第二章

8.閉ざされた村

「北大陸」と呼びならわされる、寒い海に浮かぶ巨大大陸。その最大の特徴は、「どこの国にも属さない土地」が非常に多いことだ。広大な陸地の上に、国は飛び石のように存在していて、短い道で一部の国どうしがつながれ、その国どうしだけでヒト、モノ、カネのやりとりをしている。国からも道からも外れれば、そこはどこの国のものでもない大地であり、法や秩序に守られない土地である。

 ある意味、ディランたちが目指している《大森林》もそんな土地のひとつといえるだろう。ただし――

「シルフィエも言っていたが、《大森林》の手前には『つたえの一族』の村があるらしい。《大森林》で勝手をすると、たぶん彼らに怒られるぞ」

 灰色の岩穴の中、焚火に枯れ草を投げいれながら、ゼフィアーが言った。火が勢いを増して燃えるなか、彼女は顔を上げて四人を見回す。

「でもって、まずはその村で《魂還しの儀式》の調査をしたいのだ」

「ああ。文献があるかもとかなんとか、言ってたもんな」

 ディランが言うと、ゼフィアーはうなずいた。

 ほかの三人もまた、納得した様子でいる。

「村で何もわからねえようだったら……《大森林》か?」

「でも、簡単には入れてくれないんじゃないかしら。村の人たちにとっては、聖域のようなものでしょう?」

 マリエットが、思案するような顔で言う。焚火を囲む人々のあいだに、たとえようのない沈黙が漂った。

 それを打ち破ったのは、飄々としたある男の言葉である。

「まあ、あれこれ考えてたってしかたねえわな。もうすぐ嫌でも到着するんだ。着いてから悩んだっていいだろ」

 その一言を期に、一行は食事の準備を整えはじめたのである。レビが布袋の口をゆるめる音が、静かな大地に大きく響いた。

 

 ノルドパテラを出てから五度目の夜だ。焚火の番をしているディランは、無言で空を見上げた。相変わらず、北の夜は西とは比べようもないくらいに冷える。吐く息が白く凍り、紺碧の空へのぼってゆく。ぱちぱちと枯れ草がかすかに燃える音を聞きながら、ディランはしばらく放心していた。やがて、隣に誰かが座る気配を感じ、首を動かす。淡い橙色に染められて光る銀髪を、目の端にとらえた彼は、姿勢を崩した。

「マリエット」

 小さな声で名を呼ぶと、切れ長の目が彼をとらえる。その目は、まるで何かを訝しがるかのように揺らいだが、ささいな揺らぎは静謐せいひつな表情の影に隠れて消える。

「次の火の番は、私だから」

 彼女はそう言った。ディランは、戸惑いながらうなずく。

「あ、ああ。そうだった……」

 尻すぼみに消えた一言を最後に、無音の時間が二人の間を流れていった。ディランがなんとなく空を見上げてみると、瞬く星がはっきり見える。果てしなく、どこまでも続く星空にぞっとした。

「ねえ」

 静かな夜の中、優しい声が響く。少年が視線を戻した先で、女性が気遣うように微笑んでいた。

「レビと何があったの?」

 ディランは顔をひきつらせて固まった。一瞬、頭がまっしろになる。彼の緊張を表情から見てとったのか、マリエットは答えを待たずに言葉を続けた。

「さりげなく訊いてみても、トランスとレビは何も教えてくれないのよ。深刻なことっぽいから、無理に訊きだしたくはないのだけれど。やっぱり、一緒にいると気になるじゃない?」

 珍しく饒舌じょうぜつな彼女は、言葉の終わりに唇を尖らせた。少女が拗ねているのにも似た表情だ。ディランは思わず吹き出した。こわばっていた胸が弛緩しかんするのを感じつつ、ゆっくり話す。

「ノルドパテラでのあのとき、レビを、宿屋の裏手で見つけたんだ。考えごとをしてるっていうから、そっとしておこうと思ったんだけど。俺が中に戻ろうとしたときに、あいつの様子がおかしくなった。それで、近寄ろうとしたら……『来るな』って言われて、腕をひっぱたかれた」

 苦々しく、わざとらしく微笑む。明るい顔を取り繕おうとして失敗し、口もとが変にゆがんだ。思わず腕を押さえる。腫れも痛みもまったくないのに、少し――痛かった。

 マリエットは、そう、と言って、少しの間ディランから視線をそらした。前を見据えたまま、彼女は静かに口を開く。

「なにか心当たりはないの?」

 ディランは首を振る。が、すぐに地面をにらんで考えこんだ。誰にいうでもなく、言葉をこぼす。

「あいつ、何かを怖がってるみたいな感じなんだよな。……俺も、最近、なんか変だし」

「変?」

 マリエットの声が響く。その語尾が、奇妙に歪んだ。

 何かが浮かびあがってくる。抗うことはもうやめた。意識はゆるやかに浸透する。

 食らうことも、追い払うこともせず、ただそこにあり続ける。彼がすべてを受け入れるのを待っているかのようだった。

「ディラン」

 ふいに響いた声に、少年は肩を震わせた。視線を巡らすと、鋭い瞳が真正面にある。

「そろそろ、休みなさい。――必要なら、また相談に乗ってあげるから」

 彼女は穏やかに、しかし有無を言わさぬ口調で休息をうながした。ディランはひるみつつもうなずいて、岩穴の奥へ行くと、布袋から毛布をひっぱりだす。

――彼女は今、どんな表情をしていただろうか。

 そんなことを考えかけて、けれど考える間もなく眠りに落ちた。

 

 翌日。空には変わらず、雲がかかっている。

 旅路に音は残らない。かすかな息遣いと足音は、わずかに道をただよって、すぐに寒さの中へ消えてゆく。不気味なほど穏やかな、そんな道程は、けれど昼前になって唐突に終わりを告げた。

「お、おおお!?」

 ゼフィアーが、突然身を乗り出して、意味のわからない叫び声をあげた。隣を歩いていたディランは、思わず彼女に呆れたような視線を注ぐ。

「なに変な声出してるんだよ、ゼフィー」

「ディラン! 見てみるのだ、向こう!」

 ゼフィアーは、少年の苦言に似た質問を歯牙にもかけず。ただ興奮した様子で、道なき道の先を指さしていた。ディランは怪訝に思いつつ、彼女の細い指を追う。そして、言葉を忘れて目に映るものに見入った。

 地平線のむこうに見える、わずかな盛り上がり。曇天のせいで黒ずんでみえるが、それはまさしく、緑が鮮やかな木々の集合体だった。

「……森」

 放たれた言葉は、あまりにも頼りなく、けれど深い感動に満ちている。少しして我に返ったディランが背後を確かめてみれば、ほかの三人も感嘆の息を吐いていた。

 彼らは約一か月ぶりに木を目にしたのである。

――五人そろって、しばらく無言で感慨にひたったあと。ゼフィアーとレビの子どもふたりが、我先にと駆けだした。ディランたちもその背を追いかけ歩き出せば、さほど時間の経たないうちに森が色彩を帯びて浮かびあがってきた。太い幹と枝をもつ木々にしっかりと葉が茂り、その一枚一枚がみずみずしい緑に染まっている。地衣類以外育たないのでは、とさえいわれる北大陸においては異様な光景だった。

 これが《大森林》。竜の守護を受けた、緑を失わぬ森の姿。

 そのさまに感動と畏怖の念を抱いたのは、ディランだけではなかったろう。

 歩き続けると森はどんどん近づいてきて、いよいよその広大さがわかってきた。ほかのどの大陸にもこれほどの森はないだろう。《大森林》とはよく言ったものである。むせかえるほどに濃い緑のにおいが、旅人たちを包みこむ。

「世界に……こんなに大きな森があるなんて……」

「すげえもんだろ?」

 感嘆するレビの横で、一度入ったことのあるトランスが笑う。そして、彼の目は、森の入口に凝る影をとらえた。

「ひょっとしてあれが、『伝の一族』の村か?」

「うむ。きっとそうだ」

 ゼフィアーが元気よく言って、走る速度をあげる。彼女のそばについていたディランは、はりきり方に呆れつつその背中を追った。

 ほどなくして、木でできた粗末な柵が見えてくる。その切れ目に申し訳ていどの門を見つけた。五人はわずかに顔をこわばらせ、門をくぐる。――実に小さな村だ。おそらく、一時間もかからず村を一周できてしまうくらいの。木々にかこまれた、短い草が茂る大地の上に、丸太でできた小さな家が数軒ほど点在している。最奥、森の入口の近くには、ディランたちがリフィエ村などで見かけた、竜の姿を彫りこんだ三角錐がそびえていた。

 緑をはらんだ、なんともいえない空気に満たされた小さな空間。五人はそこに、思わず呆然と佇んだ。

「……よそ者?」

 彼らが我に返ったのは、そんな、剣呑な声を聞いたときだ。ディランとレビとトランスが、さっと顔をこわばらせる。視線の先にはいつのまにか、一人の女性が立っていた。三十歳くらいだろうか。黒い髪をうなじのあたりで雑に束ねている。琥珀色とも金色ともつかぬ瞳が、警戒の色を宿して五人を見つめていた。

「あ――」

 声をあげたのは、ゼフィアーだ。彼女の姿に気づいたのか、立っている女性の方の視線もやわらぐ。

「……『友』だ」

 ごくごく小さな呟きが漏れる。

 女性の方も、ディランたちもどうしていいかわからずに、しばらく戸惑いを抱えて立ち尽くしていた。そんなとき、女性の後ろからこの場の誰のものでもない一声が響く。

「どうしたの?」

 やわらかい男の声。黒髪の女性が振り返った。視線の先には、短い銀髪を風にあそばせて立つ、若い男がいる。どう見ても『伝の一族』ではないのだが、彼は不思議と村に溶けこんでいるようだった。

「フランツ」

 女性の肩の力が抜ける。フランツと呼ばれた若者は、もとから柔和な目もとを穏やかに細めた。

「何かあった?」

「『友』が来た。外の人間と一緒だが」

「へえ……」

 フランツは軽く目をみはり、そこではじめて五人を見た。緊張するディランをよそに、人のよさそうな笑みを浮かべる。

「こんな辺境の地にようこそ。確かに、『伝の一族』のお嬢さんだ」

 そう言われたゼフィアーが、会釈をした。

「いきなりお邪魔して、申し訳ない。私はゼフィアー・ウェンデルという。どうしても知りたいことがあって、この村に来た」

「これはご丁寧に、どうも。僕はフランツ。見てのとおり、『伝の一族』ではないのだけれど……先祖が、外部交流の一環でこの村に住むことになったらしくてね。僕もこの村で生まれ育った、この村の人だよ。それで、こちらは」

 自己紹介をしたフランツが、背後を示そうと振り返る。が、そこで動きを止めた。先程まで確かにいた黒髪の女性が、いつのまにか姿を消している。あまりの逃げ足の速さに、ゼフィアーも、一歩退いていたディランも唖然とした。が、フランツは微笑んで肩をすくめただけである。

「申し訳ない。彼女、悪い人ではないんだけれど、警戒心が強くてね」

「い、いや。かまわない。驚かせてしまったのは、こちらだし」

 ゼフィアーは、まごつきつつそんな返しをした。

 その後、ディランたちも順番に挨拶をした。マリエットが簡潔に名を述べたところで、フランツが瞠目する。はじめて、穏やかだった彼の顔にたしかな驚愕が走った。

「あ、あなたは、ひょっとして」

「ええ。どうも……同じ部族の人のようね。とはいっても、私は純血ではないけれど」

 会話を聞いて、ディランたちははじめて二人を見比べた。はっと息をのむ。よく見てみれば、美しい銀髪も、そして目鼻立ちも二人はよく似ていたのだ。

「すごい。兄弟みたいです」

 棒をにぎりしめたレビが感嘆したように言った。

 フランツもまた、感慨深そうに空をあおぐ。

「いや。世界というのは、広いようで狭いね。――まあ、それはともかく」

 フランツは言ったあと、咳払いをして五人を見渡した。

「さっき、知りたいことがあると言っていたね。なんにせよ、この村にとどまるつもりなら《神官》たちに挨拶をしてくるといいよ」

「《神官》? はじめて聞くな」

「まあ、村のまとめ役みたいなものさ。

 この村の人たちは、つたえの中でも特に力が強かったみたいでね。その昔は、村の人に認められた心正しい人が《神官》となり、彼らだけが竜との対話を許されていたらしいんだ」

 今は名前だけだけれど。そう言い、フランツはまた笑う。

「つまり、一族の中で選び抜かれた人ってことか」

 ディランは呟き、うなずいた。フランツはそんな彼を一瞥したのち、村の奥の方を指さす。

「今は確か、若い《神官》がひとり、村にとどまっていたはずだ。案内しよう」

「あっ。す、すまない。世話になる」

 ゼフィアーがまた頭を下げる。

 五人は、銀髪の若者に連れられ、村の最奥目指して歩き出した。

 

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