第15話 On the school roof

 弥生と芒雁は校舎の屋上に来ていた。

 弥生達の学校では校舎の屋上は常に開け放してあった。最近の学校は安全上の問題から、屋上へ出る扉は施錠されていることが多いと聞く。学校の主張は開け放しているのは生徒の自由を奪わないため、生徒の自主性を重視しているからというものであった。たしかにそう言えば聞こえはいい。けれど本当のところは管理が面倒でほったらしているだけだろう。

 実際に昼になると青空の下で昼食をとろうとする生徒が何人か訪れていた。だが朝のホームルームが始まる直前に屋上に来る奇特なやつはさすがにおらず、屋上は弥生と芒雁の二人きりであった。

 芒雁もそこら辺を計算して、人気のない屋上を密談の場所に選んだのだろう。

「さて、何から話せばいいか」

 芒雁は安全柵に背中を預けると弥生の方を向いた。

「と、言っても説明できるほどのことはそう対して知っているわけでもないんだけどな。初めはほんの数日前だ。その日も普通に眠ったはずなのに、気がつくと雪の降るどこか知らない街にいた。ただ感覚は妙にリアルだった」

 三桜も分かるだろ、と芒雁が尋ねると弥生も同意した。

「あの感覚で、すぐにこれはただの夢じゃないって気づいた。けどどうしていいか分からなかった。当てもなくフラフラと歩いて。気がつくと自分のベッドの上で目を覚ましていた」

 芒雁は腕組みをしてじっと、弥生の方を見つめている。いや、弥生の手前の空間をぼんやりと眺めていた。その時の自分を思い出しているのだろう。

「その次の晩もあの世界へ行った。今度はジャングルだった。その前にみた雪の降る街とは何の共通点もなかった。あの現実感を除けば」

「ジャングルの世界で跳び回るうちに、あの世界では身体能力が向上することが分かった。世界が終わる時、空がひび割れることを知ったのもその世界だったな」

「……良かった」

 弥生が小さく呟く。

「何が良かったって?」

 芒雁にはバッチリ聞こえていた。まさか聞こえると思っていなかったので、弥生はギョッとした。芒雁は皮肉めいた笑い顔をしている。たぶん良かったの意味を履き違えて捉えられている。弥生は慌てながら弁明した。

「あ! ええとね……、決して芒雁君が巻き込まれているのが嬉しかったわけではなくて……。むしろ私の気持ちのことで、安心できて良かったっていうか……」

 慌てていたせいか、しどろもどろになりながら説明する。

「安心できた?」

 意味が理解できなかったので、芒雁は反射的に聞き返す。

「う、うん。こうやって誰かと話すことができて。独りじゃきっと、どうすることもできなかっただろうから」

「……コホン」

 変な雰囲気になるのを避けるため、芒雁は咳払いで返答した。

「その次に行ったのが廃墟の世界だ。三桜と会った夢でもあるな。お前も大体の事は覚えてるんだろ? 次の日、俺に夢について聞いてきたくらいだし」

 芒雁は腕組みをしながらニヤニヤ笑い、弥生をたしなめた。

 弥生はその時のことを思い出して、ボッと顔が赤くなる。いくら牡丹のせいだとは言え、あの時の猪突猛進ぷりは、黒歴史入りできるほどの暴挙だった。今思い出してもそう断言できる。

「そ、それは。これ以上言わないで……」

 弥生は両手で顔を隠した。芒雁は気にすんなよ、と片手でジェスチャーする。なにを今さら、という意味にもとれる。

「あの夢で俺は、このことが誰かが作為的に起こしている事件だと知ったんだ。あの廃墟の夢の時……」


 その世界に降り立った時から、今までの世界で感じていた現実感とは、また違った感覚があった。その感覚を一言で例えるなら、引力。まるで蝶が蜜の香りに誘われるように。あるいはフェロモンのように、自分の中の動物的本能に働きかけてきた。

「今までの夢とは何かが違う?」

 芒雁はその感覚の強くなる方へと向かった。民家の屋根や四、五階建てのビルの屋上をひょひょいと飛び移って行く。まるでテレビのヒーローのような身のこなしだ。この程度のことができるくらいには、既に芒雁はこの世界に慣れていた。

 いくつか建物を伝い、ひときわ高い所に建つビルに登った時、芒雁は学校を見つけることができた。自分を呼ぶ感覚がひときわ強くなるのを感じる。

 芒雁はじっと目をこらした。学校の校庭には人が二人立っている。それが男が女性らしき人物に危害を加えようとしているのだと理解するやいなや、芒雁は衝動的に飛び出していた。

 今まで立っていたビルの屋上から、二人がいる学校の校庭まで一気に飛び降りる。高低差だけでもゆうに三十メートルはあった。

「……おおおおあああああ!」

 高所から飛び降りる恐怖を紛らわすためか、自然と声が出ていた。体は平気だと分かっていても怖いものは怖いのだから仕方ない。雄叫びとともに芒雁は、狙い通り男と女性の間へと落下する。

 ズ、……ズン。

 ショックを分散させるために、四つん這いの体勢で地面へと降り立つ。芒雁が地面に着地した衝撃で重低音が響き、砂ぼこりが舞った。

「う……、ゲホゲホ」

 痛みは感じなかったが、手足がしびれる感覚に襲われる。芒雁はしびれをほぐすようにゆっくりと立ち上がった。

「あ、そうだ! 女の子は」

 芒雁は後ろに倒れている女の子を見る。どうやら気を失っているようであった。

「……あれ?」

 芒雁は女の子の顔をまじまじと見る。その顔には見覚えがあった。

「三桜? 同じクラスの……」

 その女性、もとい女の子はたしかに三桜弥生であった。次に芒雁は弥生の前に立つ、男の方を見る。男は、といってもシルエットから男性だと思えるだけで、その姿はまるで影を纏っているように漆黒だった。

「まさかここまで辿り着くとは。たいした成長ぶりじゃないか」

「お前は一体?」

 その問いに男が答えることはなかった。

「芒雁。神とはなんだと思う?」

「なんだ? 藪から棒に」

 芒雁からの返答は待っていないようだった。

「便宜的に神という言葉を使用したが、厳密には不適当だ。だがそれを指し示す適切な言葉がない以上、そう呼ばせてもらおう。世界にあふれる宗教で、信仰の対象になっている存在のことではない。偶像ではなくもっと高位の、現象に近い存在だ。概念と言った方が適切かもしれん。あるいは定理、あるいは運命」

 男は話を続ける。

「資本主義社会において物価や株価を決めている因子。あるいは量子力学でいまだに確率でしか存在位置を示すことができない粒子の、その存在位置を決めている未知のパラメータ。またはテレビゲームプログラムなどに含まれる乱数生成器。本来作為性が存在しないものに、ふとした瞬間に、大いなる意思を感じることがあるだろう? 人の中にはその意思を、より具体的に感じることができる人間がいる。それを生業としている人間を巫女、占い師、預言者などというのだろうな。まあ、存在している大半が贋物だが」

 超越した現象、存在を知覚する感覚を勘だとか第六感と表現することもある。程度の差はあれど、どんな人でも持っている感覚だ。

「人は生まれた瞬間に平等でなない。体格の優劣、知力の優劣、容姿の優劣。そしてその優れた能力を使うことは悪ではない。むしろほとんど義務と言ってもいい。誤解を恐れずに言えば私は天才ーーギフテッドだった。私は即座に理解した。これは神の意思が私に課した義務なのだと。そしてキミもその一人だ。芒雁葉、その能力を私の元で使う気はないか?」

 男が大仰に両腕を広げる。民衆に啓示を与えるポーズのつもりだろうか。

「一体お前の目的は……?」

「おっと。ゆっくりと話したい所だけど、残念ながらタイムオーバーだ」

「それはどういう……」

 芒雁が言い終わるかしないかするうちに、パキン、と音がして空が割れ始める。いつもの、この夢の世界が終わる直前の予兆だった。

「返事は今度の世界で。良い返答を期待しているよ」

 そう言うと、男はくるりと芒雁に背を向ける。その間も、空の亀裂は広がり、地鳴りも大きくなっていった。

「くそ、待て」

 男を追いかけようと芒雁が立ち上がろうとする。その時弥生の姿が芒雁の視界に入り、芒雁は男を追うのをやめ、弥生の安否を確認するために弥生の側へ駆けつける。

「おい、三桜。大丈夫か?」

 息はしているので死んでいるわけではないようだ。芒雁は弥生の頬をぺちぺちと叩いてみたが、反応はない。眠り続けている。

「おい、お」

 芒雁が弥生に呼び続けている途中で、世界が終わった。

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