第14話 蜂の国の女王サリー 地中に花咲くリザンテラ

地下の国へ


 臨時閉店の張り紙が、風でひらひらと揺れていた。

 ありすは薔薇喫茶の勝手口から堂々と侵入すると、長い睫の瞳で、自分の店のように厨房の床を見下ろしている。

「ねぇ金時君。この店に来たのは何回目?」

「……今で三回目、かな」

「これまでで何か、気づいたことってある?」

「う~ん。さぁな。……客としてきただけだし」

「でも、図書館であの立体機動集密書庫の秘密を解き明かしたんでしょ?」

 石川ウーをよく知っているはずのありすよりも、時夫の推理力の方が期待できるとでも? いや、それはないだろう。図書館では変な情熱が出たのは確かだったけど、わずか一日で、そう何度も沸き起こるほど時夫は都合よく出来ていない。……などと言ったら、ありすに失礼だけど。

「あたしみたいに、しょっちゅう来てる人より、君みたいな町の新参者の方が何か気づくかなーと思ったんだけど」

 ありすはチラ見してきた。だから期待されても。

 時夫が気づいたことといえば、昼時なのに自分しか客が居ないことと、ウーがバニーガールの格好をしていることくらいしかなかった。

「店主はいつも留守で、うさぎはピアノを弾きながら一人で接客をして、料理も作ってた、けど……」

「そうね……この店も店長不在で、ウチと同じようなものね」

 ありすは店内のピアノの前に立って、カバーを開いた。

「灯台下暗しか。匂うわね」

 鍵盤に鼻を近づけて、鍵盤を叩いた。涼しげなピアノの音が店内に流れた。

 厨房から、カチッという音が響いてきた。

「Cmaj7のコード。これらのキーだけ、和四盆の甘い香りが強く残っている。おそらく、雪絵さんを触った手でキーを弾いた。ウーはきっと、急いでいたんだと思う」

 ありすが厨房に戻ると、床が回転して開き、地下への階段が現れるところだった。ヒューッと風が吹き、ありすのスカートがふんわりとめくれた。ピアノ・カバーを空けて、一度目にこのコードを弾くと開くらしい。

 螺旋階段をゆっくり降りていく。そのままありすは防空壕へと続く螺旋階段を下りていった。時夫はその後ろに続く。下からの緑光の薄明かりで、かろうじて足元が見えている。まるで、人の体内に入っていくような感覚で薄暗く、生暖かい風が吹いている。

 しばらく降りると、本格的な地下空間が出現した。手前こそ店の物置になっていたものの、これは倉庫じゃないな、と匂わせる広大な空間が広がっていた。むろん、秘密基地にしちゃデカ過ぎる。もうここは防空壕ですらありえない。ありすによれば、恋文町にはこのような防空壕がいくつか存在するというのだが、驚いたことに全て地下でつながっているというのだ。そもそも防空壕の場所も全容解明はなされておらず、セントラルパークのもののように、もうすでに埋められてたものもあるらしい。石川うさぎことウーが、いつもここから出入りしているのは確かなようだった。


 地下の巨大空間は、ボヤーっと輝く薄明かりの世界だった。

「明るいな。どこに光源があるんだ?」

「あそこを見て。この国の花は光るのよ」

 巨大な花形のライトが野球場のナイターのように何ケ所もあり、広い空間を照らしていた。ライトから照らされる白い光は、空気中のダイヤモンドダストを輝かせている。地面は広い花畑だ。その全てがライトのように輝いていた。こちらは間接照明のような柔らかい光だ。その光は、人工物ではない。まばゆく地下を照らす巨大なライトは、ひまわりの花だった。この巨大な花々は、すべて自然のものだった。

「ホントだ……光ってる」

 薄い黄緑色の明かりに照らされた地下の国は、他にも、ランプのようなライト茸がルミネセンスの働きで光を灯している。もしかすると、恋文セントラルパークの光る茸も同じ原理で光っているのかもしれない。

「巨大植物が生い茂り、巨大キノコがあやしく光る地下空間……こんな、小説みたいなことが」

「そんなに不思議かな? 金時君、これが恋文町の足元にある真実なのよ」

 地上の公園に群生する茸は青白い光のベールが覆っているだけだったが、ここのライト茸はとても巨大で明るかった。地下へ来て、時夫は遂に世界観の転換を迫られた。まぁ十五年しか生きていない浅い人生経験の範囲ではあるが、まさか足元に別世界が広がっているとは、誰も思わないはずだ。

「最近、ジュール・ヴェルヌの『地底旅行』を読んだばかりなんだけど」

「へぇ~金時君って、読書好きなの?」

「うん……十九世紀のSFはかえって新鮮で、面白いよ。科学万能主義って感じで、何もかも、すべての物事が論理的に進むんだ。ライバルのH.G.ウェルズも好きだけど。一方で『不思議の国のアリス』はすべてが非論理的に進むから、ヴェルヌやシャーロック・ホームズと対極的だよね」

「非論理の中にも、隠された論理がある。それを見極めることよ」

 ありすは薄明かりの天井を見上げながら言った。

「でも、一番好きなのはラブクラフトかな」

 まぁもっとも、普段読むのはラノベばかりだけれど、それは口にしなかった。

「……」

 ラブクラフトの名を聞いて、ありすは一瞬黙った。しばらくして話を続ける。

「ジュール・ヴェルヌの信奉者の一部には、彼の作品はすべて真実を書いたものだと考えている人たちがいる。その人たちは、『ヴェルヌリアン』って呼ばれている。SF作家は現代の預言者なのよ」

 ヴェルヌも、千葉県にそれが存在したことまでは、気づいていなかっただろうけど。

 外界に比べて、地下はずいぶんと暖かかった。ここは常春の国だ。ヴェルヌの作品にも巨大茸が出てきたが、巨大な温室のように巨大な植物が生い茂り、その中を歩くとまるで自分が小人にでもなったような気分になる。

 二人の目の前で、虹が花畑から誕生していった。

 ガサガサと大きな音がした。

「伏せてッ!」

 ありすと時夫は植物の陰に隠れた。

「何だ?」

「しっ」

 巨大な二足歩行の蜂達が歩いている。およそ二メートルはあるだろう。背に大きな透明な羽を折りたたんでいる。その面構えは、スズメバチによく似ていた。

「うわっ、な、なんだこんなのが居るのか? 恋文町の地下に」

 時夫は「それ」を見て驚嘆した。

「静かに。女王が操る兵隊よ」

 蜂人たちは目が大きかった。エメラルドの眼だ。

「あれは兵士。働き蜂は青い眼をしている。兵士蜂は槍を持っていて、緑色の眼をしている。……追いかけるわよ」

「えっあいつらを?」

 蜂人たちのたどり着いた場所は、栽培所だった。青い眼の蜂が、地下で巨大キノコを栽培しているらしい。確か、蟻の一種が巣穴で茸を栽培するのを、時夫はテレビで見たことがあった。しかし彼らの面構えは蜂のもの……羽蟻でもない。想像できるのは、地中に巣を作るタイプのジガバチの仲間か、という事くらいだ。ありすによると、これらのキノコからも砂糖が採れるらしい。

「虫もこんなに巨大なのか」

「酸素濃度が地上よりずっと高いのよ。太古の地球のようにね。それで、何もかも巨大になる。虫というより、蟲というべきね」

「ははは……」

 道具を使っているので一見して知的生物だと分かる。だが、何を考えているのか分からなかった。蜂は、ポーカーフェイスでまるで表情というものがなかった。時折、「ヴーン」と羽音が辺りに響いている。彼らは沈黙の世界にいる。耳を澄ますと、口元が静かにズー、ジーと囁いていた。むろんその意味は分からないが、コミュニケーションを取っているようにも見えた。

「彼らは超個体なの。一匹一匹が独立した存在じゃない。個が全体と繋がっている。個は全体に寄与し、全体は個を育む。だから、一匹に見つかれば、全体に見つかったのと同じことになる。もちろん、女王にもよ。ここの植物ともテレパシーで話すことができるわ……」

 ありすによると、蜂人は人間では女王以外とは喋らないという。当然、発音しようにもキシキシ、ギーギーとしかいわないのだ。だから、彼ら同志はテレパシーで交流している。女王ともテレパシーで交流し、その命令を聞くらしい。しかし、女王蜂だけ人間なのは、なぜなのだろう?

「なんだか宇宙人みたいだ」

 これが地球上の出来事だとは、到底思えなくなってくる。

「地下には、こういう地下にしかいない生き物がいる。滅び行く種族で、世界中でここにしか存在しない。貴重な生物よ。だから、種の保存に必死になっているの」

「すると、彼等はここで」

「蜂人の目的は女王の子供、つまり自分達の子孫を育てる事よ」

 ありすによると、蜂人たちは女王よりずっと以前からここに棲んでいたらしい。女王サリーが防空壕を開拓していった所、蜂たちと出会って国を作ったとありすは言った。どういう訳か、女王は蜂人の社会の維持に協力しているようだった。それが魔学の力によるものか何なのか、たぶんお互いの利益が一致した結果だろう。これが、「蜂の国」だ。

 そこは、エミール・ガレのステンドグラスの中に入り込んだように、キラキラとした緑色の美しい世界だった。


食人工場


「……人質たちだ」

 蜂人たちに混じって、地上世界から連れて来た人々が居た。彼らはまるで「ドナドナ」の歌のような足取りで、うな垂れて一列に歩き出した。全く奴隷たちそのもので、蜂たちに連行されていく。ありすと時夫は植物の陰に隠れながら、その後を追った。

 巨大植物の森を突きぬけると、突如近代的な白塗りの建物物が現れた。鉄筋コンクリート製らしく、壁面を無機質なパイプが伝っている。こんな地下に、いったい誰が造ったのだろう? まさか、蜂人が自分たちで? それとも女王だろうか。

 人質の列は、その建物の入り口に吸い込まれて行った。二人も後から忍び込んだ。蜂人は後ろへ回りこむと、死角ができるらしく、ありすたちに気づかなかった。二足歩行のせいかもしれない。

 人質達の列は、空港のゲートのような門をくぐっていった。一人ひとりが通過するたび、その門が光を発した。その直後、人質の形があっという間に崩れ去る。透明なゼリーに変化すると、斜面を流れていった。門の床には、服と靴だけが残された。その衣類を、門番の蜂人が槍で回収する。斜面の先には、パイプの吸い込み口があり、時夫がパイプを目で追っていくと、トンネルのような機械を経由して、白い固形物がベルトコンベアーに載って出てきた。

「あのバランス栄養食みたいな奴は何だっ?!」

「地上から浚った人質たちの成れの果てよ。ゲートをくぐるとまずスープにされて、さらに固形食へと変わる。ここでは誘拐された地上の人間が、ゼリーや、ロイヤルゼリーになるのよ。……昔、『ソイレント・グリーン』ていう映画があったけど、まさにそれが恋文町の地下で行われている現実なの。いわば、ソイレント・ゼリーね」

 ありすの言った映画は、近未来を舞台としたディストピア映画で、人口爆発によって、世界は深刻な食糧難に見舞われている設定だ。そんな中、殺人事件を追う主人公の刑事は、ある工場で人間が食料になる秘密を知ってしまう、という物語である。

「でも、特別なロイヤルゼリーはここでは作れない……」

 それが、恋文セントラルパークの光るキノコの群生地なのだった。地上の月の光が成長に必要不可欠な、公園のキノコでないと特別なロイヤルゼリーは出来ない。それらを、地上の白彩店主に作らせているのだ。

 固形食として梱包されるものと、ゼリー状のまま、土壌へまかれていくものとに分かれているようだった。土壌の一部からは、茸が生えていた。茸の中には、人の形にそっくりに成長しているものもある。

「茸人に変わっている……?」

「そうよ。ここでも茸人が作られている」

 二人は、工場内を探し回ったが、ありすはこの建物の中には雪絵の匂いがしないと言った。二人は工場の裏手に出た。

 目の前に、広大な白いキャベツ畑が広がっていた。よく見ると、それはキャベツではなかった。白い卵が地面から突き出ていた。それが畑の中に栽培され、青い眼の蜂人たちが世話をしていた。ここは卵の栽培所だ。卵の一部から、巨大な幼虫が顔を出し、世話係の蜂人に餌を貰っている。まるで映画「エイリアン」の1シーンのようで、時夫はゾッとした。ありすの顔を見ると、なぜか慈しんでいるかのような優しい表情をしていたので、さらに別の意味でぎょっとした。

「あれ、幼虫達が食べてるのは、固形食じゃない?」

 時夫は気づいた。世話係たちは、キラキラと黄金色に光る蜜を幼虫に与えていた。それは、不透明色のあのカ○リーメイトとも、その原材料のゼリーとも明らかに違っていた。

「よく気づいたわね。幼虫の餌は、ここに群生している巨大植物の花の蜜。成虫も固形食を食べない。人質たちから作られるソイレント・ゼリーは、女王の食べ物なのよ」

 工場で作られていたのは、すべて、ロイヤル・ゼリーだったらしい。

 二人は、畑の周囲をぐるりと一周したが、ここにも雪絵の気配は全く感じられないと、ありすは結論した。

 畑には、細長いパイプが縦横無尽に張り巡らされ、大きな二階建て程度の機械へと繋がっていた。そこから、一本の太いメタリックなパイプが森の奥へと続いていた。

「お二人さん、白井雪絵はいないわよ。……さっき城へと運ばれていった」

 突然、木の上から中年女性の声が聞こえてきた。

「誰ッ?!」

「どっから声が聞こえてるんだ?」

「こっちこっち」

 おかめの面……それも福笑いのように崩れた白い能面が木の枝に引っかかって、風でゆらゆら揺れながら言葉を発している。

「おぺんぺんって呼んで」

「あっ……見たことがあるぞ! おぺんぺん醤油に描かれているおかめマークだ」

 時夫は叫んでから、口を覆った。あまり大声を出すと蜂人に見つかってしまう。

「そうよ。元は私の似顔絵だったの。こんなに崩れてないけどね~。ほーほほ。わたしはしょうゆ屋の女将・佐藤敏子です。よろしく」

 千葉といえば醤油の名産地。おぺんぺん醤油は、時夫の部屋の食卓にも載っている。

「佐藤か……」

「あなたも捕まったの?」

「えぇ……、九ヶ月前にね。しばらくは城に仕えていたわ。女王の趣味はアンティークよ。私はアンティーク人間の一種なの。最初、ゼリーにされた後、城に運ばれて、アンティークとして再成型されたの」

「他にも、あなたみたいなのが?」

「そうね。フランス人形少女とか、城にはいろいろな人間がいるわ」

「ゾッとしないわね」

「女王は人間を飼っている。知識をそらんじる本人間や、座るだけの椅子人間、ベッド人間なんかも以前は存在していた」

「江戸川乱歩の世界だな……もはや」

 時夫は、嫌でも「人間椅子」を思い出す。

「『ソイレントグリーン』のラストの台詞、人間を飼うようになる……っていうのを、女王は地でいっているわね」

 ありすは腕を組み、忌々しそうに首を横に振った。

「私は、四ヶ月前、何とか城を脱走した。この地下の森には、他にも私たちの仲間が潜んでいる。レジスタンスの仲間がね」

「で、雪絵を見たのか?」

 時夫は質問した。

「えぇ。あなたたちに協力するわ。この畑のパイプは、女王の城へと繋がっている。パイプを伝って、城へ行って、女王の邪魔をして頂戴ね。期待してるわ! おーほっほほほほ」

 おぺんぺんは笑い声だけ残し、風に乗って飛んでいった。

「脱走したアンティーク人間の一種だってさ。まるでチェシャ猫みたい」

「……行きましょ」

「う、うん……」

 ガラガラと車輪の音が響いた。

 巨大なパイプと平行して、木々の向こうに広い道が伸びているようだった。そこを、人力車のように蜂人が引く幌馬車のような荷車が通過していった。例の固形食を、城へと運んでいく途中らしい。二人は、巨大なパイプの側道を進んでいる。

「なぁ……さっきの奴、チェシャ猫みたいに適当なことを言ってるだけ……という可能性もあるんじゃないか? 城へ行ったところで、変な帽子屋のお茶会とか、荒唐無稽なクロッケー大会なんかに巻き込まれるのはごめんだぜ」

 時夫は地下へ、ありすという名の少女と降りてきた。まったく、「不思議の国のアリス」の展開そのままに。この出会いが何かを意味するのか。

 おまけにハートの女王の性格とくれば、何かっていうと首を切れと連呼する激烈な奴。これからサリー女王の城へと向かう道中、不安が募る。

「その可能性もありうるわ」

 とか言いながら、城を目指す古城ありすの目に迷いはない。

「でも、あまり余計な事は言わない方がいいわよ。意味論が発動するから」

 道すがら、ありすは地下にしかないという漢方の原料を、鼻を利かせて採取していった。とても手際がいい。作業に日ごろから慣れているせいかもしれないが、どこに何が生えているか、あまりにも的確に発見しているように時夫には見えた。

 エミールガレの緑色のステンドグラスのような美しい森を抜けると、壮大な城が見えてきた。


女王の城


「ここが地下帝国の中心地。あれが女王の城よ」

 明治時代風巨大洋館。四階建ての立派なネオ・バロック様式の建築だ。赤坂の迎賓館に似ている。ありすは終始冷静で、無言で見渡している。心なしか、懐かしそうな顔をしている。外見はまさに「古い城」。そんな風にも見える。つまりは古城……ありす。時夫は、ありすが前にもここに来たことがあるのではないかと察した。だが、暫く来ない内に環境の変化に驚いている、そんな風に見えた。

「匂うわ……この城のどこかに、雪絵さんは運び込まれている……」

 ありすは躊躇することなく、裏手の入り口から内部へと侵入した。


 洋館の広いローマ風呂に、真灯蛾サリーは一人で入っていた。もうもうとした白い湯気から上がると、腰まで伸びたストレートの黒髪を溶かし、これまた広いレクリエーション・ルームで白くスベスベした足を投げ出し、地上からかっぱらったゲーム機でピコピコと遊び始める。部屋の中は贅を尽くした調度品が並んでいた。一部は人質から作ったものだったが、地上から手に入れたものも多かった。ブルジョア趣味があり、世の中のありとあらゆる美しいものをかき集めるのが好きな孤独な女王。真灯蛾サリーこそ、まさに地下の帝国のキング・オブ・クイーン。

「許せない! 私の城に勝手に入ってきやがってェエ。皆、電柱にしてくれる!」

 サリーが叫んでいるのはありすたちの事ではなく、ゲームの中の状況である。

 ……あぁ早く、地上に出たいなぁ。

 周りはしゃべれない蜂人だけなので退屈なのだ。要するに、真灯蛾サリーは引きこもりだった。

 しばらくしてエメラルドの眼を持った蜂人の兵士が現れた。サリーは無言でそれを見やると、長くて白い足を折りたたんで立ち上がった。

 脱衣所でバスローブを羽織ると、古風なエレベータに乗って、四階のボタンを押した。


 ありすと時夫は階段で四階に上がった。

「匂いが広がって、よく分からないな。確かに、雪絵さんはこの屋敷の中に居るはずなんだけど。まだ、女王のロイヤルゼリーになってないといいのだけど」

 時間は余りなかった。ありすは勝手知ってるように見えて、城内を行き当たりばったりにうろついていた。広い廊下を進み、明かりの漏れる扉から、大部屋へと侵入した。低い機械音がかすかに響いている。音の方向へ歩き始めて間もなく、時夫はぎょっとして止まった。

 巨大な、黒光りする放射状のトゲを持った怪物がそこにいた。いや、それはピクリとも動かない。ただ、暗闇の中で美しく青白く発光していた。翼のような横幅の大きさは十メートル、高さは三メートルはあった。恐ろしくでかい蜘蛛、あるいは蝙蝠のような怪物の中心に、半裸になったあの真灯蛾サリーが鎮座している。間違いなく、図書館で見たあの美女だ。どうやらサリーは、この「怪物的オブジェ」のような装置に半身埋め込まれ、眠っているようだった。そしてその周りに仕えている四人の蜂人が、忙しく機械を操作していた。

「ここは女王の間よ。あの黒いドレスは、蜂人たちの卵の栽培所のシステムとパイプで繋がっている」

 ありすの説明によると、卵が並んだ栽培所に接続されていて、そこへ女王のパワーを注入するらしい。

「女王だ、真灯蛾サリーはホントに女王蜂だ!」

 時夫は心底ゾッとした。これはまた、映画「エイリアン2」に登場したエイリアン・クイーンそのものだった。時夫は主人公リプリーのように戦慄し、恐怖が全身を包み込んだ。一刻も早くこの城から、いやこの地下空間から地上へと脱出しなければ命の保証はない、そんな焦燥感に囚われている。

「女王が卵を産んでないなら、あの栽培所の卵は何なんだ?」

 ありすによると、蜂人たちは地上の菓子屋が作った菓子で出来た卵に、サリーが魔学を掛け、孵化させていた。女王のエネルギー源に、固形食と化した砂糖人が利用された。砂糖人の元は、すべて地上から浚って来た佐藤姓の人たちだった。人間を喰らい、二人が目撃した栽培所で魔学で卵を創造し、子供を作る。そうして蜂人たちが誕生する。時夫が白彩工場で垣間見たお菓子の巨大な卵から、本物の蛇が誕生したのと同じように。時夫は震えが止まらないが、隣のありすの声は、あくまで冷静だった。

「実際に女王が蜂人の卵を産む訳ではない……けど、エネルギーを送り込んでいるから、ほとんど同じ意味を持っている。女王蜂は地上に出るための、恐るべき計画を持っている。地上の恋文町で、蜂人たちの子供を作る計画よ。あのドレス、着脱可能らしいわよ」

 光は次第に弱まり、サリーはバチッと大きな目を開けた。時夫はギョッとして身をすくめた。サリーはドレスから身体を外しにかかった。

「それにしてもビザールなドレスだな」

「確かに悪趣味ね」

「ありすと同類のファッションモンスターか」

「アホ」

 黒ゴスロリ漢方師は慎重に部屋を見渡しながら、鼻をくんくんと動かした。白井雪絵がここに居ないと判断したようで、さっさと廊下に出た。

 しばらくうろつくと、図書室があった。本棚を眺めると、蔵書には漫画が多かった。

「まるで漫画喫茶ね、ここは。あっ、エマニエル夫人みたいな椅子がある」

 女王が普段座っているらしい。ありすは眼を輝かせて、椅子を触った。

 ひそひそ声が聞こえ、二人は本棚に身を潜めた。声のする方向へ進むと、本棚から声が聞こえる。

「オーイ……俺を積ん読にしないで~。頼む、頼むから、そこの人、俺を読んでください……」

 本が声を発していた。

「オーイ……こっちこっち、こっちに来て、私も手に取ってェ」

 時夫は切なくなってきた。一体どれくらいサリーに読まれてないのだろう。いや、問題はそこではない。

「これらは、きっと本人間ね。女王は、入手できなかった本を、知識のある人間をさらって本にして、ここの蔵書にしている」

 ありすによると、すべてが本人間ではないらしい。

 城内のあちこちが英国風のアンティークや意匠に埋め尽くされ、ありすがいちいち立ち止まって眺めるので、雪絵の捜索がおろそかになっていた。

「なぁ、そろそろ行こうぜ」

「待って。彼らの一部も、やはり人間ね」

「やっぱり、この中にもアンティーク人間が?」

「えぇ」

「おぺんぺんの言ったことは、本当だったのか」

 あれもこれも、人間だったかもしれないなどと思うと、時夫は震えが止まらなくなった。嫌でも、自分がそうなった時の運命を想像してしまう。

「イエーッ」

 下から声が聞こえる。廊下の窓ガラスから、城前の広場の芝生が見えている。そこに、サリーがぴったりとした黒いドレスに着替えて、歓声を上げていた。

「サリーだ。いつの間に……」

 二人は階段で上り下りしていたが、どこかに女王専用のエレベータがあるらしい。

 女王は蜂人を侍らせ、クロッケー……ではなく、ゲートボールをしていた。あのように若い……いや、若くもないのかもしれないが、どっかで覚えたゲートボールに熱中しているなんて、まさしくここが英国ではなく日本であったことを、かろうじて時夫に思い出させた。

 1プレーごとに一人女王の歓声が響き渡った。何せ、蜂人は物静かである。

「ずいぶんと真面目にやってるな。『不思議の国のアリス』に出てきたハートの女王のクロッケー大会とは大違いだ」

「まぁ、蜂人相手に威張ったって、虚しいだけだシ」

 なら、性格も原作の女王と異なっていることを切に願うばかりだ。

「あれ……カメラだ。蜂人がカメラ持ってるぞ! なんか、グラビア撮影会みたいだぜ」

「ははぁ。ゲームそのものより、自分を映して悦に浸ってるらしいわね。さっきの漫画喫茶もどきといい、あいつは基本地下から出られない引きこもりだから、地上に出てやってみたいことを、蜂人相手にやってるって訳か。フフ」

 ありすはニヤニヤと観察して言った。こっちの方が、チェシャ猫かもしれない。


女王陛下のお茶会


 ありす達は一階の厨房へと侵入した。他の階に比べ、ここは青い眼の蜂人の数が多かった。ひときわ慎重な行動を求められる。色々な料理の匂いが立ちこめ、ありすの鼻による捜索は困難を極めた。

「……おかしいな。これは、すでに食堂へと運ばれた後かも」

「えっ、まさか雪絵は」

「女王はきっと運動の後、食事をするんだ。行きましょ!」

 一階ホールの大広間に、女王・真灯蛾サリーはテーブル席に着席していた。着席というものの、椅子を五つも重ねた上に凄いバランスで座っていた。サリーは暇なので、記録に挑戦中らしかった。テーブルには回転寿司式の装置が敷かれ、その上に料理がくるくると回っていた。

「豪勢なディナーだな」

 二人は柱の影から観察している。

「------この女王の食事も元はすべて人間よ。一見して料理に見えるけど、和菓子細工なのよ。この工程まで来ると、すっかり人間である事を忘れてしまっている」

 元人質たちである固形食は、調理蜂によって見事に料理され、見た目は完全なグルメに化けている。

 食堂内には蜂人たちが整然と立ち並び、飛び上がってサリーの高さまで食事を運んでいた。サリーはナイフとフォークを持って、テーブルに並べられた人間が素材の和菓子を食べ始めた。華奢な女王は、フードファイターになれるほどのアイアンストマックだ。卵の栽培所にエネルギーを送る分、かなりの量が必要なのだろう。

「あっ」

 新たな菓子細工の「原材料」が女王の前に運ばれてきた。雪絵だ。真灯蛾サリーは、その原材料たる、両腕を縛られ、気絶している白井雪絵を見下ろして言った。

「素晴らしい。上出来だわ。これなら、特別なロイヤルゼリーが作れそうね。白彩店長はお手柄ね」

 雪絵はまだ加工前だったらしい。とりあえず女王に見分させてから、蜂人たちは調理に取り掛かるらしい。二人はほっとした。何とか間に合ったからである。

「取引に応じてくれた奴にも礼を言っといて」

 取引? その言葉に、ありすは怪訝な顔をした。

「……雪絵!」

 思わず時夫は声を発した。

 二人の背後にいつの間にか蜂達が集まり、二人は取り囲まれている。女王の食事の模様に気を取られ、おまけに時夫が叫んだせいだった。

「しまった見つかった。まずい」

「あっ時夫さん?! ア~ラ、わざわざ。追いかけてきてくれたのねッ。ご飯にする? お風呂にする? それとも……ア・タ・シ? 時夫さんのお好きな菓子もここには沢山ありますわよ。ぜひ、この回転お茶会に参加なさって?」

「回転お茶会だって? ……だが断る!」

 ルイス・キャロルの時代にはなかった、回転寿司テーブル。時の流れを感じる……。

「あなたに図書館で言った事。地中に咲く花リザンテラ。それは私のことよ。地上の光が届かない地下で咲く花を、あなたは見つけてくれた。いつか、日の目に見える場所へと私を連れ出してくれる……」

「じょ、冗談だろ」

「そう、私を閉じ込めてるこの城から助け出してくれる、白馬の王子様……ずっと、ずっとあなたを待ってました」

「そんな訳ないでしょうが。真灯蛾サリー、雪絵さんを返してもらうわ。あなたはもうおしまいよ。覚悟しなさい!」

 ありすは時夫の前に飛び出した。

「おやおや、迷い蛾が一匹。一体どっから入ってきた?」

「いやだから彼と同じところよ」

「時夫さん、こんな奴に騙されてはいけませんわ!」

「残念ね。金時君はもう、あんたの言う事なんか信じてないわ」

「そうだ、俺は見たんだ、さっき四階の女王の間で。き、君は栽培所の卵にエネルギーを送っていただろ。その卵から、蜂人が誕生していた。それで、こんなに食料が必要なんだ。やっぱりありすが正しかった。君はここで茸人を製造し、地上へ送り出して操っている! 誘拐事件の被害者がどうなったのかも、全部見たんだぜ」

 外見は依然として美少女だが、真灯蛾サリーはもうバケモノ、いやラスボスにしか見えない。

「な、なんですって。もう……乙女の秘密を? 時夫さぁん! 遂に私の正体を見てしまったんですね。もうこのままじゃあ、地上に帰せない。私と一緒にここで永遠に暮らしてもらいますわよッ! 私を図書館で見つけた責任を取ってもらうわ!」

「行くわよ、金時君。早く、雪絵さんを連れてって」

「しかし、こう、取り囲まれては……」

 巨大なエメラルドの眼の兵隊蜂が、槍を持ってうじゃうじゃと集まってきた。もう、百匹は超えているだろう。

「ありすっ、お前は侵入罪で逮捕する。わが地下帝国へ迷い込んで来たからには二度と私に歯向かえないように、電柱にしてやるんだから! いえ、この際だから送電鉄塔になってもらおうかな?! 決めたわ。即決裁判の判決よ。お前はこれまでで最高傑作の送電線になるがいい! 鉄塔は寒いだろうけど、お前のドレスを、鉄塔に引っ掛けておいてやるわよ」

 ありす、君が鉄塔になったら、俺はチラシを貼らせないように見張ってやる。いや、鉄塔にチラシは貼れないか?

 蜂人に捕らえられたありすは、なぜか蜂人にされるがまま、貼り付けにされた。ありすはどうやら、蜂人とは争わない主義らしい。貴重な生物だからと言うが、自分たちの命だって貴重じゃないか。

「電柱は美しい! 私は一本でも多くの電柱人を地上に打ち立てたい! そして町を私の作った電柱人で埋め尽くす。あああああー」

 サリーが大口を開けると牙がゾロッと見えた。サリー女王は……、ハートの女王よりイカれているぞ。

 ところが蜂人が離れた途端、ありすはゴスロリ・ドレスの袖から粉末状の薬草をばら撒いた。食堂ホールはもうもうとした。

 まもなく、アンティーク人間たちが集まってきた。おぺんぺんもふわふわ飛んでいる。

 城が急に騒々しくなった。ありすがレジスタンス達を薬草でおびき寄せたらしい。

「女王、この城の仲間たちを解放しなさ~い!! 私は、あなたを、醤油ダルに漬け込んで、漬物にするまで絶対に許しませんことよ」

「またレジスタンス?! 無礼な。ここがどこだか分かってんの? 電柱だ電柱だ~、どいつもこいつも、電柱でござる!」

 サリーは怒鳴り散らした。

「……蛾蝶蛾ァ蛾ァ、蝶々発止!」

 紐を解いたありすは光る蝶を飛ばした。必殺の科術。蜂人たちは無数の蛾や蝶を追い掛け回し始めた。ホールは大混乱に陥った。

「ぐあっ、がっ、あ、あたしの城でそんなモノ飛ばさないでェ! 地下が穢れるから」

 サリーは目を覆って、必死にナイフとフォークを振り回し、五重塔状態の椅子から転げ落ちた。普段蟲に囲まれているくせに、蛾と蝶が苦手ですと?

 蝶と蛾の吹雪を起こしたありすと金沢時夫、それに連れられてフラフラと歩き出した雪絵の三人は、女王の城を出ると、巨大茸の迷宮を駆け抜けた。


「あなたは……わたしのモノなのよ」

 サリーはアーモンド形の眼をぎょろっと見開いたまま、にやりとし、着席しなおしてフォークを和菓子細工にブスリと刺した。

「地下へ来た者は生きて逃がすな! 全員ひっ捕らえろ。そして時夫さん以外、電柱に、電柱にしろ!! 文字通りの人柱となって、全員で恋文町を彩るのだ! どいつもこいつも電柱にしてしまえぇぇぇえええ!!」

 レジスタンスが混戦する最中、一体何匹入るのか分からない兵隊蜂達が、無数に城からあふれ出していく。


発電茸畑


「う~ん……」

 雪絵がうっすらと目を開けた。

「危なかった、すんでのところで、食される所だったね」

「時夫さん……ここは」

「地下だ」

 時夫は微笑んだ。雪絵はよろよろとしか歩けないので、そんなに早くは逃げることができなかった。城内のレジスタンス達も、さほど時間稼ぎにはならないだろう。

「あっ!」

 先頭を走るありすが、巨大キノコの森の中で何かを見つけた。

「ウー! そんなところで何してんのよ」

 茸の傘で、日光浴のような格好で石川うさぎが寝そべっていた。まるで「不思議の国のアリス」に登場する芋虫のように。ありすを見つけるとバツの悪そうな顔をした。

「この裏切り者!」

「あ、ありすちゃん……ちょっと待って」

 ピンク髪の石川ウーは、いつもと変わらない笑顔を作った。

「これには深い訳が」

「黙りなさい」

「だ、だって蜂共がさ、うさメンを見たっていったからさ、それで」

 話をまとめると、ウーもテレパシーを使えるだと?

「前にも偽情報だって言ったはずでしょ! で結局出会えたの?」

「いいや。やっぱそっかなーて思ってたトコ」

 どうやらテレパシーが使えるのではなく、何らかの方法で騙されただけらしい。

「だから言ったじゃない! 勉強しないんだから」

「うさメンって?」

 時夫が後ろの追跡者を気にしながらありすに訊いた。

「うさぎの着ぐるみを着たウーの彼氏だよ。ウーはもう九か月前から探してる」

 ありすの説明にウーは笑った。

 私生活でいつもバニーのコスプレをしているありすの同級生。それが、薔薇喫茶でその格好でバイトをしている石川うさぎだ。彼氏は背が高く、これまたいつもタキシードで頭にうさぎの着ぐるみをかぶって、素顔を決して見せない変わり者、通称うさメン。半年前に喧嘩別れしたらしいが、この男もまた、地下から来ているらしかった。つまりうさぎ自身よりも、うさぎの彼氏ことうさぎ男こそ、まごうかたなき地下の手先、女王への真の案内人だったのである。だがうさぎにも、うさぎ男がどこから地上へ出入りしているのか分からないらしい。

「……で、喧嘩の原因は?」

 時夫はありすに訊いた。

「どっちがより、相手のことが好きかっていう言い争い」


 わたしの方があなたのこと大々々スキー!

 いや、僕のほうが大々々々々スキー!

 いやいやあたしの方が大々々々々々々々……

 いやいやいや、僕のほうが大々々々々々々々々々々々……


(バカップル、ウッゼー……!! リア充爆発しろ)

「ごーめーん」

 ほどなく、女王の命令を受けた蜂人たちが山ほど四人に追いついてきた。

「もういいから、脱出の近道教えて! ここもずいぶん変わったわね」

「地下の帝国主義は俄然、地上へと向かっている。でも茸に座って、こっからどうやって出ようか考えてたの」

「へ? あんたも知らないの?!」

 その時、女王の放送が地下都市中に、壁面にエコーを繰り返しながら鳴り響く。

「待ちなさい、古城ありす! あたしのスイーツドールを返して! あんたもうさぎも、二度とここから出さないから。あっ、時夫さん。あなたは違いますわよ。私の王子様! 私の城にてお待ちしております。ゲームしながら一緒に洋館で私と羊羹食べましょう。羊羹は……よう噛んで……」

 ロイヤルゼリーに使うシュガーは特別製なのだ。女王とて、そう簡単には入手できない。たった今、逃げ出してしまったスイーツドールは、それは唯一の、完成した女王のロイヤルゼリーだったのだ。それこそが和四盆を超えた和四盆ロース。何としても女王は雪絵を取り返そうとしてくるだろう。

「あれがサリーの正体よ。分かったわね。あたしだって、金時君を女王の新しい好物にさせたくないから」

「俺だってゴメンだよ!」

「あんたらレジスタンスだってねェ。食いねぇ、蟲を食いねぇ!」

 唐突に近くの木の根元から、巻き舌のべらんめえ調が響いてきた。

「今度は何だ?」

「蟲食いねぇ! レジスタンスだってねェ?」

 身長約三十センチで二等身。人形のようだが、江戸時代の渡世人風で、片目がない。

「また変なのが出てきた」

「ひょっとして、レジスタンスの親分の名は?」

 ありすは屈んで訊いた。

「なんだってぇ、知らねぇだと? てやんでぇ。……親分は清水の紋白蝶ってんデェ! おめぇさっき蝶飛ばしたんじゃねぇかよ?!  っていうか蟲食いねえ!」

「そっか、森の蟲松か! ねぇ、地上へ出る道知らない?」

 おそらくアンティーク人間の一種、土人形人ではないかとありすは推察した。

「俺に任せな。電気茸の森を行くといいぜぇ。そっから先、ちと面倒だがよ。もし抜けたら、出口があるはずだぜ。……蟲食いねえ!」

「いや、蟲寿司は結構。サンキュ!」

「忘れんなよ、……蟲食いねえ!」

 森の蟲松と別れて、四人の目の前に、青い稲妻を発する茸地帯が見えてきた。

「信じていいの? あのアンティーク人間の言うことを」

「おぺんぺんだって、ホントの事言っていたじゃない。行きゃ分かる。ウー、そうでしょ?」

「ここの茸は、発光茸よりはるかに電気量が多い。それで、地下施設の電力を担う発電所になってんの」

 ウーは、大きな葉をちぎって、頭の上に傘のように差した。

「みんなこれを頭にかぶって。この葉っぱ耐電性があるから」

 四人は葉を差して、稲妻の嵐の中を疾走した。雪絵が走れるほどに回復したおかげでもあった。全員、髪の毛が逆立ちながら走る。

「もう、追ってこないかな?」

「この電気の中じゃね」

 ほっとしたのもつかの間、四人は立ち止まった。電気茸の森の端まで来て、前方から、物凄い羽音が鳴り響いていた。

「しまった、待ち伏せか!」

 蜂人を侮っていた。前方に、何百匹という兵士蜂の群が陣を張っていた。

「電気茸の森に戻るか?」

 戻ったところで、いつまでも電気の中には居られない。すっかり取り囲まれた四人の中で、古城ありすが一人、あさって方向を見上げていた。

「ちょっと待って……あそこに何か居る」

 蜂人の背後の森が、ガサガサと揺れていた。

 森から、巨大なツタが鞭のように、勢いよく蜂人に襲い掛かった。もがく蜂人たちは、次々と森の中へと引きずり込まれて消えた。他の蜂人たちはパニックになって、一斉に空へ飛び始めた。

「分かったぞ。これ、巨大食虫植物の森だ!」

 時夫は、初めてありすの顔がゾッと青ざめているのを見た。

「蟲食いねぇ……か。なるほど森の蟲松は正しかった。この先に、きっと出口があるのよ」

「えぇーっ、こんなところ通るのかよ!」

 食虫植物は、一つが蠢くと、他も触発されるらしい。無数の巨大ハエトリグサが口を開け、巨大ウツボカズラがひしめき、吸血植物のようなツタ類がうじゃうじゃと蠢き始めた。

「うう……まさに『地球の長い午後』の世界ね」

 なぜ、地下に蜂人にとって危険なエリアがこんなに広がっているのか分からない。だが、地下では霊長類であり、生物界の頂点に位置している蜂人たちが唯一恐れる場所であるには違いない。

「トリフィドが居てもおかしくない……」

 ありすは宇宙からの侵略者、食人植物の名を口にした直後、勢いよく首を横に振った。

「そうだ、食虫植物相手なら思いっきり戦えるわ! 蛾蝶蛾ァ蛾ァ、蝶々発止ッ!」

 ありすは無数の光る蝶を撃ち放った。巨大食虫植物たちは、無数の蝶や蛾を追い回し始めた。他のメンバーは、蜂人が落としていった槍を手に持つと、襲い掛かる枝を撃ち返しながら前進した。先頭のありすが一番奮闘している。やっぱりありすは、蜂人たちに遠慮していたとしか時夫には思えなかった。

 女王の悔し紛れの放送が鳴り響く。

「ありすっっ、たとえ地上へ出れたところで、あんたはあたしの人形少女になる。もがけばもがくほど、操り人形になって、私の好きなように操られて動くだけなのよ!! ほほほほほ、ほーほほほほほ……」

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