39.未来への祈り

 少女の声が、また強く、響いている。詠唱が本格的に始まる前に、ディルネオは竜たちのもとへ飛んだ。気づいた竜の多くはざわめくが、地上でいう円の内側にいる竜たちは、おもしろがるような目を向ける。

『ほんと勇気があるな、おまえ。水竜どうぞくに守られた状態でも、なかなかできることじゃないぜ』

 そう言ったのは、西にいる青い竜。名を、リヴィエロといった。彼の言葉に、ディルネオはわざと低く喉を鳴らす。

『よく言う。おまえたち全員、最初から、私を焚きつけるつもりだったのだろう』

『まあ、そうだけどさ』

変化へんげを解くにはきっかけが必要と判断しただけだ』

 笑うのはリヴィエロで、ふてくされたように付け足したのはイグニシオだ。まあ、一理ある、と笑ってディルネオは配置についた。すぐさま力の展開を始める。

 すると、儀式場が、変わった。

 陣の光はさらに強くなった。そして、マリクが持ってきた袋や、チトセの刀が不自然に震えだしたのだ。

『ああ――魂が、出たいってもがいてるんだ。あとは、つたえの人たちが、うまく道を作ってくれるといいんだけど』

 光竜が静かに言う。ディルネオは地上に、陣の中心に立つ少女に視線を落とした。大きな声で詠唱していた彼女は、《神官》たちの番がくると、膝をついた。いよいよ、儀式は最終段階に入ったらしい。

「ゼフィー……」

 名前を呼ぶ声は、知らないうちにこぼれていた。



     ※

     

     

 ディランがディルネオとなった瞬間、儀式場の空気が変わった。これまでとどめられていた何かが、器からあふれ出してしまいそうな、感覚。息をのんだゼフィアーは、《神官》の詠唱が始まると同時に、陣に手をついた。やり方は手順書を見てさんざん練習した。実際に、うまくいくかはわからない。それでもやるしかない。

 彼女は、陣に

 陣を構成している円環、文字、記号――そのすべてが意味と力をもつ。だから、これらひとつひとつに働きかける。世界中に飛び散ってしまった竜の魂が、うまく自然に溶けこむために。だが、すぐにゼフィアーは顔をしかめた。ものすごい量の情報が、雑音となって頭に流れこんでくる。ひどい頭痛がしてきた。嫌でもうめき声がもれる。それでも、詠唱は始めた。どうしても、声が弱くなる。

 もう少しで先へ進めそうだと感じた。けれど、その「もう少し」を越えられない。

――頼む。

 祈りながら、陣の細部まで語りかける。しかし、まだ、何かがつかえているような、違和感があった。

『まずいぞ。これ以上時間をかけたら、陣が壊れる』

 どこからか竜語が聞こえる。流れこんでくる雑音が、不安定に揺れる。ゼフィアーは、歯を食いしばった。陣の奥へ意識を集中させようとしても、うまくいかない。

「……だめ、なのか……?」

 斉唱の声が聞こえるなか、ゼフィアーは涙声で呟いた。もうすぐみんなの詠唱が終わるというのに、喉が詰まって、次のことばが出てこない。

 ここまで、来たのに。

 うずくまりそうになる。冷たい絶望が、少女のまわりを覆う。

 

『何してる、ゼフィー! 儀式はまだ終わってないぞ!』


 暗闇をとりはらったのは叱声だった。

 肉声ではなかった気がする。けれど、確かに聞こえた声に、ゼフィアーは顔を上げた。

「ディ……ラ、ン?」

 呆然と、名前を呼んだ。こちらの声が届いているのかいないのか、なじみ深い声は勝手に響く。それを聞くと、不思議と安心できる自分がいることに、ゼフィアーは気づいた。

『おまえがあきらめてどうするんだよ! 思考を止めるな、祈りを絶やすな! 力が弱くたって、おまえは伝の一族だ!』

「け、けども……」

『俺が保証する』

 その言葉に息をのむ。薄闇の中で少年が、ふっと微笑んだ気がした。

『それに、ほら』

 ふわふわとした声を打ち破るように、光の向こうから、叫び声が聞こえてきた。

「ゼフィー! 詠唱、続けてくださいっ!」

「何やってんだ馬鹿! あいつが体張ったの、無駄にすんな!」

 悲鳴のようなレビの声。続けて、チトセの怒声が飛ぶ。

「頼むぜ。俺らにとっちゃ、ゼフィーだけが頼りなんだ」

 トランスの言葉は、いつもどおり真剣なのかおどけているのかわからない。けれど、真摯な思いがひそんでいる気はした。

「大丈夫。魂も頑張っているから、もう少しのはずよ」

 マリエットのささやきは、包むように優しくて。

 涙をこらえて空をあおげば――青い竜は、やはり穏やかに微笑んでいた。竜だから表情はわかりにくいはずだが、彼女の目には、そのまなざしが、少年の笑みと重なって見えた。

『みんな、いるよ。俺もついてる』

――やるぞ、ゼフィー。

 そう言われた瞬間、彼女の脳裏に浮かんだのはなぜか、ドナの町中で声をかけられたときの記憶だった。

 ゼフィアーは薄く笑う。そして、強く唇を引き結んだあと、息を吸った。

「うむ!」

 力強いかけ声のあと、次なる詠唱を始める。同時に、陣へ強く働きかけた。突き上げてくる痛みなど、無視してしまえと目をつむる。ディランはいつも、魂の痛みと戦っていた。このていど、それに比べればたいしたことのない痛みだ。

 終わった詠唱を《神官》が唱和する。何かが震える音が、カタカタと聞こえてきた。ゼフィアーは休まず、次の言葉を紡いだ。これが終われば、詠唱はまた一巡することになる。少女の声が途切れたところで、《神官》たちがまた、繰り返した。展開された竜の力が、急に強くなった気がした。

 そして――詠唱が終わる寸前で、あたりが一瞬、強く光った。光が消えてすぐ、陣のあちこちから光の柱がたちのぼる。緑の柱はあたかも、天に浮かぶ星を覆うかのように、高く伸びた。柱が、雲を突き破りそうなほどの高さになったとき。

 光の粒が、飛び出した。

「いっ!? 何これ!」

 チトセが素っ頓狂な悲鳴をあげた。彼女の刀からも、蛍火のような明るい光が飛び出していったのだ。それも、大量に。

 袋から。そして、《魂喰らい》の刀から。――山のまわりから。世界にある木、土、水、火、大気、ありとあらゆるもののなかから、光は吐き出されて漂った。それらはまるで意思をもっているかのように、天へふわりと舞いあがる。

 詠唱が終わると同時に、陣の外からヘルマンの声がした。

「魂の放出を確認した。『終わり』の言葉を」

 儀式を進める彼の指示は、またも短かった。誰にいわれるまでもなく、ゼフィアーが息を吸う。三つ数えてから、唱え出した。

「――大いなる天に還りし竜魂よ。

願わくは絶えることなき加護を生きとし生ける者どもに。

願わくはとこしえの平穏を、生きとし生ける、我らの世に」

 あちらこちらで舞う光が、チカチカと瞬く。

 彼らに呼びかけるつもりで、ゼフィアーは祈った。

「御魂よ、安らかなれ――」


 なぜかはわからないけれど、還ろうとしている竜魂が、喜んでいるように思えた。

 世界を淡い輝きが包みこむ。

 反して、陣は光を弱めていき、やがては、完全に、沈黙した。

――りん、りん。

 二回、鈴が鳴る。ヘルマンの鈴だと、ゼフィアーにはすぐわかった。それが何を意味するのかも。

「魂還しの成功を確認した。これにて、魂還しの儀式を終了する」

 終わりの宣告は、どこまでも優しかった。

 

 

     ※

 

 

 陣の輝きが消え、ヘルマンが地上にて儀式の終了を告げた。それと同時に、山頂を包んでいた空気がふっと緩む。自分も胸をなでおろしたディランはけれど、陣の中心でゼフィアーがふらついたのに気づくと、慌てて降下した。空中でとっさに変化へんげし、器用に着地すると、倒れそうになっているゼフィアーの背中をとっさに支える。びっくりしている少女と目があった。

「お疲れさん。ふらふらじゃないか」

 そう言ってやると、ゼフィアーは目を瞬いていたが、やがて小さく吹き出した。

「お主に言われたくはないな。ひどい顔をしているぞ」

「ええっ?……そうかな」

 ディランは肩をすくめる。否定できないのが悲しい。何しろ、自分でも呆れるくらい魂を酷使した自覚があったから。そうして反応に困っていた彼の背を、誰かが叩いた。顔を上げると、そこにはトランスがいて。後ろには、ほかの四人も、マリクもいる。

「いいんじゃないのか。大役を終えたあとくらいは、すなおに『疲れたー』とか『しんどい』とか言っても」

 というか、俺なら言っちゃうね。飄々としているトランスの言葉に、まわりの人たちがどっと沸いた。ディランとゼフィアーもつられて笑う。彼は笑いをひっこめたあと、人々を見回した。

「みんな、ありがとう。マリクさんも。無茶言ってすみません」

「いや、最初はおったまげたけどね。本当に立ってるだけでなんとかなったから、よかった」

 何も知らされないままに渦中に放りこまれた商人は、困ったように笑って頭をかく。それでも彼は「まあ、すごい体験できたし、いいよ」と言って、手を振った。ディランは弱々しい笑みを浮かべて、さらにまわりを見る。《神官》たちの視線が集中しているのに気づいた。

「みんなにも、世話をかけた」

 さんざん迷って、竜の口調で話しかける。すると、ヘルマンが微笑んだ。

「なに、これこそ我ら『伝の一族』の役目。此度こたびの儀式に関わらせていただき、光栄に存じます」

 恭しく頭を下げる彼の横で、若い《神官》もほほえみを浮かべる。

「それに、大事なのはここからです。また、人間と竜がいがみ合いをはじめないよう、道を模索していかねば」

「確かにそうだな。まったく、のんびりしていられない」

 鋭い指摘にディランは肩を揺らす。だがそこで、レビが「でも」と手をあげた。

「今くらいは、もう少し、のんびりしていきましょうよ」

「――そうね。これを無視して立ち去るのは、もったいない気がする」

 珍しく、レビの意見に賛同したチトセが、空をあおぐ。つられてほかの人たちも、上を見た。


 空には、無数の魂たちが漂って、淡く輝いている。それらは蛍の火より強く、星よりも近いところにいた。手をのばせば届きそうな光は、けれど、よく見ると順番に薄れていっている。魂が少しずつ、自然界に溶けこみはじめているのだ。人はもちろん、竜たちまでも、黙ってその空に見入っていた。


「確かに、あなたたちの言うとおりね」

 楽しそうに言ったマリエットが、その場に腰を下ろす。彼女にならって全員が座りこみ、また、空をあおいだ。

 魂はきらきら輝きながら、あるものは天へのぼり、あるものは地へ降り注ぐ。色鮮やかなそれらが消えるたび、空気がぴん、と鮮明になってゆく。その感覚が、たまらなく心地よい。

 ディランは、見上げているうちに、涙があふれてきていることに、気づいた。

 でも、ぬぐおうとは思わなかった。ごまかそうとも考えなかった。

 この涙はきっと、同胞たちへの最後の弔いになるだろうと、思ったから。

「ディラン」

 ふいに、服のそでを引かれる。ゼフィアーがまっすぐに、見上げてきていた。琥珀色とも金色ともつかぬ瞳をのぞきこみながら、「なんだ?」と問うと、ゼフィアーはまばたきをした。

「ディランは、死ななかったな。……まだ、生きているのだな」

 不安をまぎらわす子どものような物言いに、ディランは優しい目を向けた。いつもしているように、少女の頭をぽんぽんとなでる。

「ああ。俺は、生きてるし、まだ生きるよ。――彼らと同じところへ行く前に、みんなとやりたいことがたくさんあるからな」

 そう言って彼が笑ってみせると、ゼフィアーも歯を見せて笑った。

「嬉しいこと言ってくれるな」とトランスが言い、仲間たちは次々と、二人の方に体を寄せてくる。ひとしきりじゃれあったあとに、六人はまた、竜たちとともに空を見る。

 魂の輝きは、生きとし生ける者たちを、ただただ、包みこんでいた。

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