第15話 恋文町のホットな戦争

 住宅街の四つ角にある自動販売機に、通りがかりのサラリーマン(商社勤務・三十五歳)がふと立ち止まった。百円を投入し、ホット缶コーヒーのボタンを押した。

 ピピピピピ……ピ・ピ・ピ。7が四つ並んでいる。

「やった」

 ガシャーンという音がして、自動販売機の扉が眩い光と共に開いた。中から、古城ありす、石川ウー、金沢時夫、白井雪絵の順で四人が転げ出てきた。

「イテテテ……!」

 四人の頭上に固い金属製の物体がゴンゴン落ちてくる。しかも熱い。全てホット缶コーヒーだ。銘柄は、この県のご当地コーヒーの「マッドマックスコーヒー」。

「ここは?」

 四人が出てきたのが自販機の扉だった事に、時夫はそこで気づいた。路上でサラリーマンが腰を抜かしている。やがてよろよろと立ち上がり、サラリーマンは走り去った。

「出口専用だよ」

「エレベータ、ここに繋がってたの?」

 ありす達は、ウーの案内で食虫植物の森の先にあるエレベータから地上へ脱出した。蜂人たちは途中で追跡を諦めたらしい。当然、地下でしか生きられない蜂人たちは地上に出て来れない。ちなみにウーによると、薔薇喫茶の地下倉庫は入り口専用だったらしい。

「やれやれ、やっと地上へ出たぞ。これで『不思議の国』ともお別れだな」

 時夫はありふれた住宅街を眺めて言った。

「いいや……違う。そうじゃない」

「えぇ? だって、『不思議の国のアリス』のラストは、地上へ出たらおしまいだったじゃないか」

 時夫は焦ってありすに言った。

「原作ではね。でも、私達は『不思議の国』から戻ってきたんじゃない、付木有栖市恋文町は、もう普通とは違う」

 夕暮れ時の恋文町に、ありすは何か異変を感じたようだった。特に、地平線に浮かび上がったばかりの満月を凝視している。

「……あの月よ」

「月がどうかした?」

 時夫が訊いた。

「スーパームーンだ。金時君、前に言ったでしょ。月だけが本当の外界だって。でも、そうじゃなくなっている。簡単に地下へ行けたのが不思議だった。ウーが地下へ降りた後、本来ならうさぎ穴を埋めていたはず。私を地下に行かせたのは陽動だったんだ! どぉりで、蜂人が本気で追っかけてこなかった訳だよ。サリー、あいつには自信があったんだ。この町はもう完全な包囲網を敷いてるって」

 あれでも本気ではなかったっていうのか?

「どういう事だよ。月は確かに大きいけど、今がそういう季節だからだろ」

「私が留守の間に、女王の手下と化してる冬人夏茸、キノコ人間たちが暗躍してたらしい。白彩店長のような奴が。いや、ひょっとすると鉱石人の、あいつが……? 町を動かす機械時計が完成している。もう、この町の日常は日常じゃない。恋文町の全てが『不思議の国のアリス』の世界になってしまう。冷戦は終わった。ホットな戦争が始まる」

 ありすは、ひどく動揺していた。

「そんな……」

「地下は前哨戦に過ぎなかった。地上のこの町こそが不思議の国になる。これから本格的に不思議現象が起こる。恋文町で徐々に奇妙な冒険が始まる……!」

 ありすは拾い上げた缶のホットコーヒーをぐいぐい飲んだ。

「君、色々な素材が混在しているよ」

 だとすると「JOJOの奇妙な冒険」・第四部、日常に潜む奇妙さの冒険の世界か? しかし「JOJO」第四部の舞台となった杜王町(もりおうちょう)は無国籍風の町であり、なるほど奇妙な出来事が起こっても不思議ではなかった。作者の荒木飛呂彦は日本の街を描くのがあまり得意ではないのか、杜王町はぜんぜん日本らしくない。その点、恋文町はどっからどう見ても平均的な日本の住宅街だ。それにも関わらず不思議現象に見舞われるというだから、言うことはこれしかない。……だが断る!

「サリー。あいつ……あいつめ。あぁ! 悔しいぃ!!」

 飲み干した缶コーヒーを、ありすは握りつぶした。

「もういいじゃないか。雪絵も取り戻せたし、うさぎだって戻ってきてくれた。君は良くやったよ」

「そんな呑気なこと言ってられなくなる。金時君、あなたにもいずれ分かる」

「金時だってさ、あはははは」

 ピンク髪のウーは時夫を指差して笑っている。

「訳ワカメ。誰か、どういう状況か説明してくれよ」

 今までだって、全然日常じゃあなかったぞ。この恋文町は。ありすはスーパームーンを観て一体何を驚いている。今さら、何だというんだ。

「だからさ、ありすが地下に行って留守になったでしょ。その間に女王の魔学で、ありすが貼ってた恋文町の結界が破られたってコト」

 人事みたいにコメントした石川ウーの顔が、電信柱を見た途端、凍りついた。

「て、ててて店長……!」

 ウーは突然に電信柱に抱きついて泣き出した。

「どうかした?」

「店長が」

 両目から大量の涙が溢れ出している。

「店長居なくなっちゃったのよ。私、地下に行ったのは薔薇喫茶の店長を探していたからでもあったんだ。店長たちは蜂の国と協力するような、危ない取引をしていた。とうとう捕まって、それで中で反乱を起こしたみたい。だからダメだって言ったのにぃ」

「じゃあ」

「名前が佐藤さんだったの。こっちは奥さんよ」

 この電信柱は、地下に連れ去られた人々の成れの果てだ。

「あああ……」

 さらにその次の電柱を見て、うさぎはへたり込んだ。

「うさ男……。やっぱダメだったみたい」

 ウーはガックリ肩を落とし、涙を流しながら微笑んでありすを見た。

「女王のスパイをしてたうさ男(メン)も、裏切って反乱起こしたのかなぁ。電柱にさせられてしまった。これ、みんな女王が、電柱にしたんだよ」

 時夫は町を見渡した。何の変哲もない電柱から伸びた電線が、風でヒューヒューと鳴っている。その音の中に、「オ~、オ~」という悲鳴めいた「声」が混じっているのを確かに聞いた。もう、住宅街の景色が一変して見えた。

 日本の町といえば電信柱。あまりにありふれたその景色は今、地獄の人柱のように恋文町に建っている。

「田中……。こっちの電柱には田中清って書いてある」

「田中も多いのよ。なぜなら田中は、『でんちゅう』とも読める。田中は、最初から電柱にする目的で浚っているようね」

 やがて電線の音は、次第にメロディを形成していった。その曲は、時夫にも聞き覚えがあった。ベートーヴェンのピアノソナタ「月光」。

「彼らのうめき声が、音楽を生み出している。これは、電線五線譜の意味論というべき現象よ」

 ありすは、風の強い日、たまに電柱人の「歌」を聞くらしい。電線に風が当たると、その下にカルマン渦ができて音が鳴る。その電線が、五線譜の役割を果たしてメロディを生み出すのだという。

「彼らは、まだ生きてるんだろ?」

「うん。自分がどうされたかも、かすかに記憶が残っていると思う」

「こんな状態でも自我を保ってるなんて、残酷だな」


「お前も、電柱にしてやる!」


 そう言った女王サリーの言葉が、時夫の耳から離れない。

「今にあふれ出してくる。地下の奴らが。きっとまた雪絵を取り返しに来る。それに、地下のスパイをしている連中がもっと活躍しやすくなる。露骨な誘拐が始まるわね」

 古城ありすは二缶目の缶コーヒーを飲み始めた。これって泥棒だよね?

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