2.嵐のごとく

 広がるのは、終わりの見えない茶色い大地だ。丈の短い草はぽつぽつ生えているが、樹木のたぐいは一切ない。もはや道とすら呼べない荒原に出ることも、珍しくなかった。

「夏には結構色づくんだぜ、こういうところも。でもま、今は冬に入ったころだからなあ」

 というのは、トランスの弁だ。


 あの白い岩場を出てから、三日が経っている。

 出発したその日の昼ごろに、話に聞いていた小さな村には辿り着いた。そこで、地図と防寒具を買った後、一晩休んでまた発った。今は、近くの町に向けてひたすら荒野を歩いている最中である。

「こうまで何もないと、なんだか気が滅入りますね……」

 分厚い外套の下で白い息を吐いたレビが、呟いた。ゼフィアーが隣でこくこくとうなずき、子どものやり取りを、マリエットがほほ笑ましげに見守っている。

 地図を手にしているトランスが、大きな紙の表面から目を離さずに口を開いた。

「もうすぐ街道が見えてくるはずなんだがなあ……。あのあたり、今の時期は人通りが少なくて物騒だけど」

「ずいぶん詳しいんだな」

 まるで見てきたかのような言葉に、ディランは興味を引かれる。そんな彼をトランスはうたぐるような目で見てきたが、すぐにその表情を微笑の裏に隠した。

「まあな。俺、北大陸の出身だし」

「そうだったんですか?」

 レビが素っ頓狂な声を上げている。ディランも驚いた。が、よく考えれば、《大森林》の守護者であったディルネオに保護されて育てられたということは、北大陸にいたということなのだ。何も不思議なことはない。

 だが、そんな論理的思考とは別に「そうだろうな」と確信にも似た感覚を抱いている自分がいたことに、このときの彼は、気づいていなかった。


 しばらく、方角だけは見失わないように気をつけながら歩いた。すると、トランスの言葉通り、ならされて整えられた道のようなものが見えてくる。確かに人影はなく、吹き抜ける細い風が、言いようのない寂しさを醸し出していた。

「どちらに行けば、町に辿り着けるかしら」

 マリエットが言いながら、トランスの持っている地図をのぞきこんだ。彼はまったく動じずに地図を指でなぞると、「西かな?」と言って、ディランが立っている方を指さす。一行は誰からともなくうなずいて、歩きだそうとした。

 が、つま先を西に向けたところで、ディランは足を止めた。

 うなじを鋭い風がなでる。

 土の匂い。今までと変わらない。そこに混ざる、何か。

「ディラン?」

 訝しげに問うたレビが、すぐに目を見開いて、棒を構えた。

「おっとレビ坊、だいぶ敏感になったんじゃね?」

「ありがとうございます。ところでその『坊』っていうの――」

「やめない」

 矢筒と短剣の両方を意識して構えをとったトランスは、少年の苦言を軽口と口笛であしらう。

 ゼフィアーはため息をつき、サーベルを引き抜いた。


 予想はしていたつもりだった。

 が、それは、あまりにも突然だった。


 地面が、低い音とともに、小刻みに揺れ出す。ゼフィアーが不審そうに顔をしかめた。

「地震か?」

 呟く彼女の隣で、ディランとトランスが同時に目を細める。

「いや」

「違うね、こりゃ――足音だ」

 地震のような、うなりと音を伴って、足音は四方八方から近づいてきた。地平線の先に見えた土煙がみるみるうちに迫ってきて、その中に、数多の人影を浮かび上がらせる。前後左右から猛然と走ってきたのは――毛皮の衣をまとい、刀剣を携え、血に飢えた獣のように目をぎらつかせる、男たち。

「な、なんです、これ!?」

 棒を突き出したレビが悲鳴を上げる。

「北大陸には、民族単位で盗賊行為をする風習があるのかしら、トランス?」

「そんな風習はなかったと思うぜ」

 肩を並べて立つマリエットに、皮肉まじりに問われたトランスは、いびつな笑みとともに答える。素早く弓に手をかけた。もう片方の手で筒の中の矢に手を伸ばし、指の中で矢を弄びながら腕を下げた。

 そうしている間に、二十人は下らないであろう人の群が、ぐるりと旅人たちを取り囲む。

 先頭にいる、いっとう大柄な男を中心に、数人が進み出た。大柄な男が、無造作に武器を引き抜き、突きつける。幅広の刃が光る剣だ。切っ先は、ちょうど彼の正面にいたディランの鼻先を向いた。

「おい。てめえら、旅のモンだな」

 誰も答えない。ディランは挑むように刃を見返す。

 男たちもまた、苛立った様子は見せなかった。それどころか、おもしろがるように顔を歪める。

「威勢のいいガキだな。――それでいい。

 大人しくしろなんて、言うつもりはねえよ。金目のもんは殺して奪う」

 何度も血を浴びてきたであろう刃が、北の淡い太陽を受けて、鈍く光った。それを合図とするかのように、まわりの人々が武器を抜く。荒原を駆けるのに、見たことのない、けれど鹿に似た動物を使っていた人々は、その背から軽々と飛び降りた。

 彼らを冷やかに見た一行の中で、まっさきに動いたのは、トランスだった。

「こんな大集団で盗賊行為をする風習はなかった――と、思うが」

 弓を持ちあげ、構える。左の指を弓に添え、右手に持った矢をつがえた。

「まあ、このくらい大規模な盗賊団はたまにいる」

 きりっと音を立て弦を引く。男たちが気色ばんだ。

「俺たちゃ、運がなかったってことだな」

 静かな一言とともに、矢が放たれた。まっすぐに飛んだ矢は集団の後方に吸い込まれていき、離れたところからくぐもった叫び声が聞こえる。

 それは、まさに嚆矢こうしだった。

 たったの一矢をきっかけに、盗賊たちはせきが切れたように飛びかかってくる。一方でディランも剣を抜く。飛びかかってきた一人の額を、さっそくためらいもなく切りつけた。その横から、ゼフィアーが踊るように飛び出してきて、別の一人の顔面に足を叩きこむ。

「貴様らぁ!!」

 その怒声は、先ほど声を放ってきた男のものだった。剣を振り回す彼の前に、マリエットが軽い足取りで躍り出て、槍を大きく回した。槍頭が、刃先をかすめて剣の軌道をわずかに逸らす。やがて剣を弾きあげたマリエットの槍が、本人の手もとにするりとおさまった。対して、脇が大きく開いた男は、横合から飛びこんできた少年の棒に、がらあきになった脇をめいっぱい突かれて悶絶した。

「こ、こいつら! ふざけたまねしやがって!!」

 しゃがれた声で怒鳴る大男を一瞥したディランは、その方に拳を振りかぶる。ばきり、という嫌な音は耳を素通りして、意識はすぐに、隣から飛んできた投げ槍へ集中していた。右手で剣を振るい、ぎりぎりで槍を弾き落とす。

 そのとき彼は、後ろから飛んでくる声を聞いた。

「ディラン! ちょっといいか!」

 ゼフィアーのものだ。目だけで背後を確認すると、少女は一人を切りつけて気絶させたところであった。彼女の、わずかに上向いた視線から意図を察したディランは、さっとその場にかがみこむ。

「ほいっと」

「すまぬ!」

「いいって」

 ディランの笑い含みの声が終わる前に、ゼフィアーの足が勢いよくディランの背を踏みつけた。高く飛びあがったゼフィアーは、その勢いで足もとにいた男の鼻づらを踏みつけ、さらにもう一人を殴り倒した。どちらも、先陣切って飛びかかった仲間の影からディランに襲いかかろうとしていた者だった。

 華麗に着地した少女は、再びサーベルを構える。厚手の衣をまとっているとは思えぬ身軽さだった。

 ディランは、ひとまずまわりに敵がいなくなったので、ざっとあたりを見回してみた。我知らず、舌打ちをこぼす。戦いはじめてからそれほど時間は経っていないはず、ではあるが、どうにも状況が悪い。一応、今のところほとんど無傷で戦いを進めてはいるものの、いっこうに敵の数が減らないのだ。

「ほんとに、どんな大所帯で来たんだよ」

 言いながら、ディランは背後から叩きつけられてきた剣を受けとめる。振り向きざまに自分の剣を思いっきりひねって、相手の得物をからめて弾いた。

 本当はどこかに突破口を見いだして逃走できれば一番いいのだが、あたりはとにかく、人で埋めつくされていて、逃げ道など見えない。

 ディランがつかの間思考にふけったとき、背後にぶつかるものを感じた。自分より小さな体と、癖のある髪の感触。

「レビか?」

「……は、はい……」

 呼びかけてみると、荒い呼吸とともに返答があった。彼はすぐに上半身を起こして、ディランと背中合わせに立つ。

「き、北大陸の人たちって、こ、怖いですね。全然、逃げ腰にならないっていうか」

「大陸どうこうの問題か知らないけど、まあ、だいぶ過酷な環境ではあるからな」

 言っている間に、二人を取り囲むように十人ほどの大男がにじり寄ってくる。

 そのうちの一人、ディランとレビの両方を真横から見られる位置にいる男を見て、ディランは目をみはった。

 男が持っているのは、刀剣のたぐいではなく、大ぶりな石の斧だったのだ。

 男は息も足音も殺し、無言で進み出て――ふいに、斧を振り抜いた。ごうっ、と低く風が鳴る。

「レビ! 横に跳べ!」

「へっ――うわぁっ!?」

 自らも迫りくる斧をかわしたディランは、目の端で、レビが転げるように一撃を避けたのを知る。大きく振り回された斧は、彼らのすぐそばをかすめていった。なんとか一撃は避けたが、安堵するにはまだ早い。すぐ上から、嫌な響きを持った笑い声が降るのを聞き、反射的に転がっていた。

 固い土に剣と槍が突き刺さる。ディランはすぐさま飛び上がるように起きて、にやにやと笑う男たちをにらみつけた。

 さらに、先ほどの大男も、緩慢な動作で、再び得物を構えている。

「おいおい、剣じゃ斧とはやりあえない……」

 思わず彼は、消え入りそうな声で呟いた。

 と、そのとき。ディランとレビに狙いを定めていた集団の後ろの方から、断続的に悲鳴が聞こえた。眉をひそめたディランがそちらを見ると、人垣の中から、赤いものが噴きあがっている。

「何事だ」

 斧使いが振り返る。

 刹那、彼の真後ろにいた男の首が飛んだ。

「なっ……ぁっ……!」

 レビの声がした。悲鳴を極限まで押し殺したような声だった。

 血や人が死ぬ瞬間には、ある程度慣れているディランでさえ、あまりの唐突さに呆然とした。

 首から離れた男の頭は、その表面に驚愕を貼り付けたまま、落ちてゆく。ほかの盗賊たちが慌てたように避けたが、その頃にはもう、別の大男の胸から血が噴き出て、さらにその隣の熊のような剣士の頭が縦に割れていた。

「え、え……? なんですか、これ……」

 錯乱して飛びかかってきた盗賊を殴って気絶させたレビが、だが、限界を迎えたようにディランの方へ倒れこんでくる。顔が気の毒なほど青くなっていた。ディランは少年の体を無言で支えて、険しい表情で剣を構える。

「新手か」

 独白は、狂った悲鳴の中にぽつりとこぼれる。

 普通の人には、無意味に人が血をまき散らして死んでいるようにしか見えないこの状況。けれど、ディランには、その隙間で剣や槍を振るう人々の姿がはっきり見えていた。己の得物をためらいもなく血に染めて、盗賊どもを切り裂いていく人々は、獣皮革で作られた厚手の上着をまとい、腰を太い帯で締めている。

「ディラン! レビ!」

 狂騒を割るような叫びとともに、ゼフィアーが駆けつけてくる。彼女は髪の毛に少し血をつけているが、露ほども動じていなかった。

「ゼフィー、無事か」

「うむ。どこからか飛んできたものを浴びた以外はな」

「そうか」

 がたがた震えているレビをよそに、ディランとゼフィアーはいっそ冷めているといってもよいくらい、冷静だ。盗賊たちの悲鳴と、肉の切れる嫌な音の中で、緊張を押し殺して言葉を交わす。

「どうする。下手に動いたら、私たちも斬り殺されそうだぞ」

「うーん……敵か味方か、わからないしな。トランスとマリエットは?」

「二人とも無事だ。こちらに向かっている」

 ゼフィアーの言葉が終わる。それにかぶせるように、やたらと重々しい足音が響いた。今まで虐殺を免れていた斧使いが、振り向きざまに、再び武器を振る。が、突然駆け抜けてきた足音の主は、軽々と斧の上に乗った。斧使いの目が見開かれる。

「おおっ」

 ゼフィアーが、状況を忘れたように感嘆の声を漏らした。

 直後、斧の上から飛び上がったその人物は、手にしていた大剣を両手で軽々と振るい――なんのためらいもなく、斧使いの頭を横から両断した。

 ディランはとっさに、今にも失神しそうなレビの目をふさいだ。骨と肉が断たれる嫌な音とともに、頭の上半分はどこかへ吹き飛び、そこより下にはほかの者たちの攻撃が容赦なく突き刺さる。殺戮の中に着地した、斧使いを殺した人物は、今暴れ回っている人々を見回して、声を張り上げた。

「おいおめえら! やりすぎんなよ! 主力と頭目の首は、町に差し出さなきゃ金が貰えねえからな!」

 その一声に、周囲からは怒声のような返事がある。

 よく響く声は、男のそれだ。人々を見回す顔も、トランスと同じかもっと上くらいの壮年の男のもので、がっちりとした巨躯はそれこそ熊のようである。が、目に宿るのは無邪気な少年のような快活さだ。

 三人が、大きな背中を呆然と見ていると、横から汗だくのトランスと、顔にわずかな疲労をにじませたマリエットがやってくる。

「よかった。あなたたち、無事だったのね」

「ま、マリエットさん……」

 穏やかにほほ笑むマリエットを見て、レビが心底安心したようにかがみこむ。

 一方トランスは、突如現れた闖入者たちを目で追って、眉をひそめた。

「こりゃ一体、何が起きてるんだ?」

「そんなの俺が知りたい。トランスの方が詳しそうだけど」

「冗談はよせやい。俺だってこんなの見たのは初めてだ。無軌道な暴れん坊は確かに多いけどな」

 ディランが冷たい笑みを向けてやると、トランスは両手を挙げて大仰に首を振る。だが、顔には疲れと呆れの両方がにじんでいて、彼の言葉が真実であると示していた。彼らがどこか薄っぺらなやり取りをしていると、斧使いを斬り殺した男が、ぐるんと振り向く。かがみこんでいたレビが、細い悲鳴とともに後ずさりした。

 だが、男は、おびえる少年の存在に気づいていないのか無視しているのか、物珍しそうに一行をながめる。

「ふむ? なんだ、おまえたちは盗賊ではないんだな」

「そーだよ。たまたま通りかかった善良な旅人さ」

 ため息をつきながら、トランスが冗談めかして言う。すると、男は、かすかに笑った。

「そうか、そうか。やたら盗賊どもが群がっていると思ったが、獲物がいたか。

 いやはや、囮にするつもりはなかったが、俺たちは運がよかったね」

 悪びれる様子もなく、そんなことを言った男は、大剣を鞘に収めた。彼らの声に引き寄せられるように、盗賊たちを殺して回っていた人々も、ぞろぞろと集まってくる。年齢こそばらばらだが、いずれも屈強な男たちだ。彼らのうち一人が、大剣の男に声を飛ばす。

「お頭ぁ! 頭目以下数名をふんじばっときましたが、どうしやす?」

「おお、わかった、わかった。お疲れさん。いつも通り、先遣隊に町まで運ばせてくれや。ああ、町民の目には触れさせねえようにしろよ」

「へいっ!」

「あと、お頭ってのそろそろやめてくんねえか?」

「失礼しやした! お頭!」

 声の主は、崩れた敬礼をする。先ほどからお頭と呼ばれている男は、半眼になって肩を落とした。結局、呼び名の訂正はあきらめたらしい。ぞんざいに手を振って、その人と他数名を行かせた。彼らを生温かい視線で見送った男は、未だ棒立ちになっているディランたちを改めて見る。

「騒がせて悪かったな」

「ああ、いや……俺たちも、助けられたので。少し驚きましたが」

 彼が自分を見て言ったので、ディランは戸惑いながらも答えた。すると、男は高らかに笑う。

「まあそうだろうな。戦慣れしてねえ奴も混ざってるみたいだし。あんたら、おもしれえな」

「は、はあ……?」

 曖昧に答えたディランは、さりげなく振り返って、四人の様子を確かめた。ほとんどの人は、おもしろがるような目を男に向けているが、レビだけはトランスの背に隠れながらのぞいている。

 屈強な者たちの無遠慮な視線を受けて、ディランが、どう話を続けよう、と思案していると、突然マリエットが踏み出してきた。

「それで、あなたたちは一体何をなさっているの?盗賊のようにも、そうでないようにも見えるけれど」

「おお、こりゃ別嬪べっぴんさん。しかも、勘もよろしいようだ」

 陽気な口笛を吹いた男は、鞘に収まった大剣を叩いてから、半歩前に出る。五人を見て、不敵に笑んだ。

「俺たちはな、この地で盗賊狩りをしてるのさ。――でもって、連中を取りまとめているのは俺だ。

 名前はアントン、よろしくな」

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