青の灯火

 西大陸屈指の港湾都市、カルトノーアは、今日も変わらぬざわめきに包まれている。長い冬を越したからか、北大陸からの交易船も訪れるようになったらしく、いつも以上に慌ただしく水夫や商人が通りを駆け抜けていった。

 色とりどりの屋根をもつ屋台が並ぶ、商店街。呼びこみの声と、港町ならではの魚料理の独特のにおいが漂う中で、悠然と歩いていたマリエットは、誰かに呼ばれた気がして足を止めた。振り返り、あたりを見回してみるものの、知らない人たちが波のように流れてゆくばかりで、声の主は見当たらない。彼女は首をひねり、しかたなく歩き出そうとした。

「気のせいかしら」

「――気のせいじゃないわよ」

 ふてくされたような声は前から聞こえる。まばたきしたマリエットが正面、正確には自分の胸のあたりを見おろすと、予想どおりふてぶてしい顔をした少女が、白い小鳥を従えて立っていた。手槍は持っているが、腰に刀はない。《魂喰らい》だった刀は、あの儀式の日、ぼろぼろになってしまったのだという。

「あら、チトセ」

 見知った少女の名を、マリエットは噛みしめるように呼んだ。すると、チトセがぎろりとにらみつけてくる。

「呼んでも呼んでも気づかないって、なんかの当てつけ? っていうか、また背伸びた?」

「ごめんなさい。悪気があったわけではないわ。あと、私の身長はもう伸びないわよ。五年くらい前に成長が止まったもの」

 さらり、とマリエットが答えると、チトセはうなって眉を寄せる。「どうだか」と、見上げてとげとげしく言ってきた。マリエットとしては本当のことしか言っていないのだが。本当に疑っているのか、気に食わなくて疑っているふりをしているのかはわからない。ただ、唇をとがらせるチトセの様子はかわいらしいので、悪い気はしなかった。

 二人は並んで商店街を歩きだす。途中、呼びこみなのか何人かの愛想のいい男に話しかけられたが、適当にかわした。

「今日は、連絡役として来てくれたのかしら」

 マリエットがさりげなく問うと、チトセはうなずいた。

「うん。首領からの情報と近況もってきた」

「あら、ありがとう。それにしても、今私たちがここにいるって、よくわかったわね」

「ルルリエが教えてくれたの」

 チトセは短く言って、かたわらを飛んでいる鳥を一瞥する。小鳥はそこではじめて、言葉を発した。

『たまたま会っただけなんだけどね。私もみんなに会いたかったしちょうどいいかなって』

「そう。そういえば、ゼフィーも会いたがっていたわよ」

『ふふん、やっぱり?』

 ルルリエはなぜか、得意気に胸をそらした。「変な鳥……」とチトセがぼやき、マリエットはくすくす笑う。人混みを縫って歩きながら、二人は話を続けた。

「……それで。竜狩人の残党の取り締まりについては、なんて?」

「聞いたところによると、それなりに進んではいるらしいけど……順調、とはいえない感じかな。あんまり厳しくやりすぎると反発感情あおっちゃうし、そうなるとあたしらも大変になっちゃうだろうからって、気をつかってる部分もあるみたい」

「あらまあ。『破邪の神槍』の首領が私たちに気遣いだなんて」

「いや。ディランに借りつくるのを避けたいだけじゃない? ああいうときはディルネオって言った方がいいのかな。一回だけ二人が話してるの見たけど、恐ろしかったわ。あいつ、にこにこ笑いながら首領に理詰めの意見と議論ふっかけてんのよ」

 首領も楽しそうだったなあ、というチトセの顔は、まるで頭痛か腹痛をこらえているかのようだった。二人の姿をうっかり想像してしまい、マリエットとルルリエが同時に笑う。まったく違う信条のもとで動く彼らだが、意外と馬が合うのかもしれない。くわえて、「彼」にはだんだんと、竜の気質が戻ってきつつあるようだ。マリエットとしては興味深い話だった。


 商店街を抜けた彼女らは、やがて一軒の宿屋にたどり着く。《魂還しの儀式》をしよう、と言って各地を駆けずり回っていた頃に、訪れたことのある宿屋だ。マリエットは、自分たちが泊まっている部屋へチトセとルルリエを案内する。

「戻ったわ。チトセとルルリエが来てくれたわよ」

 部屋の中に声を投げると、寝台に腰かけているトランスが、「おう、おかえり」と言って手を振った。さらに、彼の足もとで荷物をあさっているレビも、笑顔で彼女らを出迎えてくれる。マリエットに続いて部屋をのぞき見たチトセが、ぎょっと目をむいた。

「……レビ、あんた、今から里帰りでもすんの?」

 チトセがそう言うのも無理はないだろう。レビのあさっていた荷物はやけに大きなもので、彼自身も旅装束だったのだから。けれど、レビは首をかたむけて「ううん」と言った。

「ぼく、昨日まで『希望の風』に行っていろいろ勉強してたんだよ。ちょうどみんながカルトノーアに来たっていうから、合流したんだ」

「なんだ、行くんじゃなくて戻ってきたんだ。でも、『希望の風』って、商人にでもなる気?」

 レビは、笑って首を振る。

「みんなの手伝いするつもりだから、ならないよ。けど、いろいろ勉強しておいたら、役に立つかもしれないでしょ」

「お金のことでだまされなくて済みそうだし」

 生真面目な少年をからかうように、トランスが笑う。ふうん、と呟いたチトセは、ルルリエを連れて部屋へ入ってきた。せわしなく羽ばたいた小鳥は、二人に挨拶をしたあと、竜の面影を残す目をまたたく。

『あら? ディランとゼフィーは?』

 チトセがはっと目を見開いた。言われてはじめて、二人の不在に気づいたようだ。マリエットが振り返り、少女と竜に教えてあげることにした。

「二人なら、十日前から、大陸の東の端まで行ってるわ。どうも、その丘陵地帯に竜の隠れ里がある、って報告が国からあがったらしくてね」

「十日前!?」

「でも、昨日ディルの眷族から話がついたらしいって連絡があったから、今日中には戻ってくると思うぜ」

 トランスはそう言うと、短剣を手もとで弄んでから磨きはじめる。マリエットはマリエットで、レビの荷解きを手伝うことにした。「本当に今日中に帰ってくんの?」という疑わしげな声が、背後から降ってくる。彼女は、にこりと笑って答えた。

「大丈夫よ。彼らには翼があるもの」



     ※

     

     

「少し休まないか?」

 隣の少女が疲れきった声で提案してきたので、ディランはすなおにうなずいた。丘の上を歩いている今、ちょうど見晴らしのいい場所がある。二人はいったんそこへ行き、遠くが見渡せる草の上に腰かけた。

 西大陸東端の丘陵地帯。ディランたちが今いる場所だ。竜の隠れ里の情報を得て、彼らと話しあいをすること十日。排他的な竜たちをどうにか説得し、まとめ役の竜だけでも人間たちとの話しあいの場にひっぱりだせることとなった。

「ああ……でもなんか、頭かたそうな奴だったようなあ。うまく、話しあいができるといいけど」

「みんなにも相談してみような。話しあいが成り立たないと、カロクやチトセあたりに怒られそうだし」

 笑いながら言うゼフィアーに、ディランはゆっくりうなずいた。ゼフィアーは両足をぱたぱたと動かしながら、広がる景色をじっと見る。そして、感嘆の声をもらした。

「……きれいだなー」

 染みいるような呟きに、ディランは言葉にならない相槌を返した。

 晴れわたり、透き通る空の下。緑の木々がうっそうと茂っている。森林ははるか遠くまで続き、その果てには、青く霞んだ山脈の影が見えた。そのすべてに、みずみずしい活力が宿っているのを感じる。きっと、冬を越えたおかげ、だけではないだろう。

「こういう景色を見るとな、頑張ってよかったなあって、思うぞ」

「うん。俺もだ」

 ディランが微笑むと、ゼフィアーはあっと目を見開いた。

「そういえば、前にレビが、みんなと一緒にリフィエ村に行きたいと言っていたぞ。また日程を決めてあげねば」

「おっと、あいつもいよいよ里帰りか。今なら、村の子の悪口くらいは笑顔であしらいそうだよな」

 冗談めかしてそう言ったディランに顔を向け、ゼフィアーはふっと吹き出す。それからまた、彼女は景色に目を戻した。

「里帰りか。私もそろそろ、故郷に顔を出しておかねばならんかな」

「そのときは、連れていってくれよ?」

「わかっている。約束だものな」

「楽しみにしてる」

 そんなやり取りをした二人は、しばらく無言で丘からのながめを目に焼きつける。だが、あるときふと、ひとつのことを思い立ったディランは、手縫いの鞄に手を入れた。今使っているのは、儀式後、マリエットがわざわざ作ってくれたものだ。鞄の奥であるものをつかんで、手を引き出したディランは、そっと、少女の横顔を見た。

「ゼフィー」

 呼ぶと、ゼフィアーは「む?」と言って顔をディランへ向けた。彼は少し、目を伏せる。

「俺――自分の魂が危ないかもって気づいてから、ずっと、おまえに渡そうか迷ってたものがあってな」

「むむぅ……? なんだ、それは」

 ディランは、首をかしげるゼフィアーに向けて、にぎっている手をさし出した。そして、指をゆっくりと開いていく。彼の手をのぞきこんできた少女が、ゆっくりと目を見開いた。これは、と吐息のような声がもれる。

 ディランの手のなかにあったのは、ちょうど彼のてのひらくらいの大きさの、青いものだった。花びらに似た形のそれは、淡く光っている。さすがに『伝の一族』の末裔たる少女は、すぐその正体に気づいたようだった。

「これはもしかして、竜の鱗か?」

「あたり。俺の鱗」

「――え」

 ゼフィアーの表情がこわばった。

「ま、まさかお主、自分で自分の鱗をはぎとっ……」

「気にしなくていいよ。すぐ生えるもんだし。もう生えたし」

 ディランは軽く言ったのだが、ゼフィアーは硬直したままだった。爪で手ごろなのをかりっとはいだだけなのにおおげさな、とディランは肩をすくめる。そう思う時点で、人の感覚とは少しずれがあるのだとか、そういった考えにはいたらなかった。

 しかたなくゼフィアーの動揺がおさまるのを待って、ディランは口を開いた。

「この鱗、なんで光ってるかわかるか?」

「いや、知らないけども」

「……竜の鱗っていうのは、体を離れたあとも、もとの持ち主の生命と連動するんだ。で、体を離れた鱗は、生命とのつながりを示すため、光るようにできているらしい。その竜が生きている限り、鱗は光り続けるし、光っている間は絶対に劣化しない」

 はじめて聞いた話だったようで、ゼフィアーは興味深げに身を乗り出す。ディランは淡々と続けた。

「竜が死んで、光が消えたあとも、大切に扱えば百年くらいはもつんだ」

 つたえの少女は楽しそうに聞いていたのだが、ふいに、その顔から表情が抜け落ちた。

「まさか、ディラン……自分が死んだあとのことを、考えていたのか……?」

「ああ、正直、最初は。でもそんなことを言うと絶対火を噴くように怒るだろうなと思って、結局、渡すのはやめたんだ」

 ディランがそう言うと、ゼフィアーはたちまち目をつり上げて「あたりまえだ!」と噛みついてくる。勢いに気圧されながらも、彼は慌てて顔の前で手を振った。落ちつけ、と言って、ゼフィアーの頭を強引に押し戻す。気持ちをしずめて、鱗をまんじりと見つめたあと、改めてゼフィアーに向き直った。

「で、そのときは渡すのをやめたんだけど。いろいろ、考えてさ。やっぱり、もらってほしいかなって、思うんだ」

「なぜだ」

 ゼフィアーの瞳がかげる。当然だろうと思いながら、ディランは慎重に、続けた。

「言っただろ。この鱗は生命と連動している。俺の命が危なくなったときは鱗の光が極端に弱くなるか強くなる。だから、何かあったときに気づいてもらえるといいなって思って」

 ゼフィアーは虚を突かれたように目を丸くした。それから、しかつめらしく首を振る。ひとまずは納得してくれていると判断して、ディランは「それに」と言った。

「俺が、安心するから。これがゼフィーの手もとにあった方が、なんというか、落ちつく気がして。

それとな。今後、俺がおまえたちを置いていってしまうことになるかもしれない。けど、魂だけになって、自然に溶けてしまっても……鱗を持っていてくれたら、ゼフィーのことを見つけられるんじゃないかなって思った」

 必死になって探しだした言葉は、口に出してみれば、いとも簡単に風の中へ溶けてゆく。とても悲しいような、かえって安心するような、変な気持ちになった。

 ちょっと子どもっぽかったか、とディランは笑う。けれどゼフィアーは首を横に振った。

「なるほど。私にとってのしるべであり、お主にとっては目印か。確かにそれは、私が持っていた方がいいかもな」

 そう言うと、少女は小さな手をディランのてのひらに重ねると、青い鱗を包みこむようにつかんだ。自分の目の前で両手を開き、慈しむように竜鱗を見つめる。

「もらっておく」

 ゼフィアーは、ふんわりと笑った。ディランもつられて、笑みを浮かべる。

「ありがとう」

「いや、こちらこそありがとう。文字どおりディランの一部だからな、大切にする」

「うん」

 大切にする、と言ってくれた彼女は、なぜかとても嬉しそうだ。なんとなくほっとしたディランは、重い空気を切りかえるべく、声を張り上げた。

「さて、そろそろ戻るか。みんな待ってる」

「だな。――あ、そうだ」

 ゼフィアーが、ディランを見上げる。彼が黙って続きをうながすと、彼女は無邪気に顔を近づけた。

「たまには、ディランと空を飛びたいのだ」

 彼女が言わんとしていることを察し、ディランは両手をあげる。

「わかったよ。じゃ、離れて支度してろ」

「了解した!」

 言うなり、ゼフィアーは少し距離をとったところで、荷物をまとめはじめる。

 そしてディランはというと、彼女を横目に見ながら、ゆっくりと変化へんげを解いていった。少年の体の内側から青い光がにじみ出て、間もなくその中から竜の巨体が現れる。変化が解けると同時に舞い上がった水竜は、そのあと、慎重に着地して翼を広げた。今のところ、体に問題はなさそうだ。

「でも、落ちつかないな。魂をさらしているからかも」

「安心するのだ。お主を狙う不逞の輩がいたならば、私が追い払ってくれよう」

「それは頼もしい」

 軽いやり取りをしたあと、ディランは頭を持ち上げる。荷づくりを待つ間、広がる空と、森と、そびえ立つ山々をじっと見つめた。

 きれいだとゼフィアーは言った。本当にそう思う。

 今度こそ、この景色を守っていかなければと思う。きっとそれは、竜としての、当然の使命感なのだろう。けれどそれ以上に、この世界や、そこに生きる者たちを美しいと思ってしまう、ディルネオ自身の正直な気持ちが、そう思わせているのだ、きっと。


――命の尽きる日がいつ来るかはわからない。

 だからこそ、生きているうちに、この世界に少しでも何かを残せたらと思う。

 かすかでもいい。ほんの、ひとひらでもいい。

 たとえ、彼の肉体が滅びても。竜鱗の輝きが消えてしまっても。

 永遠に消えることのないをともせたらと、願っている。


「だからこそ、今はみんなと生きていたいんだ」

 呟きは、明確な音を持たない。それでもきっと、世界の中に溶けていった同胞たちには届いているだろう。

 ゼフィアーが名前を呼んで、背中に飛びのってくるのに気づいた。ディランはわずかに首を回し、荷物を全部持った彼女の姿を確かめる。

「よし。準備万端、だな」

「無論。ぬかりないぞ」

 得意気に言うゼフィアーの様子がおかしくて、ディランは思わず喉を鳴らした。それから、前を向く。ぴん、と翼を張って、足をたわめた。

「じゃあ、行くぞ。しっかりつかまってろよ」

「うむ!」

 ゼフィアーは返事とともに、竜の首に手を回す。我知らずそのことに安心したディランは、翼をゆっくり動かした。強靭な脚が草を蹴ると、巨体は軽やかに舞いあがる。

 青き竜は、たった一人の友を乗せ、果てのない空を見すえて飛びたった。



(完)

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