第10話 恋文図書館のサリー

 前から気になっていた建物がこの町にはある。高台の上に聳え立つ茶色い塔のような建物。薔薇喫茶を後にした時夫は、そこを目指して走った。S字カーブの坂を上がっていくと、この町に場違いな異様な大きさの古い建築物の正体は、図書館だった。

 恋文図書館。そこは二階建ての建物と、横にある塔上の建物から構成されている。

 自動ドアから中に入ると、一階は天井が高く、中二階のような閲覧席が多数設けられている。丸くくりぬかれたような窓、壁際に螺旋階段があったり、中二階同士をつないでいる渡り廊下があったりと、なかなか凝った意匠だ。平日の昼なので、人はまばらだった。サボリーマンが寝に来ている。書棚を眺めて歩く。

 「平行植物」・「アフターマン」・「鼻行類」……。

 生物系三大奇書が揃っている。東京に居た頃、時夫が好く借りて読んだH・P・ラブクラフトはなぜか一冊も見当たらなかった。

 「銭湯異界案内」・「ご近所ジャングルクルーズ」・「タコスライダー」・「人を食うハンバーガー」・「世界一堅いパン」・「カシラ対ショコランテ」・「スーパーカー消しゴムレース」?

「ハリー・ボッタクリシリーズ、江戸川らんちうシリーズ。『吉原の国のありんす』、えーと、糖人お吉。超人お吉。宇宙人お吉? お吉シリーズか……」

 堅いものから柔らかいものまで、聞いたこともないような本がそろっている。ラブクラフトこそないが、なかなか本の所蔵が充実している図書館らしい。

(図書館で、この町の歴史を学ぶのも悪くないかもな。確かうさぎが、恋文町の地下に巨大な空間があるとかなんとか言ってたっけ)

 恋文町の事を深く知るには、図書館が持ってこいである。伏木市と有栖市が合併した時、もめたというが、一体何が起こったのか。中央図書館は別にあるようだが、ここは古い図書館で、郷土資料室も中央館より充実しているという。古い新聞にも何か記事があるだろうか。ちょうどいい。

 螺旋階段を上って、二階へ行くと郷土資料コーナーになっていた。時夫は九ヶ月前の地方紙をめくってみた。


「伏木市と有栖市が合併して、伏木有栖市が誕生した。伏木有栖市は、千葉県の大平洋側に位置する東京近郊の、人口約五十万人のベットタウンである。当初、合併に際しては両市の間で、市名に関し、『伏木有栖市』にするか、『有栖伏木市』にするかで揉めに揉めた。有栖市が伏木市を先に持って来る事に強固に反対したのは、伏木市が先だと「ふしぎありす市」になり、あまりに有名ファンタジー文学そのままだからというのが主な理由だ。しかしその後紆余曲折を経て、結局、伏木有栖市に収まったのはまさに奇跡であり、不思議である。結果として市民たちが普段、『伏木有栖市』と書かずに『不思議有栖市』、あるいは不思議アリス市と表記しているのは無理のない事かもしれない。なにせ当の公務員でさえ、公式文書以外は『不思議有栖市』と書いている始末なのだから。こうして新市名が無事誕生したが、この市に連続して不思議な、不可解な事件が起こるようになったのも、この市名になってからの事だ。むしろ-----、何も起こらない方が不思議な位の名称である」


 新聞の記事まで、警官やうさぎが言う事と同じ内容しか書いていなかった。それもコラムのような扱いで、まるで人事のように皮肉っぽく書いている。物足りない。もっとさかのぼって、この町の事、それも怪奇な事例について書いている本を探さないといけない。時夫は本棚を回遊した。一冊の本が目に飛び込んだ。

 「恋文全史」。なるほどこれだ。近年の怪奇現象について記されているとは思えないが、これこそ探し求めていたものだ。何か、事件の背景のようなものが分かるかもしれない。茶色の背表紙のその本を手に取ろうとして、白魚のような女性の手が触れた。

 「あっ」×2。

 二人の声が重なった。黒く長い髪の、黒い長いスカートを履いた少女は、時夫と同じ本を取ろうとしている。冬なのになぜか、上はノースリーブの黒いトップスだった。二人はお互いに譲り合った。

「あなたも町の事に、興味がおありなんですの?」

 瞳の美しい女性は、これまでの事件の事を、何もかも忘れさせてくれる存在としてそこに現れたのかもしれない存在感で、そこに立っていた。美人過ぎる図書館の客。そして信じられないことに、彼女の方から話しかけてきたのである。

「……えぇ」

「もしかして、何か秘密を探している、とか」

「なぜそれを?」

「わたくし、何となく察してしまうタイプですの。過去に目を閉ざすものは、現在にも盲目なり、といいます。よければ、私と一緒に町の事を調べませんか?」

 なぜそんな事をいうのか、そのとき時夫は不審に思わなかった。

「……いいの?」

「はい。私も誰かと一緒の方が心強いですし。下のカフェに、私と付き合ってくれませんか?」

 その真灯蛾サリーと名乗った女性は微笑んで、時夫をラウンジのカフェへと誘った。立ち並んだ自販機で、フタ付きの紙コップのブレンド・コーヒーを購入して飲みながら、館内の本を読めるコーナーだ。サリーは、借りた本に目を通すと、にっこり笑って差し出した。

「どうやら、この本には私の探している事は、直接的にはほぼ書かれていないようです」

「そうでしたか」

「だから、よかったらどうぞ」

 やはりサリーも、この町の奇怪な事件の事を調べているのではないか。時夫はそう直観した。そういう人がいたとしても、不自然ではなかった。一人で不安を抱え、時夫に話しかけてきたのかもしれない。時夫は、思い切って奇怪な事件の概要を話した。するとサリーは、そっぽを向いて、町を見下ろす窓をじっと見ながら、

「---------知らない訳ではありません。でもこれまで、他の人にその事を話した事はありませんでした。話したところで、誰も信じなかったですし」

 と白井雪絵と同じ事を言ったのである。やはり、そうか。時夫と似たような考えで図書館に来る人間が居たのである。ただ、それだけではなかった……彼女の顔立ちや、物腰は、時夫に懐かしさを覚えさせた。どこかで出会ったような気がする。不思議な感覚に囚われながら、時夫は打ち明けた。

「僕も……交番に行ったんですが、ダメでした。いや、それ以外に、この町でもう一人の人間に話しました……。薔薇喫茶の店員です」

「そうですか。私が探しているのは、この町のことについて詳しく書かれている本なんです」

「ここの図書館員、何か援けてくれませんかね」

「いいえ、ここの司書の方には、あまり言いたくなくて。私が思うのは、その本、ここの図書館員が隠してるんですよ。でも除籍したわけじゃなくて、それは確かに、この図書館のどこかにあるのです。おそらくは、あの塔の中に」

 ところが図書館員は、前にサリーに、その本が実在する事をはっきり否定したというのだ。

「あの塔は何なんでしょうか?」

 レンガのタイル張りの塔は、岡の下の町からもはっきり見える。

「書庫らしいです」

「なるほど。でも、何で本を隠すんです?」

 塔の中が書庫だとしたら、部外者は立ち入れない。データ上存在せず、図書館員が「ない」と言い張れば、その本は存在しない事になってしまう。

「きっと、この町の恐ろしい秘密が記されているんです。そして彼らは、それを必死で隠そうとしている」

 つまり、サリーの言い草だと、この図書館も恋文町の怪奇の一端を担っているということになる。今日ここへ来たのは成功だったのか、失敗だったのか。だが、彼女のような人に出会った事は、意味があると思う。

「恐ろしい秘密。やっぱりそんなものが、この町には隠されているのでしょうか」

「はい。だから、何か他の郷土資料に何かヒントが載っているかもしれないと思って」

 時夫は渡された「恋文全史」をパラパラとめくった。本には、近代以後のことしか書かれていなかった。そして近年の市の合併については本が古くて書かれてない。防空壕についてはさらりと書かれていたが、特に変わったことは何も書かれていない。つまり近代以前、江戸時代の恋文町などについての情報がない不完全な「全史」だったのだ。

「おや……」

 「恋文全史」の最終章は、当時改装されたばかりの恋文図書館についての記事だった。この本を編纂したのが、この図書館だからだろう。図書館の簡略図も載っている。

「なるほど、塔の2・3・4Fが書庫か」

 記事によると、搭の中にある書庫は、「立体機動集密書庫」という自動制御システムの書庫らしい。内部に人間はほとんど入らず、機械が本を取ってくる。「集密」という聞き慣れない言葉は、普段は密集している棚が、必要に応じて動くことを意味する図書館用語らしかった。

「立体機動集密書庫……全自動で動く、書庫の立体駐車場みたいなものか」

 内部はめったに人が立ち入らないらしく、やたらと自動化の文字が誇らしげに躍っていた。不思議なほど、この立体機動集密書庫に関する記事に、多くの紙面が割かれている。

「あやしいですね……」

 二人はさらに「恋文全史」を調べた。

 ガラス窓から差し込む午後の太陽を浴びたサリーの横顔は、ひときわ美しい。

「……これは?」

 時夫は、巻末にある「火蜜恋文」という本の情報に気づいた。著者は「恋文史研究会編」とある。その「火蜜恋文」の紹介文によると、江戸時代以前の町の話についての本であるらしい。歴史は、現代や未来を映し出す鑑であるという昔の思想に裏打ちされているようだ。時夫は、日本史の授業で、「吾妻鏡」や「大鏡」などの歴史書で、そのような説明を聞いたことがあった。

「ひょっとするとこれじゃないですか、その本というのは」

 「火蜜恋文」は、江戸時代の恋文町の、とある時代について書かれており、その時代に起こった奇譚についての本らしかった。江戸時代にも不思議な事があったらしい。それと現代の事件とは、何か関係があるのだろうか?

「……こ、これです! これかもしれないです」

 サリーは大きな眼を丸くして、食い入るように紹介文を見つめた。

「探してた本のタイトルも分からなかったんです。ただ、黄金色のカバーの本ということしか分からなくて。良く見つけてくださいましたね」

 時夫はスマホを取り出し、図書館の検索システムで「火蜜恋文」とキーワード入力した。その結果は0件。

「本当に所蔵してないんだろうか? どっかにヒントはないかな」

 もしかすると、伏木有栖市の中央図書館である黒会図書館に移されている可能性もあるが、サリーの言うとおり、ここにあるのかもしれない。

「気になる部分があるんだけど。これ……本文のところどころに着いている数字。てっきり注釈の番号かと思ったら、巻末に注釈がないんだ」

「本当ですね……何でしょうか?」

 二人は顔を近づけて、巻末を何度も見回した。しかし、注釈は巻末はおろか、他のページにもそれらしきものは存在しなかった。

「編集ミスか? あるいは乱丁?」

 時夫は、巻末の「火蜜恋文」の紹介文にも、本文と同じような奇妙な数字が着いていることに気づいた。案内文の最後に、「250」という数字が小さく掲載されていた。

「これはもしかすると、本文のページを意味するのでは?」

「なるほど……」

 サリーの目が大きく見開かれる。

 時夫は250ページをめくった。

「……やはり数字がある」

 そのページにも、文章中に一箇所、「45」と記されている。

「この数字の書かれている言葉を、書き出してみてはどうですか?」

 サリーはノートに書き出した。

「次の指定ページは、45ページだな……」

 時夫がめくると、やはりそこにも、「97」と記されていた。

「ひょっとすると、言葉をつなげていくと、文章になるかもしれません」

「次のページをめくってみよう!」

 二人はページをめくる手間も億劫というくらい、慌てて書き出していった。その途中で二人は手を止めて、ノートを凝視した。

「これは、警告だ……」


「立体機動集密書庫には絶対近づくな。万が一近づいた者は、すぐさま自動システムによって、棚につぶされることになる。

 市内一のセキュリティに守られており、さらに最高セキュリティエリアは防御のためのあらゆる防御反応をいとわないだろう」


 これは町についての歴史書のようだが、それだけではなかった。驚くべき事に「恋文全史」は、この図書館に関する秘密暗号文を記していたのだ!

「この本はもしかすると、ミステリーのように解き明かす事で、あの塔の中の書庫の秘密を解き明かすことができるかもしれない」

 まるで推理小説のような展開だった。

「本当ですか」

「まだ数字は終わっていない。……文章は続いている。どうする?」

「続けましょう……」

 二人はラウンジで時間をかけて、「恋文全史」を紐解いていった。図書館の迷宮の謎を解き、秘密の図書室がどこにあるか特定する作業は実にスリリングだった。この謎の答えに到達した事は、二人にとってどんな意味があるのだろうか?


「最高セキュリティエリアの本が外に出ることはない。請求記号が振られていない。市内の蔵書は全てICチップ化されているが、さらに最高セキュリティエリアは、請求記号さえもデータ上隠されている」


「これは暗に、最高セキュリティエリアに、巻末の『火蜜恋文』があるって事を、案内しているんじゃないか?」

「そうですね。部外者がうかつに近づくのは危険かもしれません」

 「最高セキュリティエリア」がどこなのかはまだ分からなかった。

 警告の前置きが前半で、後半は集密解除の説明となった。


「もしも万が一、エリア内の本を外へと持ち出す場合、ホストコンピュータに暗号キーを入力し、自動防御システムを解除し、マニュアルにすることで命を繋げ。アドソ」


 暗号文はここで終わっていた。

「命を繋げ、か……」

 時夫はその文に奇妙な印象を抱いた。本文と比べて、暗号文は、何か慌てて作ったように感じられるのだ。暗号文製作者は、実際に急いでいたのかもしれない。

「人名よりも資料の保存を優先する図書館だなんて……」

 サリーは両手を挙げた。

「そういえば、父が前に勤めていた会社では火事のとき、水を一切使わないらしいんだ。データが入ったコンピュータや精密機器は、水で消火活動すると破壊されてしまう。それが、火事自体より損失が大きくなるんだって。そこで社内システムでは、二酸化炭素ガスが出て消化するんだ。けど万が一、人がそこに残っていたら死んでしまう。普通はより安全な、ハロンガスを装備するらしいんだけど」

「釈然としない話ですわね」

「経営第一のバブル期の話だからかな。最後の言葉が、暗号キーらしいな」

 アドソ……。その言葉に、時夫は思い当たるものが何もなかった。しかしサリーは、「薔薇の名前」という物語に登場する主人公の名前だと言った。

「『アドソ』は、『ワトソン』から来ています。あの小説は歴史の謎解きの物語なんです。さぁ、参りましょう」

「本気で?」

「この町のヒミツは、たとえば地中に咲く花、リザンテラのようなものです。ラン科の植物ですが、生涯を地下で過ごすのです。つまり、めったに人の眼に触れることのない花。その花がどんなに美しくても、見る人は誰もいない……。でも、いつか、誰かがきっと見つけ出してくれるのを待っている」

 そう言うと、サリーは妖艶な笑みを浮かべた。

「この町の秘密の歴史も、ひっそりと書庫の中に隠されている。それが今、私たちの目の前に現れようとしている!」

「分かりました。あと一時間で閉館時間ですね。借りて帰りましょう」

 時夫は立ち上がった。

「でも、おそらくは邪魔してきます、私たちはさっきから見張られている……」

 サリーの目が大きく見開かれ、時夫はその黒い瞳のブラックホールに吸い込まれそうになった。

 見張られている……この町から脱出できなかった時の状況を否応なしに想起させた。

「試してみましょう。そうしてもし書庫にあったら、そ知らぬ顔で自動貸出機で借りて帰ればいい」

「でも少し待ってください。実は私、カード持ってないんです。資格がなくて、作れないんです」

 彼女は市外の、それも近隣ではない住人だろうか。

「大丈夫です。それなら僕が持ってますから。僕が借りて、後で又貸ししますよ」

 時夫は高校の近くにある有栖図書館でカードを作っていた。市内の図書館はすべて利用できるはずだ。

「図書館員が立ちはだかってくるはずです。私たちの前に」

「大げさでは? どうして妨害してくるんです?」

「信じがたいと思いますけど、図書館員が全員、茸人だからです。私たちがこうして書架を回っているうちは何もして来ないのですが、私が『火蜜恋文』について探ろうとすると、突然防御反応に出ます」

 まさか。サリーは当然のようにさらりと言ったが、ラウンジから見える棚を配架している中年女性の図書館員もまた、キノコなのだろうか。髪型はいわゆるマッシュルーム・ヘアで、茸のようではあった。けど時夫が見つめても、向こうは気にしているそぶりを見せない。

「キノコ人って一体、何なんでしょうか?」

「私が知っているのは、『半町半街』という漢方薬局の仕業だという事です」

「えっ! そこには前に行ったよ。古城ありすっていう女の子が店番していた。黒いゴスロリの格好をしててね。ありすによると、店主は留守なんだって」

「古城ありす、そうです。……あぁ、恐ろしい! あの人はなんて恐ろしい人なんでしょう!?」

 サリーはパタッと机に突っ伏した。長く艶のある黒髪が、サラサラッと流れて机上に広がった。見事な天使の輪が形成される。

「あのキノコ、正体は漢方の一種だと思います。それを操っているのが、あの漢方薬局のありすなんです。古城ありすは、この町の秘密に深く関わっている。それでキノコを操って、図書館に隠している『火蜜恋文』を守っているんです。そして、秘密を探る者を攻撃させているんです」

 サリーはガバッと起き上がって、てきぱきと説明する。

「まさか……」

 彼女はこれまで、いったい何を経験してきたのだろう?

「本当は怪奇現象のことなんか、みんな、何もかも忘れてしまいたい! それでも私は知りたいんです。この町のことを……。何でこんな事が起こっているのか。ここであなたと出会ったのは、きっと偶然ではありません。私と一緒に、全てを探りませんか。書庫へ行って、本を見つけに行きましょう」

「分かりました」

 サリーを連れて塔の書庫へ侵入した時夫は、立体機動集密書庫前のカウンターの後ろの壁に、「―図書館員の心がけ―」と題された張り紙が貼られている事に気づいた。


 スキャンすること風の如し

 並ぶこと林の如し

 クレーム来ること火の如し

 動かざること山の如し


 図書館風林火山……何だそれ。

 書庫カウンターには、五人の図書館員が立っていた。このとき、時夫ははっきりと違和感を持った。全員がマッシュルーム・ヘアの中年女性だった。その髪型は珍しくもなく、普段ならスルーするだろうが、一様に体型がひょろ長く、顔も無個性で何となく似通っている。

<茸を殺しても殺人にはなりません>

 そう、恋文交番の警官は言った。

 そうだ。彼らは、キノコなのだ。館内の図書館員がボブカットに統一されていることに気づいた瞬間こそ不気味だったが、茸人とて一見人間と見分けがつかない。殺して初めて、流血がない為キノコだと分かるだろう。あの時と同じように。

 カウンターに目を移すと、端末があった。ここから館内のホストコンピュータに入れるだろう。キーワードを「アドソ」と入力し、自動からマニュアルに変えればよいのだ。

「どうする?」

「内線で仲間を呼ぶ前に、全員倒しましょう。インカムは持ってないみたいです」

 雪絵とした時以来の、どきどきする会話だ。

「書庫の手前の開架の本棚を見てください。百科事典や大きな辞書がひしめいています。参考図書コーナーです。時夫さん、『本』でやっつけてください」

 お、俺がか……。見渡すと確実に武器になりそうな大型本が並んでいた。

「最近は図書館も用心に、サスマタくらいは持ってるからなぁ」

 時夫は高さ三十センチ以上ある黒いカバーの本を棚から引き抜いた。このとき時夫は、美しいサリーの手前、引き下がることができなくなっていたのだ。

 時夫は隙を見て、カウンターの端末に突進した。異変に気づいたらしい茸司書の一人が、ヌッと金属の棒を取り出したので、時夫は持っていた事典を頭上にかざした。本はサスマタのクワに捕らえられ、そこに歯のように並んだトゲがバラバラに引き裂いた。トゲは回転していた。電動トゲツキ・サスマタ! ドイヒーな防犯道具。

「過剰暴力だ。暴力図書館員だ。これは犯罪だぞ」

 よく考えると自分たちも大して人のことは言えない。

「黙れ小僧、納税してから文句を言え!」

「お前たちも納税してないだろこの茸野郎!!」

 相手の隙をつき、サリーが持ち出した全集本でマッシュルーム・ヘアをバコンと叩いた。細い身体がドサッと椅子へ倒れこみ、あっさりと死んでいる。店長のときと全く同じだ。

 残り四人の茸図書館員に取り囲まれそうになった二人は、一旦カウンターから退いた。

「う”わっ危ねェ!」

 金属製の板切れを投げつけてくる。図書カード手裏剣だ。時夫が有栖図書館でカードを新規登録したときはプラスチック製だったのに。

「……なぜ、ここはこんな重装備なんだ? 図書館の不審者対策として、大げさすぎる」

「ここが、図書館の中枢神経だからですよ。秘密を守ろうとしているのです」

 カードは、床や棚に突き刺さっている。

「ブクトラワゴンブルグ隊、前進ッッ!」

 四人の茸共は、本が積載されたブックトラックを盾に、書架に佇んでいる二人に向って、ガラガラと音を立てて攻めてきた。その手に、全員トゲツキ・サスマタを握っている。自分たちが弱いことを自覚しているのだろう。

「やつらを一階カウンターの事務室に戻してはならないッ。ここよりも多くの茸図書館員がつめている。ここで食い止める!」

 時夫は両手に辞書を持って、立ち向かった。一人でも逃せば、援軍が来てしまう。右手の辞書をサスマタに食わせ、左手の辞書で頭を打つ。そしてブックトラックを両手で受け止めた。

「クッソオオオーーーッ!!」

 こんなに頑張れるのは、彼女のためだからだ。そしてアパートで待っている、白井雪絵のためなのだ。

 サリーが、倒れた茸人のトゲツキ・サスマタを奪った。サスマタ同士が歯と歯をぶつけ合い、時夫の頭上で火花を散らした。サスマタはリーチが長い。時夫は相手の懐へ飛び込むと、サリーから渡された大型本で、次々と茸人を打倒していった。「死体」が五つ、カウンター内外に転がった。

 それはどう考えても殺人に等しい行為で、店長のときと同様、罪を犯している自覚を覚えた。よくよく考えてみれば、勝手に書庫に入ること自体、犯罪だ。

 今更ながら、なぜここまでしなければいけないのか。美しいサリーの毒牙にかかって、そそのかされているだけではないか。そういえば、彼女は前に恋文銀座のショーウィンドウで見た四体のマネキンの最後の一人にそっくりだった。それでさっき、既視感を覚えたのだろう。でも、物腰まで含めて懐かしさを感じたのは何故なのか。これまた、新しい謎との遭遇なのかもしれない。

 いや、ここは正直にはっきりというべきだろう。すでに時夫は、真灯蛾サリーの色香に掛かってしまったのだ、と……。アパートで白井雪絵が待っているというのに!

 時夫は、「死体」を見ないようにしながら、メインコンピューターへとログインすると、立体機動集密書庫の自動制御システムを止めた。ログイン画面はすぐに判った。

 静止した書庫へと侵入し、本用エレベータに2人でしゃがみ込んで入る。ここからは、全てマニュアルで操作できるはずだ。

 ガコーン……。

「大丈夫?」

 サリーが心配げに顔を覗き込んできた。

「い……いや、平気さ……俺の部屋、狭いから。は……はは」

 時夫は脂汗がにじみ出て、全身がびっしょりと濡れた。一方、サリーはぜんぜん平気そうで、エレベータから降りると、キョロキョロしていた。

 中には、集配ロボットしかいないはずだ。

「今度はロボットとの戦いか?」

 時夫は身を硬くして、間接照明が照らす書庫を見渡した。

「いいえ、今は動かないはずです。普段は、この塔全体が巨大なロボットなんです」

 今、二人はロボットの体内にいるのだ。

「全ての棚が閉じる瞬間はない。……どこかが閉じれば必ずどこかに通路ができる。そして集配ロボットがそこを移動している。だけど、集配ロボットは壁に吸い込まれるけど、そこは人一人入れる大きさではない。たまたま通れるけど、通路は人間用には設計されていない――」

 時夫は一見して、この塔の機能が手に取るように分かった。今は手動でハンドル操作で動かせるので、立体機動集密書庫の恐ろしさを味合わなくて済んでいる。棚は重く、巨大だった。猛スピードで挟まれれば、即死するだろう。

「このコーナーは、何だ?」

 時夫の眼前に奇妙な文字が並んでいる。


「荒唐無刑文化罪」


「なになに、注意書きがあるぞ。……かつて、人類史上これほど荒唐無稽を著した著作はなく、著者はA級荒唐無稽文化罪により処罰、南極に流刑となり、本書は、世界193カ国で発禁処分となった……」

 恐ろしく危険な本達ということか。「荒唐無稽文化罪」、これが最高セキュリティエリアの名称だった。なぜかそこには、ラブクラフト全集が並んでいる。何かの冗談だろうか。この町じゃ、こんなものが「禁書」だというのか。

「あった、あったぞ!」

 文字通り金色に輝く本は、暗い書庫内の「荒唐無刑文化罪」コーナーで、夕日を浴びて実際に光り輝いていた。平安時代からの記録が記された本物の恋文全史だ。サリーは金色の本をパラパラとめくっていく。

 「火蜜恋文」は江戸時代だけが記された本ではなかった。「恋文全史」が書く戦後以前、すなわち江戸時代から終戦までを書いた本だった。

「あっ。こ、これは?」

 サリーの手が止まった。案内に記された、肝心の江戸時代のページが二十ページほど、何者かによって、すでにごっそりと破られていたのだ。いや、酷いことに戦争あたりの記事まで数十ページ切り取られていた。そのタイミングで、変な生コーラスが聞こえてきた。


「パーンパーンパパーン」

「ルールルル~……ルル……」


「な、何だ?! あの『声』は」

「ヴェルディの『アイーダ・凱旋行進曲』。ここの閉館の音楽です。普段は音楽をかけているはずですが、アカペラで歌っています」

 何を思ったのかエセ図書館員、歩き回ってスキャット声で閉館の音楽を奏でているらしい。……不気味だ。これは、閉館の音楽の代わりか。時夫達がメインコンピュータの自動システムを止めたからかもしれない。

「もうすぐ閉館時間だ。これ以上、ここにいるのは危険だと思う。茸たちは明日になれば、今日のことは忘れてしまう。今日のところは一度館を出よう」

「分かりましたわ、時夫さん。今日はありがとう。また会う日まで、ごきげんよう」

 二人は自動貸出機で、そ知らぬ顔をして本を借りようとしたが借りることができず、こっそり持ち出すと、外はすっかり夕暮れ時だった。幸い、ゲートは鳴らなかった。メインコンピュータがトラブルを起こしたためらしい。岡の上からは恋文町が一望できる。逢魔が時……。そこに、沈みゆく夕日を背負った一人の少女が立っていた。金髪を夕風になびかせて、黒マントを羽織った古城ありすだった。

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