2.出発

 死んでくれ、と。

 そう言われたのは、あの日が最初で最後だった。

 青年が背を向ける。彼の姿を、降りしきる雨が紗のように覆い隠す。水滴に濡れ、口の端をいびつにもちあげる彼は、泣いているように見えた。

 止めなければ。ふっと、そんなことを思った。が、直後、強い想いは黒いもやに覆われた。止めなければと、思うべき時はすでに過ぎた。止められなかったのだ、と、気づいた。

 瞬間、まっ白い光が目を突き刺す。そして、全身に、焼けるような痛みが走った。

 体が重い。視界がぼやける。身体が、受け入れることを拒んでいる。その中でけれど、目を閉じてはいけないと、わかっていた。

 懐かしい、彼らの声が、名を呼んだ。

 

 ディランははっと目を開いたあと、そのまましばらく固まった。ここがどこだか、わからなかった。雨の冷たさはなく、かといって、敵意と血臭けっしゅうに満ちた戦場でもない。見えるのは木の天井。横からさしこむ、夕暮れの光に照らされて、ほのかに赤く染まって見える。

 無意識のうちに、声をこぼした。だが、それはひどくかすれていて、まともな形にならない。喉がひりひりと痛んだ。体を動かそうとして、すぐにやめる。動くには、あまりにも全身が重かった。頭もぼんやりしている。寝起きの気だるさをずっとひどくしたような脱力感がある。すごく眠い、と思った彼は、そこで聞いたばかりの忠告を思い出した。こうして眠りこむ前に、一度、クレティオの姿を見た気がする。あのとき、ディランはディルネオだった。

 それに思い至ったとき、淡い茜色の視界に、誰かの顔が映りこんだ。

「――ディラン? 起きた、のか?」

 茶色い三つ編み、琥珀色とも金色ともつかぬ瞳の変わった少女は、そう言って首をかしげる。考える前に、名前を呼んでいた。

「……ゼフィー?」

「うむ、私だ。大丈夫か?」

 明るい声でそう訊かれて、急に目の前の風景が鮮やかになった気がした。数回、目を瞬いて、ディランは天井を見たままに言う。

「大丈夫。……俺、何日寝てた?」

 ん、と声を詰まらせたゼフィアーは、少しの間指を折って考えこんでから、うなずいた。

「二日半くらいだと思う」

「そうか」

 不思議と驚きはない。そっけなく返したディランは、自分の体を確かめるように拳をにぎり、汗ばんでいる額をぬぐった。

「前みたいに、起きたら十五年経ってました、とかじゃなくてよかったよ」

 ディランが苦笑して言うと、ゼフィアーは目を丸くしたあと、なんともいえぬ表情で黙りこむ。その間にディランはゆっくり起きあがった。まとわりつく靄を払うように、かぶりを振る。まだ、強い眠気はあったが、それに負けそうになる己を叱咤して耐えた。あまりのんびりしていられる状況ではない。

「あんま無理すんなよー」

 軽い声に引き寄せられて、ゼフィアーの向こうを見ると、ひらひら手を振るトランスと目が合った。まわりにはほかの三人もいて、安心したような表情でいる。

「やっと起きた」というチトセの冷やかな声が聞こえた。ディランは思わず苦笑するが、つくった笑みはすぐにかげる。全員がどこかしらを包帯や湿布で覆っているのを見て、ようやく、これまでのことをはっきり思い出した。

 宿場町を出て、砂漠に向かおうとしたところで、カロクとオボロ――『破邪はじゃ神槍しんそう』の二人と衝突したのだ。六人そろってここにいるということは、うまく逃げられたか向こうが退いてくれたか、のどちらかだろうというのは、ディランにもわかった。殺意の宿った眼差しを思い出し、ディランは顔をしかめる。他の五人はともかく、彼はかなり危なかった。クレティオとルルリエが介入してくれなければ、どうなっていたかと思うと、ぞっとする。

『また難しい顔してる』

 ふいに、人のものではない言葉が聞こえて、ディランは視線を上げた。いつの間にか、うつむいてしまっていた。声の方に目をやれば、白い小鳥が羽ばたいて、彼の背中に乗ってくる。

『あなた、本当に考えこんでばかりよね。昔から』

 鳥の姿の竜はそう言って、ディランの顔を見上げる。緑色のつぶらな瞳は、変化体で唯一、竜の面影を残していた。彼女のとげのある物言い、その裏にひそむ意味をくみとって、ディランは今度こそ笑う。――かつて、ルルリエと出会った回数は、きっとそれほど多くない。だが、皆無でもなかったのだろう。指をのばして鳥の頭をなでてやると、彼女はくすぐったそうにしながら言った。

『ディランとディルネオ様、どちらとして接したらいいのかしら』

「みんな同じこと言うよな。……ま、たぶん、こっちの姿のときはディランとして扱ってくれた方が、面倒が少ない。そうでなくても気遣う必要はないよ」

主竜しゅりゅう相手に気遣うなっていうのは、難しいけどね。それじゃあ、とりあえずはディランで』

 ルルリエの明るい声に、ディランはうなずいた。いつか誰かと似たような会話をしたなと、ぼんやり考えた。

 白い竜が納得したのを見計らったかのように、ゼフィアーが話題を切りかえる。

「それで……これから、どうする?」

 ひかえめで、曖昧な問いだった。ゼフィアーにしては珍しく、慎重である。だが、そうならざるを得ない理由を、この場の全員がうすうす察していた。いざ、人々の説得のために動きだそうとした矢先の、竜狩人二人の襲撃。彼らはディランがディルネオだと知り、一行が少しでも竜を擁護している以上、決して手を緩めることはしないだろう。

「こうなれば真剣勝負も何もあったもんじゃない。ほかの竜狩人にあたしらを追わせて、疲弊しきったところで叩く、っていう方法も使ってくるかもね。

首領は、ずるいのとか嫌いだけどさ……オボロさんなら、やりかねない」

 重苦しい空気をさらに重くするようなことを言ったのは、チトセだった。しかし、他の五人も同じように考えていた。覚悟はしていたつもりだったが、道行きがさらに厳しいものになると考えると、逃げだしたくもなってくる。

 だが、それでも、ディランの答えは変わらない。彼は少しの間うつむいて考えたあと、強い目で、仲間を見た。

「俺はこのまま、予定通りに行くよ。まずは、イグニシオに会いに行く」

 そうきっぱり告げた後、彼は「みんなは、どうする?」と訊いた。即座に踏みだしたのは、ゼフィアーだ。

「むろん私もだ。竜のためにできることがあるならばしたい、と、ずっと願ってきたからな。そもそも、言い出しっぺの私がここで降りるわけにもいかない」

 はきはきと言いきったあと、彼女は無邪気な笑みを浮かべる。それに続いて、トランスとマリエットも静かにうなずいた。レビはそっと目を閉じたあと、「ぼくもです」と優しい声をあげる。そこに、以前のような迷いや戸惑いは感じられなかった。

『あなたは?』

 ルルリエが、チトセを見て竜語ドラーゼで問う。チトセは目を伏せ、迷うそぶりを見せたが、結局はうなずいた。

「そもそも、あたしがやりたいのは、『破邪の神槍』とディルネオを見極めることよ。あんたたちについていかなきゃ、それもできない」

 自分に言い聞かせるような口調でそう言った。ディランが思わず顔をほころばせると、彼女はふいっとそっぽを向いてしまう。だが、あらぬ方向を見る彼女の目からは、かつてのとげとげしさがなくなりつつあった。かつてともにあった青年の表情とよく似ていた。

 ディランが感傷に浸りかけたとき、マリエットが突然に腰を上げた。

「さて。ディランもレビも無事目を覚ましたし、考えもまとまったし……ひとまず、ご飯にしましょう」

 そう言うなり、彼女は自分の寝台の頭に置いてあった籠を持ち上げた。ディランはそれまで気づいていなかったが、中には肉や野菜がはさまれたパンが詰まっている。こうばしい匂いが漂ってきた。

「あれ、女性陣の手作りだぜ?」

 トランスが、にやりと笑ってディランにそう話しかけてくる。

『チトセも一緒に作ってたわよね。意外や意外』

「あ、あたしは手伝わされただけよっ!」

 顔のそばに飛んでいってぱたぱたと羽ばたくルルリエに、チトセがまっ赤な顔で怒鳴りかかる。蠅を追い払うようにしっしと振られた少女の手を、白い鳥は器用に避けていた。その光景を見守って微笑んだあと、マリエットは得意気にディランの方を見てくる。彼が首をかしげると、彼女は悪戯っぽい表情で、唇に指を当てて、ささやいた。

「ちなみに、このなかにひとつだけ、あなたの好きな味が混ざっているわよ。ディルネオさん」

 言葉の意味を察し、軽く目をみはったディランは――そのあと肩をすくめ、「それは、どうも」と笑い含みの声で返したのである。


 再びにぎやかさを取り戻した、旅人たちの夜は更ける。そして翌日、まだ日も昇りきらないほどの時間に、彼らはそっと宿を出た。

 冷たい空気を浴びながら、ディランは手縫いの鞄を持ちなおす。長い間使ってきたこれも、汚れや傷が目立つようになってきた。今まで繕って使ってきたのだが、そろそろ限界が近い。《魂還しの儀式》が済んだらお役御免かな、と思った。

 たわいもない思考を笑みとともに打ち切って、彼はさっと振り返る。安堵を誘う顔ぶれがそこにあって――うちひとりが、からかうように眉を上げた。

「どうしたのだ、ディラン。また考えごとか?」

 快活な少女の言葉に、少年は肩をすくめて応じた。「そろそろ終わりにしないとな」と呟いて、五人の方へ向き直る。

「それじゃ、みんな。――行くか」

 静かな号令に、仲間たちは力強いうなずきでこたえる。

 たった一人から始まった旅。それがあるとき、二人の旅となり――今では六人で、ちっぽけな力を合わせて、世界に挑もうとしている。奇妙な話だが、不思議と、無謀とは思わなかった。たしかな自信を胸に抱き、彼らは宿場町を発つ。見える空に太陽はなく、けれどそれでも明けは近いと、誰もが信じて疑わなかった。

 ゆるやかに終わりへと伸びてゆく道を、旅人たちは歩き出す。



     ※



 都市という場所には常に、強い光と濃い闇が同居している。華やかな表通りから一度それれば、泥沼のような貧民街や、打ち捨てられた建物の並ぶ通りが蜘蛛の巣よりも複雑に広がっているというのは、珍しいことでもない。そして、その石造りの大きな建物もまた、廃墟と化したある市街の奥に佇んでいた。もとは豪商の建てた屋敷であり、放棄された当初はまだ、上等な装飾や像がわずかながら残っていたのだが、それらはすべて新しく住みついた者たちが金に換えてしまった。無遠慮に古い屋敷を住処とした集団の中にいたある少女などは、それを乱暴だと思い眉をひそめつつも、軍資金は確かに大事だし、などとも考えてむりやり納得していた。

 その少女は今、屋敷のかつて広間だった場所で、槍を片手に呆然としていた。自分が慕い、従っている男に、困惑の視線を向ける。

「裏切った……? チトセ、が?」

 問いかけるように発された声は、けれどかすかに震えるだけで、どこにも届かず消えてしまった。それもそのはず、今ここには二十人近い人々が集まっているのだ。『破邪の神槍』のなかで「幹部」と呼ばれる、竜狩りに参加している人々。彼らもまた、顔を見合わせ、ひそひそとささやきあっている。

「チトセが、ねえ。あいつ、寝返りそうには見えなかったけどなあ」

「そうか? 俺は、一番に逃げだしそうだと思ってたけど」

 そんな会話を聞いてしまい、少女はびくっとした。心細さに、思わず呟く。

「チトセ……そんな、なんであんたが……」

 直後、「静粛に」と一声が重々しく響く。オボロの声だ。水を打ったように静まり返った人々に、今度はカロクが報告会の終了を伝える。すると人々は、まだ冷めやらぬ驚きを残したまま、ぱらぱらと建物の各所へ散っていった。広い部屋に、カロクとオボロ、センと、そして彼女だけが残る。

 彼ら三人の姿を目に留めたとき、少女、イスズは赤い髪を振りみだしながら詰め寄った。

「どういうことです、カロク様!」

 悲鳴のような声に、カロクがわずかに視線を動かす。そして彼は、ぼそりと言った。

「俺は事実を伝えたまでだ。チトセは今、例の旅人たちと一緒に行動している、と」

「それは……っ!」

つたえの一族』の末裔を擁し、幾度となく彼らを邪魔してきた旅の一行。その中にいるということはつまり、裏切ったも同然だ。目でそう訴えるイスズを見て、オボロはおもしろそうに鼻で笑い、センは気まずそうに肩をすぼめ――カロクは表情を変えなかった。

 どうして、と、疑問がまた弾ける。チトセが何かに悩んでいるであろうことには気づいていた。が、まさかこんな行動に出るとは思っていなかったのだ。任務を放棄したあげく、公然とカロクたち二人に刀を向けるなど。自分が相談に乗ってあげていれば、何か違っただろうか。後悔をはらんだ思考が、イスズの中でぐるぐると繰り返される。頭がどうにかなりそうなイスズに、さらなる追い打ちをかけるように、オボロが一歩前に出た。

「イスズ。――ディラン、と呼ばれていた奴を覚えているか?」

「え?」

 唐突な問いに、イスズは目を瞬いた。それから、「ええ、まあ」と気の抜けた相槌をうつ。豪雨の中、知らなかったとはいえ敵のイスズたちを建物の中に誘ってくれたあの少年だと、少し色あせた記憶がよみがえってきた。敵同士という自覚があるのかないのかわからない、つかみどころのない不思議な人。けれど、イスズ個人としては嫌いになれなかった。その彼がどうしたのかと、イスズが首をひねっていたとき、オボロが冷やかに言い放った。


「あれは、水竜ディルネオが人間に化けた存在だ」


 イスズは、我知らず目をいっぱいに見開いていた。唇が震え、形にならない言葉をこぼす。

 あの男の子が――竜?

 かつて自分に襲いかかってきた獰猛な竜の影と、少年の顔が交互にちらつく。頭がまっしろになった。センが「言い方……」と呟きながらオボロをにらんでいることにも、気づかなかった。

 どうして、と、疑問がまた浮かぶ。それは今度は、奔流のように彼女の意識に押し寄せてきた。ディランの正体と、チトセの裏切り。なんの関係もないとは思えない。

 渦巻く疑念は激情に変わっていった。目の前が赤くなった気がする。槍をにぎる手に、力がこもった。

「彼らは今、どこにいるんですか?」

 気づけば、イスズはそう訊いていた。

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