7.少女たちの戦い

 冷徹という言葉を体現したような男に連れられ、少女が傭兵団の当時の拠点にやってきたとき、多くの者は彼女に侮るような視線を向けた。

 戦いのなんたるかを知らず、命を奪うことを知らぬ子どもが、なぜここにいるのか。彼らの目は、そう語っていた。なんとなく腹が立って少女がにらみかえすと、傭兵たちは渋い顔をする。今にも殴りかかってきそうだったが、長の手前、こらえたように見えた。

 むっつりしている少女が男に手をひかれながら歩いていると、突然、目の前に赤くてふわふわしたものが躍りこんできた。それが髪の毛だと気づいたのは、ぎょっとしてのけぞった後のことである。そして、そのときにはもう、大きな両目をくりくりさせるもう一人の少女が、彼女をのぞきこんでいるところだった。

「へえー。君が噂の新入りか。確か、チトセだっけ」

 少女は、張りつめた場の雰囲気をものともせず、明るい声で言う。空気を読んでいないのか、あるいは読んでいてわざとそう振る舞っているのか。いずれにしろ変な奴だ、と思い、少女は目をすがめる。

「だれ、あんた」

「私? 私はイスズっていうんだよ。よろしくねー」

 元気に自己紹介をし、ひらひらと手まで振ってみせた彼女は、チトセを見つめて小首をかしげた。

「ところで君、なんでそんなに怖い顔してるの?」

 ――無邪気な問いにどう答えたのか、当人は覚えていない。イスズによれば、とても間抜けな顔をしていたらしい。

 ともかく、それが出会いだった。



     ※



 いつからそこにいたのかは知らない。だが、間違いなく今、赤毛の少女は民家の平たい屋根を蹴って、砂の上に降り立った。憎らしいほど鮮やかな月光を反射して、槍の穂先がちかりと光る。チトセは思わず、舌打ちした。――覚えのある気配を感じて出てきてみれば、案の定だ。今もっとも会いたくない人に出くわしてしまった。覚悟はしていたつもりでも、苦々しさは消えない。

「ついてないわ」

 誰にともなく呟いて、チトセも手槍を構える。瞬間、空気が凍った。砂を踏む音が、ぞっとするほどむなしく響く。

「チトセ」

 少女の声が呼びかける。今までに聞いたことがないほど、低く、静かで、どろりとした憤怒に満ちた声。けれどチトセは、ひるまなかった。

「今は、あの人たちと一緒にいるんでしょう」

「うん」

「なら――水の竜は、どこにいるの」

 チトセは唇を噛んだ。胸が上下する。ちょうどそのとき、わずかな明かりに照らされて、イスズの顔が浮かびあがった。今にも爆発しそうな怒りを、必死で抑えているような顔。ただ、その目は、悲しそうに揺れている。動揺したチトセは、しばらく答えることを忘れていた。が、背後で何かが動いた音を聞き、我に返る。視線だけで後ろを見て、飛び出してきそうな別の少女を目で制してから、まっすぐイスズに向き直った。

「教えない。教えられないよ」

 かすかに、風が鳴った。

「……やっぱり、裏切ったのね……!」

 うなりに似た叫び声を上げると同時に、イスズが地面を蹴った。チトセめがけて、まっすぐに槍が突き出される。刹那、チトセは顔をゆがめたものの、すぐに手槍を構えて振り上げ、相手の武器を弾いた。甲高い音が、夜空に吸い込まれるように響く。

 三度ほどの突きあいをした後、イスズがぐんっと体を前に傾け、飛びこんでくる。半月に近い軌道を描いて振り上げられた槍を、チトセはすんでのところで受け止めた。二人の鋭い視線が、初めて交わる。

「なんで……なんでよ。どうして、チトセが!」

「待ってイスズ。あたしは別に、裏切ってないよ。――わからなくなったから、組織と距離を置こうと思っただけ」

 命令違反は確かだけどね、と薄い笑みを浮かべたチトセを、イスズが激しくにらみつける。

「だったらどうして、彼の場所を教えないの!?」

 悲鳴のような問いかけ。チトセは思わず喉を鳴らし、それは、とうめいた。目を伏せるとふいに、緑の森の記憶がよみがえる。感情に任せて泣きじゃくっていた彼女に、竜は腹立たしいほど穏やかな笑顔を向けていた。そして笑顔のまま、彼は言った。

『俺たちをそばで見て、やっぱり竜を許せないと思うのなら――今度こそ、遠慮なくそいつを使え』

 記憶の中の声は、不思議と鮮やかだ。チトセは、からっぽのまま口の端を持ち上げる。

「それはね、イスズ。あたしのわがままだよ」

 その気になったら本当に殺しに行く、と威嚇してみせたチトセに、水竜はおどけて返した。そのときは本気で相手をすると。

「あたしとあいつの約束が果たされる前に、首領にディルネオを殺されたら困るから。ただ、それだけ」

 チトセはほほ笑んだ。不敵さと穏やかさが入り混じった笑みは、彼女自身すら知らないものだった。イスズが、虚を突かれたように目を丸くして、立ちすくむ。

「ねえ、イスズ。あんた、竜狩りは危険なことだって言ってたよね。けど、それでもやめないって言ってた」

 少女はゆっくりと、槍を下ろす。そのとき、友の表情がまた怒りに染まったのを、感じた。ためらいなく槍頭を突き出してくる。彼女の一撃を、チトセは瞬間受け止めて、上へ流した。

「あたし、イスズがうらやましかったよ。揺らがない信念を持ってるイスズが。――でもさ、あんたのそれは首領のためだよね。首領がそうあるから、イスズもそうある。でも、じゃあ、イスズ自身はどう思ってるの?」

 槍と槍がぶつかり、からみあう。あたりには熱と鋭い空気が満ちて、互いの息遣いがやけに大きく聞こえる。チトセはその中で、やけに静かな心とともに、友達の答えを待った。

 あれはいつのことだったか。チトセはイスズに、問いかけたことがあった。「なんで、竜狩りやってるの?」と。あのときはただ、自分の中のもやもやしたものを振り払いたくて、年上の少女に答えを求めただけだった。

 そのとき彼女は、言ったのだ。「首領のためだ」と。この上なく気高い、笑みとともに。

 彼女の姿勢を尊敬し、揺らぎのひとつもない言葉に呆れ、そして、その意味を考え抜いて。今はただ、知りたい、と思う。

 彼女自身の思いは何か。意思の根は、どこにあるのか。あるいは――

「私? どうとも思ってないわよ。ただ、竜の残虐さを知っているだけ」

 最初から、そんなものは存在しないのか。

 チトセは思わず息をのむ。一番聞きたくなかった言葉を聞いてしまった気がする。遠ざかって、冷やかになってゆく意識はけれど、激痛によって強引に引き戻された。悲鳴をこらえ、反射的に後ろに下がる。脇腹からぽたぽたと、したたるものがあることに気づいた。イスズの槍に切り裂かれたのだ。続けざまに放たれた一撃を、力強い槍さばきでしのいだチトセは、闇を背に立つ友をにらんだ。

「あんた、本当になんとも思わなかったの? あの、風竜を見て」

 ひそめた声で問うと、赤毛の少女は薄く笑った。

「思わなかったわけじゃないよ。ああいう竜もいるんだ、って知ったのは、よかったと思う」

「じゃあ……」

「でも。それでも竜は凶暴で残虐だ、って思うのは、変わらなかった」

 あでやかとさえいえる声にさえぎられ、チトセは思わず押し黙る。少女は、ほほ笑みながらこう続けたのだ。

「だってそうでしょう。『あの子』だって立派な竜だった。風を操り、水竜の群と渡りあった」

 目の前に、忘れた頃に突きつけられた事実。それにチトセはひるんだ。槍が風を切り、少女がうたうように言う。

「チトセ。裏切ってないっていうのなら、あの竜の居場所を教えて」

「イスズ、あんた……」

 何かを言わなければ。そんな思いにせき立てられて口を開いたチトセはけれど、直後に己の不覚を悟った。闇の中で風が鳴り、鋭い殺意が迫るのを感じたのだ。――それも、背後から。

「ちっ――!」

 振り返ろうとするが、そんな暇はないと思いなおす。降ってくる厚刃あつばを、転がるようにして避けた。ぶんっと低い音が響くと同時、別の刃がそれを弾いて激しく鳴る。チトセがぽかんとしていると、すぐそばに人が立った。もう一人の少女は、サーベルをくるりと回して、竜狩人の少女たちに不敵な笑みを向ける。

「大丈夫か?」

 問いかけられても言葉は出ない。チトセは不格好にうなずいた後、体を起こして闇をねめつける。そこにいたのは、見覚えのある男。『破邪の神槍』の幹部の一人だ。狩りで一緒になったことはないが、拠点ではよく姿を見かけた。その彼は今、チトセに剣を突きつけている。

「ちぇ、もう少しだったのに」

 軽い口調で呟いた男を、イスズがとにらみつけた。

「邪魔をしないでください。チトセは私がどうにかすると、言ったじゃないですか」

 ゼフィアーでさえ一瞬ひるんだ鋭い声に、男はまったく動じない。

「だーめだめ。おまえなんかに任せてちゃ、裏切り者を始末するどころか、逃がしかねないからなあ」

 軽い笑みとともに放たれた言葉は、チトセにとって聞き流せるものではなかった。思わず隣のゼフィアーを見ると、彼女も驚いたようにチトセを見ていた。「裏切り者の始末、か」と苦々しげに呟いた伝の少女へ、チトセはそっけなく返す。

「気、遣わないで。こうなることはわかってたし」

 ゼフィアーは、戸惑ったようにうなずいた。耐えられないほどではないが、なんとなく重い空気が二人の間を流れる。だが、それを断ち切るかのように、男の意地悪そうな声が飛びこんできた。

「心配しなくても平気だって。ほとんどの奴らは、ガキ探しのために置いてきたんだから」

 ガキ探し。

 さりげない一言が、頭の中に重く響く。そして、響きが消えかかったとき――チトセはその意味を、やっと悟った。ゼフィアーも、しまった、というような表情で背後を振り返っている。

 チトセが前を見ると、男は相変わらずの態度で、イスズは静かな様子で立っていた。

「まさか、最初からそのつもりで……!」

 噛みつくように怒鳴りかかったチトセへ、イスズは冷たい笑みを向けてきた。

「これは『破邪の神槍』としての作戦だわ。私はあくまでも、チトセと戦いにきただけよ」

 我知らず舌打ちをこぼし、少女は今の仲間を振り返ろうとする。けれど、そのとき、街の建物の陰から長身の男たちが姿を現したので、ぎょっとした。彼らはいずれも、チトセの知った顔だ。――当然だ。簡単に、行かせてくれるわけがない。静かに得物を構えている彼らを見ると、むしょうに腹が立った。

 チトセはぎゅっと目を細める。耳障りな音が、くすぶっていた熱いものを膨らせた。自分の歯ぎしりの音だとは、気づかなかった。どちらへ行こうか迷っている様子のゼフィアーを一瞥したチトセは、親友の少女めがけて、雄叫びとともに槍を突き出した。

 不意を突かれたらしいイスズは、槍を構えはしたものの、チトセの全力の一撃を前によろめいた。その隙に彼女は槍頭を相手の柄へねじこみながら、後ろに向かって叫んだ。

「ゼフィアー! あたしはいいから、あいつのとこに戻れ!!」

 チトセはまっすぐ相手を見ていたので、ゼフィアーがどんな顔をしていたのか知らなかった。けれど、すぐ困り果てたような声が返ってくる。

「けども、放置するわけにもいかんだろう? それに……簡単には戻らせてくれなさそうだ」

 どこかのんびりとした言葉の終わりに、あたりの殺気が膨れ上がった。彼女らを取り囲んでいるほかの竜狩人たちが、じりじりと距離をつめてきているのがわかる。ああ、そうだったと、チトセは状況の悪さを思い出し、叫びだしたくなった。

 じゃりりっ、とやかましい音を立て、穂先と柄がこすれあう。イスズと槍を交わしあっていると、舞踏でもやっているかのような気分になるが、そう悠長なことも言っていられない。このままでは、『破邪の神槍』側の思うつぼだ。それだけは、嫌だった。

 どうする、と考える暇すらない。ひとまず、イスズとあの男の気だけは引いておかないと、と力を込めて槍の柄を握った。

 そのときだ――すぐそばに迫っていた一人の竜狩人が、血をまき散らして倒れたのは。

「えっ?」

 誰かが呆けた声を上げる。だが、それ以上の暇を与えず、暗闇の中から突き出た穂先が次々と、竜狩人たちを倒していった。仕上げとばかりに、一人の頭が石突で殴られた。

 石突。見覚えのある、槍。――ということは。

 ふいにひらめいたチトセは、一度イスズから距離を取る。夜陰にまぎれた『彼女』を見ようと、目を細めた。

「遅かったわね」

 ほっとしていることを隠すように、憎まれ口を叩く。と、軽やかな笑い声が、紫紺の中から聞こえてきた。

「ごめんなさい。もう少し早く出てこられればよかったわね」

 砂が鳴り、砂漠の夜風が銀色の髪を揺らす。悠々と歩み出てきた槍使いは、竜狩人たちに挨拶代わりの一瞥をくれると――血のついた槍を構えた。緑の目が、『伝の一族』の少女にほほ笑む。

「大丈夫よ、ゼフィー。殿方の相手は、私が引き受けるわ」

 ゼフィアーがうなずいたのが、暗がりの中でもわかった。威嚇するようにサーベルをひと振りしたのち、宿屋の方へ戻ってゆくのも。それを見送ってから、長い槍を携えた女は、流れるように移動して、チトセのすぐそばに立つ。

「存分にやりなさい、チトセ」

 青銀の女のささやきに、竜狩人の少女は力強くうなずいた。

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