第26話 Homo sapiens
師桐は上機嫌だった。
「マイノリティーの解放だと。どういう意味だ」
「芒雁。もしお前が世界で唯一の、本物の超能力者だとしたら。お前はどうなると思う?」
「……なに?」
「別の例を挙げよう。今のこの地球に知的生命体がたった一人でやってきたとしたら、我々人類はどのような行動に出ると思う?」
「……」
芒雁は何も答えない。師桐の真意を測りかねていたからだ。そして何より、師桐も芒雁の返答を求めていないようだった。
「答えは両方とも『虐殺される』だ。歴史がすでに答えを出している。芒雁、我々ホモ・サピエンスという生物はな。知的生命体を自負し、あらゆる生物の頂点に君臨しながらも、自分達の利権を少しでも奪う存在に対してはまったく寛容にはなれない生き物なのだよ」
とある宗教では『隣人を愛せ』という言葉がある。もし人間という生き物が、無条件で身近にいる人間すべてを愛せる生き物なら、わざわざ言葉にして諭す必要はないだろう。つまり人間は特別な事情がない限り、隣人を愛せないのである。
なぜ愛せないのか。それは同じ利権ーーパイを食べている関係にあるからだ。これは何も個人に限った話ではない。国同士だって資源を奪い合い、争っている。その証拠に隣国同士の仲が悪い例などごまんとある。
「ちなみになぜ、今の地球にホモ・サピエンス以外の知的生命体が存在しないか知っているか? 我々だけが奇跡的な進化の果てに生まれた存在だと思うか?」
師桐は饒舌だった。この話を芒雁にすることができて、いたくご満悦な様子だ。
「ホモ・サピエンスの起源については諸説あるようだ。世界中で同時多発的に進化したとする説。一地域を起源としそこから世界中へ拡散したという説。現在は後者の方が有力だそうだ。ミトコンドリアDNAやY染色体の解析結果もアフリカのある地域を起源としていることを示唆しているようだ」
分類学の手法の一つに、複数の生物のDNA配列比較を行い、その生物同士がどれだけ近縁な種族か割り出す、というものがある。これを応用すればその生物の先祖を調べることや、他種の生物同士が何万年前に何という共通の祖先から分化したかが調べられる。
DNA配列比較は異なる生物同士の場合だけでなく一つの種族、例えば人間同士でも使うことができる。その時には交雑が起きないDNAを使うのが都合が良いとされている。DNAの変異が突然変異によってのみ起き、有性生殖による変異を無視できるからだ。その代表例が母性遺伝をするミトコンドリアDNAや男性だけが持つ性染色体、Y染色体だ。
「ではアフリカ以外の地域ではどうであったのか。知的生命体へと進化することのできる条件を備えた場所は他になかったのか。あった。それも無数に。考古学研究によって、我々の祖先以外の霊長類が、ごく単純とはいえ文明を築いて生活していた跡が見つかっている。では彼らはなぜ今の世の中にいないのか。存在した形跡だけ残してどこへ消えてしまったのか。自然淘汰を受けてしまったのか? 天変地異に耐えられなかったのか? 答えは一つだ」
師桐の答えは芒雁にも予想がついていた。
「喰い殺したのだ。我々が。各地に存在していた知的生命体ーー原人は余りにも我々に似すぎていた。生活環境や食物から我々の利権を侵していたのだ。おそらく始めにあったのは侵略だろう。男は殺され、女は嬲られた。だが、子を宿すことはなかった。当たり前だ。違う生物種なのだから。生殖関係にないと分かると原人達は奴隷や家畜のように扱われた。そうしているうちに、滅びた」
それは広い意味での自然淘汰だ。生物界を支配する大原則。人間だって生物な以上、この原則に則って生きている。理性や文明が機能している近代以降ならいざ知らず、太古の昔に起きた淘汰なら、それは仕方のないことである。しかしそんな言葉では師桐は納得できない。
「自分と相入れない存在は許容できない。自分の存在を少しでも脅かすものは徹底的に排斥する。そしてその攻撃性は他種へだけ向けられるのではない。ホモサピエンス同士だって起こり得ることなのだ。昼間の話では未熟な社会のせいだと言ったが、虐殺と排斥は遺伝子レベルで刻まれた我々の行動原理なのだよ」
芒雁がすかさず反論する。
「でもそれは、どの生き物でも当たり前にやっていることだろう? 弱肉強食ってやつだ。みんな、生きるために他の生き物を喰っている。人間だけ特別だと思うことの方が、むしろ傲慢な考えなんじゃないのか?」
「違う。他種を喰うことが問題なのではない。必要以上に喰うことが問題なのだ。科学は何のためにある? 誰かが飢えたり、不自由な暮らしをさせないためではないのか? 社会は何のためにある? 富を分配し、分業によってお互い助け合いながら生きるためではないのか? 世界中の人、全員が満腹になれるだけの食料を生産する能力がありながら、なぜいまだに世界で餓死する人が存在する?」
師桐は信じているのだ。人間の持つ知恵の可能性を。誰よりも。
「ホモサピエンスの語源を知っているか?『知恵のある』人というそうだ。まったく滑稽だろう? 食欲、性欲などの一次欲求も満足にコントロールできず、また他種を許容できない程度の社会しか構築できない種族に知恵があるだなんて! これほど驕り高ぶった生き物が他にいるだろうか?」
芒雁には師桐の意図が理解できなかった。なぜ、今そんな話をする必要がある。
「……。俺にはお前の言っていることが分からないよ。師桐、お前だってその驕り高ぶったホモサピエンスとやらじゃないか。俺らは完璧な存在ではないし、俺らの社会が未熟なことは知っている。でもしょうがないじゃないか。俺らは神様でもなんでもないんだから」
「だから僕達が導いてやる必要があるのだよ。それができるチカラがライセンスだ」
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