16.崩壊

 それから二か月の時が流れた。ゲオルクとアラナは、しょっちゅう会っては話をしていたようである。互いの村の人々の中で、気が早い者などは、すでに「二人は恋仲なのではないか」と噂する者さえいた。ディルネオは微笑ましい気分で話を聞き流していたが、当事者の青年は言い逃れに必死になっていた。アラナは物おじしない性格のようで、すぐにディルネオとも打ち解けて、彼が村の周辺をぶらぶら散歩していると、彼がひとりのときでも話しかけてくるようになった。

「おいこら、化け竜。アラナに変なことするなよ」

「安心しろ。おまえの女子おなごを横取りするなどといった、無粋なまねはしない」

「俺のじゃねえよ!」

 ディルネオとゲオルクの間で、そんなやり取りがあったほどである。外来者である青年のまわりは、平和そのものといってよかった。

 だがその一方で、北大陸の空も情勢も、暗くなるばかりであった。

 

「馬鹿者!」

 どこからか聞こえた怒声に首をかしげ、ディルネオは足を止めた。そして、ああ、近くにアラナの村があるな、などとどうでもいいことのように考える。なんとはなしに、村の方へ足を向けた。

 彼はちょうど、若い男の姿で散歩をしているところであった。というのも、このあたりで狩人と思しき人間たちの目撃情報が相次いだため、水の主竜がじきじきに、地上に降りて様子を見てみることにしたのである。幸い、今のところ不審者を見かけてはいない。《大森林》からノルドパテラ付近まで足をのばしたはずなのだが、そぞろ歩いているうちに元の場所へ戻る道を歩いていたようだった。

 すぐに村の外縁に辿り着く。木の柵の先から村の中をのぞき見ると、中心部で数人の若者が老人に説教を食らっているところだった。集団の端に籠を抱えたゲオルクの姿を見つけてどきりとするが、怒られているのは彼ではなく、そばにいる村の若者たちの方である。彼らをざっと見渡して、違和感をおぼえたディルネオは、首をかしげた。

 若者たち全員が、やけにぎらついた目をしているのだ。彼らは反抗的なまなざしを、老人や――そばにいるゲオルクへ注いでいる。にらまれた側のゲオルクは、にらみかえしたそうにしていたものの、今のところは気まずげに視線をそらしている。

 どういうことか、と考えたとき、近くで足音がした。

「あら? ディルさん?」

 覚えのある声と名を聞き、ディルネオは目を瞬く。「ディル」というのは、彼が正体を明かさないときに名乗る偽名のようなものだ。《大森林》近隣でその名を知っているのは二人だけである。

 視線を巡らすと、柵を隔てたすぐ前に、アラナが立っていた。いつもと変わらないように見える彼女は、けれど少しだけ、不安そうな顔をしていた。

「すまない。盗み聞きするつもりはなかったが、つい」

 ディルネオが恐縮してとっさに言うと、アラナは少し首をかしげたあと、村の中心部を振り返って納得したようにうなずいた。それから気まずそうにまなじりを下げる。

「いったい、なんの騒ぎだ? ゲオルクまで巻き込まれているようだが」

「ええ……」

 アラナは言葉を探すようにうつむいたあと、村の中心部に視線をやった。

「――竜狩りです」

 女性の口から放たれた言葉に反応して、ディルネオの眉が跳ねた。温厚な村娘にそぐわない一言が、不穏な響きをもったまま漂う。それが消えきる前に、アラナは続けた。

「あそこで怒られている人たち、竜狩りに関わっていたことがわかったんです。別の村の若い人たちと一緒になって、竜狩人の集団から武器をもらって……紅い竜や白い竜を狩ってまわったって」

「なっ……!」

 ディルネオは凍りついた。体がすっと冷えていくのを感じる。かたまりそうになる頭を必死に回転させて、言いたかったことをなんとか声を潜めてひねり出した。

「彼らが関わった、その竜狩りが、いつ行われたことかわかるか?」

「く、詳しいことはわかりません。でも、二か月前と半年前がどうとか、あの人たちが言っていたような……」

「二か月前……と、半年前?」

 聞いた瞬間、ディルネオの脳裏に閃いたのは、くらい目をした炎竜たちの群だった。

――あのときか!

 彼らと、それを追って現れた若い狩人たちのことを思い出し、ディルネオは奥歯を噛む。「狩り」に関わっていたのは、あの村の若者たちだけではなかったということだ。それを聞いてしまえば、説教を受けている彼らが反抗的な目つきをしていた理由も察しがつく。

「まいったな」

 ディルネオは思わず呟いた。

 その直後、また足音が聞こえてくる。今度は走っているようだった。

「ゲオルク」

 意外なものを見た、とばかりのアラナの声に引き寄せられる。あの雰囲気の悪い場所から抜けだしてきたのか、説教が終わったのか。ゲオルクが、肩で息をしながら立っていた。その目は、ディルネオの方を見ている。

「おまえ、いたのか」

「ああ。巡回をかねた散歩をしていたら、たまたま怒声が聞こえたので、寄ってみた」

「そう、か」

 ゲオルクが目を伏せる。声も暗くなった。落ちこんでいるような彼の姿を不思議な気分でながめたディルネオは、「気にするな」とだけ言って肩を叩く。アラナはきょとんとして二人の男を見比べていた。

 ディルネオとゲオルクは、二人で帰ることにした。アラナに見送られて村を去り、木のない道を無言で歩く。

 それからどれほどの時が経ったか、わからなくなるくらいになった頃、ゲオルクの声が土の上に落ちた。

「おまえさ。二か月前のあの日、どこに行ってたわけ」

 曖昧な問いに、ディルネオはわざとらしく首をひねる。

「そのような訊き方をするということは、察しがついているということだろう」

「それは……」

 ゲオルクは言ったあと、そっぽを向く。そのままで、言葉を続けた。

「大変なんだな、主竜ってのも」

 ディルネオは驚きに目をみはりつつも、口の端をもちあげた。

「そうだな。けど、私は眷族たちに支えられながら、どうにかやってるよ」

「あっそ、ならいいけど? あんまり気張りすぎるんじゃねえぞ、ディルネオさんよ」

 相変わらず目を合わさないゲオルクは、けれど温かい声でそう言った。ディルネオは我知らず微笑んでいた。

 もっと、近づけるだろうか。わかりあえるだろうか。胸の奥に、灯火のような思いがわきあがる。

 彼は拳をつくると、隣に立つ青年の肩を軽く小突いた。

「ありがとう。気をつけるよ」


 語らう彼らの後ろの空を、竜たちが旋回している。

 

 

《大森林》に戻ったディルネオは、久々に休んだ。大樹のそばで体を丸めていると、気を遣ってか眷族たちはめったに寄ってこない。何かあったときはすぐ知らせろと言いつけてあるので、情報伝達が遅れるということはなかろうが。

 その日は深く深く眠って――次の朝、顔を上げると、空は気味が悪くなるほど暗かった。黒い雲は時折意地悪そうに暗く光って、やけに速く流れている。なんとなく、まとわりつく空気も重かった。

『嫌な感じがするな』

 ディルネオはひとりごちた。それから、ぼうっと空を見上げる。そうして頭をからっぽにしていると、昨日の出来事がよみがえった。

 村で叱られる若者。彼らが竜狩りに関わっていたという事実。いくつかの光景と情報は途切れながらよみがえるのを繰り返した。そして、自分でも何を考えているかわからないほどめまぐるしく思考した先で――ふいに、空を旋回する竜たちの姿を思い出した。特徴的な白い毛は、風竜のものだ。

『……風竜?』

 ディルネオは頭を持ちあげた。

『風竜が集団でこのあたりにまで来ることは、めったにないんだがな』

 来るとしても、ディルネオあたりに何か用事があるときだ。そのときは必ず彼に連絡がいく。私用や気まぐれでこんな辺境まで来るときは、群をなさずに来ることが多い。ディルネオはその理由を知らないが、風竜たちの習性なのだというのは理解していた。

 ならば、なぜ――複数の風竜が、あんなところにいたのだろう。

 かすかな疑問だった。けれど、一度うまれた疑問は、頭の奥にひっかかり続けた。

 あのとき風竜は、似たような場所を旋回し続けていた。そのときの彼らは、どんな顔をしていただろう。いや、それよりも――どこにいた?

 答えが頭の中で弾きだされた瞬間、ディルネオの全身を、力のこもった風がなであげていった。

『まさか……!』

 叫んだディルネオは、翼を強く打ち、飛びあがっていた。《大森林》を上へ突きぬけ、そのまま飛んでゆく。風は冷たく、刃のように鋭くて。そして、恐ろしい力を端々にまとっていた。「力」とは何か、考えるまでもない。

 主の姿に気づいた眷族たちが、ぎょっとしたように振り返った。

『ディルネオ様!? どうなされたのです!』

 耳元でヴァレリオの声がする。ディルネオは見向きもせずに怒鳴った。

『フェルジオがこちらに来ていたはずだな!』

『は、はい、確か』

『ならばひっぱって連れてこい! すぐにだ!』

『な、なぜです!?』

 ざわめく水竜たちを、ディルネオは一瞬だけ振り返った。

『風竜たちが、暴れる!』


 思えば、情報はすでに出そろっていたのだ。

 以前の竜狩り。炎竜と衝突したときに聞いたこと。村の若者と、アラナの話。不自然な風竜。そして――今朝から全身にまといつく、嫌な風。

『大馬鹿者め……!』

 なぜ、もっと早く気がつかなかったのか。

 胸のうちで自らをののしって、ディルネオは翼を宙に叩きつける。そのとき、地上から声がした。

「ディルネオ?」

 怪訝そうな声の方を、ディルネオははっと見下ろした。

 ゲオルクが立っている。そこは、伝の村の入口で、今日の彼は籠を抱えていない。アラナの村へ行く予定はないようだ。彼はディルネオに向かって、大きく手を振ってくる。

「どうしたんだよ、珍しく焦ってるじゃねえか」

「ゲオルク……」

 冗談めかして言う彼に、ディルネオは上空から声を返す。無意識のうちに高度を下げ、互いの声が届く距離にいた。

「今日は、あちらの村へは行かないのだな」

「ああ。そう毎日行って帰ってこれるところじゃねえし。……また、アラナがどうとか、言うつもりか?」

 身構えるゲオルクに、ディルネオは「いや」と言ってかぶりを振る。安堵と焦燥が、同時に胸を満たしてゆく。翼ばかりがせわしなく動いた。

 竜を見ていた青年が眉をひそめる。

「なあ、本当にどうした?」

 彼がとげのある声で問うた。ディルネオは迷ったが、結局すべてを話すのはやめた。

「説明したいところだが、行かねばならないところがある。時間がないんだ」

 言うなり、彼は胴体を上向ける。

「おい、それはどういう――」

 焦ったようなゲオルクの言葉が、腹に叩きつけられたとき。

 

 轟音が響いた。

 雷鳴にも似た音は、青年の声はおろか風の音すらかき消して、天を割る。

 

「なっ……ん!?」

 ゲオルクがたたらを踏んだ。地面が激しく揺れている。宙に浮いているディルネオでも、まわりを見ればそれがわかった。

 だが、驚く間もなく、また二回ほど音が轟く。ややあって遠くから、悲鳴のような高い音と、木が割れるような音がした。耳をふさいだゲオルクが視線を巡らせて――青ざめる。

「あれ、なんだよ」

 力の抜けた声に引きずられ、彼と同じ方を見たディルネオも、絶句した。

 ある一点で、黒い雲が渦を巻いている。それこそまるで、渦潮のようにぐるぐる回る雲は、ところどころが鈍く光って見えた。

『しまった』

 ディルネオが声をこぼす。それにかぶせるように、ゲオルクが言った。

「――アラナの村の方だ!」

 彼の悲痛な叫びに息をのむ。それでもディルネオは我に返り、走り出そうとしているゲオルクを引きとめた。

「待て、ゲオルク!」

「なんだよ、止めるのか!?」

「そうではない、止めても止まらぬだろう!」

 叩きつけるように言った彼は、高く飛ぼうとしていた自分の体を、ゲオルクの方へ寄せた。青年の目が見開かれる。

「乗れ、村まで飛ばす!」

 ゲオルクはわずかなためらいを見せたものの、小さく頭を下げてからディルネオの背に飛び乗った。太い首に両腕を回し、竜の背にしがみつく。彼の様子を確かめたディルネオは、勢いよく上昇して――そのまま、渦巻く雲めがけて飛んだ。

「口は閉じていろ。舌を噛むといけないからな」

「……ああ」

 背から聞こえたこわばった返事を合図に、ディルネオは一気に速度を上げた。

 

 アラナが住んでいる村までは、そうかからなかった。集落の影を眼下にとらえると同時、とんでもない暴風と熱気が竜と人に押し寄せる。息がつまりそうになるのをこらえて、ディルネオは己の力でまわりを覆った。すばやくあたりを見回して――

「なんだよ、これ」

 震えあがるゲオルクをよそに、ディルネオは言葉を失った。

 もはや、村は辛うじて原型をとどめているだけだった。粗末な家屋は粉みじんに破壊され、申し訳程度につくられていた道には、巻き上げられた土とわずかな植物がぐちゃぐちゃになって押し寄せてしまっている。木の柵はあちこちが折れていて、意味をなしていなかった。破壊しつくされた小さな村には、今もまだ、暴風が襲いかかり、時折地面をえぐっている。

 そして、上空には渦巻く雲と――理性を失った両目を光らせる、白い竜たち。彼らのまわりには竜巻のような風がまとわりついている。そして、強い熱を帯びる空気からは、炎竜の気配がかすかに感じられた。

『間に合わなかった……』

 ディルネオはほぞを噛んだ。が、沈みかけていた意識を、首元を叩く拳がひきとめた。

「おい、ディルネオ!」

「ゲオルク」

「下ろせ、早く!」

 背の上から聞こえる声は引きつっていた。ディルネオが首を回すと、おびえたような表情のゲオルクと目があった。

「下ろせというが、どうするつもりだ?」

 極力平静を装って、訊いた。ゲオルクは答えない。が、彼の答えをディルネオはわかっていた。――アラナを探しにいくつもりなのだろう。

 自分を見失いかけている青年を、うかつにひとり放り出すわけにはいかない。けれど、そう思っている間に、風竜の穴のような目が彼らをとらえた。うつろな瞳はけれど、青い竜を見て不気味に輝く。

『くそっ!』

 大声で悪態をついたディルネオは、勢いよく降下した。着地する直前、ためらいなく背からとびおりて駆け去ってゆくゲオルクを止めるひまはなく、見届けている余裕もない。苦々しく思いながらも、ディルネオはそのまま、再び舞い上がった。

 まずはどうにかして、風竜たちを止めなくてはならない。

 おぞましい声を喉の奥からほとばしらせる風竜を挑むようににらみつけた。直後、背後から翼の音が迫ってくる。その主に気づいたディルネオは、思わず笑った。

『来たか。――まあ、来るだろうな』

 同時に、覚えのある声が鋭い指示を放つ。

『風竜たちを止めるよ! 多少強引でもかまわない、ヴァレリオが戻ってくるまでもたせるんだ!』

――ミルトレだ。彼女の声に、年上年下問わず、水竜たちが応じて散ってゆく。それを気配で感じたディルネオは、笑みを消し――視線の先で狂っている風竜めがけてつっこんだ。



     ※

     

     

 ゲオルクは走っていた。うるさい心臓の音も、自分の荒い息遣いさえも、遠い、遠いものに感じる。風が時折吹きつけて、そのたびにたたらを踏む。土埃が巻き上がってきて思わず目を覆う。それでも足は止めなかった。走り回って、瓦礫の山と化した村を見回しながら、叫ぶ。

「アラナ! どこだ、アラナ!」

 呼んでも返るのは風の音ばかり。ゲオルクは舌打ちして、また走り出した。ときどき瓦礫をどかしてみたりもした。

 ひどい有様だ。家は木片の山と化し、かきわけてみればぼろぼろになった家財道具やひび割れたやじり、ぼろきれになった衣服が出てくる。そのうち人も出てくるかもしれない、そんな考えがちらついてゲオルクはぞっとした。

 これでは、自分の故郷と変わらない。嫌でも思い出す。彼の村は、これほどひどい壊され方はしなかったが、それでも竜が水源をいじったせいで、人々は渇き飢えて静かに死んでいった。生き残ったゲオルクが、村を飛び出し、伝の一族の人々に保護されるまで命を保てたのは、運が良かったとしかいいようがない。

 絶望の染みついた人々の顔と、折り重なる骸の残影がよみがえってきて――ゲオルクは強く、かぶりを振った。

「アラナ! いるなら、返事をしろ!」

 大声を張り上げ、また走り出す。彼は村の中心部だった場所を通りすぎた。吹き飛ばされてたまっていた枯れ草を乱暴に蹴り上げる。そのとき、かすかな声を聞いた気がして、彼は立ち止った。風が吹く中、息を詰めて、あたりを見回す。かろうじて原形をとどめている家を見つけたところで、目が止まった。

 家のそばに、人が倒れている。肩から脇腹にかけてがまっ赤に染まっていて、地に落ちた亜麻色の髪はあちらこちらが汚れていた。つややかで元気だった顔は色を失っているが、それでもいつもの優しい彼女を感じさせる。

 どくん、と心臓が鳴った。

「アラナっ!!」

 ゲオルクは狂ったように叫び、アラナに駆け寄る。華奢な体を抱き起こし――あまりにも大きすぎる傷に唖然とした。そのとき、彼女は薄目を開けて、ゲオルクをとらえる。

「ゲオルク……ああ、来てしまったのね……」

「アラナ。無理にしゃべるな」

 気が動転してしまっているゲオルクは、震える手にいらつきながら言う。彼女の傷を目でなぞって、思わず空をあおいだ。上空では、青い竜と白い竜が激しい攻防を繰り広げている。知らぬうちに、ゲオルクの両目に炎が宿る。それを見て取ったかのように、アラナはかすれた声をあげた。

「あなたが……そんな、顔……しないで」

 ゲオルクは息をのみ、抱いている女を見下ろす。

 アラナはそっと腕をのばし、自らの傷口をなでた。痛みに顔をしかめたが、それすら構うものかと口を動かし続ける。

「これは、報いよ。村の者が……やってしまったことの……だから、あなたが、おこらないで」

 ゲオルクは何も言えず、友を抱く腕に力をこめる。アラナの両目に、強い光が宿った。

「……それより、ゲオルクは……にげ、て。にげて……生きて、あの村に帰って」

「何言ってんだ。もういい、黙ってろ」

 みるみるうちに歪む女の顔を見て、ゲオルクは堪え切れずにそう言った。けれどアラナは首を振った。

「ディルネオ様に、心配をかけては……だめよ。あんなにも……あなたのことを、気にかけて、くださるのだから」

「――おまえ、気づいてたのか」

「あんな変わった人、そうそう、いないわ」

 目をみはるゲオルクへ、アラナは歪んだ顔を向けた。笑おうとして失敗してしまったような、そんな顔。

 彼女の顔がどんどん色を失っていることに気づき、ゲオルクは震えた。傷をどうにかしようと考え、無駄とわかっていても自分の衣服に手をかける。裾を裂こうとした彼を、アラナの手が止めた。

「ゲオルク……もう、いいわ。もう、むりよ」

 手が止まる。

 甲高い声が聞こえる。風竜だろうか。

「あなたと出会って、お話しできて……短い間だったけど、わたし、楽しかった……」

「アラナ!――だめだ!」

 かすれぎみだった彼女の声は、どんどん弱くなっていく。ゲオルクは震えの止まらない手を思わず彼女の顔へのばした。

「だから、あなた、たちには……しあわせ、に……」

 とたん、腕に重みがのしかかる。いつのまにか冷えきってしまった指を動かして、腕を下ろしたゲオルクは、声もないまま見下ろして。そして、その場にうずくまる。腕の中の華奢な体を抱きしめる。

 アラナはもう、こと切れていた。

 


     ※

     

     

 あちこちで、鳥よりもうるさい声があがる。ディルネオは一番大きい風竜を前に、苦い顔をしていた。彼と眷族の働きのおかげで、風竜のほとんどは無力化できたが、それでもまだ、彼らが振るってしまった力の影響は残っている。暴れている竜も、まだいる。

『やっかいだな』

 あたりの水分をかき集めて球にしてぶつけてみるも、相手はびくともしない。暴走してしまった竜というのは、時として、主竜にも手がつけられないほど強大になる。目の前にいる風竜のまわりの竜巻も刻々と強くなっていた。何度も水をぶつけてみてはいるのだが、まったく効果がない。ディルネオはあたりを見回した。青い竜と白い竜がぶつかり合う姿が散らばって見える。眷族たちは頑張っているようだ。

『ならば私も、捨て身で行くか』

 言うなり、ディルネオは全身を震わせた。水の膜でできた波を、狂った風竜へぶつける。甲高い声が上がると同時、竜巻がそれを打ち消した。が、ディルネオの強力な一撃を消しきることはできなかったらしく、竜巻が一瞬だけ途切れる。

 そこを狙って、ディルネオは体当たりをかました。

 風竜がひるんだすきに、すばやくその全身を拘束する。甲高い悲鳴が耳についた。

『っ……大人しくしていろ!』

 ディルネオが叫んだとき、二頭の体がかたむいた。彼らはもつれあいながら落下してゆく。家の残骸の上に叩きつけられ、乾いた音が高く響いた。かすかな痛みを振り切ったディルネオは、風竜を押さえつけようとして、ぎょっとする。彼はまだ、風をかき集めていたのだ。

『やる気か!』

 反射的に、ディルネオも臨戦態勢を取る。が、そのとき。頭上に大きな影がさした。

『ディルネオ、離れろ!』

 野太い声が響く。声に引きあげられるようにして、ディルネオは飛び上がった。追いかけようとした風竜も、跳ね起きようとする。だが、その寸前で、家の残骸を突き破って、ひも状の岩のようなものが伸びてくると、風竜の全身をからめとった。脚や翼を中心に巻きつき、細い岩はがっちりと竜を捕らえた。

 もがく風竜を見下ろした目で、ディルネオは隣を見る。ヴァレリオと、茶色い岩のような体の巨竜がいた。

『フェルジオ。助太刀、感謝する』

『礼はいらんさ。風竜どもを止めるには、地竜おれたちが出るのが一番だからな』

 そう言うと、大地をつかさどる主竜フェルジオは、翼を打って鼻を鳴らした。

 地竜たちの介入により、風竜は全員拘束されるか気絶させられるかした。そこへ、ちょうど、連絡を受けた『伝の一族』の人々が到着する。ディルネオが見慣れた《神官》の姿もあった。ディルネオは、事後処理を彼らに一度任せると、自分は地上に降りて人の姿に変化する。瓦礫を踏み越え、走った。

 しばらく走ると、今にも倒れそうな家屋の前でへたりこむ、青年の背中が見えた。

「ゲオルク!」

 ディルネオは叫んで、かけよった。ゲオルクは少し震えたが、顔は上げなかった。

「大丈夫か!? 何があった!」

 ゲオルクのそばまで来たディルネオは、彼をのぞきこむ。

 うつろな目をした青年と、彼が抱えているモノを見て、凍りついた。

 

「アラナ……」


 ゲオルクに見つけ出された女性は、今はもう、骸となっていた。眠るように目を閉じて、息ひとつせず、肉体だけがそこに在る。

 幾度となく見てきた人の死に顔。けれど彼女の死は、なぜか、どうしようもなく重かった。

 ディルネオが立ち尽くしていると、うずくまっていた青年の頭が動く。

「おせえよ」

 伏せられた顔、垂れ下がる黒髪の隙間から、消えそうな声が漏れる。ディルネオが何も言えずにいると、ゲオルクは顔を上げた。勢いよく振り返り、力の抜けた顔で、ディルネオをにらみつけてきた。だが、すぐに顔をそむけ、アラナの亡骸なきがらを抱きしめる。

「もう……手遅れだったよ、なにもかも」

 つかのまに見えた彼の目は、見覚えのあるものだった。

 出会ったばかりの頃の目。そして、それより苛烈な目。

 青年の奥にちらつく感情は、間違いなく、憎悪と呼ばれるものだ。

 佇む竜の視線の先で、青年はうずくまる。押し殺したような、すべてをぶちまけるような彼の慟哭どうこくが空を切り裂いた。

 黒雲はもう渦巻いていない。竜の力を失った空から、ぽつり、ぽつりと雨が降ってきた。

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