17.道は分かれて

 雨の筋で視界が煙る。そんななかで、村の捜索と調査が行われた。

 死んだのはアラナだけではなかった。いや――村人のほとんどが死んでいた。壊れた家屋の下敷きになった者が多かったが、中にはアラナのように深い傷を負ったことによる失血死、というような人もいた。生き残ったのは、たまたま村を離れていた二人のみである。

 その二人をどうするかも含めてその場で話しあいも行われたが、当然、めちゃくちゃになった村の中心、混乱した状況の中で話がまとまるはずもなく、後日改めて集まろう、ということになった。

 ディルネオは心を殺すようにして事後処理にあたっていた。本当に、目が回るほど忙しかったのもある。が、それよりも、何よりも。何かに集中していないと立ち止まって動けなくなるのではないか、と恐れていたのだ。

 彼が言葉を使い分け、人と竜の間を行き来しているとき、ゲオルクは人々の中で埋もれるようにしてうずくまっていた。その目もとに力はなく、雨の滴に濡れても、服に土がついても、気にとめるそぶりすら見せずただそこにいる。

 彼らの上を虚無が漂う。雨の音すら遠くに聞こえ、ただやり場のない感情が、押し殺されて揺らいでいた。

 

 廃村と化した村を引きあげよう、ということになった頃には、雨はやんでいた。空には変わらず薄い雲がかかり、いつもより湿った空気だけが、人と竜の上へのしかかってきた。

 

 この事件が、人々の反感を買ったのはいうまでもない。ただでさえふくらみつづけていた竜への怒りは、さらにあおられてゆき、この日を境に狩人と竜の衝突があちらこちらで勃発した。実際、人か竜か、どちらかが殺されてしまったこともあった。ディルネオは悲しみに暮れるひまもなく、事件の対処に追われ続けた。翼を休めることは許されず、絶望を感じることは認められない。彼は、水の主竜の一角だから。そして彼自身が、そうすることを選んだから。

 

 竜として、時には人の姿に変化して。彼はまた、崩壊した村から逃れた人々のもとへ顔を出した。フェルジオの目の届く大きな岩穴に保護された人々はしかし、自分たちを訪ねてきて事のしだいを説明した彼に荒んだ目を向けた。

「今までも、何度か……何度も同じような用件で竜たちがやってきた」

 固まって話を聞いていた人のうちのひとり、痩せこけた老人が口を開いた。

「だがな。わしらはそいつらを追いかえした」

 恐ろしく冷たい、そして強い声に、生気を失ったまわりの人々もうなずく。黙っているディルネオの前で、老人が身じろぎした。

「なぜだか、わかるか?」

 老人は、問う。

 ディルネオは答えなかった。

 答えを欲しているわけではないだろうと、思ったから。

――そのとおりだったのだろう。彼が何かを言うより先に、老人の目が光った。

「おまえたちの言葉が、とうてい受け入れられなかったからさ。

わしらも、竜の役割がどういうものか理解しているつもりだ。役目を果たす竜たちを、尊敬してすらいた。共存の道を模索した。だが、あの竜たちは……それに暴力で応えたんだよ!

おまえたちは許せと、憎むなという! だがな、竜狩人りゅうかりうどに同じことを言われて、おまえたちはそれを受け入れられるか!? 友や故郷を失った悲しみと怒りに耐えられるのか!? 耐えられないだろう、これまでの暴挙がそれを証明しておる!」

 もはや絶叫といってもいい老人の言葉に、賛同する声があがる。叫びの渦が熱をもって、岩穴の中に渦巻いた。やがて、ディルネオはかすかな痛みと衝撃によろめいた。とっさに足元を見ると、地面を小石が跳ねている。誰かが投げたのだろう。けれどディルネオは、それを一瞥しただけで、すぐ静かな目で人々を見た。

「そうは言わぬ」

 ディルネオは、言った。激しく怒鳴ったわけではなかったが、よくとおる声は凛として響く。人々はその声にひるみ、口をつぐんだ。その隙に、ディルネオが続ける。

「――憎むな、とは言わぬ。

悲しんでもいい。立ち止まってもいい。だがいつかは、それを受け入れてほしい」

 人も竜も、知能をもち、心をもつ生き物だ。知能をもつ以上間違えることがある。心がある以上憎むことも怒ることも、悲しむこともあり、そのせいで足を止めることもある。

 耐えようと思えば苦しいだけで。けれど、強い感情に支配されていては、いつかはそれにのまれてしまう。大水竜と呼ばれる彼は、無力な小竜であったころから、そんな結末をいくつも見てきた。

 だから、耐えろと言わず、思うことを禁ぜず。ただ、受け入れてくれと願う。そして。

「私自身も、受け入れなければならない」

 彼もまた、眷族を失った。

 師と仰いだ竜を失った。

 それでも彼は、生きている。強大な力をもつ以上、生き続けなければならない。だからここに立っている。

 ディルネオはそれきり言葉を切ると、人々をぐるりと見回した。彼らの目は荒んだままだったが、立ちのぼる敵意はいくらか和らいでいるようにも思えた。


 そしてまた、ディルネオは空に戻る。先程のような拒絶を示す人々は、珍しくなかった。竜の中にも声高に人の悪辣さをあげつらう者たちがいる。和解への道は見えないままだ。

 幸い、《大森林》手前の村の者は竜よりの中立を保っているが、それもいつ揺らぐかわからない。大陸に生きる者たちの、おさえきれない感情を向けられる日々に身を置いたディルネオは、そんなふうに思った。そんなふうに思ってしまうことが、嫌だった。

 そして、あるひとつの「恐るべき事態」への予感が、とりとめのないない疑念の中に埋もれていた。

 予感が一気に現実へと塗り替えられるのは、彼がまた、久しぶりに《大森林》へ帰還した日のことだった。

 

 ディルネオは、ときおり疲れのにじんだため息をこぼしながら、北の空を飛んでいた。この日も、空は暗い雲に覆われている。アラナの村のことがあったからだろうか。曇天の日に心がざわつくことが多かった。

 今日はちょうど、先の事件に関わった風竜と、彼らを焚きつけたと思われる炎竜たちの『審判』の下準備をしてきたところである。自分の眷族ではないというのに、怒り狂っていたイグニシオや、うなだれて彼に謝ってきたシルフィエの姿が目の奥に焼き付いて離れない。ディルネオの影響か否かは定かではないものの、水竜たちが暴走したという話は、ほかの竜に比べると少ないので、それがわずかな慰めにはなった。――もちろん、皆無ではないが。

 懐かしい森を見る。変わらぬ木々を目にすると、ディルネオの心も安らいだ。森の中に着地しようと、少しずつ下降していく。だが彼は、その途中で、森の中ほどに人影をとらえた。思わず首をひねる。そこはまだ、人が《聖域》とたいそうな呼び名をつけたディルネオたちの住まいではないが、中ほどまで人が来ることは珍しい。

 少しずつ高度を下げながら、人の姿をよく見ようと、首を伸ばす。ややあって彼は、息をのんだ。

『ゲオルク……!』

 姿を見るのも、名を口にするのも久しぶりだった。はやる気持ちを押さえながら、彼はゆっくりと、ゲオルクが立っている道の近くに着地した。広い場所を選んだつもりだったが、翼にぶつかって弾かれた枝が、乾いた音を立てる。

 ディルネオからぎりぎり見える場所に立っていた青年は、音に気づいたのか顔を動かした。そして、彼の方へと走り寄ってくる。

「ディルネオ……。今までどこにいたんだ」

 木々をかきわけ、ゲオルクがはっきりと見える距離までやってきた。ディルネオは名を呼ぼうとして、けれど、言葉に詰まった。

 彼の声は鋭かった。彼の目は暗かった。

 アラナの村の一件から、行き場を失った感情をもてあましていたのだ。同じ痛みを共有したディルネオが《大森林》にいなかったせいもあって。だから彼は、暗い顔をしていた。ディルネオを見ても、それ以上何かを言うわけでもなく、むっつりと黙ってにらんでくるだけだ。

 ディルネオは、何かを言われる前に頭を持ち上げた。ゆっくりと、人の姿に変化する。青みがかった黒髪が冷たい風になびくのを感じながら、ディルネオはまっすぐにゲオルクを見た。

「『審判』の準備とか、その他もろもろ用事があって、大陸を飛び回っていたんだ。すまなかった」

「『審判』?」

「裁判のようなものだ」

 あえて軽い口調で返すと、ゲオルクの眉が動いた。

「それって、もしかして」

 震える声で呟いたゲオルクに向かって、ディルネオはうなずいた。

「――あの一件だ」

 息をのむ音が聞こえる。

 ディルネオはつとめて穏やかに、続けた。

「おまえも連れていきたいくらいだが、竜の『審判』は竜のみで行う決まりでな。それができないのだ。

代わりに、おまえの証言は私が代わって竜たちに伝える。言いたいことは私に教えてほしい」

 ゲオルクは、うなずくことも首を振ることもしなかった。ただ、考えこむようにうつむいている。

 重い空気が二人の間を漂う。だがそのうちに、ゲオルクの方から口を開いた。

「――なあ。掟破りの竜って、どうなんの」

 ディルネオは言葉に詰まった。けれど、答えることにした。知るくらいはいいだろうと、思った。

「掟破りは重罪だからな。多くが、極刑に処される」

「極刑、ね」

 ゲオルクが、何かを嘲笑うような声で言い。ディルネオは目を伏せた。

 竜の社会でいう「極刑」とは、「翼縛りの刑」と呼ばれるものだ。名のとおり、暗い場所で翼を封ぜられ、定められた期間はそこを動くことが許されない。加えて、行使できる力も制限される。どうやって制限しているのかは、主竜といえど年若い彼は知らないが――苦痛をともなうことは確かだ。

 だが、期日がくれば解放される。竜は長命な種族だ。そして、自然を保つという役割もあるから、拘束される期間は長くて、人間にとっての五十年ほど。竜にとっては短い時間だ。

 ディルネオがそのことに思いを巡らせていると――また、突然に、ゲオルクの声が響いた。

「知ってるか? 竜狩人も、結構裁かれてる奴がいるんだぜ。死刑になった奴が多いな」

 ディルネオはどきりとした。今、自分が考えようとしていたことを見すかされた気がしたからだ。

 彼の予感は正しかった。

「でもさ、竜には死刑ってないだろ? 死んじまったら、自然に影響が出るからって」

 嫌でもわかる。ゲオルクの声が険を帯びていっている。ディルネオは、自分の中の何かが悲鳴をあげそうになるのをこらえながら、言葉をつむいだ。

「そう、だな。いくらなんでも、死刑はない」

「結局、そこなんだよなあ」

 ゲオルクが笑う。顔を伏せて笑う。ひとしきり笑ったあと、顔を上げた彼は――出会ったとき以上の憎悪を、両目に宿していた。

「なんでてめえらが死ぬのがいけなくて、人間が死ぬのはいいんだ?」

「いいと言っているわけではない! 私たちも、他の生物をむやみに殺めることは禁じている!」

 ディルネオは、反射的に言い返した。が、さらに返されたのは言葉ではなかった。ゲオルクは歯を食いしばると、青年姿のディルネオにつかみかかってきたのだ。感情まかせに押しこまれた力で、二人の体は傾く。動揺していたせいでとっさに対応できず、ディルネオは草の上に倒れこんだ。ゲオルクは彼に馬乗りになると、目をぎらつかせてその胸倉をつかみあげた。ディルネオの頭はわずかに浮いた。

「でも死んでんだろうが!! それで、人を殺した竜はどうせ生きながらえるんだろ!? 生きながらえて――いつかはまた空を飛ぶんだろうが! 何事もなかったような顔をして!」

 涙まじりの怒声が響く。鳥の羽音が聞こえ、それはまた人の声にかき消される。

「ふざけんなよ!! 殺された奴らの思いは……アラナの思いはどうなる!!」

 ディルネオは、頭を殴られたような衝撃をおぼえた。

 後悔が、波のように押し寄せる。

 

 どうして。

 どうして、そばにいてやらなかったのか。

 彼の痛みに、寄り添ってやらなかったのか。

 あの日あのとき、一番つらかったのは……あの場にいて、壊れた村を見て、思いを寄せた人を失った、彼だというのに。

 

 ゲオルクは、力いっぱいディルネオをにらみつけてきた。空白の時間のなかで蓄積した痛みをぶつけるように。

 そして無音の時が流れ――胸倉をつかむ青年の手から、するりと力が抜けた。

「抵抗しねえのかよ。いつかみたいに」

 力の抜けた問いが、ディルネオの耳に届く。彼はあおむけになったまま――感情をなくしたかのような、平板な声を返した。

「抵抗する理由がない」

 それをしてはいけないと思った。

 悪いのは自分なのだから。

 重みが遠のき、影が差す。ゲオルクが立ちあがって、またもディルネオをにらみつけていた。お互い何も言わないまま、やがてゲオルクが背を向けた。

「そうだな。あんたはそういうやつだった」

 黒い髪を風にあそばせ、青年は振り返る。北風よりも冷えた目が、微笑むように歪んだ。

「――ディルネオ。ここで、お別れだ」

「何?」

 ディルネオは勢いよく上半身を起こし、そのまま立ち上がる。けれど、そのときにはもう、ゲオルクは歩きだしていた。声だけが彼の前に残る。

「俺な。決めたことがあるんだ」

 今まで聞いたことのないくらい静かな、静かで恐ろしい一言。胸のうちで青年の言葉を繰り返した竜は、思わず手をのばす。

「待て、ゲオルク! おまえ、何を考えて――」

「知らねえ方がいいぜ。死にたくなければな」

 返った声は、小さかった。まやかしの指は空を切る。ゆるやかに腕を下ろしたディルネオは、呆然とその場に立ちすくむ。

 視線の先に、青年はいない。

 

 それからしばらく後、ディルネオは急き立てられるように《大森林》手前の村まで行った。狭い村の中、明らかに異質な青年の姿を探してまわったが、どこにもいなかった。ヘルマンに聞いてみたが、彼も知らないと首を振るばかり。

『まいったな』

 村で一番大きな丸太小屋の前で呟く。

 そのとき、ディルネオの目の端で、銀糸ぎんしのような長髪が躍った。

「あ、ディルネオ様。見つけました」

 わずかに伏せていた顔を上げ、ディルネオは目を丸くする。いつの間にか、すぐそばに、銀髪の女性が立っていた。粗末な衣に身をつつんでいるにも関わらず妖艶さをただよわせている女性は、なぜかこのとき、息を切らしていた。

「ネル?」

 ディルネオが呆けた声で名を呼ぶと、ネルは身を乗り出した。

「ディルネオ様も、ゲオルクを探していらっしゃるんですよね?」

「そ、そうだが」

 ネルは勢いよく問いかけてきて、ディルネオは気圧されるようにうなずいた。だが直後、言葉の違和感に気づいて眉を上げる。

「……『も』?」

「そうなんです。実は、薬草摘みから帰ってきたら、むしろの上にこんなものが置いてあって」

 ネルは、懐から何かを取り出して持ち上げた。獣皮からつくられた紙の、きれはしだ。やけに丁寧な字で、短い文章が書いてある。

 何を言われるでもなく文章に目を通したディルネオは――愕然とした。

 頭がぐらつく。目の前がまっくらになる。押し寄せるものは、後悔か、絶望か。

 紙には、こう書かれていた。

 

『俺はここを出ていきます。二度と、帰ってこないと思います。今までお世話になりました。本当にありがとう。――ゲオルク』

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