18.刃

 ある青年が、大陸で唯一緑に恵まれた地から姿を消した、数日後のことだ。

 静かな港に風が吹いていた。あるときは笛の音のように、またあるときは獣の咆哮のように。高く低くうなりながら吹き抜ける寒風は、海を波立たせ、係留された漁船をたたいて軋みをあげさせた。

 この時期、北大陸の人々は海に出ない。また、よそから来る者もまれである。大陸周辺の海が荒れるからだ。海面が凍るところも少なくない。どちらにしろ航海はできないか、できてもいつも以上に危険なため、命をかけて海を渡ろうとする変わり者でもなければ船は出さないのだった。

 よって港も、閑散としている。船の様子を見に来る者が一日に二、三人出入りするだけで、あとの時間は無人、というのが冬の港の常であり、鋭い風にさらされているここもまた例外ではない。

 だがこの日は、冬にしては人の出入りが多かった。西大陸から必死の思いでやってきた貨物船が一隻と、また別の上等な船が一隻。乗員の数はどちらも二十を超えていたから、港は久方ぶりにざわついた。

 船乗りたちが忙しく駆けまわる。上等な船に乗ってきたある一団は、港の端で他人事ひとごとのようにそれをながめていた。中には船乗りたちにすら関心をもたず、自らの武器をながめたり手入れしたりしている者たちもいる。その一団は誰もが体を鍛えていて、武器を携帯していた。胸当てや籠手、革鎧、身にまとうものはさまざまだが、いずれも戦うための装備だ。


 一団の目の前を、一人の水夫が通りすぎてゆく。ひるがえる白い裾を横目に見ながら、今年三十五になる槍使いの男は、青い顔で自分の得物をにぎりしめた。彼がこわごわと見る先には、首領とあおぐ一人の男と、彼の半分ていどの年齢と思しき若者がいる。両者は、向かいあっていた。首領の方はからの木箱に腰かけて若者を見ている。そんな状況でも見る者が震えあがりそうになるほどの威圧感を放っているのが、彼のふしぎなところだった。けれど、今首領の前に立っている若者も、まったく臆せずにらみかえしているのだから、それはそれでふしぎだ。

 そんなことよりも、と男はかぶりを振り、槍にすがるようにして、柄をにぎった。

「早くどこかに行け、若造め。おまえのせいで空気が重くなるばかりだ」

 音にならないほどの小声で呟いた男は、かさかさに乾いてしまった唇を舌で湿らせた。

 槍使いの男がひとりおびえている間も、その先の二人は無言でにらみあっていた。が、ややあって木箱に座っている方が口を開く。

「……それでおまえは、俺たちの所有する武器を貸し与えろというのだな」

 眉ひとつ動かさず、淡々と言葉を放つ。彼はいつもと変わらぬように見えた。いつもと変わらず無愛想で、恐ろしい。

「ああ、そうだよ。手伝ってやるって言ってんだ。断る理由があるか?」

 若者は尊大に言い放った。槍使いを含め、まわりで見ていた者たちは若者の物言いに震えあがる。

 あの馬鹿。青二才が何を言う。首領が怒ったらどうするつもりだ。

 そんなささやきが一団をかけめぐったが、当の首領の鉄面皮てつめんぴは揺るがなかった。

「なるほどな」

 ぼそり、と呟いた彼は、突然に腰を上げた。まっすぐ若者を見下ろす。

「――おまえは、竜に知りあいがいると言っていたな」

「…………ああ」

 答えた若者の瞳が揺らぐ。それで槍使いも、彼の首領もおおよその事情を察した。が、首領はあえてそのまま続けた。

「ならば交換条件だ。武器を貸し与えるかわりに、我々に協力しろ」

 おそらく、その竜とだけは仲が良かったはずの青年は、この言葉に何を思っているだろうか。槍使いは一瞬だけそんなことを考えて、すぐに思考を打ち消した。

 胸の奥がかすかに痛む。今さらながら、良心というものがよみがえってきた気がした。

――目の前の彼が、首を横に振らなかったせいだろう。



     ※

     

     

 ゲオルクが姿を消して、一週間が経とうとしていた。けれど、ディルネオに悔やむ時間は与えられない。日々、人や竜のもとを駆けずり回って対立や反発感情をしずめなければならなかったからだ。村人たちのなかで外へ行く人は青年の行方を追っているようだし、ディルネオもまたそれとなく探してはいたのだが、彼の消息は辿れないままだった。

 あの日から、ちょうど七日目の早朝。ディルネオはこの日も出かけねばならなかった。まだ日の出前の時間だが、空には厚い雲がかかっているので関係ない。彼はいつもの大樹の前で、集まった眷族たちを見渡した。

『では、みんな。頼んだぞ。……まあ、イグニシオのところへ行くだけだから、長くはならないと思うが』

『長くなっても大丈夫ですよ。ディルネオ様がお帰りになるまで《大森林》は私たちが守ります』

 自信たっぷりに言ったのは、ミルトレだ。他の竜たちが賛同しているとも呆れているともとれる笑い声を漏らす。ディルネオも『頼もしいことだ』と言って目を細めた。

『審判の、最後の打ち合わせでしょう。イグニシオ様の手綱を握れるのはあなたくらいですから、頼みましたよ』

 年かさの竜が調子よく言うのにディルネオはうなずいた。歯に衣着せぬ物言いは昔から変わらない、と思った。

 眷族たちに留守を任せたディルネオは、大きく翼を揺らし、巨体を空へと舞いあがらせた。最後の最後、ふと大樹の方を見おろしたときに、若竜と目があう。

『行ってらっしゃいませ、ディルネオ様』

『うん。行ってくる。無理はするなよ、ヴァレリオ』

『あなたも』

 おどけたような笑みをかわしあい、ディルネオとヴァレリオは逆方向に飛びたつ。

 

 曇天の中に飛び出す巨竜。変わらず穏やかでいて、威厳に満ちた背。

 それが、眷族たちが見た大水竜ディルネオの――最後の姿だった。

 

 

 ディルネオはいつもより速度を上げて、南へ向かって飛んでいた。ぐんぐんと大陸の景色は流れ、そうかからないうちに、北大陸南端にさしかかる。

『雨が降るな。まあ、不自然なものではないから、構わずにおこうか』

 ディルネオは飛びながら呟いた。風を受け、翼を打ち、時に速く時に遅く飛ぶ。

 やがて岩の多い大地が見えた。ずっと遠くに川が流れている。それが近くの海へ注いでいることをディルネオは知っていた。これほど寒くても凍りつかない川に、水をつかさどる身ながら驚きと感嘆を禁じえない。そのことがなんとなくおかしくて、彼は目を細めた。

 彼が、全身を突き刺すような殺気を感じたのは、そんなときだ。

 細く短い風切り音。それと同時にディルネオはふわりと舞いあがる。飛んできた鋭いものは空を切り、そばの地面に突き刺さった。ディルネオは地面を一瞥する。

 衝撃で小刻みに震える弓矢。鏃からまがまがしい力を感じる。

『……《魂喰らい》の武具』

 無意識に呟いた。彼は一瞬で思考を切り替え、神経を研ぎ澄ませる。ふくれあがる殺気を感じる。金属の音、弦を引く音が聞こえる。続けざまに放たれる弓矢。そのすべてを、ディルネオは難なくかわした。だが、彼は苦々しさをおぼえた。

――数が多い。

 眷族か、他の竜が一緒なら困らなかったろう。だが今は、彼一頭だ。

 彼がかすかなため息をこぼしたとき、低きに見える大地の上に、影があらわれた。岩陰からぞろぞろと、人間が姿を見せる。いずれも武器を携えていた。金属の刃や鏃が曇天の下、鈍い光とまがまがしい気配を放っている。いずれも屈強な戦士に見える人間。その数、三十はくだらない。

『狩人か。この感じ、クレティオが言っていた奴らかもしれないな』

 あれからそれなりの時が経っている。すでに海を渡り、北大陸に到達していても不思議ではなかった。冬の荒波をわざわざ越えてきたことに驚きはするが。

 ディルネオが推測を口にした直後、人々は武器を構えて襲いかかってきた。

 とはいえ、ディルネオがいるのは空中。剣では相手にならず、槍も届くかどうかわからない。それは相手も理解しているのだろう。矢を放ち、投石することで彼を少しでも地面に近づけようとしているようだった。飛んでくる凶器が翼を狙うのは当然だ。だが、ディルネオの頑強な翼は飛ぶものの多くを叩き落とす。

 ただし、《魂喰らい》の武具なので、石や刃の部分にはうかつに触れられない。落とせぬものは避けるしかない。ディルネオは右へ左へ、上へ下へ器用に飛びまわり、狩人の攻撃をかわしつづけた。指示を飛ばし、あるいはただ叫ぶ人々の声にいらだちがこもる。それらは激しく重なりあって、何を言っているのか、ディルネオには聞きとれなかった。

『きりがない』

 もはや騒音と化した人の声に包まれながら、ディルネオは疲れたように呟く。そして、身を翻した。高くもなく低くもない空中を滑るように飛ぶ。もちろん、彼の後を追って狩人たちが走ってきた。矢や石も変わらず飛んできた。

 背後を一瞥したディルネオは、またため息をつく。いっそう大きく羽ばたいた。

 すると――空気が、大きく揺らいだ。

 人々は耳鳴りのようなものを感じて、訝しげに立ち止まる。ディルネオは無表情で翼を動かし続けた。

 空気は二度、三度と不安定に揺れて。やがて灰色の空に、数多あまたの水の塊が現れた。それは球となり剣となり、槍となり、狩人たちへ襲いかかる。竜にばかり気をとられていた人々は悲鳴をあげた。

 ディルネオは喉を鳴らす。あまり力は振るいたくなかったのだが、そうも言っていられない。

 幸い今はいつもより湿気が多く、水場も近い。必要以上に大気をいじらずとも、戦えるだけの「水」を生み出すことはできる。

 これで少しでも戦意を失ってくれればいい。

『そうでなければ……しかたがない』

――出くわしたらためらうな、とだけ言っておくよ。

 光竜の真剣な声が、耳の奥によみがえる。ディルネオはつかのま瞑目し、すぐに鋭く前を見すえた。

 川が近い。水の力が強くなる。だが、《魂喰らい》の武具の力もまた、ふくれあがってきていた。

『大物がいるのかもしれぬな』

 小声で呟く。その間にも上下に飛び、時に体を傾けて飛んでくるものを避ける。そして力を振るうこともやめなかった。

 ディルネオの放つ水は、その塊のなかで、ものすごい速度で流動している。そのおかげで、水とは思えぬほどの殺傷力をもっていた。当然、それを真正面からぶつけられた人々は痛みにうめき、倒れてゆく。中には水の塊に鼻と口をふさがれたせいで息が止まり、気絶する者もいた。狩人たちは次々に武器を落とし、「狩り」の集団から脱落してゆく。

 とはいえまだまだ、追手の気配は途切れなかった。どれくらいで振りきれるか見当もつかない。だからディルネオは飛び続けた。ハヤブサのように、鋭く風を切って。

 強風に揺さぶられ、武器に乱されて、飛び方は安定していなかった。地面の切れ目をとらえたとき、風にあおられてぐんと下がらざるを得なくなる。刹那、翼に鋭い痛みが走った。反射的に後ろを見る。槍を突きだした直後の姿勢で走る、一人の男がいた。三十代半ばだろうか。興奮した目でこちらを見て、さらに槍を振ろうとしている。

 彼の槍が翼をかすめたに違いない。刺されたところの痛みはほとんどなかったが、ディルネオは顔をしかめた。

 痛むのは肉体ではない。――魂だ。

『やはり《魂喰らい》はやっかいだな……!』

 毒づいて、重くなった翼をむりやり動かす。魂に傷がついたようだが、動けなくなるほどの重症ではない。ディルネオは安堵して、速度を上げた。危険な槍使いを引きはなし、川の方へと突っ込んだ。

 水を後方と左右に放つ。

 人々の悲鳴を聞き流しながら、濁ってみえる川面かわもの上を飛び越えた。

 体の奥、魂がわずかに軋んで体が重くなる。ディルネオは、川の先の平地にぎりぎりまで近づいて、そこで唐突に動きを止めた。

 いや、止まらざるを得なかったのだ。自分の首の付け根に刃が突きつけられたから。

 嫌な気配は魂の力を奪っていくようで、体はどんどん重みを増した。ディルネオが顔をしかめたとき、そばで冷やかな声がする。

 

「あんたは、こっちに逃げてくると思ってた」


 視線を巡らせた先には、七日前に行方をくらませた青年が、立っていた。

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