39.名もなき村の話

 大量の木製のわんをもって家を出たチトセは、村のまんなかから立ち上る白いものに気づいて、ぱっと顔を輝かせた。椀が落ちないよう気をつけつつも、急ぎ足で村の中心の方へいくと、案の定、大きな鍋が鎮座していて村の人たちが集まっていた。

「あらちーちゃん。どうもありがとうねえ」

 大きな鍋をこれまた大きな杓でかきまわしていた老婆が、元気のいい娘を見て、笑みを浮かべる。顔じゅうがしわだらけになったが、それにすら温かみが感じられた。

「ほらほら、お椀はそこに置いて、あなたも座んなさいな」

「もうすぐ、ばあちゃん特製のイモ汁ができるからなあ。いっぱい食えや、チトセ」

 村人たちは口ぐちに言い、笑った。この村は人が少ないと同時、子どもがほとんどいない。今の子どもは、チトセともうひとり――よそで先日生まれたばかりの赤ん坊だった。

 鍋からたちのぼった、いいにおいが村の中心の広場に漂う。人々は思わず歓声をあげた。

 ここは小さな村だ。だからだろうか、今のように村の全員で大きな鍋をかこんで食事をするというのは、よくあることだった。チトセにとっては日常で、珍しい風習だったと気づくのは……思いがけず、村を離れたあとである。

 酒も肴も用意ができた。となれば、宴がはじまる。飲め食え騒げと言い合う大人たちの穏やかな声が、冬空に響き渡る。端の方で、イモ汁をすくいながら彼らの声を聞いていたチトセは、隣に人が座ったことに気づき、顔をあげた。

「ばあちゃん」

 先程、鍋をかきまわしていた老婆だ。彼女は、しわくちゃのかわいた手でチトセの頭をなでる。くすぐったくて、少女は黄色い声を上げて笑った。

「お父さんとお母さんのところへは、行かねえのかい?」

「うーん」

 チトセは笑顔のまま、木匙を椀につっこむ。匙の中で、大ぶりの里芋がごろんと転がった。

「いいよ。二人もたまには、おじちゃんやおばちゃんたちとお話したいでしょ」

「そうかい。ちーちゃんはいい子だねえ」

 また少女の髪をなでまわした老婆は、自分も汁をすすった。老婆とチトセ、祖母と孫のようにも見える二人は、しばらくそうしてとなりあい、なんでもない話に花を咲かせた。

 そんな中、チトセの耳に、潜められた声が届いた。

「なあなあ、知ってるか。隣村の若者が、竜様ともめちまったらしい」

「はあ? またか? 最近、そんなことが多いなあ」

「勘弁してほしいもんだなあ。竜様を怒らせちまったら、損するのは自分たちだ」

「動物たちもひどい目にあっちまうらしいじゃねえか」

 こそこそと話しあっている人たちは、ほんのり酒気を帯びていた。宴会ともなれば常のことなのでチトセは気にしなかったが、それより彼らの話が、少女の興味を引いた。

「ねえ、ばあちゃん」

 手を止めて、半分近く減った豚汁から目をそらし、老婆を見上げる。

「なんだい?」

「なんで、人と竜様は、けんかをしてしまうの? 昔はみんな、なかよしだったんでしょう?」

 老婆は少し、黙りこんだ。ややあって、優しい微笑みを崩さないままに、言う。

「ほら。ちーちゃんの隣の家の、旦那さんと奥さんも、ふだんは仲がいいけれど、ときどき激しくけんかをしているだろう? それと、似ているかもねえ」

「うーん。確かにマサおじさんたちがけんかしてるの、たまに見るけど、そうなのかなあ」

「それにね」

 老婆の目が、鍋の方を向く。いや、本当はもっと遠くを見ているのではないかと、幼いチトセはなんとなく思った。

「竜様はね。神様のようでいて、神様じゃない。生き物だ。私たちと同じで、心があって考える力を持っている立派ないち生物なのさ。

だからね、彼らには彼らなりの考え方がある。時代が変わって、人の生活が変わるにつれて、お互いの考えがぶつかるようになってしまったのかもしれない」

 老婆の声は、騒ぎの中にあって静かに響いた。彼女の言葉を半分も理解できなかったチトセは、けれど、その細められた目がとても悲しそうに揺れていたのが印象に残っていて――胸が痛んだ。

「……どういうことなの?」

 驚きをのみこんで、チトセが訊く。すると老婆は、声を立てて笑った。

「ちーちゃんには、まだ難しかったかねえ」

 言った老婆は、またチトセの頭をなでた。その手は、いつもより大きいように思えた。

「大丈夫。ちーちゃんが大きくなって、どうして竜様と人がけんかするんだろうって考えられる優しい大人になれたら、きっとわかるさ」

「本当に?」

「本当だとも。ばあちゃんは、ちーちゃんが優しい大人になるって、信じているしねえ」

 

 結局――チトセは、その言葉の意味を、おぼろげにしか理解できなかった。理解できないまま、温かい世界と切り離され、心は竜への怒りと憎しみに塗りつぶされてしまった。

 あの日のイモ汁の味と、老婆の手のぬくもりは、今でもときどき思い出す。そしてそのたびに、彼女は苦味を噛みしめる。


 優しい大人になるなんて、あたしにはもう無理だよ、ばあちゃん。



     ※



「みんなね。本当にいい人たちでさ。あたしら一家によくしてくれたし、こっちから夕飯のおかずを差し入れたり、赤ん坊の面倒みたりしたこともあったよ。

村のことしか知らない小娘のあたしは、そこらの村娘とかわらず、畑仕事や縫物を手伝いながら、日々を過ごしていた。こんな毎日がずっと続いて、成人したら結婚して……なんてあたりまえのように考えてたよ」

 土を踏む音が、むなしく響く。少女の温かい思い出をあざ笑うかのように、現実に吹く風は冷たい。

「でも……今から十年前にね。すべてが変わった」

 チトセの声が冷たくなる。気づけば、彼女の声に聞き入ってたのは、ディランやレビだけではなかった。誰かの息をのむ音が、近くで聞こえた気がして、ディランははっとした。

「よく雨が降るはずの夏場に、まったく雨が降らなかったんだ。干ばつはいつまでも、いつまでも、不自然なくらい続いた。みんな痩せてって、病気になって、飢えてどんどん死んだ。あたしはみんなから食べさせてもらってたからなんとか生き残ってたけど……それが悔しくて、たまらなかった」

 手に力がこもり、刀の柄が硬質な音を立てて揺れる。

「それで、やっと少しずつ雨が降るようになって、畑の収穫も増えてきたかなってころにね。追い打ちをかけるように、めちゃくちゃな嵐がきた。暴風が全部さらっていったんだ。家も、畑も、命すらも。とうとう、村そのものがなくなってしまって……残ったのは、あたし一人だった。

それが竜の力の影響だってことを、あとで知った」

 チトセの目つきが鋭くなる。彼女は言葉を切ったあと、奥歯を噛みしめた。

「ちょうど、あたりの村の人間が、村々の北にある大きい山の開拓をめぐって竜ともめてたんだ。それで実際、竜が殺されることも何度かあったらしい。それに怒った竜どもが、禁忌を破って力を使ったんだよ。干ばつも嵐も、ほとんど竜が原因だった。あたしらの村は、よその争いに巻き込まれて消えたんだ。たまたま、竜の力のだったから」

 チトセの声はじょじょに熱を帯びて、最後の方はもはや叫びに近かった。こうなれば聞くなという方が無理な話で、全員の視線が、いつの間にか彼女に集まっていた。ディランが息を殺して黙りこんでいる横で、レビが棒をにぎりしめて、震えている。

「そ、そんな! そんなことって……! 村の人たちは、何もしなかったんでしょう!?」

「ああ、なんにもしなかったよ! だから、あたしは前に言ったでしょ。あたしが竜に何かしたわけじゃないってさ」

 吐き捨てるようにチトセが言う。彼女の言葉にひるんだのは、山脈で彼女とやりあった三人だ。だが、それを知らないディランも、胸に抱く苦々しさは変わらなかった。思わず、横目でルルリエを見ると、彼女もまた緑の瞳を彼に向けた。

『……強力な竜であればあるほど、関係のない場所を荒らしてしまうこともあるわ。だから、掟を破るな、禁忌をおかすなって、主竜たちも私たちもうるさく言ってるのよ』

 ルルリエの声は、激情を押し殺しているのか揺れている。彼女の声が聞こえたのだろう、感情を高ぶらせていたチトセが、小さく震えた。が、彼女はわきあがるものを静めるように深呼吸してから、言葉を続ける。

「さんざん泣いて喚いて、一人で村のあたりをふらふらしていたときに、首領と出会ったんだ。

『竜が憎いのか』って訊かれたから、そのときのあたしは、ろくに考えもせずうなずいてた。そしたら、首領は言ったんだ。『なら、俺たちと来い』って」

「それで、『破邪の神槍』に入った……?」

 レビが言うと、チトセは弱々しくうなずいた。激しくうずまいていた憎しみをさんざん吐きだして、からっぽになってしまったかのようだった。何度か息をすると、用事は済んだとばかりに、ディランとレビに背を向ける。彼らは言葉に困って、顔を見合わせた。

 チトセの冷たい声が響く。

「あたしの話は、こんな感じ。って言っても、うちで竜狩りやってる連中なんて、だいたい似たようなもんよ。センだけは、ちょっと違うけど」

 気、遣わなくていいから。チトセは小声で吐き捨てたきり、黙りこんでしまった。

 再び――いや、先程よりも明らかに重い空気が漂う。話を聞いた張本人であるレビは特に、深刻な顔をしっぱなしだった。よほど力んでいるのか、小さな体がかすかに震えていることに気づいたディランは、ため息とともに小さな肩をぽんっと叩く。

「え?」

 ハシバミ色の瞳がきょとんと丸くなり、ディランを見上げた。ディランは肩をすくめて微笑む。

「考えすぎるなよ。重荷はときどき、こっちにも分けろ」

 彼が言って、自分の顔を指さすと、肩のルルリエが羽を鳴らす。

『私たち竜の問題でもあるしね』

「ディラン、ルルリエ……」

 レビは戸惑ったように視線をさまよわせたあと、嬉しそうにしつつはにかんだ。竜語ドラーゼは理解できずとも、風の小竜が何を言いたいかはわかったのだろう。

 いくらかやわらいだ雰囲気の中で足を進めると、次第に草が減り、あたりがごつごつした白っぽい岩場に変化してきた。空気に目立った変化があったわけではないが、全員の表情が、自然に引き締まる。ディランは、片手を拳にして、片手を剣にかけた。今は、水竜たちを止めにきているだけなので、剣以外のものは置いてきている。両手に、冷たい汗がにじむのを感じた。

――水が、頭を叩く。

 はっと顔を上げると、どす黒い雲から雨が降ってきていた。まだそれほど多く降ってきてはいないが、強くなりそうな気配がある。水竜が近くにいるのかもしれない。そう言いかけたところで、彼は気づいた。

 途中から先頭に立ちはじめたゼフィアーが、足を止めている。顎をくっとあげて、強い瞳で、道の向こうをにらみつけていた。

「ゼフィー」

 鋭く声をかけると、ゼフィアーはうなずいた。

「間違いない。いるな」

『ものすごく、怒っているみたいね。確かに』

 ルルリエも呟き、背筋をのばす。さらにそこで、ゼフィアーが険しい顔をした。

「向こうもこちらに気づいたようだ。よっぽどチトセたちに腹が立ったらしいな。人間というだけで、ずいぶん警戒されている」

 厳しい声を聞き、チトセとイスズが目をそらした。

 しかし、今回も彼女らが同行していることは確かだ。一行は、ともにいる限りは竜狩りをさせないつもりでいるものの、竜たちが敵意を向けるのも当然だった。

「あれね」

 突然、軽やかな声がする。全員がその方を見ると、マリエットが薄く笑って、遠くを指さしていた。細い指を追ってみると、少し先に、こんもり盛りあがった大きな岩、のようなものが見える。

「あれが水幻洞。あそこを抜けて少し歩くと、海に出るそうよ」

 うたうように言ったマリエット。だが、その語尾にかぶせるかのように、物々しく乾いた音がする。細められた瞳が、見る間に好戦的な色になった。

「――どうも、いきなりお出ましみたいだわ」

 声が終わるやいなや、マリエットは、槍にはめた鞘を流れるような動作でとる。ディランもほとんど反射で剣の鍔に指をかけて、前に出た。そして息をのむ。

 遠くの空に見える影。一見して、鳥の群のようでもある。だが、実際は鳥よりも遥かに巨大な、青い竜たちが集っているのだ。まだ姿は見えない。けれど、その瞳が憎悪に彩られ、凶暴に光っていることは想像できた。

 竜はぐんぐん近づいてくる。体を濡らす雨も強くなりつつある。そして――

 切り裂くような咆哮が、あたりに響いた。

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