君の知らない街

梁瀬陽子

君の知らない街

 かーなぁ、ちょっときてぇ。

 間延びした母親の呼び声に、手を止めて視線をむける。カウンターの向こう、明るく照らされたロビーには、ツアーバスからお客たちが流れてくるところだった。

 老舗に名を連ねてはいるものの、ウチの売りは猪苗代湖に面した眺望だけで、もっぱら温泉目当てのおば様たちを相手にしている。ロビーはあっというまにかしましい笑い声に埋もれていった。

「加奈、ここよ!」

 手をあげて私を呼ぶ母の、にこにこと笑った表情に嫌な予感がして。それでも、仲居の真似事をしている自分にとって、彼女は上司にちがいなかった。

 藤色の色留袖を着た母の前には、大きな西欧人が、大きなバックパックを背にして立っていた。

「あのね。このお客様のお手伝い、してもらえない?」

「ヨロシク」

 と、金髪に青い目をたたえた彼が二カリと笑う。無造作に伸ばされたひげの中で、白い歯がちらりと見え、思わず西部劇に出てくる保安官みたいだ、と典型的なアメリカ人を連想した。

「えっと。あの。May I help you?」

「I’m Steve. Thanks, 日本語ちょっと話せます」

 スティーブは、ちょっと、と大きな指先で一センチほどの隙間を作って見せた。ちょっと、というには、彼の日本語はずいぶんとすべらかだ。

「加奈さん、英語上手ですね」

「いや……」

「この子の唯一の特技なのよ~。加奈、お部屋までお連れして、夕食とお風呂のご案内よろしくね」

 はい、と答えてスティーブを見上げる。どうしようか、と迷って、結局「こちらへ」と日本語で先を示すと彼はもう一度、歯を見せて笑って見せた。



 部屋へと案内して一通りの説明を、これはと腹をくくって英語でこなすと、彼は嬉しそうに雑談を始めた。聞かれて大学で英文学を専攻していたというと、感心したように頷いて、それから彼は日本文化を専攻していると言った。

 どうやら年下の大学生で、それにドイツ人だというので、私の第一印象は全くあてにはならなかった。

「お願い、あります」

 九州からここまで二週間をかけて北上してきた話を聞き。それから、彼は最後にかしこまるように日本語で言った。

「通訳、してくれませんか」

「え?」

 意外な申し出に、思わず聞き返す。習い始めて三年目だという彼の日本語は、観光をするには充分に思えた。

「写真を撮りたいです。その……許可をとるのを、手伝ってほしいです」

 少し言葉を選んで言ってから、スティーブは再び英語に切り替えて付け足した。

「I'd like to take neutral scenes of here.」

 自分一人では、たぶん、人々の日常の自然な光景を取るのはとても難しいから、と。

 うまく言えない、ということを示すように眉を下げて微笑んだスティーブは、すこし悲しそうに見えた。

 その表情に含まれた彼の経験を想像して。私は、自分の思い出を重ねた。大学を卒業して、ワーキングホリデーで訪れたカナダの町。

 そうして、たぶん、微笑んで見せたのだと思う。

「Sure」

 答えてから、それは仲居の仕事に含まれるだろうか、と考える。けれど、母に交渉することを面倒だとは思わなかった。

 きっと、これも――何かの縁だ。



 翌日から、二日間。スティーブについて会津市内を巡った。通訳をすると申し出ると、母は「役に立ちなさいね」と笑って私を送り出した。カナダから帰ったまま、仲居の真似事をしている私のことを、母がどう思っているのかは聞いたことはない。

 それでも、その笑顔は私の心の底をすこし、明るくした。


 スティーブの撮りたいものは、さまざまだった。猪苗代湖の全景、白鳥の餌やり、仕出しの準備をする板前の手さばき。スキー場にむかう若者たちと、国道沿いの日本家屋で暮らす老夫婦の笑顔。

 最後に市内へ向かい、雪化粧をした鶴ヶ城をみて、お寺に寄り、請われて墓地へと案内した。

「ここ、写真、とっても大丈夫?」

 そう控えめに聞かれて、迷って、他人を写すのは良くないかも、と答えた。

 パシャリ、とシャッターを押す音が一度だけ響く。雪の中で整然と立ち並ぶ墓石に、彼がどんな感想を持ったのかは、聞かなかった。

 ただ、彼が日常の風景をファインダーに収めるたびに、私は少し得意になった。寒くて、寂れた田舎町の故郷を好いてもらえることが、嬉しかった。



「ありがとう、ございました」

 撮影を終えて、宿へと帰り着くと、スティーブは心から嬉しそうに言った。

「べつに、たいしたこと、してません」

 謙遜を口にして、ああ、とても日本的だな、なんて自分で思う。

「おかげで、いい写真いっぱいとれました」

「なら良かったです。会津のこと、いっぱい紹介してくださいね」

 ウェブに上げるのだといっていた事を思い出して、微笑む。

「はい。福島にもいっぱい素敵なところがあるの、知ってもらいたい」

 そういってスティーブが切なそうに眉をひそめたので、「ああ」と思い当たる。

 そんな私を見透かすように、彼の青い瞳が翳った。

「福島は、いまとても有名。でもみんな、少ししか知らない。悪いことばかり、知ってる」

 はぁ、とため息をついて、スティーブは肩をすくめた。

 そうだ。そうだった、と私は忘れかけていたあれこれを思い出す。福島出身だと言うたびに、カナダで出会った善良な人たちがとても深く傷ついたような、同情するような目をしたことを。

 そのたびに、困ったことを。

 だって私はあのとき東京の大学に通っていたし、この街だって、あの場所からは充分に遠かった。それでも、私は確かに福島の人で。そう見られて。

 でも、自分はぜんぜん、当事者なんかじゃなかった。

「・・・・・・ありがとう」

 なんて言ったらいいのか分からなくて、スティーブの瞳に、私は、たぶんまた、笑ったのだと思う。

「加奈さん、一緒に、写真とってくれますか」

 それ、ウェブにあげてもいいですか。とスティーブが言う。

「もちろん」

 私は誇らしく頷く。

 満面の笑顔で写った彼の写真が、誰かにちゃんと、届けばいいと願いながら。




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