23 おいなりさん

 私が落ち着いた頃には、お母さんもお父さんも仕事に出掛けた物音がして大分経っていた。それでも念のため慎重に扉を開けて、家の様子を伺った。

 まあ、誰もいるはずはなく、オサキを連れて私はリビングで朝食とも昼食ともつかない食事をとることにした。

 二人共今朝から何も食べてない。油揚げ一枚も口に入れなかったから、空腹で堪らなかった。とりあえず、二人で油揚げを食べ、ひとまず腹の虫をおさめると、早速調理に取りかかった。とは言っても、物凄く簡単な料理だ。

 昆布を一片入れ、ご飯を固めに炊いた。待ち時間で、レタスとプチトマトを洗い、適当に皿へ盛りつける。

 炊きあがったご飯は、ボウルに移して合わせ酢と混ぜ合わせた。うちわで冷ます係は、オサキにお願いした。器用に二叉の尾両方でうちわをもってぱたぱたやってる。好物のためか、なかなかに真剣な表情でかわいかった。

 それを眺めつつ、冷蔵庫から取り出した市販の味付け油揚げを手で慎重に開いていく。そこへ丁寧にすし飯を詰め、皿へ並べていくと、オサキの赤い眼がきらきらと輝いていった。

 それでも、いいと言われるまで手をつけないところからして分別はあるらしい。

 おまけに、沸かしておいたお湯を注ぐだけで完成するタイプのはるさめスープを作った。三品あれば、とりあえずは充分だろう。狐の手でもどうにかなるもんだと、ちょっと得意な気分だった。

 オサキと向かい合って、手を合わせる。

「いただきます」

 声を揃え、お互い真っ先においなりさんへ手を伸ばした。

「美味しい〜〜〜」

 やっぱり狐といえば、おいなりさんと言うだけあって、本当に絶品だった。オサキは取り憑かれたように、ばくばくと頬張っている。幸せそうな様子に、つい頬が緩んだ。

「ごちそうさまでしたっ」

 品目のおかげで、食器はすぐに空になった。それらを片付け、私は改めてオサキと対峙する。

「もう、逃げ道はないんだよね」

「左様さ」

「だったら、早めに狐になりたい。家族にだって、もう隠してはおけないから」

 オサキは顔を逸らして沈黙する。クーラーの低い唸り声だけが冷え切った部屋の空気を震えさせる。

「オサキ」

「吾が主の願いを叶えるというわけにはいかないか」

「ごめん」

「吾が主が、嫌いか」

「そんなことないってば。でも無理なんだって」

 断るたび、オサキの表情が暗くなる。どうせなら、さっきみたいな楽しい顔をしてほしいのに。

「わかってるでしょ」

 まるで、私自身の痛みを想像して、無駄に苦しんでるみたい。そんなこと、しなくていいのに。

「すまぬ。愚問だった」

「いいよ。……ありがとね」

 こんなにも苦しんでくれて、こんなにも迷ってくれて。

「ほんと、ありがと」

「何を言う。汝は怒るべきだ、嘆くべきだ。吾のことを、憎むべきだ。そうだろう?」

 首を振った。

「そんなことはないって。オサキのその強さ、すごいって思ってる。本気で」

「強さ?」

「うん。オサキは強いよ。決めたことは曲げないでしょ? 信じたことは信じ切るでしょ? そんなの容易にできることじゃないよ。それに、私なんかのことまで気を回してくれるくらい、心が強い。到底抱えきれなくなりそうなものなのにさ」

「……そのような、ものではないさ」

 オサキは、ゆっくりと顔を上げた。

「ただ、応えたいのさ」

 こっちを見る赤い眼は、感動するほどまっすぐだ。

「全てのものに。……二百年前の過ちを、繰り返さぬために」

 二百年。私には知りようもない、長い年月だ。その日々を、こんなまっすぐな赤い眼で、生き抜いてきたんだろうか。

「すごいね、オサキは」

「すごい?」

「うん、ほんと、すごい」

 思わず笑った私に、オサキは不意を突かれたらしく赤い眼を真ん丸に見開いた。やがて、ククッと声を漏らながら肩を揺らす。

「汝はやはり……汝だな」

「どういう意味よ、それ」

「気にするな」

 なぜかオサキは、酷く嬉しそうに笑ったのだった。

「承知した、人間。吾も、覚悟を決めた。……今夕、出掛けるとしようぞ」

 私はその言葉に、ただ頷いた。



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