街があるのに、肝心の人がいないのは不自然であり、不気味だった。

 これ以上考えても答えは出そうになかったので、弥生は深く考えるのを止める。

 細い路地を抜け、大通りへと出ると目の前に大きな柱が二本、道の両脇にそびえ立っていた。柱が立つ道の向こうは茂みになっていて見えないが、何か建築物があるようだった。

「……ここだ」

 芒雁は柱がそびえ立つ道を進んで行く。

「芒雁君。師桐と会う前に聞いておきたいんだけど」

「うん?」

「師桐と会って、それからどうするの?」

「どうって?」

「仮に師桐を夢の世界でやっつけたとして、何かが変わるの? 結局師桐のやろうとしてることは止められるの?」

「ああ、きっと」

「どうやって?」

「さっき思いついたんだが、秘策が二つある。師桐は誰かによる救いを求めてる。そしてそれができるのは今の所俺だけだ。一つ目の秘策が師桐を救う方法」

「秘策って……。それはどんな? 上手くいくの?」

「ぶっつけ本番だからやってみないことには分からない。でもまずはあいつの動きを止めないことには……」

「動きを止めるって。それって……」

 弥生の問いに芒雁は拳を握ってみせる。つまりは武力行使。

「大丈夫なの? 結局芒雁君、一度も師桐に勝ててないじゃない」

「二つ目がその師桐に勝つための秘策だ。こっちは弥生にも手伝ってもらいたいことがある。それに……一応あいつのライセンスについては見当もついてる」

「え!? 本当に?」

 芒雁はこくんと頷いた。

「……お菓子の世界であいつは仲間を集めているって言ってた。実際に俺も誘われている。その人選は何だったのか。俺が『フロイト』の使い手だと知った時に、初めて分かった」

「『フロイト』を持っているのは芒雁君だけじゃない?」

「もう少し広い可能性で考えてもいいと思う。すなわち『フロイト』のようなライセンスを持った人間は、俺と師桐だけじゃない」

 弥生の手を握る芒雁の手が少し汗ばんでいた。

「弥生と八ツ橋さつきは能力者じゃない」

「 え? 何を急に?」

「でも、あいつ風に言わせてもらえば『勧誘』された。廃墟の世界やお菓子の世界での話だ。なんでだと思う?」

「え? えと……」

 弥生は戸惑う。思考がまとまらない。

「可能性は三つ。まずその一。師桐が集めていたのは能力者ではない。最初の前提が間違っていた」

「可能性その二。師桐は能力者も集めているが、能力者ではない人間も集めている。何かの計画に必要な別の理由により人選している」

「最後に可能性その三。師桐は能力者だけを集めている」

「……え?」

 弥生は芒雁の言っていることが理解できない。

「とりあえず可能性一は除外する。これを採用してしまうと推論自体無意味ってことになっちまうからな」

「それに可能性二についてもまずないだろう。やつは選民思想の持ち主だ。プライドも能力も高いやつが自身の前提をそう簡単に変えるとも思えない。というわけで残ったのは可能性三しかないんだが……」

「ま、待って! その可能性三はありえるの?」

「ある」

 芒雁は即答する。

「なんで……」

 前提一。弥生は能力者ではない。

 前提二。弥生は師桐から勧誘されている。

 なのに可能性その三、師桐は能力者だけを集めている、が成立する。

「訳が分からない」

「可能性は三つ挙げたけれど。俺は可能性その三である確率が一番高いと思う」

「どうして!?」

「それは俺が『フロイト』の能力者であることを知ってたからだ。俺自身でさえ知らなかったんだぜ。なのにあいつはライセンス自体の存在だけでなく、『フロイト』の特性までも熟知していた。この事実は師桐のライセンスの正体を示唆している」

「師桐の、ライセンス」

「そう。そしてさっきの可能性その三も、師桐がそのライセンスを持っていれば可能だ」

「何なの? そのライセンスって」

「それは……『対象にライセンスを与えることができる能力』」

「ご名答!」

 芒雁達が進んでいた道の向こうから、応える声があった。芒雁と弥生は残りのわずかな道を駆ける。

道の向こうは広場になっており、その中央には師桐が立っていた。

 師桐がいる広場は円形で、その広場を囲むように石段がぐるりと並んでいた。石段は広場よりも高く、全体がすり鉢状のホールのようだ。

「ご名答!」

 師桐がぱちぱちと手を叩きながら、二度目の賞賛を述べる。

「君がここに来たことは分かっていたよ。何せこの世界のマスターは僕だからね。いや、それにしても驚いた。僕のライセンスを当てたことではない。よく獏の姿から人間に戻れたものだ」

「俺の力じゃない」

 芒雁の、弥生の手を握る手に力が入る。

「『フロイト』……。恐ろしい力だ」

 芒雁と弥生は石段を一つずつ下っていく。芒雁と師桐の距離が徐々に縮まるにつれ、両者の間の緊張感も高まっていった。

「師桐。お前は以前、この力を使って人類を導くと言っていたな。使い方によっては可能かもしれない。だけど……」

「ソクラテスを知っているか?」

 芒雁の言葉を師桐が途中で遮る。

「古代ギリシャの哲学者だ。と、いうより彼が哲学という学問の祖だと言われている。彼は自身を賢者だと奢ることなく、常に探究の心を失わずに生きることを良しとした。汝、自らを知れ、ということだ」

 弥生はソクラテスという言葉を聞いて、この場所が、街がどこなのか分かった。マンガや映画のイメージしかないが、きっと古代ギリシアのアテネだろう。

「彼は問答を繰り返し、対話する相手が無知であることを自覚させ、知を愛することを気づかせようとした。この方法は産婆法と呼ばれていた。新たな誕生。この言葉には新しい人生の出発という意味が込められているんだ」

 師桐は右手を自分の胸に当て、紳士がそう振る舞うかのようにお辞儀してみせた。

「私のライセンスにぴったりだとは思わないかね。だから私は彼に敬意を表し、私のライセンスを『ソクラテス』と呼ばせてもらっている。旧人類共にみずからの無力さを諭し、新たなライセンスを目覚めさせ、新人類足らしめる力。芒雁。お前のライセンスよりよっぽど高尚だとは思わないか?」

 師桐の言葉に芒雁は眉を寄せる。

「高尚、だと?」

「そんなに優れたライセンスなら、なんで俺たちに知られるリスクを冒してまで、『フロイト』を利用しようとしたんだ?『ソクラテス』さえあれば、お前の目的を果たすことは十分可能だったはずだろ」

「芒雁。お前の『フロイト』にはずいぶん助けられたよ。だがお前が私に協力できないというのなら。諦めるしかないな」

 師桐は芒雁には説明しなかったが、『ソクラテス』にはいくつかの発動条件があった。ライセンスを持つ資格のある者を自力で見つけること。さらにその者に直に触れること。そして資格者が自身のライセンスについて無意識下でも構わないので認識すること。『フロイト』を利用することで、その全てを簡単にクリアすることができた。

「師桐。『フロイト』も『ソクラテス』も一人の人間が持つには過ぎた力だ。下手に使えば今の社会構造そのものを壊しかねない。危険だ」

「だったら正しいことに使えばいい。正しいことに使える人間のみが持てばいい。力は一部の優秀な人間のみが持てばいいんだ」

「……。過ちを犯したり、利己的な行動をしてしまうのが人間だ。だから師桐。仮にお前がいくら完璧な人間だったとしても。お前が言うところのホモサピエンスである以上、お前が考えていることはやっぱり理想論にしか過ぎないんだよ」

 芒雁は弥生の手を離し、師桐の方へ近づいていく。

「だから俺はお前を止める」

 芒雁は石段でできた客席を一つ一つ降りていく。

「ライセンスを得た人間はホモサピエンスを超越した存在なんだよ。旧人類の常識に縛られているお前に僕を止めることができるのかな?」

 師桐は芒雁をたしなめながら、目で威圧をかける。だが、芒雁がそれに動じることはなかった。

「やらなきゃいけないんだ」

芒雁と師桐はお互いの拳が届く距離まで肉迫していた。

「芒雁君……」

弥生はそんな二人を遠くから見つめているのだった。

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