35.過ちと、憎悪の目

 少女は元気よく、村の小道を走りまわっていた。

 道沿いに並ぶのは、藁ぶき屋根の小さな家と、茶色い畑。彼女にとってはあたりまえのもの。大好きな風景だ。肩から膝までをすっぽり覆う白い長衣の裾には泥がついてしまっているが、少女はまったく気にしない。

 ゆるやかにうねる道を走っていると、その先に人影が見える。それが両親だと気づいた少女は、目を輝かせて、手を振った。

「おとうさん、おかあさん!」

 大声で呼びかけて、走る速度を上げる。地面を蹴って、勢いよく飛び付いた。父と母は、優しい笑みを浮かべて彼女を受けとめ、やんちゃだとか、しょうがない子、とか、そんなことを言っていた。父と母を見上げた少女は、頬を染め、歯を見せて笑った。

 泥だらけの小さな手を二人に伸ばそうとして――


 瞬間、二人の姿が、弾けて消えた。


「……え?」

 不格好によろめいた少女は、唖然として、両親がいたはずの場所を見やる。

「おとうさん……おかあ、さん?」

 震える声で呟いて、穏やかな風の吹く村を見回す。そして、目をみはった。

 村が、死んでいる。

 ついさっきまで、たしかに緑豊かで、平和で、いつもどおりだったはずの村が……ひび割れた地面をさらしていた。藁ぶきの屋根は崩れかけて、畑はやせ細り、感じていたはずの人と動物の息吹は、消えている。

 荒野と化した村の中に佇んでいたのは、少女一人だった。

「何、これ」

 呆然と、呟いた少女の髪を、風が揺らした。

 生ぬるい、嫌な風。それは、だんだん強くなり、鋭くなり、暴力的になってゆく。

 風が狂う。藁が飛んだ。畑は荒れて、もはやそう呼べるものではなくなった。道は消えて、空は濁る。みんな、みんな、死んでいく。

 何もかもを壊してゆく嵐の中、少女は、頭を抱えてうずくまる。

「やめて……やめてよ……」

 震えながら、父と母の名を呼ぶ。ふと、少しだけ顔を上げると、吹き荒らされた地面に何かが横たわっているのに気づいた。それが何かは、すぐにわかった。わかってしまった。涙がにじむ。唇が震える。

――横たわるのは、痩せこけて息絶えた、両親のからだ

 大好きな父と母は、もういない。

 それどころか、村の者は全員、死んだのだ。少女だけを残して。

「やめて……」

 少女の声が、震えて、引きつった。

 頭を抱えて天を仰げば、不気味に渦巻く灰色の雲が見える。それはまるで、絶望そのものだ。

「嫌だ。やめて。こんな、こんなこと、やめて」

 呪詛のように響いた声を、風がさらう。少女の目に、激しい光が灯る。

「返してよ……」

 狂ったように頭をかきむしった少女は、また空を見上げて、叫んだ。

「お父さんとお母さんを、村のみんなを……返してよ!」

 悲鳴のような訴えに、こたえる者はいない。やがて、無慈悲な嵐は、小さな村のすべてを飲みこんだ。



 頬に、何かが触れた気がした。

 チトセは、はっと目を開ける。息をするのも忘れて体を起こした彼女は、頭上にひろがる曇天に気づいて、反射的に体をかき抱いた。

 けれど、あたりは乾ききった地面があるわけでもなく、粗末な家の残骸があるわけでもなく、まして暴風に荒らされているわけでもなかった。丈の短い草に覆われた場所で、遠くに灰色の岩がぽつぽつと見えて、空気はやけに湿っている。

 自分がさっきまで見ていた風景は、現実のものではなかった。それに気づいたチトセは、ようやく息を吐きだしたが、同時に胸の悪さを感じて顔をしかめる。

――今、現実にあるものではなかった。けれど、かつて現実だった光景なのだ。

「なんで、今になって」

 毛布がわりにしていた自分の上着をはたいて、はおる。そこでチトセは、嫌な物を見た理由に思いいたる。

「昔のこと、話したからかな」

 どうして、そんな気が起きたのかわからない。

 だが、彼女は確かに、ほんのわずかとはいえ、話してしまったのだ。自分の故郷で何があったのかを。あれだけ避けて通っていた、己の過去を。――よりにもよって、敵対している人々に。

 目を閉じると、なぜか、ハシバミ色の瞳に見つめられている気がして、不快だった。

「馬鹿みたい」

 彼女が吐き捨てた直後。草が踏まれる音がして、一人の少女が彼女のそばにやってくる。黒い革靴を見たチトセは、ゆっくりと顔を上げる。赤い髪が見えた。

「あ、おはよう。チトセ」

 そう言って明るく笑ったのは、イスズだ。チトセよりわずかに年上の少女は、寝起きのチトセと違い、出立の準備を完璧に整えてそこにいる。ご丁寧に、武器の手槍まで携えていた。

 が、チトセが寝坊したわけではない。イスズの起床時間が早いだけだ。チトセはそれを知っており、イスズも自覚しているため、今さら、お互いに何かを言うことはない。

 ただ、チトセは無愛想に「おはよ」と返したあと、身支度を整えるべく動きだした。

 そんな彼女の背に、不思議そうな声がかかる。

「なにか怖い夢でも見たの?」

 ぎくりとした。少女は渋面を崩さず振り返って、「なんで」と言葉少なに問う。

「だって、ここ」

 イスズは、細い指で自分の頬を指さした。

「涙のあとついてる」

 それを聞いたチトセは、目をみはったあと、あわてて、両手で顔をこすった。それから、友達の視線から逃れるように目をそらして吐き捨てる。

「なんでもない、大丈夫」

 湿った下草に落ちた声は、自分でもわかるほど、とげとげしかった。


 二人の少女がいるのは、大陸の北東部だった。近辺で暴れる水竜すいりゅうの目撃情報があったので、それを調べに来ているのである。もちろん、彼らの暴走ぶりがあまりにもひどいようだったら、いつものように「狩り」をすることになるだろう。ただし、今回は、「無理はするな」と首領にきつく言い含められている。そのため二人は相談して、竜の数と力の強さを見極めてから、どう出るか決めよう、ということになった。


「このあたりって、確か、ちょうど水幻洞すいげんどうが近いわよね。水竜たちが集まって話し合いをする場所、っていわれてるんだっけ?」

 嘘か本当かわからないけど、と、イスズは言う。少女の明るく弾んだ声が、陰気な湿地帯に響き渡った。赤い髪を振りながらうきうき歩いている彼女は、黙って後ろをついていくチトセを見た。

「ねえ、チトセはどう思う?」

「――別に、どっちでもいいんじゃない。あたし、あんまりそういうの興味ないよ」

 チトセはぼそりと言う。実際、竜にまつわる話はなんでも、嫌いだった。彼女の無愛想な反応に、イスズは「つまんないの」と唇をとがらせるが、気分を害したふうには見えない。

 そのままくるんと反転して、また楽しそうに歩きだした。狩り場に向かう道中であるというのに、やけに高揚している友の背中に、チトセは冷たい声をかける。

「あのさ。ちょっとは、緊張感もったら?」

「え? ちゃんと注意してるわよ。こう見えても」

 あっさりと返されて、チトセは言葉に詰まった。

――そのとおりなのだ。気を緩めて楽しそうにしているように見えても、イスズの身のこなしや目配りには、いっさい隙がない。いつ敵と出くわしてもすぐ動けるようにしていながら、油断しきっているように見せているという点で、先程からいらいらしっぱなしのチトセより、はるかに「緊張感を持っている」といえた。

 彼女のこういうところは、なんとなくセンに似ている、とチトセは思う。それを口に出すとイスズは怒るのだが。チトセは思わず口の端をつりあげた。

「あ、チトセ、久々に笑った」

 すぐイスズの声が飛んでくる。チトセは慌てて笑みをひっこめて、目をすがめた。

「笑ってない」

「嘘だ。うそうそ。私、見たもん」

「違う。気のせいよ」

「気のせいじゃなーい」

 和やかに言い合う二人の声を、ぬるく湿った風がさらう。チトセは、こわばっていた肩から、少し力が抜けるのを感じていた。

 それからしばらく歩いたのち。チトセは、顔をしかめた。思わず虚空に手をかざす。

「なんか、やけにじめじめしてない?」

 空気は、今までよりさらに多くの湿気を含んで、沈みこんでくるような感じがした。横に並んだイスズもうなずく。

「うん。ここ、変よ。もしかしたら……」

 イスズは言いかけたが、途中ではっと目を見開くと、手槍をにぎる手に力をこめた。二人は同時に、鞘に収まった武器を横目で確認する。だが、それを抜くことはしなかった。体の向きを変えると、そばに藪のような場所を見つけて飛びこむ。さっと身をかがめ、おいしげる草の向こうを鋭く見つめた。

 きつい目が、灰色の空をとらえる。

「――来た」

 チトセがこぼした声は、静かに溶ける。

 その声にかぶさるようにして、たくさんの鳥が羽ばたくような音が、だんだん、近づいてきた。やがて、遠くの空に黒いいびつな塊が見えた。それはじょじょに形をうかびあがらせる。曇天の下、浮き立って光る青い鱗と藍玉のような目。鳥のものとは似ても似つかない翼は、激しく空中を打っているように見えた。水竜の群だ。

「すごい数」

 呆然としてイスズが呟く。チトセも、まばたきを忘れて、青い竜たちに見入っていた。主竜の気配はない。それなのに、ここまで大きな群れをなしているというのは、非常に珍しいことだった。光景に感嘆すると同時、チトセは、彼らの目にこもるいらだちにも似た感情に気づき、息をのむ。

「あいつら、気が立ってるよ」

 そうささやくと、隣でかがんでいる赤毛の少女は、うなずいた。

「私たちだけで相手をするのは危険だわ。ここはいったん」

 なめらかな言葉は、そこで、ふっつり途切れる。


『人間がいるぞ』


 重い竜語ドラーゼが響く。二人は、目をみはって凍りついた。彼女たちは、前に出会った『伝の一族』の少女のように言葉を操ることはできないが、彼らが何を言っているのかは、おおよそ理解できる。

 必死で息を殺す。武器にかけた指に力がこもる。竜の群は、ざわめいていた。

『本当だ。人の気配がする』

『姿は見えんな。隠れているのか』

 どうする、どうする、と竜たちがささやきあう中、ひときわ大きな声が響いた。

『おい、ただの人間じゃないぞ。《魂喰らい》の力を感じる!』

 一言。その、たった一言で、竜たちのいらだちにも似た警戒心がふくれあがり、敵意に変わった。

「気づかれた……!」

 チトセは思わず奥歯を噛みしめる。刹那、身をかがめたまま走り出していた。イスズを振りかえる余裕はなかったが、彼女の足音がすぐそばで聞こえて、安堵する。

 が、気を緩めることができたのも、ほんの一瞬だけだった。後ろから怒声が叩きつけられる。

『そこにいるのか! 狩人どもめ!』

 低い声が少女の全身を打つ。と――突然、息が詰まるような感覚を覚え、チトセはよろめいた。すぐに息苦しさはなくなったが、ほっとするひまもなかった。

 曇天の空から、雨が筋のように降ってくる。雨はすぐ強くなり、下草と土を容赦なく濡らした。衣服が重く湿るのを感じ、チトセは舌打ちをしたくなったが、目の前で雨水が不自然に浮き上がったのを見て、いらだちを忘れ立ちすくんだ。

 浮き上がった雨水は、空中で渦を巻き、塊となる。それはあちこちで発生して、二人の少女は、たちまち渦巻く水に囲まれる。自然では、まずあり得ない現象だった。

「こ、こいつら、力を使って……でも、こんなにたくさん水を操ったら、環境が、それ、禁忌のはずじゃ」

「違うわ!」

 チトセがうわごとのように呟いていると、不気味にうなる水流をかきわけるように、イスズが怒鳴った。振り向けば、少女の顔は気の毒なほど青ざめている。

「こいつら、わざとやってるんじゃない! 怒って、暴走しているのよ!」

「なっ――」

 イスズの言葉に打たれ、チトセはつかのま、その場に凍りついた。頭がまっしろになった彼女の耳に、ふいに声が飛びこんでくる。

『返せ!!』

 竜の言語。自分たちとは違う声、言葉。なのに、知っているように感じた。

『よくも散々、我らの同胞を殺してくれたな!』

『ヴァレリオは出たっきり帰ってこない! 貴様らが殺したんだろう!』

『あいつが何をしたっていうんだ!』

『他の同胞なかまもだ。それに、主様だって』

 言葉は、降り注ぐ雨のように打ちつけてきて。彼女をその場に縫い止める。チトセは、次第に頭がしびれ、感覚がなくなっていくように、思った。唇がわななく。足が震える。

『俺たちの、友を、家族を返せ』

『慕い続けた主様を……!』

 いけない。そう思っていたのに、チトセは振り向いていた。

 こちらをにらむ、藍色の瞳を見てしまう。


『私の友達を返して! ディルネオ様を、返してよ!!』

――お父さんとお母さんを、村のみんなを……返してよ!


 その、恐ろしいほどの輝きは。彼らの口から放たれる叫びは。

 泣きわめいていた少女の姿と、重なった。

「同じだ」

 無意識のうちに、呟いていた。友の声がするけれど、やけに遠く感じる。金切り声が、チトセの頭をすり抜けた。

「こいつら、あたしと、同じ」

 怒って暴走している。何に怒っている?

 決まっている。同じ水竜を殺されたことに怒っているのだ。

 自分と何が違う。幼い日に、故郷と家族を奪われた自分と、仲間と主を失った彼らの、どこが違うと、いうのだろう。

 思考はぐるぐる回る。ただ、空回りしているだけで、後には何も残らない。意識の上を、思ったことが通過していく。怒号の中に頼りなく立ち尽くしていたチトセは、しかし、乱暴に腕をとられて我に返った。

「馬鹿! 何ぼうっとしてるの!」

 叱咤されて、顔を上げれば、そこには厳しい表情で走っているイスズの姿があった。そこで初めて、自分もよろめきながら走っていたことに気づく。正確には、イスズにひっぱられていたのだ。

「ごめん」

 チトセは言うと、おぼつかなかった足を踏みなおし、自分から走り出した。チトセがひとまず立ち直ったことに気づいたのか、イスズの細い指が、彼女の腕から離れる。

「とにかく、いったん逃げるわよ! 町に戻って、態勢を立て直すの!」

 友の言葉に、チトセはうなずく。

 逃げなければ、これからどうする。理性的な思考に没頭しようとした。けれど、いつまで経っても、憎悪に光る青色が、頭の奥に焼き付いて離れなかった。

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