第三章

15.語り、つながる

 太陽が顔を出し、雲の多い空へゆったりと昇ってゆく。朝を迎えた町は、ようやく動きだしつつあった。家々から炊煙すいえんが立ち昇り、扉のかんぬきを外す音がぽつぽつ響く。やがて硬質な音は人々のざわめきに取って代わった。花籠を抱いて、快活に走り回る少女。大量の布と衣服を抱えて家を出てくる青年。店を開け、呼び声を上げる女主人。活気は町を駆け巡り、広がり、今日もまた変わらず続いてゆく。


 平和に満ちた町の中。その通りの一角で、日常とは少し違う空気を振りまく者がいた。頭に布を巻き、荷を背負った彼は、いかにも商人という風体ふうていである。その彼は集まりつつある人々を見回し、満足げにうなずくと、口を開いた。語られるのは、人々の知らない物語。

「陽が照り、恵みの雨が降り、大地が芽吹いて作物が実る。そういうことが滞りなく起きているのは竜のおかげだ。それは、みんなが知ってる話。けれど、ここ数十年、その竜がたくさん死んでしまっているんだよ。竜を狩るという蛮行のおかげで。だから、災害も増えてきている。実感している人も多いだろう?」

 彼の語り口は、商人の噂話というには大仰で、さりとて詩人の語りにしては砕けている。絶妙な加減で語られる話に、次第に町民たちは引きつけられていった。

「それで、そんな現状にいち早く気づいた人がいるんだ。俺が今からしたいのは、そいつの話でな――」

 大げさな身振り手振りも交えて物語は紡がれていった。時々群衆から歓声が上がる。

 物語りは、いつしか人々への語りかけへと変わっていった。

「彼らも、そして彼らに惹きつけられた竜たちも、今、世界を救うために動いているのさ。君たちにも、彼らを支えることができる。竜を理解し、争いの歴史を理解し、彼らとわかりあう努力をすることでな。どうだい? 何かやりたいっていう人がいたら、俺、協力するぜ」

 彼の話が終わる頃には、その語りは噂へと形を変え、町中に伝染していた。今のはどこまでが作り話でどこまでが真実かと、疑る声もある。一方、災害が増えているのは確かだと、深刻に捉える人もいる。中には、彼の話の主人公となった人を知っている、あるいは人間と話をする竜を見た、と言い出す町民まで現れた。商人の風体をした彼は、どよめきに包まれる町の様子を平然としてながめると、楽しそうに笑うのだった。


「いやあ、ここもすごい騒ぎだなあ」

 ちょうど町に入ったばかりの隊商が、群衆の前で歩みを止める。馬を操る男がこぼすと、隣で袋をかついで歩いている若者は、目を瞬いた。

「ここも? ほかにも、こんな騒ぎになってるところがあるのか?」

「なんだ、おまえさん知らないのか?これだから新米は」

 男は眉を寄せてそう言ったものの、馬をなだめた後すぐ、若者に現状を教えてやる。

「今じゃどこもかしこもこんな感じだ。さっきの話、聞いただろう。いつからか急に、あの『竜の話』をする輩が増えたらしくてね。あっという間に噂になって、大陸じゅうに広がっちまったらしい。すげえよなあ」

「へえー。ま、もともと竜が自然をつかさどってるってのは、有名な話だけどね」

「有名だが、俺ぁ今までおとぎ話だと思ってたよ。ところがどっこい、奴らの語りにゃ妙な真実味がある。まるでほんとに竜から聞いたみたいじゃねえか」

 前に固まっていた人々が、じょじょに四方へ散っていく。ようやく道があいてきたので、男は馬を進めた。若者もそれに続いて歩く。彼は「竜から聞いた、ね」と呟くが、それは男には聞こえていなかった。彼はなんのかの言いながら話すのが楽しいのか、口を動かし続ける。

「ほかの町でも同じような話を聞いたぜ。といっても、その話はさっきのやつよりもぶっ飛んでたが」

「へえ? どんななんだ?」

 若者が目を見開いて尋ねると、男は鼻を鳴らし、もったいぶって指を振った。若者が辛抱強く待っていると、やっと声を潜めて教えてくれる。

「ほかで聞いた話では、『主人公』になってる奴が、実は人じゃなくて竜だった、っていうんだよ」

 言葉が、二人の間を漂う。得意げな男をよそに、若者は息をのんで固まった。

 その後、隊商は宿をとり休憩に入った。若者は男と別れ、ひとり裏道をぶらつく。たまたますれ違った別の隊商の人間に手を振った後、彼は、空家の軒先に腰かけた。

「人じゃなくて竜だった……ひょっとして、主犯はあいつらか?」

 誰に問うでもなく呟く。そんな若者の脳裏に、少し前に聞いた言葉が去来した。

 ――彼らは、壊れかけた世界を再生する方法を見つけたんだ。

 武勇伝を語るような、仰々しい口調。その裏にひそむ真実に気づく者は、ごくわずかだろう。だが、彼は気づかない人々を愚かとは思わない。むしろ、気づかない方が自然。特異な場所に立っているのは、彼の方なのだ。若者はくつくつと喉を鳴らして笑う。

「世界の再生ね。遠回しに、うちの首領おかしらにけんかを売ったわけだ。おもしろい」

 彼はひとりごつと、跳ねるように立ち上がり、めいっぱい息を吸う。ゆっくり空気を吐きだすと、むなしさにもさびしさにも似た妙な感情が、胸の奥ににじんできた。隊商の男に向けていた、軽々しい若者の雰囲気は影を潜め、裏社会を渡り歩いてきた者の冷たい光が瞳に宿る。

「俺もそろそろ、身の振り方を決めるべきかね」

 彼はひとつうなずくと、地面を蹴って駆けだした。来た道を戻ってゆく。

 物語の裏側を知る彼の言葉は、けれどひとつたりとも残ることなく、冷たい風にさらわれた。



     ※



 ノーグたちの作り上げた壮大な「お話」が完成し、ディランたちが旅立った三日後。サイモンは、ファイネから東に行ったところにある、小さな町に足を伸ばした。ちょうど、仕事終わりの団員と合流する約束をしていたのである。いつも通り、ふてぶてしく、だが目立ち過ぎないよう歩いていた彼は、交差点に差し掛かったところでぎょっとして立ち止まった。異様な人だかりができている。しかも、何がそんなに腹立たしいのか、集まっている人たちは轟々と怒声を飛ばしていた。

「なんだこりゃ」

 呆然として立ち尽くすサイモン。その肩を、すれ違いかけた誰かが叩いた。

「サイモンさん。何ぼけっとしてんですか? らしくない」

 声に振り向けば、そこにいたのは彼が会おうとしていた傭兵だった。両目にはからかうような色がある。「……おう」とたっぷり間をあけてうなずいた彼は、そろりと交差点の人混みを指さした。

「いきなりあんなもん見りゃ、誰だって驚く。何があったか、知ってるか?」

「ああ、あれっすか」

 茶髪を刈りあげている傭兵は、その頭を乱暴にかく。彼はためらうようなそぶりを見せた後、「『作り話』効果っすよ」と言った。サイモンは目を丸くした。

「へえ、あれもか」

「うす。っていうのもですね。どうも、ここにはファイネの隣町の人が話広げたっぽいんすけど、伝えた話が竜狩人をまるきり悪役にしたやつだったらしくて。で、それを聞いてた町の人が、よく来る傭兵団を告発したらしいんっす。『こいつら、竜を狩る話をしてたぞ!』って」

「ははーん。それでこの騒ぎ、ってわけだ」

 広げられた話に対して、人々がどう反応するかはわからない。それを承知での博打だ。よいことばかりではなかろうとは思っていたが、さっそくその傭兵団と町の衆との間でひと悶着ありそうである。サイモンは、腕を組んでため息をこぼした。


 ――だからなあ。混乱が起きちまう前に結果を出せよ、ディラン。


 今は西へ向かっているであろう弟分に、届かぬ願いを投げかける。

 老傭兵は再び前を見た。竜狩りを声高に非難する人の群。伝わる話ひとつで、民衆の反応はずいぶん変わるものである。

「にしても、考えたよなあ。ノーグもおまえらも」

「いや。わざと大げさにした話を発信するのって、難しいっすからね。だいぶ頭ひねりましたよ」

 傭兵は鼻をかいた。快活そうな見た目に似合わず、彼もまた、ノーグと同じように情報の収集と操作を主体に活動している人である。


 ――二日かけて話を練りに練り上げた後、ノーグたちはジエッタをはじめとする人々にさんざんしごかれた。サイモンもしごいた一人だった。できあがった話に対し、作り話が過ぎるだとか、印象が弱いだとか、色々な指摘を重ねた。ああでもない、こうでもないとみんなで議論した結果、彼らは話の内容を変えただけでなく、伝え方も変えてきた。

 展開や要素が微妙に違ういくつかの話を、一度に拡散したのである。


「ファイネ周辺に耳すませるだけでも、色んな話が聞けるもんな。よくあんだけ思いついたもんだ」

「いやいや、俺たちが広めたのは、三つくらいなもんっすよ。あとは、それを聞いた人たちが勝手に尾ひれつけたんです。……ディランたちから聞いたそのままの話も、こそっと隣町の人に託しましたし。ま、どれを信じてどれを信じないかはみなさん次第っす」

 彼は微苦笑して肩をすくめた。悪戯を告白する子どものように。その後、大きく息を吐きだし、空を仰ぐ。

「最終的に、ディランが竜に戻って本当の話を全部ぶちまけてくれりゃあ、丸く収まるような気もするんですけどねー」

 珍しく疲労感を漂わせる彼の横顔を見たサイモンは、小さく鼻を鳴らした。

「俺ぁ、賛同しかねるな」

「ん? なんでっすか」

 きょとんとしている相手に、老傭兵は静かに語る。

「ディランがきっと、それを望まねえからだよ。たった七年だが、あいつぁ間違いなく、人の生ってもんを経験したんだ。人として他人と関わって、人が竜をどういうふうに受け止めるかを知っちまった。だから、今さら必要以上に威厳を振りまくことはしないんじゃねえか?

 おまえらがこっそり広めた『本当の話』――信じる奴はいくらかいるだろうが、知っているのは、あいつとあいつが信じた奴らだけでいいと、俺は思うがね」

 諭すような言葉に、傭兵はしばらく首をひねっていたが、やがては少年のように笑った。少し、恥ずかしそうにしている。

「そうかあ。俺も、その方がいいかもっす。大事な秘密をこっそり共有してるみたいで」

「そういう問題か」

「へへっ。冗談っすよ……確かに、あいつはいばり散らすのとか、苦手そうっすもんね」

 明るく、しかし噛みしめるような言葉が空へ流れてゆく。サイモンは軽く笑い、苦手だろうよ、と返した。おさまりどころの見えない騒動の上をそよ風が過ぎてゆく。

 吹く風は少し温かい。――春が近いようだ。

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