第二章

6.噂

 下山したのち砂漠を歩き、地平線の上に都市の影を見いだしたのは、イグニシオと会ってから六日後のこと。ディランが砂の先を指さして「あ、レッタだ」とこぼした瞬間、一行に安堵の空気が流れた。

「ようやく砂漠も終わりか……」

 チトセが、疲れきった様子で呟いた。刀に手槍、金属をふたつも携えているのだからよけいに暑いのだろうと、ディランはなんとなく思った。

 影と陽光は少しずつ、家いえの姿を浮き彫りにしていく。ほどなくして六人は、無事、レッタの中へ入った。四角い民家の軒先に、色のついた布がぶらさがっているのを見る。小さくくりぬかれた穴のような窓をはりつけ、軒を連ねる建物たちはどれも同じに見えた。変わらず、レッタの家並みは独特だ。

「すごい人ね」

 行き交う人々を見回したマリエットが呟く。彼女はそのまま、流れ落ちてきた汗をぬぐった。

 レッタを行く人のほとんどが、商人か無謀な旅人たちである。通りを飛び交う荒っぽい声は、熱とさらなる喧騒にのみこまれて雑音と化していた。「なんか、うるさいな」とチトセがひとりごつ。

「なんというか、活気がありますね。前に来たときより、人が多い気がします」

 レビが興味深そうに呟いた。

「確かに。祭りでもあるのかな」

「こんな砂漠のまんなかで、か?」

 首をひねったディランに、トランスが呆れたような視線を向ける。水竜は、それもそうか、と軽く笑った。「とりあえず、休む場所でも探さないか?」と、疑問にふたをするように、ゼフィアーが話題を変える。だが、その言葉がすべて終わる前に、しゃがれた大声が一行の足を止めた。

「おい、山向こうで聞いたんだが、竜狩りが激しくなってるって本当か?」

 ディランは息をのんでそちらを見た。露店のそばにかがみこんでいる、浅黒い肌の大男が、気遣う様子もなく、不穏な噂話をしているところだった。露店の主だろう、頭に布をまいた小柄な男は、商品を扱う手を止めずにうなずいた。

「そうらしいな。特に、このレッタから西で」

「くはー、竜が本当にいるたぁね」

「ま、心配せんでもいい」

 小柄な男が顔をあげ、しわだらけの目もとを無感情に歪めた。

「おもしろいことに、『暁の傭兵団』が竜狩りを片っ端から阻止してるらしいからな」

 思いもよらぬ情報に、顔を見合わせた一行は、目をみはって固まった。

 

「……さっきの話、どういうことでしょうか」

 以前と同じ宿屋にひとまず腰を落ちつけたところで、レビがおずおずと口を開く。それに答えたのは、あくびをかみ殺すトランスだった。

「どうもこうも、言葉どおりなんじゃないの? 彼らなら、竜狩人を狩るくらいは、平然とやりそうだぜ?」

「た、確かにそうかもしれませんけど……」

 とっさに言い返したレビは、にわかには信じがたいというような目をしていた。乾いた笑いを漏らしたディランは、けれどすぐに笑みをひっこめた。揺らめく影のような色が、青い目ににじみ出てくる。

「たぶん、竜狩りを阻止しているというよりは、『破邪の神槍』の連中とぶつかってるんじゃないかな」

 誰かが息をのむ音がした。そこへ続けて「確かに。幹部は世界じゅうに散らばってるしね」と冷たい声を叩きつける。彼女の声は平板だったが、その表情は、痛みをこらえているかのようだ。ディランもまた、複雑な思いで少女のつむじを見おろしていたが、深く息を吐くと、顔を上げる。

「まあ、行って、訊いてみればわかるだろ。それに、俺たちが心配しなきゃいけないほど、あの傭兵団はやわじゃない」

「……それもそうか。ジエッタ殿が率いているものな」

 やることをやろう、とゼフィアーが言って伸びをする。明るい声のおかげで、みんな気分を切り替えたのか、はりつめていた空気がふっとゆるむ。めいめいに話しだす仲間たちに苦笑して、ディランはなんとなく、高い所にある窓を仰ぎ見た。小さな四角い窓の隙間から見える陽の光は、すぐにでも消えてしまいそうなほどに、淡い。

 ひょっとしたら、師匠は、俺の正体に気づいた――いや、たどり着いたのかもしれない。根拠があるわけではないが、ディランはそう思った。それか、弟子の素性など関係なく、本当にただ彼らに協力するつもりで、竜狩人たちの邪魔をしているだけかもしれないが。どちらにしろ、師匠らしい。

「無茶しないでくださいよ、師匠」

 ジエッタが聞いたら「あんたが言うんじゃないよ」と怒鳴りそうな台詞をこぼし、ディランは窓から目をそらした。

 

 その後もさりげなく聞きこみを続けてみると、大陸西部で竜狩りが激しくなっているのは、事実らしかった。ここ百年近く、人間と接触しないように生きてきたはずの竜たちが、急に人の目につくようになっているということに、水の主竜は眉をひそめる。もっとも、そのうちのいくらかには、人間や同胞を説得するために動いてくれている竜も含まれてはいるだろうが。

「やれやれ。どうも、きな臭くなってきてるねえ」

 話を聞いた商人に手を振ったトランスが、おどけるように呟いた。言葉とは裏腹に、神妙な表情で道の先をにらんでいる。商人の背中が人混みの中に消えていったころになって、仲間たちを振り返る。やれやれ、とでも言いたそうな男の顔に、全員が苦笑した。

「説得も、一筋縄ではいかなさそうだな」

 頬をふくらませてぼやいた少女が、つま先で地面を蹴る。乾ききった小石が、小さな音を立てて転がっていった。

――ゼフィアーの言うとおりではある。これまでの報復の連鎖を見る限り、高尚な理想を説いても、家族や友を奪われた者たちは聞く耳をもってくれないだろう。はじめからわかっていたこととはいえ、ずいぶんと厳しい状況である。それに加えて、時間もない。

 砂漠はイグニシオの力に覆われているからまだいいが、ほかの場所はどれほど気候や生態系が乱れているか、わかったものではない。黄色みのかかった青空に燦然と輝く太陽を見上げて、ディランは「参ったな」とこぼした。そのとき、近くで金属が鳴る。チトセが手槍の石突で地面を叩いたところだった。

「でも、少なくとも『暁の傭兵団』は話を聞いてくれそうなんでしょ? 人間も竜も、あちこち乱れまくっているこの状況が正しいなんて信じこむほどの馬鹿ばっかりじゃないと思うし。あんたらのあきらめの悪さでどうにかしなさいよ」

「正論だけど、なんか人聞きの悪い言い方をされた気がする……」

「褒めたのよ。これでも」

「褒めたの? それで?」

 ちっとも悪びれないチトセに、レビが白い目を向ける。二人は、まだ何か言い合いを続けそうな雰囲気だったが、先にチトセが口をつぐんだ。鋭い目を天に向けてから、歩きだす。

「ほら。ごちゃごちゃ言ってるひまがあったら、さっさと宿屋に戻って陣の解読するわよ」

 そう、彼女が言っている間にも、本人の姿は遠くなっている。「こらこら嬢ちゃん、一人で行くな」とのんびり言ったトランスが歩きだし、残る四人も彼らを追って走り出した。

 

「む、むうう」

 薄汚れた毛布を頭からかぶり、思案しているともただうなっているともつかない声を上げたのは、不思議な色の瞳をもつ少女だ。三つ編みをほどき垂らしている茶髪が、彼女の小さな顔をちらちらと覆う。手燭の炎が音を立てて揺れた。ディランは、地面に広げている紙に向けていた目を少女へ向ける。

「どうだ、ゼフィー。わかるか?」

「こ、このあたりの古代語が何を意味しているかはなんとなくわかったけども……それがいったい、儀式でどういう役割を果たすのかがさっぱりだ」

「うーん。まあ、確かに、こういうのって暗喩的な表現が多いからな。そもそも、文章になってなかったりするし」

 そうなのだ、とため息混じりに言いながら、ゼフィアーは紙に描かれた陣の中央をなぞる。ちょうど、人を示すのであろう絵図のそばの古代文字の羅列に、指の影がかかる。「生まれ」「罪」「共同体」――そういった、関連性のありそうななさそうな、単語の羅列に二人は眉をひそめる。


 ひととおり情報収集を終えたあと、ディランとゼフィアーはさっそく、陣の解読に入っていた。日が沈むまではマリエットにも協力してもらっていたが、今は二人だけの作業である。狭い一室の片隅で、手燭の明かりだけを頼りに、縮こまるようにして解読を続ける二人は、さすがに疲れはじめていた。古代文字の知識が、ディルネオの身にしみこんだものだったのは幸いだったが、だからといってつながりの見えない文字のひとつひとつを読み解いて、裏にひそむ意味さえ考えなくてはならないというのは、とにかく大変なことだ。


 ゼフィアーが、ため息というには勢いのいい吐息をこぼしたそのとき。かさり、と乾いた音がして、闇の中にいっそう濃い影がもりあがった。二人がそろって振り返ると、起きあがってきていたチトセと視線がかち合う。彼女は、手燭の炎がまぶしかったのか、目をぎゅっと細めた。

「あんたら、まだやってたの? 気合入ってんのはいいけど、そろそろ寝たら?」

 とげを含んだ少女の声に、ゼフィアーがにこりと笑う。

「うむ。ちょうど、切り上げようかと思いはじめていたところだ」

「あっそ。ならいいけど」

 寝ぼけまなこつたえの少女に一瞥をくれると、チトセは目をこすりながら立ちあがる。手槍を引き寄せ、刀を佩いた彼女を見て、ディランは目をみはった。

「そういうチトセは、どうしたんだ」

「目、さめちゃったから。散歩行ってくる」

 チトセはそれだけ言い残すと、夜陰にまぎれこむようにして、部屋の外へすべり出た。なびく黒髪を見送ったあと、水竜と少女は顔を見合わせる。

「なあ、ディラン」

「なんだ」

「さっきのチトセは散歩という雰囲気ではなかったと思うけども」

「俺もそう思う」

 ひそめた声でぽんぽんとやり取りをした彼らは、しばらく、なんとはなしに手燭の火をながめた。ヂヂッと鳴って揺れる炎を前にして、ディランは小さく息を吐いた。

「まあ、いちいち詮索しても嫌がられるだけだろ。そうそう、危険なこともしないだろうし――」

 自分に言い聞かせるようにそう呟いていたディランはしかし、ふっと口をつぐむ。何かを考える前から、右手が得物にのびていた。

 ちりちりと、焼けつくような気配が、全身を包みこむ。慣れ親しんだ、危険を知らせる感触は、けれどいつも同じ不快感をともなっている。ディランが横を見ると、ゼフィアーも暗い目をして闇夜をにらみつけていた。

「ゼフィー。……前言撤回」

「うむ」

 言うなり二人は、足音を立てぬようにして部屋を出、さらに宿屋の入口へ急いだ。外をうかがえるよう、壁に背をぴたりとつけたディランに対し、ゼフィアーは雑に髪を結ったあと、中腰で扉を慎重に押し開ける。それからディランを振り返り「出てきてはだめだぞ」と言って、自分は飛び出した。

 遠ざかる少女の足音を聞きながら、ディランは目だけで扉の外をうかがった。

 直後、けたたましい金属音が響き渡る。夜の中、銀色の光が閃いた。

 闇の先へと目をこらせば、ゼフィアーのさらに向こうに、チトセの背中が見える。彼女は、紫紺の中に沈んだ赤毛を前にしていた。ディランの方から表情はわからないが、険しい顔でにらみつけているであろうことは、想像に難くない。

「……イスズ!」

 空白のあと、少女の鋭い声が、静寂を切り裂いた。

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