<夜魔>抄・エピローグ




「死んだ! 死んだ! 今度こそ死んだ! あのクソ女、ザマァ見ろ!!」

 手を打ち、少女が笑い転げる。

 それを横目に暮れなずむ街を見下ろし、竜泉辰鬼りゅうせんたつきは鼻を鳴らした。

「少し黙れ、<栗鼠>ラタトスク。お前の声は耳に障る」

 ビルの屋上とて<魔人>の身体能力をもってすれば侵入は容易い。幸い他に人の姿はないものの、何らかの理由で聞きつけられないとも限らない。少女の高く響く大声は害だった。

 考えをまとめたいということもある。そのためにこんな場所へ足を運んだというのに、勝手に追って来た<栗鼠>ラタトスクに悩まされていては世話はない。

「いや、だってさ、ようやく死んでくれたんだもん。誰かと分かち合いたいじゃん」

「下らん」

 溜息一つ、辰鬼は改めて思考を巡らせる。

 <帝国>エンパイア<呑み込むもの>リヴァイアサンにより壊滅した。

 この事実は夜明けからほんの数時間で日本中の<魔人>の知るところとなり、<竪琴ライラ>と<横笛フルート>の間で日和見を決め込んでいた面々の心胆を寒からしめた。

 正確には、彼らは潜在的な反<竪琴ライラ>だ。少なくとも<竪琴ライラ>に干渉されたくないからこそ中立という立ち位置を選んでいたのである。敵対しない限り<竪琴ライラ>が手を出すことはない。

 しかし今回、<呑み込むもの>リヴァイアサンはもし敵対すればどうなるかを示した。<帝国>エンパイアの六十名という数、ただの<魔人>などほぼ存在しない高い質、ともに中小規模の<魔人>集団には望むべくもない。だというのにそれを単独で一夜にして、一人の生き残りもなく殲滅してしまった。

 こうなると日和見していることすら不安になってくる。現に<横笛フルート>寄りであったはずの者たちが次々と<竪琴ライラ>に恭順しているとの報告も上がっている。

「どうにも不利だな。<赤色狼クリムゾン>の奴がうまく利用されなければもう少しましだったはずだが……」

 声に出したのは、無視して無駄に機嫌を損ねるとまとわりつかれて面倒だからだ。

「ああ、ものの見事にやられたんだっけ」

 少女がけらけらと笑う。

 狙い済ましたような<横笛フルート>の襲撃によって<呑み込むもの>リヴァイアサンを止めることができなかった。<竪琴ライラ>神官派はそう発表している。こちらから見ればその欺瞞のために<赤色狼クリムゾン>が暴発させられたのだが、<神官>ステイシアの名声と<呑み込むもの>リヴァイアサンの悪名の大きさがその詭弁を真実のように流布してしまっている。

 そして戦果自体も悲惨なものだった。<赤色狼クリムゾン>以下八十名のうち、帰って来たのは三割に満たない。そして与えることのできた被害は皆無に近い。

 広域に対する同時進攻は、一定水準以上の力を有する<魔人>の少ない神官派に対して有効であるはずだった。計算を狂わせたのは<猟兵>イェーガーの存在だ。

 生き残りの話からすれば、<赤色狼クリムゾン>を始め、少なくとも半数が<猟兵>イェーガーにやられた、らしい。

 出鱈目な話である。強さよりも何よりも、それでは移動が速すぎる。日本海側で戦った五分後には太平洋側にいなければ成り立たない報告もあるのだ。事実ではないと判断するのが妥当かもしれない。

 その不可解を肯定し、辰鬼は自覚なく抑えきれぬ笑みを漏らしていた。

「だが、面白い」

 心が浮き立つ。<横笛フルート>にとっては敗北に等しい展開であるはずだが、その瞳は狭苦しい現在を見てはいなかった。

 これで<横笛フルート>は現在の数を減らし未来の共闘者を表面上失った。しかし対する<竪琴ライラ>は潜在的な反乱分子を内側に迎え入れざるを得なくなってしまったということでもある。人間は自分を脅かしかねない存在を廃除せずにはいられぬ生き物だ。不安を抱えた者はいつまで<竪琴ライラ>の処刑人の存在を許しておけるだろうか。

 そしてその恐怖は<横笛フルート>の統率にも使える。あのような恐ろしいものを野放しにしてよいのかと問えば、誰もが否と答えるだろう。

「しかし<猟兵>イェーガー、聞いていた話ではそこまでの強さではなかったはずだが。姿を消している間に何かあったか」

 そちらも気にはなる。<赤色狼クリムゾン>は元々魔女派領域で暴れ回っていた剛の者である。名高き殺戮人形、<お人形マリオネット>御堂沙羅の追跡からも逃れ続けた、紛うことなき実力者だ。退路を確保していなかったはずはなく、失敗することはあっても討たれるとは信じがたい。

 沈み行く夕陽が辰鬼の影を長く伸ばす。

 <栗鼠>ラタトスクは狂的な笑みを収め、その後ろ姿を毒のあるまなざしで見やった。

「さて、どうかなー。あいつ戦闘馬鹿だったし、なんか計略持ち出されたらあっさりやられそう」

 口調にも毒が多分に含まれている。もう、そのようにしか心が存在し得ないのだ。悪意こそが少女の本懐である。

 後ろ姿は冷たく鼻を鳴らした。

「……ああ、分からんのか」

 それはかつて<妖刀ムラマサ>が<夜魔リリス>へと向けた響きにも似て、無論のこと後ろ姿も少女も知るはずもない。

 ただ鋭敏に不快を覚え、<栗鼠>ラタトスクは可愛らしく頬を膨らませた。

「なんか馬鹿にされてる?」

「何もかも分かる奴なぞいない。それよりも折角お前がいるんだ、これからの予定についてだが」

「ん、ああ、まあ……<無価値ベリアル>から聞いてはいるけど」

 状況は悪い。

 <竪琴ライラ>財団派領域は大きく戦力を落としたが、騎士派からは白兵方筆頭マスタークラブ率いる八チーム四十名、剣豪派からは序列三位<大典太光世>、序列七位<数珠丸恒次>が送り込まれた。数こそ以前の財団派に及ぶべくもないが、統率された騎士派の働きと序列三・七位の強さは不足を充分に補うものだ。もう決して容易くはない。

 一方<横笛フルート>は単に数を減らしただけのみならず、最小派閥とはいえ<赤色狼クリムゾン>とその一党をほぼ失ったことによる動揺も広がっている。もしも今、<竪琴ライラ>から本格的な攻撃を仕掛けられるようなことがあれば一気に崩れてしまうだろう。居場所は掴まれていない以上、ありえぬ仮定ではあるが。

 <横笛フルート>は一つにならなければならない。五派を抑えて頂点に立つ一人が必要である。それは<奏者プレイヤー>鏡俊介では勤まらない。<横笛フルート>はもはや、彼が理想とした組織ではない。

 危機感を煽られた今だからこそ、統一は成る。相応しい力さえ示せばいい。

 その力こそがこの竜泉辰鬼、<無価値ベリアル>が見出していた、未来の覇者。

 これまではどの派閥にも属さぬままいた。真の力を隠し、引き込もうとする者を退け、取り入ろうとする者を撥ねつけ、孤高であったのだ。

 年の頃は二十歳前。中肉中背、ややぼんやりとした印象を与えすらするが、<魔人>の力量は見た目に依存しない。

 <栗鼠>ラタトスクはその覇道を補佐するように言われた。どうして自分が、と思いはしたが、話を聞いて面白そうだと気を変えた。

 竜泉辰鬼は力を担える。だが強者であるがゆえに弱者の悪を行えない。思いつくことすら難しい。

 覇王の影キングメイカー。想像するだに楽しそうで。

「協力はするよ。あたしのことはどこの派閥も自分寄りだと思ってやがるから、お膳立ては簡単」

 にやりと、堪え切れぬ笑みが漏れる。

 <栗鼠>ラタトスクは辰鬼のこともただで済ます気はない。何もかもを嘲笑ってやりたい。絶頂から突き落としてやりたい。そのためにこそ協力しようと思える。

 辰鬼は振り向かない。背後など気にする必要もないと信じ込んでいるかのように。

 不意に、伸びた影が変化した。広がったのだ、人ならぬ形へと。

 夕陽に向き合う背中に変化はない、それなのに。

 <栗鼠>ラタトスクの邪な笑みが大きくなる。

 統一は達成されるだろう。<無価値ベリアル>が企み、自分が協力し、そしてこの化物が力を振るうのなら。

 <横笛フルート>は新たな階梯に辿り着く。

 そしていつか、化物は<栗鼠ヒト>の邪智の前に屈するのだ。




 風が吹いた。

 目許にかかる髪を、鬱陶しげに首を振って払い、辰鬼は大きく息を吐いた。

 どこにも敵しかいないが、それも面白いとただ高揚した。
































 陽は落ち、空は茜から一度青に染め落とされ、夜へと沈む。

 十階建てのマンション、蔦の絡みつくアーチが通路を形作るその出口で少女は待つ。

 目を煌かせて、胸をときめかせて。

「まだかなー」

 熱い吐息で、はにかんで。

「遅いなー」





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