Scene 6 槍が降ろうが

 「目標まで約1000m。到着予想時間は約1分後です」

 全力疾走で時速60kmを出す計算である。滅茶苦茶な予想だと普段なら思っただろう。でも今ならできる気がした。というか、やらなければいけないと思った。

 病院の2階の高さから地面に着陸した俺は、足をひねるようにして進路を右に変える。朝とはいえ通行人は少なくない。この間を避けて進むのは難しいだろう。

 「車道を走って下さい。自動車は飛んで避けてください」

 頭の中でまた例の声が響く。なるほど、確かに車高の低く幅の広い自動車なら人間よりむしろ避けやすい。万が一ぶつかっても被害は少なくて済むだろう。俺はそれだけ考えると、すぐさま車道に飛び出し、のろのろと進む自動車を飛び越しながら突き進んだ。

 「ハローハロー、聞こえますか飛び出し坊や。こちら咲口十九朗」

 頭の中で別の声が響いた。咲口だ。確かマニュアルには、無線機能が装備されており最大98チャンネル同時傍受可能と書いてあった。聖徳太子も驚きだ。

 「なんだ?」

 「なんだではない。お前も飛び出して任務を滅茶苦茶にする気かこの野郎……と言いたいところだが、今は勘弁してやる。どうせお前と“トランスミッション”を別方向から向かわせて、僕が無線で援護する気だったし」

 「そりゃ悪かったな」

 「まあ、素人に任務のセオリー通り動くのを求めるのが最初から無理だったんだよ。ところで先輩オーヴァードからアドバイス。あんまり気合い入れすぎるとレネゲイドが暴走して化け物の仲間入りだから気をつけろ」

 「そういうことは最初に言え!」

 マニュアルに書いてあった気もしないではないが。

 そう話しているうちに、既に目標まで50mの位置にまで迫っていた。機械の足の速さに驚嘆する。地面に描かれた矢印が、近くの廃工場に延びていた。

 「待て、そのまま入るな。傍に少し高いビルがあるだろう?あれに昇って、屋上から工場の中心に飛び込むんだ」

 咲口の声が命令する。それから少し遅れて、地面の矢印もビルの方へ向き直った。視界端のウインドウには「最適なルートを再検索しました」と書かれている。

 「わかった。でもなんで?」

 「理由は2つある。1つは、周囲で戦闘が勃発しているから、直接向かうよりも上から飛び降りた方がスムーズに目標に近づけるってこと」

 咲口の話し声をバックに、俺は飛んだ。1回目のジャンプでビルの真ん中までたどり着く。丁度足元に来た室外機にマーカーが表示されたので、それを踏んでもう1度飛ぶ。屋上まで難なくたどり着いた。

 屋上から廃工場を見下ろすと、マーカーが再び、工場の屋根に表示された。あそこに飛び込めということか。顔に雨がかかる。雨足は強くなっているようだったが、体にかかる雨粒の感覚ははっきりとは感じられなかった。触覚にはまだまだ改善の余地のある体らしい。

 一度屋上の端まで下がると、そこから助走をつけて思い切り踏み切った。一瞬だけ浮遊感があって、そこから重力のままに落っこちる。

 「2つ目の理由は、ヒーローは空からやってくるものだっていうこと」

 咲口の言葉と同時に、俺の体が屋根に到達してそのまま突き破った。廃工場の中に入り、地面に着陸する。上から降ってくる屋根の破片や埃に耐えながら顔を上げると、目の前に宮原飛鳥の呆けた顔があった。

 「「ビンゴ!」」

 俺と咲口の声が揃う。直後、頭の中で警告音が鳴り響いた。後ろから聞こえた気がしたので振り返ると、どういう経緯かはさっぱりわからないが、空から氷でできた槍が降り注ごうとしている瞬間だった。警告音は、この攻撃を知らせていたのだ。

 俺は宮原にとびかかるようにして庇った。彼女の体に覆いかぶさった瞬間、冷気と衝撃が襲いかかってきた。痛みはないが、体の一部が貫かれたり、何かが突き刺さったような気味の悪い実感が沸きあがってきた。

 槍の雨が止む。俺は体を起こして、宮原の状態を確認した。制服は汚れているし、彼女の顔も涙やら埃やらでひどい有様だったが、大きな怪我はしていないようだった。さっきの攻撃からもきちんと守れたらしい。俺は胸をなでおろした。機械の体になって初めての、大きな感情的な反応。

 「牧原君……?なんで?」

 宮原が困惑した様子で口を開いた。空から自動車が降って来た時の自分も、たぶん似たような顔をしていたのだろう。

 「約束しただろ。雨が降ろうが槍が降ろうが行くって」


 「ふぅ!カッコイイ!」

 「茶化すな」

 咲口がすかさず茶々を入れてきた。今いいところだったのに。

 「身体機能の40%を損失しました」

 そして頭の中の声が冷たく事実を伝える。40%と言われても、今一つ実感がわかないが。

 「安心して牧原君。身体機能がどれほど損傷しようとも、頭部パーツが生きていればどうとでもなるわ」

 今度はテレーズの声が頭の中で響いた。発言者の意図に反して、全く安心はできなかった。

 「なに大丈夫だ。戦闘サポートシステムは生きてる。あと30秒で“トランスミッション”が到着するから、それまで持ちこたえろ」

 咲口は咲口で、こちらの気も知らず無茶ぶりをしてきた。立ち上がってあたりを見渡すと、先程氷の槍を放ったらしいオーヴァードの他に、左右から3人のチンピラ風の男たちが迫ってきていた。あまりいい状況ではない。

 「地面を強く蹴って下さい」

 頭の機械音声が指示をとばす。俺はその指示に従うことにして、地面にあるマーカーを思い切り蹴り上げた。すると足が地面をえぐり取り、コンクリや泥やらが散弾のように前方へはじけ飛んだ。一方から来ていたチンピラの1人が、その破片にハチの巣にされながら倒れていった。彼の傍に表示されたウインドウが非情にも「生命反応停止」を告げた。

 「右腕を左に突き出してください」

 「え?」

 今度は俺の意識がきちんと反応する前に、体が動いていた。言われた通りに突き出された腕からブレードが飛び出し、反対から迫っていたチンピラの腹部に突き刺さった。こちらにも「生命反応停止」のウインドウが出る。

 「ひ、ひぃぃ!」

 仲間が次々と殺されていくさまを目の当たりにしたもう1人のチンピラは、無様にも尻もちをつき、地面を這うように逃げていった。彼には「戦意喪失」のウインドウが出た。

 「最後の1人……」

 俺はそいつを無視して、目の前にいる氷のオーヴァードに対峙した。彼の傍には「氏名不詳 “アイスバーン” FHエージェント 要注意人物」と書かれたウインドウが出ている。

 「気をつけろよ牧原。そいつは過去2年間にUGNのエージェントを15人殺してる」

 「それは今聞きたくなかった!」

 咲口の不要な忠告が胸に突き刺さった。こいつは無自覚のうちに余計なことを言ってしまう性格なのだろうと、ようやく実感をもってわかってきた。

 「でも大丈夫だ!」

 「なんで?」

 「30秒経った」

 咲口の発言が終わると同時に、工場の壁を突き破って一台のバイクが侵入してきた。雨風になびく茶色のポニーテール。“トランスミッション”だ。

 「乗れぇぇ!牧原ぁぁ!」

 「いや、宮原だけ乗せろ!お前はそこに残れ!」

 彼女の叫び声が工場にこだまする。しかし咲口はそれを否定し、新しい指示を出す。それから一瞬遅れて、頭の中の機械が咲口と同じ指示を出す。彼の思考速度が、機械の1歩先を行っている。

 「ここで“アイスバーン”と決着をつける。合図したら電源入れろ」

 俺は彼の指示通り、呆然と座り込んでいる宮原の首根っこを掴んで、“トランスミッション”に投げ渡す。彼女は突入時の時速を保ったまま、器用に片手でそれを受け取ると、膝に抱え込んで走り抜けていく。

 「待てクソガキ!」

 文字通り嵐のように登場し、そのまま去っていこうとする“トランスミッション”に遅れること1秒。“アイスバーン”が反応し、追いかけようと歩を進めた。1歩2歩3歩……。

 「今だ」

 咲口の短い合図とともに、電源を―ブレードに接続されているスタンボルトの電源を―入れる。そして電流の流れるブレードを足元の水たまりに漬けた。今朝からの強い雨、廃工場の雨漏りとさっき盛大にぶち抜いた天井の穴のせいで、床は水浸しになっていた。そして、今まさに、その水たまりの中に“アイスバーン”が足を踏み入れた所だった。

 一瞬の爆音と白い光が工場内を包んだ。すぐにそれらは止む、代わりに周囲は煙で立ち込めてた。その煙も止むと、工場の中心に黒焦げになって突っ立っている人間の姿が見えた。もう見慣れてしまった「生命反応停止」のウインドウと共に。

 「ざまぁないな」

 無線の向こうで咲口が呟いた。

 「“ヘイトフル”の仇だ」

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