9.変わりはじめる

「砂漠の玄関」レッタの夜は、静かだ。ふだんならば、人の声はおろか虫の鳴き声さえ聞こえない。極限まで深まった暗夜の中を縫うようにして、二人は町の中を疾駆する。屋根から屋根へ飛び移る、などという奇特なことをしていても、誰にも見られる心配はない。なので、目的だけに集中できる。彼らは砂漠の夜を、最大限に利用していた。

 ある民家の上に飛び乗った二人はけれど、そこで足を止めざるをえなかった。

「げ、なんだこりゃ」

 二人のうちの片方が、嫌そうな声を上げる。もう片方は無言で眉をひそめてそれを見た。

 民家の屋根の上には、人がいた。それも、二人の仲間のように革鎧と武器をきっちり装備した男だった。それがこの場に、三人ほど。しかし、彼らは例外なく、体のどこかしらに矢を受けて、悶絶するか気絶するかしている。

「……俺たちの出る幕はなかった、ってところかね」

 野獣のような低いうなり声を気にも留めず、一人がぼそっと呟いた。鍛えられた体の、白髪が目立つ大男。太い眉の下で冷たく光る双眸は、同情の余地などないとばかりに、男たちを見おろしている。

「けっ。なんでえ。『破邪の神槍』どもが暴れてるって聞いたから、大急ぎで来たのによ」

 もう片方、金髪の、きつい目をした青年は、わざとらしく言ったあと、夜空に向かって伸びをした。「大声出すんじゃねえ、馬鹿野郎が」と、男が青年をたしなめた。青年は親に叱られた子どものように口を尖らせてみせてから、気絶している一人を軽く蹴った。とがめるような年長者の視線は無視する。

「しっかし、誰だ? こんな容赦ねえことしたのは。俺と気が合いそうじゃねえか」

「おまえみたいな戦闘狂がごろごろいたら、暮らしにくくてしょうがねえ」

 軽口を叩いた男は、何気なく、西の方にそびえる別の建物に目をやって――ほう、とこぼした。「何なに」とのぞきこんできた青年を一瞥し、続けて、無言でその建物の方を指さす。目を凝らした彼は、どうやら宿屋らしい建物の屋上にいる人に気づき、目を丸くした。

「なあんだ。あいつら、いたのかよ」

 そのとき――視線に気づいたのか、屋上で軽く身を乗り出していたその男は、彼らに向かって手を振った。長い亜麻色の髪が揺れ、その手もとには弓が見える。ここで伸びている者たちは、彼にやられたのだろう、と、二人はどちらからともなく察した。

 軽い身のこなしで屋上から降りていく男を見送ったのち、大男の方が、ゆっくりと立ちあがった。謎は解けたし、騒動は収まったようだし、これ以上町にとどまる理由がない。

「行くぞ。首領ボスに報告だ」

「ええー……もう行くのか? なあサイモン、夜の砂漠は危険だぜ」

「心配すんな。おまえなら大丈夫だ」

「なんだそれ。根拠あんのかよ」

「根拠を求めるなんて、おまえらしくねえぞ」と無愛想に言いきった男は、何やらぶつぶつと文句を言う青年をひきずって、その場から離れた。



     ※

     

     

 空を駆けながら、紅き竜は目を細めた。

 弱く光る太陽は、雲のない青空で静かに光を振りまいている。陽光を受けとめる大地は、困惑しているかのように緑を芽生えさせ、乾いた姿をさらしていた。竜はそれらの光景を見たあと、無意識のうちに雲を探した。けれど、欠片のひとつも見当たらない。めまいのしそうな碧空が、ただただ広がっている。

『おかしいな。今の時期、このあたりは雨が降ってばかりいるはずだが』

 別の方向から竜語ドラーゼが聞こえる。竜は、群の中の声の主を一瞥し、無言で同意した。不自然なほどに、晴れわたっている。かといって、水の力が強いわけではなく、炎の力が無駄に猛っているわけでもない。感じるのは、ぞっとするほど空虚な空気。

 この大陸の竜狩りが、ここまでひどくなっているとは、思いもしなかった。主竜の領域の外にも、もっと早くから、目を向けるべきだったのだ。自分の狭量きょうりょうさに呆れ、竜はいらだって翼を打った。

『これでは、奴らが怒り狂うのも無理はないが……そう言っていられる状況でもない。急ぐぞ』

 その竜が背後に声を投げかけると、竜たちは喉を鳴らして応じた。紅い群は、高い空を粛々と飛ぶ。ある一点を目指して。

 長い間静かに飛んだ彼らがたどり着いたのは、ある山のふもとだった。住処をもたぬ竜たちが、今そこにとどまっていると、情報を得たのである。ひとけのない山麓におりたち、道と呼べるかも怪しい山道を見た竜たちは、いっせいに、高くほえた。いつもの咆哮より、細くて静かな音が、青天に吸い込まれる。

 しばらく待っていると、翼の音が近づいてきた。空に現れる紅い群。竜たちの間に緊張が走った。

 同じ種族の中でも、個体によって、あるいはむれによって、その性質は異なってくる。今、彼らが待っている竜たちは、炎竜えんりゅうには珍しい、きまじめな堅物の集まりだ。そのぶん、一度こうと決めたら揺るがないかたくなさもある。果たして説得できるだろうかと、竜は思った。

 山の方からやってきた群は、彼らに気づいて速度を上げた。やってきた竜たちの方も、休めていた翼を張って飛びたつ。ふたつの群は、空の上で合流を果たした。

『久しいな。元気だったか?』

 誰かがそんなふうに言ったのを皮切りに、あちらこちらで再会の挨拶が交わされた。ひとまず仲のいい同胞に安堵して、竜は薄く笑む。そして――挨拶が一段落したところで、竜は群の長に話を切りだした。

『実はな――』

 何から話そうか迷って、ひとつの事実を告げることにする。

『ディルネオ様が、生きておられた』

 案の定、竜たちはざわめいた。黙って聞いていようと構えていたはずの者たちが、好き勝手に騒ぎだす。対面の群の長が、彼らを黙らせたあと、その竜に向き直った。

『確かか?』

『間違いない。この目で見たあの方は人の姿をしておられたが――感じた力は間違いなく、ディルネオ様のもの。それに何より、我らのあるじがお認めになったのだ』

『そうか。……変化へんげだな』

 相変わらずだ、と、群の長は喉を鳴らして笑う。みながそれに便乗し、しばらくは穏やかな空気が流れた。

 竜は、それを断ち切るように口を開く。

『あの方と、ともにいた人間たちがこんな話をしていた』

 そして竜は、主竜のかたわらで聞いた話を対面の群に伝えた。『伝の一族』に依存しない《魂還しの儀式》の方法。それを実行するために彼らが動いていること。そして、今の悲劇を終わらせるためにも、人と竜が和解しなければならない、ということ。

 他の竜たちは、はじめこそ静かに話を聞いていたが、すべてが語られるころには、また騒ぎはじめていた。

『なるほど、理解はした』

 困惑に満ちた騒ぎ声をおさえるかのように、群の長が口を開く。『では』と頭を突き出した竜を、彼は制した。

『理解はしたが、すべて受け入れられるかどうか、といえば話は別だ。今まで積りに積もった恨みや憎しみを、どうしてきれいに忘れ去ることができよう。人間たちとて、思いは同じはず』

『だからこそ、ディルネオ様たちは人間たちを説得しようと、動いているところなのだぞ』

『そうだな。だが、うまくいくとは思えん』

 群の長はため息まじりに言ってから、仲間たちをちらりと見る。

『おまえたちは、どう思う。今頃になっても、人に心を許せるか?』

 厳かな問いに返ったのは、重い沈黙だった。どの炎竜たちも、迷い、ためらうそぶりを見せている。竜は彼らの姿に、かすかな絶望をおぼえた。

 そのとき浮かんだのは、少年の顔だった。彼の主のもとに、頻繁に顔を出していた水竜。彼は今、竜であり人である、異質な存在としてそこにいた。穏やかな表情から感じたのは、今の彼が抱いているのに似た暗い思いと、絶対に折れまいとする強い意思。


 相反するはずの感情が同居しているのはなぜなのか、彼にはわからなかった。ただ――その、優しく鋭いまなざしからは、隠しきれぬ傷がのぞいていたのだ。


『ディルネオ様は、かつて人間に裏切られたそうだ』

 気づけば、竜は言っていた。潮騒に似たざわめきが、ぴたりとやむ。竜たちの視線はたった一頭の同胞へ集中した。

『裏切られ、それゆえに狩人どもの手にかかったと。あの方はおっしゃっていた。それなのに、今もなお、人と竜の和解を望んでおられる。ともに歩んでほしいと願い続け、動き続けてくださっている。二十二年前、大きな悲しみを負った方が、あきらめずにいる。なのにどうして我々が投げだせる?』

 ふだんからよくとおる声は、さえぎるもののない空に朗々と響く。誰もが口を挟めず見守る中、彼の言葉は熱を帯びていった。

『あきらめるのは簡単だ。人間は残酷だと決めつけるのも。だが、それでは何も変わらぬだろう。ただ滅びに向かってゆくだけだ。この世界の自然を守護する我ら竜が、それを認めてしまってよいのか! 滅びを受け入れるのは、我々がもっとも嫌う、役目の放棄なのではないか!?』

 からくも生きのびた水の主竜と、『伝の一族』の少女、そして幾人かの人間たち。人と竜の平穏を願い、彼らはたった六人で大きなものに挑もうとしている。それなのに、自分たちばかり傍観を決め込むことは、この竜には受け入れがたかった。

 炎竜としての誇りは、決してそれを許さない。

 だから彼は、同胞の誇りに訴える。

『竜ならば、移ろいゆく自然の守護者ならば! 耐え、許さねばならぬこともあるだろうっ!!』

 一頭の竜の大音声だいおんじょうに、彼とともにやってきた竜たちが呼応し、雄叫びをあげる。天地を揺るがす咆哮は、対面の竜たちをざわつかせるにはじゅうぶんだった。群の長はしばらく呆然としてから、ゆっくりと瞑目する。重く静かな呟きが、こぼれた。

『――そうか。おまえたちは、許そうというのだな』

 苦笑にも似た独白は、叫びをあげた竜に向けられている。群の長は目を開くと、翼を大きく打ち鳴らした。

『おまえごときにそうまで言われて、引きこもり続けていたのでは、示しがつかぬな』

 彼の言葉に、ゼノン山脈の炎竜たちは目を輝かせる。

 世界は少しずつ、変化を受け入れ、動きはじめていた。

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