4.水と炎

 炎竜たちと出会ったことで、一行は進路を変えることを余儀なくされた。そうは言っても、ひとっ飛びでゼノン山脈まで行けるのだから、彼らとしては願ったりかなったりだった。人里を避け、竜たちに乗せてもらった彼らは、やがて眼下に黒々とした山並みをとらえる。六人は、今イグニシオがとどまっているという山の、低いところにおろしてもらった。一気に彼の竜のところまで行きたいのは山々だったが、急に頂上付近に降りると、空気の薄さと寒さで体を壊すおそれがあったので、やめておく。

 散っていく炎竜たちを見送ったあと、残った一頭を案内役に、ディランたちは山登りを始めた。物腰が丁寧なその竜には、見覚えがある。

『アグニオ、だったか?』

 ゼフィアーが、竜語を使って慎重に問いかけた。頭をわずかに彼女の方へ向けた炎竜は、喉を鳴らす。『はい、お久しぶりです』と、穏やかな声が返る。ゼフィアーはぱっと笑ったあと、咲き誇った花がしおれていくように眉を下げた。

『あのときは、大変だったな。傷は平気なのか?』

『ええ。もうすっかり元気ですよ。――バルジオの奴も』

『そうか! それならよかった』

 その後も、ゼフィアーはアグニオに話しかけ続ける。よほど楽しいのだろう。頭が上機嫌に揺れ、それにあわせて茶色い三つ編みも舞っていた。一人と一頭の会話を、他の人間たちは興味深そうに見やる。「微笑ましいわね」と笑うマリエットを見て、なおのこと会話の内容が気になったらしいレビとチトセが、顔を見合わせたあと、いっせいにディランを見た。

「あれ、どういう話してんの? 速くて聞きとれない」

「え、俺?」

「あたりまえでしょ」

 旅の中で、竜語を尋ねられたことがなかったディランは、チトセの質問に目を瞬かせた。射抜くような少女の視線に困った彼は、頭をかいたあと、「具合はどうか、とか、そういうことを話してる」と適当に答えておいた。わざわざ通訳するほどの話でもない。チトセは曖昧な答えに、不満げに眉を寄せたが、レビはあっと言って目をみはった。

「そうか。ぼくらが来たときは、確か怪我をしてましたもんね。元気そうで安心しました」

「ああ。もう一頭の方も、今は元気みたいだよ」

 嬉しそうにするレビの頭を、ディランはぽんぽんと叩く。

 彼らの言葉を聞いて、チトセも答えがわかったのだろう。神妙な顔でうなずいていた。

「このあたりで炎竜狩りしたのは……オボロさんとイスズか」

 暗い声でこぼれた呟きは小さく、少し前を行くディランたちまでは届かなかった。唯一聞こえていたトランスは目を細めて彼女を一瞥したものの、何も言わずに視線をそらす。わずかに漂ったはりつめた空気は、まわりの和やかな雰囲気に打ち消された。


 アグニオを先頭に、淡々と山を登っていく。山にはやはり草の一本もない。むきだしの山肌と、ごろごろ転がる岩だけが見える。アグニオによれば、ゼノン山脈のどの山も、同じ様相だという。

『イグニシオ様の御力の影響で、植物が育ちにくくなってしまっていますからね』

「そのへんも、ディルネオと正反対なんだなあ」

 トランスがおもしろそうに言う横で、ゼフィアーたちもふんふんとうなずいている。《大森林》を目にしたばかりの彼らにとっては、興味深い話だったのだ。水の主竜の名前が出たことで、優しく笑っていたアグニオは、ぴくりと一瞬固まった。すぐあと、ディランは苦笑する。彼を見たアグニオの目は、うかがっているような、態度を決めかねているような、そんな色があったからだ。

『その……あなたは、本当に?』

 実際、言いにくそうに訊いてきた。ディランは肩をすくめる。

『竜の直感を信じていい。まあ、信じられない気持ちもわかるが』

 竜語で切り返すと、アグニオは目をみはった。ディラン自身、最初は信じられなかったのだ。己の中から顔を出したディルネオの意識は何かの幻なのではないか、と疑ったほどである。一度「ディラン」を目にしているアグニオたちが、驚き戸惑うのも無理はない。

 困惑しきりの炎竜を落ちつけるつもりで、ディランはさらりと話題を変えた。

『ところで、おまえたちはどうして私に気づいた? 変化しっぱなしだったから、遠くからでは私のことはわからないはずだが』

『あ、ええ、それは……イグニシオ様です。あのお方が、まっさきにあなたの気配を感じ取られたようで』

 まだ戸惑いが消えないらしいアグニオは、しどろもどろになりながら答えた。彼の言葉に、竜語のわかる人々は、意外そうに目を合わせる。一方、ディランは「やれやれ」と呟いて頭をかいた。

「これは――間違いなく、説教食らうな」


 それからしばらく歩いて、太陽が天頂を通り越した頃。少し、視界のひらけた場所に出た。ごろごろ転がる岩の数が少なくなり、山肌が砂塵まじりの風に吹かれている。笛の音のようなさびしい音を聞きながら進んでいると、羽ばたきの音がした。アグニオがぴたりと止まる。

『追いついたようです』

 アグニオが、主にディランとゼフィアーに向かってそう告げた。目の前に、紅い竜たちが姿を見せる。はじめて会ったときのような警戒の色はないが、やはり態度に困っている様子だった。竜の中には、以前見かけたものもいる。ゼフィアーやトランスが、そんな彼らに向けて簡単な挨拶をしていた。……もちろん、トランスの言葉はわからない竜の方が多い。しだいに和やかになりはじめたその場に、突然、明るい声が割り込んだ。

『あ、来た来た!』

 六人が声のした方へ目を向けると、炎竜の群の向こうから、小さな白い竜が飛んでくる。

「ルルリエ!」

 レビが、嬉しそうに名を呼んだ。彼らの前に降り立ったルルリエは、いつものように胸を張る。

 宿場町を出る前に、ゼノン山脈で落ちあう約束をして、彼女とは別れたのだ。やはりというか、彼女が先にたどり着いていたらしい。

「イグニシオと話がしたいって言ってたよな。会えたのか?」

『いいえ。イグニシオ様、今は別の炎竜と話されているみたいで。けど、もうすぐお帰りになるそうよ』

「そっか」

 ディランは手をのばし、ルルリエの首もとをそっとなでる。嬉しそうにしている彼女を見ていると、犬をなでているような気分になってきた。おかしくなって思わず小さく吹き出すと、風の小竜も楽しそうに喉をならした。常に明るいルルリエに引きずられるようにして、炎竜たちも戸惑いをのみこんで穏やかな表情を見せるようになっていく。そっと、ゼフィアーやマリエットに話しかける竜も出てきた。

「これ、オボロさんあたりが見たら狂いそうな光景ね……」

 手槍を体に引き寄せたチトセが、ぼそりと呟く。やはり《魂喰らい》の武具の力は隠せないのか、竜の多くは彼女に突き刺すような視線を向けていた。それに気づいたディランは、念のため弁解しておこうと口を開きかけ――すぐに閉じた。

 いっそう大きな、翼の音がする。一か所に固まっていた炎竜たちが散らばりはじめ、ルルリエは一行の方に移動した。そうしてできた空間に、巨大な竜の影がさす。ほどなくして、紅い巨竜が乾いた山に降り立った。砂埃が舞い、熱をはらんだ風が吹く。吹き飛ばされそうになったレビとチトセを、トランスが襟首をつかんでまとめて引きとめた。

 風がおさまり、天を見ていた炎竜イグニシオは、ゆっくりとこうべを垂れる。目には猛々しい光が宿り、旅人たちを品定めするかのように見回していた。そして、チトセのところで一瞬目をとめたあと、ふいっとそのままゼフィアーを見る。

『久しいな』

 一番に、そう言った。ゼフィアーが、久しぶり、と再会の挨拶をしかけたとき、イグニシオはそれをさえぎって問いかけてきた。

『なぜ、狩人がともにいる? 竜の領域に狩人を連れ込むなど、正気の沙汰ではないぞ』

『う……のっけから手厳しいな。そう言われるだろうとは、思っていたけども』

 たじろいだゼフィアーは、身構えているチトセを一瞥する。下手をすれば飛びかかりそうな彼女を目で制して、イグニシオに向き直った。

『あのあと、《大森林》に行ってな。そこで、彼女と出くわした。彼女なりにいろいろ考えたようだし、竜狩りが正しいのかと迷っている部分もあるそうだ。それで、竜をもっと知るために、私たちと一緒に行動している。大丈夫だ、今は敵ではない。お主の眷族たちにも手は出させない』

 ところどころをぼかして事情を説明したあと、ゼフィアーはきっぱりと言い切った。彼女の射抜くような視線を前に、何を思ったか、イグニシオはそれ以上ただすことなく、『当たり前だ』とだけ言った。彼はゼフィアーから目を離し、かたわらのディランを見た。

『さて』

 驚くほど静かに言った彼は、突然、翼で空を打って、体を少し浮かせた。

 ざわめいている眷族たちを無視し、彼はわずかに胴をひねると、尾をぶんっと振り――ディランへ叩きつけた。

 紅い竜の尾を胸のあたりに受けたディランは、声を上げる間もなく吹き飛んだ。体がかたい地面にぶつかったとき、仲間たちの悲鳴が聞こえてくる。たまたまそばにいたルルリエが、翼を張って威嚇するような姿勢を見せた。

『い、イグニシオ様!? なんのつもり』

「待て、ルルリエ」

 痛みを感じつつもひょいっと起きあがったディランは、ルルリエをやんわりなだめる。彼女は目をみはったあと、張った翼をゆっくりたたんだ。

『ちょっと……大丈夫なの?』

「忘れたか? これでも今は、竜の変化体だ」

 呆れたように見てきたルルリエに笑って答え、ディランは軽いかけ声とともに体を起こす。そのとき、ちょうど、イグニシオと目があった。


『ディルネオっ! この馬鹿者が!!』


 イグニシオはいきなり怒鳴りつけてきた。腹の底に響く怒声に、人々だけでなく眷族たちまで震えあがったが、怒鳴られた本人は涼しい顔をしている。

『イグニシオ、痛烈な歓迎だな』

『あたりまえだ! 俺との約束をすっぽかしたあげく、行方をくらましおって!』

『一応言っておくが、好きで失踪したわけではないからな』

 怒り心頭のイグニシオは、今にも食いかかりそうな勢いでディランへと詰め寄る。対するディランは、飄々として彼の言葉を受け流していた。その後もイグニシオは怒声をまき散らした。レビなどは震えっぱなしだったが、眷族として従って長い炎竜などは、しだいに冷静さを取り戻して、お互いの苦笑いを見る余裕まで出てきていた。主が二十二年間でたまったうっぷんを吐きだしているだけだと、気づいたのである。

 ありがたい説教が一段落したところで、ディランはそっと踏み出した。まだ怒っているイグニシオの鱗に触れる。突き飛ばされるかと思ったが、イグニシオは彼をじろりとにらんだだけだった。

『――すまなかった、本当に』

 ディランは短く、それだけを口にした。とたん、今までのおどけたような空気が消えうせる。嬉しいのか、申し訳ないのか、情けないのか、自分でもよくわからない感情の渦が胸を覆い尽くして、言葉すらも出なくなる。肩に重いものがのしかかったかのようにうなだれて、唇をかんだ。

 イグニシオは、しばらく黙っていた。だがあるとき、それまでの沈黙を振りきるかのごとく、喉を鳴らした。

『今度、黙っていなくなったら許さんぞ。覚えておけ』

『ああ。……ありがとう』

 うつむいて言ったディランは、ようやく顔を上げる。竜の瞳をとらえて、不器用に笑った。

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