3.砂漠の狩人

 白い砂と茶色い岩がまじりあう大地が、ずっと遠くまで広がっている。照りつける太陽の光は強く、吹く風は乾いて、生ぬるい。炎竜えんりゅうイグニシオの領域であるゼノン山脈周辺の砂漠は、冬の終わりであろうともその姿を変えてはいなかった。

「砂漠は二度と来たくねえ……って思ってたんだけどねー」

 力の抜け切った声を発した男が、たれてきた亜麻色の髪を払いのけたついでに、汗をぬぐう。砂漠に入ってそれほど経っていないというのに、外套の下の顔には、早くも濃い疲労がにじんでいた。隣にいた竜狩人の少女が、彼に呆れたような視線を注ぐ。

「二回も砂漠越えの経験があってそれ? だらしないわね」

「おうおう。チトセ嬢ちゃんは、あいかわらず手厳しいなあ」

 疲れきった様子ながらも、少女の毒舌をのらくらとした様子で受け流した男は、大仰にため息をつく。

 それを見て、ディランはこっそり苦笑した。トランスの砂漠嫌い――というより、暑さ嫌いは相変わらずのようだ。

 宿場町を出て数日歩いた一行は、砂漠地帯に突入していた。日暮れ前には、オアシス都市ヤッカに着くであろうという見立てで歩いている。暴力的な暑さの前に、誰もが参っているものの、前と違って先の見えない絶望感はなかった。ディランは、砂の中に不思議な模様をつくっている岩をながめる。地平線に都市の影はない。ヤッカはまだ先にあるようだと判断したディランは、仲間たちを振り返る。

「いったん、休憩するか?」

 そう訊くと、レビがふらふら手をあげて「お願いします……」と言った。ゼフィアーやマリエットも、無言でうなずいている。

 手ごろな岩の陰に入り、堅焼きパンと多めの水を流しこむ。水の残りを気にしているのか、しきりに水筒を振っていたゼフィアーが、ふっと顔を上げてディランを見た。

「そういえばディランは……平気そうだな」

「平気? そうか?」

 ディランは首をかしげつつ、外套の帽子を引き寄せる。平気そうといわれても、暑いものは暑い。容赦なく照りつける陽光に、ちりちりと肌が焼かれる感覚がある。けれど、指摘されて考えてみれば、以前来たときよりも疲れにくくはなっているかもしれない、と思った。その理由を言い当てたのは、天をあおいで顔をしかめていたマリエットである。

「水竜本来の体質に戻ってきているんじゃないかしら? 水竜の性質は、炎竜の性質を打ち消すといわれているから」

 彼女に言われ、ディランはそういうことかとうなずいた。ゼフィアーとレビの二人が、同時に「へえー」と声を上げる。

「なるほどね。ちょっと腹立つけど、納得」

「いちいち腹立ててると疲れるぜ。ただでさえ暑くて大変なのに、よけいな体力使う必要もないだろ?」

「暑くて大変なのは、おもにあんたでしょ」

 とげとげしいチトセの言葉を笑って流し、トランスが彼女の頭をぽんぽん叩く。いじりがいのある相手が加わったからか、トランスは以前より少しだけ元気だった。


 休憩を終えた六人は、再びオアシスを目指して歩き出す。ときどき、虫や小動物の影を見かける以外に動物と出会うことはなく、植物も、ぽつぽつ生えるサボテンだけだ。さびしい景色をながめる合間に太陽をあおいで方角を確かめる。それ以外はただひたすらに足を動かすという、つらい時間だ。

 唾をのむ音すら、静寂の中ではよく響く。ディランがさりげなく振り返ると、今にもため息をつきそうな表情のレビと目があった。彼は少し恥ずかしそうにしたあと、ひかえめに微笑んだ。ディランもまた、笑みを返す。そしてレビの横ではゼフィアーが何やら、独り言をこぼしていた。

「なにぶつぶつ言ってんの、あんた」

「いや。例の《儀式》の陣について少し……な」

「何も砂漠のまんなかでまで、そんなこと考えなくていいでしょ、あきれた」

《魂還しの儀式》について、ひとり考察を深めていたらしいゼフィアーに、チトセが冷めた視線を送っている。少女二人のやり取りを前にして、少年と竜は再び笑いあった。そしてそれ以降は、また静かになる。爛々と光る太陽は衰えを知らないかのようだ。長らく歩いていると、光が砂を焼く音が聞こえてきそうな気さえしてくる。砂を踏みしめたのち、つま先に固い感触をおぼえたディランは視線を落とす。つま先で、小石を蹴っていたようだ。小石はすぐ、砂の中に埋もれていく。無味乾燥な光景に、ため息がこぼれそうになった。


 しかし――幸か不幸か、残酷な平穏は唐突に打ち砕かれる。


 うなじのあたりが痺れたのを感じ、ディランははっと身構えた。まわりの五人もさりげない風を装って、まとう空気は鋭いものになった。砂を巻き上げる風の音。それにまじって、「見つけた」という声が聞こえた、気がした。ディランが剣に手をかけたのと同時に、チトセが、注意していないと気づかないくらい自然な動作で手槍を持ち上げる。流れるように槍頭を鞘から抜き、虚空へむかって軽々振ってみせた。砂煙の先で、甲高い音が鳴る。砂がこすれ、ぼやけた空間に人影が見えた。

 ディランが剣を抜き、ゼフィアーがサーベルを構えたのはそのときである。残り三人も、続いて武器を構えた。かすかだった殺気が急激にふくれあがって、岩陰からぞろぞろと、武器を携えた男たちが姿を現す。

「さっそくお出ましか」

 トランスが言う。今にも口笛を吹きそうなほど軽い口調だったが、その表情には緊張がにじんでいた。

 男たちはじりじりと距離を詰めながら、視線を交わしている。

「おい、こいつらで間違いないのか」

「ああ。情報の通りだ」

「けど、竜はどこにもいないぜ」

 潜められた声は、かろうじてディランの耳に届く。眉をひそめる彼の横で、ゼフィアーが「どこかで見たことのあるやりとりだなー」と、のん気な声をあげながら、サーベルを指先で弄んだ。そのとき、きりっ、と鋭い音がする。次いで風がうなり、白い羽の矢が飛んだ。矢は、ディランのななめ前に立っている男二人の頭上すれすれを通過し、背後の岩に当たって跳ね返った。空気が凍りつく。

「――来ないんなら、こっちから行くけど、どうするよ」

 弦から指を離したばかりのトランスが、にやりと笑った。男たちは挑発的な言葉にいきり立った。武器を自分たちの方に向ける『狩人』を見て、隣に立っていたチトセが目をすがめる。

「ちょっと。わざわざ怒らせてどうすんの」

「どうせ、こいつらどうにかしないとヤッカにも行けねえんだ。挑発しようがしまいが同じことでしょ」

 チトセはそれに、ため息をこぼした。一方、棒を敵へ突きつけるレビと、未だ槍の先を鞘から抜いただけのマリエットは楽しそうだ。

「トランスさんの言うとおりです」

「それに……気づかれていないのなら、好都合だわ」

 マリエットの小声に、ディランは無言のうちに同意した。各地に情報をばらまいた『破邪の神槍』の者は、けれど「竜が人の姿をとっている」ことは、他の竜狩人たちには教えなかったらしい。

「ディルネオを討つのはあくまで首領カロク、ということかな」

「だろうな。けどま、奴らの意図なんて、今はどうでもいい」

「だな」

 短い言葉を交わして、ディランとゼフィアーは構えて立つ。男たち――竜狩人たちが一斉に飛びかかってきたのは、直後だった。ディランめがけて走ってきた男の剣を見、ディランは自分の剣を下から上へ力いっぱい振り上げる。短いうめき声と一緒に、剣は弾かれて宙を舞う。動揺する男の鳩尾に、容赦なく拳を叩きこんだ。崩れ落ちる一人の後ろからもう一人が飛び出してきたが、彼は脇腹を手槍に貫かれた。熱砂の上で悶絶する男たちの前に、手槍の持ち主が現れる。彼女はあいた手でディランが弾き飛ばした剣を拾うと、それを投てきした。釣り目が鋭く敵をにらむ。

「宝の持ち腐れね。あんたたち、竜狩りやめて普通に傭兵でもやった方がいいよ」

「ぐっ……このガキ……」

 足もとから聞こえるうめき声。低い罵声に眉ひとつ動かさず、チトセは脇腹から血を流している男に槍をつきつけた。

「あたしにも勝てないような奴が、竜に勝てると思えない」

 冷やかに見下ろすチトセの顔を瞳に映した男は、一転、まっさおになって震えだした。「お、おまえは」とうなるような声がする。チトセは鼻を鳴らしてその男の腹を蹴った。そうとう力をこめたのか、男はうめいた後にがっくりと気絶する。ちょうどそのとき、彼女に飛びかかろうとしていた一人を殴って昏倒させたディランは、ため息をついた。

「容赦ないな」

「これくらいしないと懲りないわよ。……しても懲りない」

「ま、確かに」

 軽いやりとりのあと、二人はにじんだ汗をぬぐい、それぞれ敵に向かっていく。ちょうど、レビの棒に突かれてよろめいたらしい竜狩人の姿が目に飛び込んできた。ディランは、男の向こうに見えるレビに向けて剣を放ると、大きく体勢を崩した彼の腕をひねり上げて、相手を砂の上に倒す。うめいた彼の頭を、棒が思いっきり殴りつけた。レビはちょっと顔をしかめたあと、剣をディランに手渡してくる。

「ありがとう」

「傷つかないように気をつけてください」

「ああ。わかってる」

 ディランの言葉が終わるころ、レビは棒を振り抜いた。鳩尾を殴打された竜狩人が、体を折って気絶する。

 乱戦の中を走るディランのすぐ横を、矢がかすめていった。後ろからうめき声が聞こえる。けれどそれに振り向きもせず、彼はただ剣を振った。横から振り下ろされた刃を受けとめる。ディランは身をひねって剣撃を避けると、横から飛び出してきたゼフィアーに相手を任せた。その間に、躍りかかってきた一人に蹴りを叩きこむ。すぐそばで、長槍のうなる音を聞いた。

「傷つかないように、っていうのは、一番難しいんだけど」

 ディランは肩をすくめて呟いた。


 おそらく、三十人近くいたであろう竜狩人たちは、その数を三分の一程度にまで減じた。残った人々は、この状況にひるんだらしく、遭遇したときとは逆に、じりじりと後退していく。

「な、なんなんだよ、こいつら……化け物か……?」

「竜なんて本当にどこにもいねえし。やってられるかって」

 震え声で呟く者の横で、別の一人がいらだったように吐き捨てる。その声を聞き、ゼフィアーとレビが顔をしかめた。

「本当に気づいていないのだな」

「化け物はひどいです」

 レビが頬をふくらませる。愛らしくさえ見えるそのしぐさに、けれど空気は和らがなかった。竜狩人たちはおびえても逃げるそぶりを見せず、強い殺気をぶつけながら構えをとる。ディランたちも気をひきしめなおした。

 照りつける太陽、どこまでも広がる岩と砂。牙を向けあう人々。時が止まってしまったかのような光景は、しばらくそのまま揺らがなかった。だが少しして、ディランは西の方から熱い「何か」が迫ってくるのを感じる。意識しないうちに、眉がぴくりと動いた。

 異変が起きたのはそのあとだ。

 耳鳴りに似た奇妙な感覚がディランを包みこむ。そしてそれは、この場の全員に襲いかかってきたようだった。異常に気づいた人々は、きょろきょろとあたりを見回す。そして、空を見上げたトランスが、声を上げた。

「おお、見ろよあれ。太陽が歪んでるぞ」

 声につられて、全員が空を見る。今まで、憎らしいほどに変わらず照り続けていた太陽が、楕円を通り越して、ひょうたん型にも似た、妙な形になっていた。だが、「いや」と目陰をさしていたゼフィアーが呟いて、目を細める。

「歪んでるのは太陽じゃなくて空気だな」

 続いた言葉にディランは納得した。そして、その理由にも思い当たった。「天敵」を前にしていることすらつかのま忘れて、薄く笑みを浮かべる。

「わざわざ出てくるとは……彼ららしい」

 その独り言は、さながら合図のようだった。

 言葉の終わりに、歪んだ空気の中に赤い光がぽつぽつと灯る。それは見る間に膨張し、圧迫感が場を包んだ。赤い光は不気味に砂漠を照らし出す。

「これって……!」

 竜狩人のざわめきに、チトセの声が重なった。

 あたり一面を照らし出した赤光しゃっこうは次第に薄れていった。砂の上に影がさす。空を見上げた竜狩人たちが、ぽかんと口を開いた。

 消えた光の先の空は、紅い影に覆われている。重々しい羽ばたきの音が、人々の耳を覆った。炎熱をつかさどる竜たちは、悠然と、地上の者たちを睥睨へいげいする。驚きを含んだ彼らの視線に気づいたディランは、微笑んだ。

「イグニシオの差し金だな」

 見上げる先にいる、炎竜の群は、静かに散開する。そして大きく羽ばたくと、咆哮を上げた。大気がびりびりと震えて小さな生き物たちの畏怖の念をかきたてる。

 やがて、翼の動きにあわせ、竜狩人たちが立っている周辺の空気だけが、微妙に揺らぎだした。目に見えないはずの空気が、けれど激しく渦を巻いていることに誰もが気づく。その渦は力をはらんで、熱風となって男たちに襲いかかった。

 悲鳴がこだまする。熱風はただの威嚇に過ぎないのだが、それに気づいているのはディランたちの方だけだ。恐れをなした竜狩人たちは、熱い、やめろ、と喚き散らしながら逃げてゆく。そこへまた、竜の声が叩きつけられた。

『散れ! 不届き者どもめ!』

 落雷のような一声に打たれた狩人たちは、それに押されたかのように足を速める。倒れた仲間は、ほとんどおいてけぼりだった。うめく人々を、トランスが細めた目で見下ろす。

「あーあー、どうするよ、こいつら。砂漠のただ中で伸びてたんじゃ、そう経たないうちに死ぬぜ」

「殺してないし、これだけ騒いだし、すぐに起きるでしょ」

 冷やかな返しをしたのはチトセだった。彼女はすぐに視線をそらす。本人は意識していないのだろうが、こわばった左手が刀の鞘をなぞっていた。紅い竜たちは、彼女に胡乱な目を向けたものの、何も言わない。竜のうちの一頭――先程、怒声を飛ばした竜が、ディランへ向き直った。

『……お久しぶりです』

 放たれた声は、こわばっていた。彼の意図に気づいたディランは、思わず小さく吹き出した。そして、笑いかける。

『久しぶりだ』

 彼が鮮やかな竜語を返すと、炎竜たちはたちまちざわめいた。声をかけた竜でさえ、動揺したように目をみはっている。それもそのはず、少し前に炎竜イグニシオの領域に踏みこんだこの少年は、そのとき、竜語をまったく理解できていなかったのだから。その彼が竜語を操ったことの意味を、すぐに察した一部の炎竜が、優しく喉を鳴らし、砂の上に降り立つ。彼らはまっすぐにディランを見ると、からかうように言った。

『イグニシオ様が、お待ちですよ』

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