8.幻影

 粗末な小屋にたむろしていたならず者たちは、あっという間にのされてしまった。人の来ない廃村に、ただ怒号と戦いの音だけが、むなしく響き渡る。

 自暴自棄になったのか、刃物を抜き放った男が、雄叫びをあげながら飛びかかってきた。レビはそちらを一瞥すると、器用に棒を跳ねあげて、相手の刃物を弾き飛ばす。たまたまそばにいたラリーが、刃物をつかんで自分の得物にしてしまった。その間にレビは体をひねり、棒を後ろへ突きこんだ。鳩尾を激しく打ちすえられた男は、空気のかたまりを吐きだして、その場にくずおれる。

 とたん、あたりが静まりかえった。

「さてと。そんじゃー、こいつら縛り上げるとしますかね」

 ラリーが、自分が眉間を突いて気絶させた男の頭を軽く小突く。それからレビを振り返り、「首領ボス、呼んできてくれるか?」と言った。レビはうなずき、実をひるがえしたが――彼が小屋を出る前に、そこに人が立ちふさがった。

「おう。そっちも片付いたか」

 にやりと笑ったのは、なぜか一人の男を引きずっている『烈火』のジエッタである。引きずられている男は意識があるらしく、何事かをわめいているが、ジエッタはそれをきれいに無視してしまっていた。ラリーがそれを見て、あきれたふうに目を細めた。

「あー、首領ボス。ひょっとしてお得意の、聞きとりの最中っすか」

「ん、まあね。最中というか、だいたい終わった感じかな。こいつらはただの実行犯、知ってることは多くなさそうだ」

 うへえ、とラリーが顔をしかめる。そこへ、身を隠して攻撃にあたっていたトランスが、弓をかついでやってきた。三人が揃ったところを見ると、ジエッタは、暗い微笑を刻んで、猛禽もうきん類のように、目を光らせた。

「ただ、おもしろいことを口走っていたね。なんでも、海の運び屋と陸の運び屋を結びつけたのは、一人の変人らしい」

 こいついわくね、と続いたジエッタの言葉に、三人は目をみはった。



     ※

     

     

 容赦なく突きだされた剣をディランが難なくかわしたとき、熱風が吹きつけた。竜の感覚を備えている彼は、それが、イグニシオの翼が起こしたものだと気づいた。刃どうしがぶつかったとき、空の上で轟音と、断末魔のような声が響く。

『なんとかなったか』

《魂喰らい》の剣を上へそらしながら、ディランはぽつりと呟いた。吐息まじりの呟きは、そばで立ちまわるヴィダルにすら届いていない。

 正直、イグニシオが来たときは安堵もしたが心配もした。主竜であり、強固な意志を持っているとはいえ、かなり改良されたタミルの香に打ち勝つことができるのか、という不安があったのだ。彼が知ったならば、まさしく烈火のごとく怒りそうだが。

 離れた場所から、遠雷に似た音が届く。震える地面に翻弄され、たたらを踏んだヴィダルが、眉をひそめた。

「どういうことだ? いくら、大きな竜とはいえ……」

 彼の口からこぼれた呟きに、ディランも思わず手を止めた。一度剣をひいたヴィダルが、東北の方へと視線を巡らせ、息をのむ。どういうことだ、と、彼が再び呟いたとき。

 ヴィダルの見ていた方から、突然、人影が躍り出た。ぎょっとしている薬師をよそに、ディランはすばやく飛びのく。すると、闖入者ちんにゅうしゃの手から長槍の突きがひらめき、《魂喰らい》の剣をからめとる。

「なっ――」

 彼が愕然としている間に、剣は軽く宙を舞った。跳ね上げられた槍が剣の軌道を操る。くるくる回りながら飛んだ剣は、槍の使い手の背後にいた、別の人物の手へと吸い込まれていった。槍は一度、持ち主の手に吸いつくように引かれたあと、一拍を置いて再び突きだされる。鋭利な穂先が、武器を失った男の喉をとらえて光った。

 一部始終を見届けたディランは、ため息をついて剣を収める。そこへ、炎竜をなだめていたはずのゼフィアーが、とことこと駆けてきた。

「あ、あれ? マリエット?」

 ディランにすがりつこうとしていた彼女は、突然現れた仲間を見て、声を上げる。「彼女」はふっとほほ笑むと、青銀色の髪をかき上げた。

「報告のために来てみたら、大変なことになっていたから、加勢させてもらったわ」

「ひょっとして……チトセとイグニシオも?」

「ええ。こちらへ向かっている途中に、妙にいらだった様子の彼に出会ったものだから」

 マリエットの言葉を聞き、ディランは苦笑する。その「いらだち」を真っ先に向けられるのは、いつも、友であり議論相手であるディルネオなのだ。今日もこのあと、覚悟をしなければならないと、彼は気持ちを固める。

 ディランの胸中を察したのか、そうでないのか、マリエットはほほ笑んだ。楽しげだった緑の瞳は――けれど、顔面蒼白の薬師を見つめると、冷たく細められる。

「ああ、そうそう、ヴィダルさん。あなたがしかけていたものだけれど……丁重に、回収させていただいたわ」

 ヴィダルの肩がぴくりと動く。マリエットの背後にいた人々は、苦い顔をした。半数は『暁の傭兵団』の傭兵たち、あとの半数は、ヴィダルの属していた薬師の集団である。いずれも首巻きに似たものをつけている。布は、本来、顔半分を覆えるほどの大きさであるのか、喉のあたりでたまってゆるやかなしわを作りだしていた。

「どんだけ上手な調合したら、こんな薬ができるんだ、って思ったよ」

 誰かが力なく呟く。ディランも、ゼフィアーも、マリエットも、返す言葉を持っていなかった。一方ヴィダルは、目を閉じ、黙ってほほ笑むと、ゆっくり両手を上げる。降参のしぐさを目にしたマリエットは、ただ槍をひいた。彼女が穂先に鞘をかぶせると同時、ヴィダルは草の上に座りこむ。

 ばさり、と重い翼の音がした。見上げれば、紅の巨竜がそこにいる。ディランがやっと相好を崩すと、竜は湖のそばへ着地した。

 

『あの馬鹿は一度、影竜に引き渡してきた』

 イグニシオは、地面に降りたって肩を回す少女を見ながら、低い声でそう言った。かたわらで聞いていたディランは、軽く目をみはる。

『影竜がいたのか? あの場に?』

『どうも、墜落する貴様を見つけて飛んできたらしい。まずそうだったら助けるつもりでいたが、必要がなかったと言っておったぞ』

『そうか……。あとで礼を言っておかねばな』

 ディランは腕を組み、ひとりごつ。普段、ほとんど揉め事に介入しない影の竜の行動は、かなり意外だった。彼がしみじみしていると、炎竜は紅玉の瞳を細める。そして、いきなり顎を突きだすと、ディランを思いっきり打った。彼が、のけぞって転ぶと、その上に前足を乗せる。ほどよく力がこもっており、痛めつける気なのがひしひしと伝わってくる。水竜は、さすがに青ざめた。傭兵と薬師も青ざめた。ただ、竜語と竜の性質を知っている三人だけは、あーあ、と言いたげな顔をする。

『いっ――痛い痛い!』

『貴様はここのところ、無茶を繰り返しているようなのでな。そろそろ仕置きが必要と判断した』

『言いながら爪を食いこませるのはやめろ!』

『案ずるな。どうせもとは鱗だろう。貴様の鱗は、俺の爪とて簡単には貫けん』

『そういう問題ではない!』

 ディランはじたばたと暴れたが、イグニシオの巨体はびくともしなかった。うろたえる傭兵や薬師の横で、仲間たちが戸惑いながらも傍観している。それはしかたがないとは思うが、チトセの「ガキっぽい」という冷たいささやきには、さすがのディランも傷ついた。

 その後、しばらく、地獄の底から響くような低い声での説教を受けたディランは、背中がしびれてきた頃にようやく解放された。

「すごく疲れた」とうなだれるディランへ、チトセがとげとげしい視線を注ぐ。

「ちょうどよかったじゃない。三日か七日か知らないけど、しばらく大人しくしてなさい」

 じゃないと寿命が縮むんでしょ、と続いた言葉に、彼はうなずくことしかできなかった。

 今までの現実離れしたやり取りが、一種のじゃれあいだと、ようやく人々が気づいたらしい。生温かい笑声が響き、冷えきっていた空気が、少しだけ緩んだものに変わる。

 そのただ中で、ヴィダルも、穏やかな笑みを浮かべていた。何気なく、ラケス湖の方を見た彼は――そこではっと目を見開く。

 異変に、最初に気づいたのは、ゼフィアーだった。彼女は空気が動いたことに気づいたようで、視線をその方向へ巡らせた。そして、幽鬼のようにふらりと立ち上がって歩くヴィダルを見つけると、はっと息をのむ。男が湖へぐんぐん近づき、歩調を緩めないとわかると、慌てて駆けだした。

「待つのだ、ヴィダル殿! そのままいくと落ちてしまう!」

 彼女の声に叩かれて、ほかの人と竜もヴィダルとゼフィアーの方を見た。ディランはまっさきに、飛び跳ねるように立ち上がり、二人を追いかけた。ゼフィアーよりわずかに早く、ディランが追いついて、男の腕を軽くひねる。けれど、ヴィダルは思いがけず激しく暴れ出した。離せ、と、獰猛な叫びがあたりに響く。

「落ちついてください! いったい何が――」

「ソニアが……彼女が行ってしまう!」

 引きつった叫びに、ディランはぎょっとした。とっさに若い薬師の顔をのぞきこみ、目がひどくぎらついていることを知る。追いついてきたゼフィアーが、険しい顔をした。

「タミル香の中毒症状か」

「これが!? どうすればいいんだ」

 ディランが、ぎりぎりヴィダルを押さえつけながら問うと、ゼフィアーは苦々しげに呟いた。

「いったん大人しくさせて、私たちがもらってきた薬を与えれば、症状は一時的におさまる。けども」

「これを大人しくさせるのは、骨が折れる」

 翳を帯びたつたえの瞳が、もがく若者を見つめた。ディランも今はなんとかヴィダルを止めていられるが、そう長くはもたないことに気づいていた。あまり無理をすると、彼がさらに激しく暴れる可能性もあるのだ。

 どうするか、と思っていたとき、ふっとあたりが翳った。薄暗くなったが、太陽の光は変わらず降り注いでいる。ディランたちに加勢しようとやってきた人々が、訝しげに空を見上げた。その間にも、ディランたち三人のまわりの影が濃さを増す。黒い布のような暗影は、薬師の男をふわりとなでると、まわりの暗がりを引き連れてどこかへ去っていった。

 一瞬で、世界に明かりが戻る。同時に、ヴィダルは突然力を失い、崩れ落ちた。ディランはその体を受けとめると、強引に湖から引き離す。

 誰もがほっと、息をついた。風が草葉を揺らす音。そこにわずかな変化を見いだしたディランは、穏やかな視線を虚空に投げた。

『ありがとう。助かった』

 竜語を飛ばせば、目の前の空気がゆらりと動き、生まれた薄墨色の影が、ぼやけた竜の輪郭を形作る。

『影とは、魂。闇とは、安息。この程度の干渉は、造作もないことだ』

 突然聞こえた声に、人々が飛びのいた。水竜と炎竜だけは、冷静に、揺らぐ竜を見つめている。

『まさか、一生眠ったままというわけではあるまいな。イルシウム』

 イグニシオがとがった声で呼びかけると、珍しいことに、影の竜はさざめきのような笑いをもらした。

一日いちじつほどで目ざめるようにしてある。あまり深く干渉すると、我らの掟に触れるゆえ』

『……ならいい』と鼻を鳴らしたイグニシオに苦笑しつつ、ディランは『世話をかけたな』と、声を投げた。

『申したであろう。この程度のことは造作もない』

『それでも、貴様らが俗世に関わることはめったにないだろう。どういう風の吹きまわしだ』

 イグニシオが鼻息を荒くしても、影竜は動じない。これまた珍しく、ほんのりと温かみのある声で、言う。その気配は、おもにディランを包んでいた。

『気まぐれだ。たまには人助け、竜助けも悪くなかろうと思った。――水のあるじを見ていてな』


 笑い含みの声を最後に、竜の影は揺らいで、消える。それきり不可思議な音が届くこともなくなった。人と竜は、互いをなんともいえない表情で見つめてから、それぞれディランの腕の中に視線を落とす。ヴィダルは、本当に、ただ眠っているだけのようだった。ときどき、顔をしかめて、何事かを呟いている。そのひと欠片を、水竜の耳がたまたま拾い上げた。

 ソニア、と。彼がつむいだのは、想い人の名であった。

 ディランはそっと、目を伏せる。


 彼が何を見て、湖へ向かおうとしたのかは、知りようがない。けれど、想像はついた。

 二度と戻らない命を求めた彼が、幻影に出会えたことが、幸福であったのか、どうなのか――「異性を愛する」という経験がないディランには、わからない。ただ、そのときは、やりきれない思いを抱えて、かぶりを振った。

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