8.月下の決別

 ディランは、日干し煉瓦の壁に背中を預け、息を殺して外の様子をうかがっていた。澄んだ音が鳴り響く合間に、微風が砂と血の臭いを運んでくる。ディランはそっと、ため息をついた。

「チトセの奴……大丈夫か? 変に無茶をしないといいけど」

 呟いて、視線を戻す。ひときわ大きな金属音が、ここまで届いた。遠くでまた槍がぶつかりあっている。

「さて、俺はどうすればいいかな」

 押し殺した声で呟いて、苦笑した。

 おそらく、もっともいいのは、このまま部屋に戻って隠れてしまうことだ。変化体の彼は、よほどのことがない限り正体を見破られはしまい。万が一「少年」として捜されていても、ある程度なら仲間たちが隠してくれるだろう。だが――性に合わない。どうしたものかと考えながら、指先で柄頭つかがしらを叩いていた少年は、ふいに目を細めた。

 おぞましい気配が空間を満たす。ディランがさりげなく剣の柄を握ると同時、廊下の奥と、近くの小さな窓から、人影が躍りこんできた。

「おっと」

 窓から飛びこんできた一人を殴り飛ばし、剣を抜く。そうしてあたりを見回すと――すでに、数人の男たちがディランを取り囲んでいた。よく鍛えられた身体と鋭い眼光から、彼らがいくつもの修羅場を乗り越えてきた戦士だということが、わかる。そして、まといつく、濃い血の気配も。

「ようやく見つけた」

 男たちのうちの一人が、低い声をこぼした。誰に向けるともなく放たれた言葉に、少年は眉を動かす。何も言わず、何もしないままでいると、一人が前に出てきて、彼に剣を突きつけた。

「さて、坊主。うちの首領がお呼びだ。一緒に来てもらおうか」

 穏やかに響く声の裏に、敵意と威圧感がひそんでいる。人が人なら震え上がりそうな誘いを前にして、しかし人の姿をとった竜は、動揺さえしていなかった。

「そう言われて大人しくついてきた奴が、今までどれだけいる?」

 淡々と、問いかけると、男たちは当惑したように視線を合わせる。それが打ち合わせだったわけではなかろうが、彼らはそのまま得物を構えた。

「従わねえってんなら、しょうがねえな。気絶させてでも連れていく」

「そうか、頑張れよ」

 ディランは言うなり剣をひと振りし、拳を固めた。

《魂喰らい》の気配は感じる。しかし――あまりにも微弱だ。

 敵意と殺意の中にあって、気高いほほ笑みを浮かべた彼は、飛びかかってくる男たちに真正面から挑んだ。

 一人の剣を受けとめ、その強力を下へ流す。相手が大きくよろめいたところで、あいた胸もとに剣を突き立てた。闇の中に血が舞う。それでもまだ動こうとする一人を殴って気絶させ、背後から迫ってきたもう一人に蹴りを入れた。ちょうどそのとき、額を熱いものがかする。

「なっ……!?」

 誰かが叫んだ。ディランは親切に反応してやることはせず、身をひるがえし、呆然としている相手の武器に剣を叩きつけた。無防備なところに力を叩きこまれて、小さな槍に似た武器は地面に落ちる。少年姿の水竜は、それを素早く拾い、暗闇の中へ投げた。悲鳴が聞こえる。

「こいつ……刃が通らない」

「は? そんな馬鹿な」

 どこからか聞こえた声に、ディランは苦笑した。

 彼らもまた、「標的」の正体を知らされずに来たのだろう。ここまでくると、哀れにさえなる。

「教えるだけ教えておけばいいのにな、カロクも。こちらとしてはありがたいけど」

 呟いたディランは表情を引き締めた。

 子供相手と油断していたのか、敵はほとんど狩りに使う武器を持ってきていないようだ。けれど、皆無でもない。なるべく怪我をしないように戦わねばならないことに、変わりはなかった。

 交差する刃の裏をくぐりぬけ、時に斬り、時に殴って屈強な狩人たちを動けなくする。敵の数は確実に減っているのだが、それでもまだまだ、襲いかかってくる気配はあった。夜とはいえ、街の中。危険性をわかっていてこの人数を動員したのだろうかと、次第に呆れに似た感情が湧いてくる。

 そんなときだ――短い廊下の奥の方から、くぐもった悲鳴が届いたのは。

 剣を打ちあったディランと狩人が、ほぼ同時に動きを止める。刹那、奇襲をかけようとしていたらしい狩人の一人が、突然目を剥いて気絶した。倒れた彼の手からつるぎが滑り落ちて、硬質な音を立てる。

 男たちが唖然としている間に、闇の中から人が飛び出してきた。

「ディラン、無事ですか!」

 棒を握りしめ、必死の形相で駆けてきたのは、優しい目つきの少年だ。

 狩人たちがぽかんとしているその隙に、相手の剣を弾き飛ばしたディランは、適当に笑って肩をすくめる。隣へ駆け寄ったレビは、彼を見て、首をかしげた。

「……あれ。意外と余裕そうですね」

「余裕ってほどでもないけどな。カロクとオボロが規格外なだけだ」

 彼らは、お互いが無事であることを確かめると、それぞれ剣と棒を構えた。

 そこへまた、一人の少女が飛び込んでくる。

「すまない! 遅くなった!」

 サーベルを手に、敵と味方の間に割り込んだ少女は、平気な顔で立っている水竜を見て顔をほころばせる。

「ゼフィー、チトセは放っておいていいのか」

「心配いらん。マリエットが一緒に戦ってくれている」

 質問に、敬礼で答えたゼフィアーはいつも通り元気そうだ。「ならいいか」と返したディランは改めて、退く気のなさそうな男たちを見やる。

「じゃあ、切り抜けてしまいますか」

 水竜の声に呼応して、少女と少年が構えをとった。子どもでありながら尋常ならざる気配を漂わせる三人に、竜狩人の男たちは、初めてひるんだような色を見せた。



     ※



 深まってゆく夜の中、刃のぶつかりあう音は、美しいとさえ思える。暗がりに舞う銀髪の女は、少女に近づこうとする竜狩人たちをことごとく倒していった。槍はうなり、回転し、敵を裂いて剣をからめとる。一本の小剣がくるくると宙を舞った後、固められた砂に突き刺さった。彼女の華麗ともいえる戦いぶりに、ひ弱な女と侮っていた男たちは、動揺を隠せずにいた。芳しくない状況に苛立ちを覚えつつ、かといって打開することもできない。そんな不快感が、男たちの表情からにじみ出ている。対して、竜狩人を相手にたった一人で立ちまわる女――マリエットは、かすかな笑みを唇に乗せると、槍の先をくいっと動かした。

「もうおしまい?」

 彼女が、笑みを含んだ声で問うと、男たちは気色ばむ。雄叫びとともに再び武器をとり、華奢な槍使いへ襲いかかった。

 一方、二人の少女はそんな乱戦の中にあっても、牽制しあうように互いへ槍を向けて立っていた。二人の世界だけが、隔絶されてその場に漂う。だがやがて、世界の沈黙は打ち破られた。ふっと、鋭く息を吐いたのはどちらだったか。彼女たちは合図を待っていたかのように、同時に飛び出して槍をぶつけあう。散った火花が、刹那の間だけ、二人を暗夜に浮かび上がらせる。

「本当に、通してくれる気はないのね」

 確認の言葉は氷より冷たい。けれどチトセは、一歩もひかなかった。

「当たり前。ここで前言撤回、なんて馬鹿なことはしたくない」

「そういうところは、相変わらずだね」

「ほっといてよ」

 槍で突きあう状況でさえなければ、イスズは軽やかな笑い声を立てたことだろう。今はただ、悲しげに目を伏せただけだった。

「私、チトセとはずっと友達でいられると思ってた」

「今でも友達だよ」

 チトセは反射的に言い返す。イスズは曖昧にほほ笑んだだけで、何も言わなかった。

 ――それは、あたしの台詞だ。

 切ない表情の裏で、少女は苦渋を噛みしめる。

 イスズとの関係だけは変わらないと思っていた。友でいてくれると信じていた。胸にまとわりつく苦悩も、迷ったすえの選択も受け入れて、応援してくれると思っていた。

 しょせん、それはチトセの勝手な思いこみにすぎなかったのだ。竜狩りをする理由も、胸に秘める信条も、最初からかけ離れていた。同じ組織にいたから一緒にあれた。ただ、それだけのこと。

 乾きかけた脇腹の傷が、じくじくと痛みを訴えてくる。だがチトセは、それを無視して踏み込んだ。

 力と力がぶつかりあい、二人の槍が、ついに軋みをあげた。チトセもイスズも歯を食いしばる。やがて、イスズがくんっと槍をひねった。手槍の方が奇妙な方向へ押し上げられる。

 何事かを叫ぶより早く、チトセは手に強烈な痺れが走るのを感じた。慌てて後退すると同時、指から得物が離れて落ちる。チトセは肩で息をしながら、赤毛の少女をにらみつけた。少女は静かな目で見つめてくると、槍の先に鞘をはめて、一歩を踏み出す。

「ねえ、通して」

 淡々と、この場を包む夜のような声が言う。息を整えたチトセは、強く歯ぎしりをした。胸にうずまく激情を押し殺すのを、やめた。

「嫌だっ!!」

 天が震えるほどに高く叫んだチトセは、そのままイスズに向かって突進すると、彼女につかみかかった。イスズは目をみはる。少女たちは、もつれあいながら転がった。チトセはイスズの上に乗り、燃え上がるものに任せてねめつける。

 彼女はただただ、意地になっていた。

「なんで……なんでこんなこと、しなきゃならないの! あたしなんか放っておけば、死にぞこないの竜なんか、無視しておけば! あたしとあんたが戦うことなんて、なかった!」

 なんで、と叫んで拳を弱く相手の胸に叩きつける。イスズはおもむろに口を開いた。

「私は、チトセに戻ってきてほしいのよ」

 弱々しく、痛切な言葉は、まぎれもない彼女の本音だったのだろう。だからかどうかは、わからないが、チトセの口から出たのもまた、ひとつの本心だった。

「そんなの、身勝手だ」

 返ったのは沈黙だった。チトセは、あふれだしそうなものを無理やり呑みこんだ。

「あたしはあたしの意志で、『破邪の神槍』から離れた。今、誰かに引き戻されなくても、いつかは戻るつもりでいるんだ。それを無理やり引きずっていこうとするなんて、あんたのわがままだよ」

「……けど、それなら、裏切っていないというチトセの主張も、わがままだわ」

 微笑するイスズは、なぜかこのときだけ、とても高貴な誰かに見えた。チトセも静かに「そうね。そうかもしれない」と返す。心のどこかにこごっていた熱が、急に消え失せるのを感じた。

「ねえ。あんたは本当に、竜の味方をするの」

「そうじゃない。けど、あいつは勝手に殺させない」

 結局、いつまでも交わらない。ずっとずっと先、果ての見えないところまで、平行線が伸びてゆく光景を連想して、チトセは気が遠くなった。

 どうしてこうなってしまったのだろう。どこでたがえてしまったのだろう。考えても、答えは出ない。

「なら、しかたがないわね」

 聞きなれた声が耳を打ち、何か乾いた音がした。

「無理にでも、通るしかないわ」

 世間話でもするかのような調子で、言われた。その意味が理解できなかったチトセは――直後、胸のあたりに鈍痛を感じてよろめいた。イスズが片手に持った槍を、勢いよく突き出してきていたのだ。チトセがふらりと後ろに下がった隙に、赤毛の少女が悠然と立ち上がる。顔から、揺らぎが消えていた。

 終わってしまった。なぜか、そう感じた。

 槍頭が光る。それを見たと思った瞬間、チトセはいきなり襟首をつかまれて、後ろに引っ張られていた。突きの一撃がくうを切る。目をみはった少女に、近くで誰かが声をかけた。

「やれやれ。なかなか過激なお姉さまだな」

 苦笑のまじった一言に驚いて振り返ると、そこには少年がいた。青みがかった黒髪の下で、双眸は穏やかに二人の少女を見ている。突然のことに、イスズや、まわりの竜狩人たちまで凍りついた。チトセはしばらく彼を見た後、いつの間にか開いてしまっていた口を慌てて閉じる。

「……あんた、なんで出てきたの。馬鹿?」

「相変わらず辛辣だよな、おまえ。別に一人で出てきたわけじゃないし。むこうはむこうで、片付いたし」

「片付いたって」

 何が、と言いかけて、チトセは愕然とした。相当な数の竜狩人が、この少年を捕らえるために駆り出されたはずだ。だが彼――ディランは、チトセの心を読んだかのように肩をすくめて笑う。

「まあ、あれくらいなら、な。レビやゼフィーもいたし」

 ちょうどそのとき、ディランの背後から、ひょっこりと茶髪の少女が顔を出す。彼女は茶目っ気たっぷりに「『烈火』の弟子をなめすぎだ」などとうそぶいた。有名な女傭兵の二つ名が出たせいか、まだマリエットの槍にかかっていない竜狩人たちがざわめく。ひとまず冷静になったチトセが前を見てみれば、イスズは槍を携えたまま、唇を噛んでいた。射るような視線に気づいたのか、ディランが苦い表情をする。

「悪いけど、俺はここで死ぬ気はこれっぽっちもないよ。それと……チトセは自分で考えて道を選んだ。こいつなりのやり方で、答えを出そうとしているんだ。――おまえはどうなんだ?」

 水竜たる少年に問いかけられて、イスズは表情を失った。しばらく沈黙したのち、槍を収める。

 まわりの竜狩人が困惑するのを無視して、踵を返した。

「イスズ」

「チトセ、ごめん」

 感情の読み取れない謝罪を残し、イスズは歩いていく。その途中で、仲間たちにあれこれと指示を飛ばす声が聞こえた。「上の奴ら、見に行ってやって」という一言を遠くに聞きながら、チトセはその場に立ち尽くす。己の手を見た後、どこかへ伸びる道に視線をやる。その先は、ひどく茫洋としていて。けれど、彼女の意思は決まっていた。

「ごめん、イスズ。あたしはもう少し……ここにいるよ」

 返した謝罪は届くことなく、砂の上へとこぼれ落ちた。

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