第四章

34.対の町ヤッカ

 楕円形にも見える泉を囲って作られたオアシスは、ちょっとした都市と同じくらいにぎわっていた。西のレッタもそれなりに人通りは多かったが、ここ、ヤッカはそれ以上である。砂漠を抜けてきた人と物、あるいはこれから挑む人々が交差して、砂を固めただけの道はごった返していた。

 丈の長い、派手な色をした衣装に身を包んだ集団が、真剣な顔つきで話をしながら通りすぎていく。どこかの隊商の人々だろうか。

 彼らを横目に見ながら、ディランたちは、通りの端を歩いていた。

「わああ、すごいですね!」

「うむ。同じオアシスなのに、レッタとは雰囲気が違うぞ!」

 熱気がこもり、陽気な声が飛び交う通りを見ながら、子どもたちがはしゃいでいる。その横で、すらりと背の高い銀髪の美女――マリエットが、目尻をやわらかに緩めた。

「こちら側では、今砂漠があるところで人が生活していたり、軍隊どうしが戦争をしたりしていた痕跡が見つかっているのよ。それで、ときどき、日用品の残骸、武器の破片、ときには宝石なんかが見つかることがあるんですって。こちらから砂漠に行く人たちの大部分は、そういう宝探し屋トレジャーハンターさんたちなのよ」

 もちろん、砂漠を越える商人さんたちもいるけれど。マリエットは、そう言いながら、少しの間だけひと組の男たちを目で追っていた。大きな荷を担いだ彼らは、一行を不思議そうに見た後、駆け足で近くの建物へ入っていった。

 なめらかに滑り出る女の声に感心して、ディランは目を瞬く。

「よく知ってるなあ」

 すると彼女は、槍をわずかに傾けて、笑った。

「ずっと、大陸のこちら側ばかり見て回っているからね。詳しくなってしまったわ」

 そう呟いた彼女の講義は、もう少し続く。

「それとね。レッタとヤッカはそれぞれに、『ついの町』とも呼ばれるの。もとはひとつの都市だったからとか、たまたま環境と構造が似ているからそう呼ばれるだけだとか、色々意見はあるわね」

「俺も、その話は聞いたことあるな。『都市説』の方が、浪漫があって好きだけど」

 トランスが明るく笑う。暑さに負けやすい彼も、今は町に辿りつけたおかげか、新しい話し相手ができたおかげか、多少の元気を取り戻していた。彼の横から、「私もだぞ!」とゼフィアーが顔を突き出してくる。が……その目がふいに、ディランの方へ向いた。

 まん丸の目は、しばらく彼を見つめ続ける。だんだん居心地が悪くなったディランは、むっと顔をしかめて、少女の頭を小突いた。三つ編みが揺れる。

「いたっ」

「なんだよ。黙って見られると気分が悪いぞ」

 ディランが小さく拳を固めたまま苦言を呈すと、ゼフィアーは気まずそうに片手で頭を押さえ、うめく。それから、もう片方の手を伸ばして、ディランの頭を指さした。

「あの……それ、どうにかならないのか? さっきから、まわりの人たちにも見られているし」

 なんのことか、すぐに気づく。少年は、ますます渋い顔になった。

「それは、俺じゃなくて、俺の頭を占領している奴に言ってくれ」

『細かいことは気にしないの』

 ディランの声にかぶせるように、頭の上から別の声が降ってくる。しかも、それは、人の言葉ですらなくて。

 ディランは、今の自分の頭を確かめることができないが、どういう状況かは想像に難くない。そして、はたで見ている四人は、もちろん、少年の奇妙な姿をずっと見せつけられていた。


 苦い顔をしている少年の、頭のてっぺんで、白い小鳥がふんぞり返っている。


 鮮やかな緑の瞳だけがもとのままのルルリエは、砂漠に降り立ってから再び鳥の姿に変化へんげしたのだが、そのときに、なんのためらいもなくディランの頭の上に飛び乗った。それから今までずっと、彼の頭上から、過ぎゆく景色を睥睨しているのだ。

 人が頭に鳥を乗せて歩いている状況は、本人から見ても奇特である。なのだから、道行く人々が、変な物を見たとばかりの視線を注いでくるのはしかたがない。ヤッカに入ってからこっち、ディランはずっと、好奇の視線が突き刺さるのを感じていた。

「もう、ゼフィー。言わないでくださいよ」

 微妙に目を逸らしながら、レビが呟く。その隣ではトランスがかすかに肩を震わせてうつむき、マリエットは楽しそうに一人と一羽をながめていた。

「だ、だめだ。今まで真面目な話でごまかしてきたけど……もうこれ、見てらんねえわ……」

「そう? やっぱり、愛らしい組み合わせだと思うけれど?」

「おまえらな……」

 あんまりな仲間の反応に、ディランはがっくり肩を落とす。それから、目だけでわずかに上を見た。いばるように胸を反らしているふわふわの小鳥が見えるようだった。

「だいたい、ルルリエもそろそろ降りろよ。竜狩人に見つかったらどうするんだ」

『大丈夫よ。狩人の気配はないわ。それに、ここにいた方が色々見えるし』

「今だって鳥なんだから、飛べるだろ?」

『飛べるけど嫌よ。こんな小さな体で、こんな暑いところを飛んでたら疲れるわ』

「おまえ、本当に降りろ」

 心もち声を低くして、脅すように言ってみたが、ルルリエはつんとそっぽを向くだけで彼の抗議を聞き流した。結局、小声で繰り広げられた言い争いに負けたのはディランの方で――一行が、偶然見つけた宿屋に入るまで、風竜ふうりゅうは、人間の頭上を満喫しきったのである。


 マリエットが語った通りの事情があるからか、宿屋はずいぶんと手入れが行き届いていて、設備も充実していた。大きい部屋をひとつ借りることにした一行は、さっそく部屋にあがって荷を解いた。

 それから、しばらく経って。

「ふわー! 気持ちよかったのだー!」

 ゼフィアーが大声を上げながら、寝台の上に寝転がった。砂にまみれていた彼女の体は、今は元通りきれいになっている。狭い寝台を幸せそうに転げ回る少女を横目で見て、ディランは苦笑した。その隣では、レビも全身の力を抜ききって、まどろんでいる。

「いや、しかし、ずいぶんちゃんとしたところだな。驚いた」

「こういうのは、気分転換にちょうどいいからね。ただ、またどうせ汚れる、っていう意見もあるわ」

「言うな。その通りだけど」

 部屋の隅で、大人たちがそっけない会話をしていた。

 そう。たいへん珍しいことに、この宿には風呂がついていたのである。風呂といってもそう大きなものではないし、体を流したりふいたりできる場所、というだけなので、沐浴場といった方がよいかもしれないが。

 とはいえ、汗と砂塵にまみれた体を清めることができたのは、彼らにとって望外の幸運だった。

「さってと」

 まどろむような空気の漂う宿の一室。トランスが、大きな声を張り上げた。自然、全員の視線がそちらに集まる。彼は立ち上がって自分の寝台の方へ行くと、そこにどっかり腰かけた。

「おくつろぎのところ悪いんだが、そろそろ、今後の話とかしないかい?」

 彼の言葉に引き寄せられ、四人がトランスのまわりに集まった。ルルリエも、ディランの背を追うように羽ばたいて、ついてくる。

「今後……というと……。やっぱり、まずは、ルルリエを送り届けなきゃいけないですよね」

「うむ。それが最優先だな。シルフィエを見つけるまでは片手間になるが、砕けた竜の魂を自然に戻す――《魂還しの儀式》のことも調べていきたい」

 子どもたちのそんな会話を期に、おもに、旅をしてきた四人がこれまで得た情報を整理していく。ルルリエとマリエットは、彼らのやり取りを、興味深そうに聞いていた。

 ゼフィアーが、首をひねる。

「うーん。《魂還しの儀式》のことがわかったのは大きかったが、肝心のディランのことが曖昧なままだな」

「イグニシオは敵じゃないだろうと言ってくれたがね。ディラン少年よ、何か思い出さないのか?」

 頬杖をついていたトランスが、姿勢を正してディランの方を見る。彼は、軽くかぶりを振るしかなかった。だが、そうしてから、はたと気づく。

「あ、でも。俺を見たイグニシオが、変な顔をしてたかも」

「変な顔?」

 その場の四人と一羽が、一斉に聞き返す。ディランは、顔をしかめた。

「なんて説明したらいいのかわからないけどな……。俺、知り合いに似てたのかな?」

「人間の知り合いはいないって、言ってたけど?」

「だから、竜の知り合いに」

 とおの目が、ディランをじっと見た。奇妙な沈黙が漂ったのち、ルルリエが細く鳴く。

『どこからどう見ても、人間の子どもだけど』

「……ああそう」

 小馬鹿にしたような竜語ドラーゼを聞いて、ディランはむっと顔をしかめた。ルルリエは少年の反応を意に介さず、小さく羽ばたく。

『でも、イグニシオ様は主竜しゅりゅうだわ。私みたいな小さな竜じゃわからない何かに、気づいたのかもしれない』

「ということは、もしかしたら、あなたのあるじも、何かに気づくかもしれないわね」

『わからないけどね……』

 あえて遅めに話したマリエットに向かって、ルルリエがため息をつくような格好をしてみせた。鳥の姿をしているのに、その振る舞いは妙に人間くさくて、まわりにいた人々の笑いを誘う。

 トランスが膝を打った。

「こればっかりは、考えてもしかたねえわな。情報が手に入るか、ディランが思い出すのを待つとしようぜ。

 で、とりあえず、ルルリエを主様のところに送ることを考えようと思うが」

 トランスがそう切り出すと、ルルリエがゼフィアーとマリエットを横目で見てから、羽をばたつかせた。通訳を頼む、と言いたいのだろうと察した二人は、顔を見合わせ、うなずく。

『できれば、海の方に行ってもらいたいわ。シルフィエ様は海上か別の大陸にいらっしゃる可能性が高いから、その方が探しやすいの』

 風竜の言葉を、ゼフィアーが簡潔に伝えると、トランスとレビが首をひねった。

「海の方、ですか」

「別に難しいことではないけどな。イグニシオのところを離れたときは、シルフィエは東の海上にいたんだろ? ということは、東か、北か」

 砂漠に降り立ってからヤッカに入るまでのところで、すでに、最低限の情報交換は済ませてある。トランスがそれを整理し、顎をなでている横で、ディランはルルリエを見ていた。

「さっき飛んでたときには、何か感じなかったのか?」

『あのときは、逃げるのに必死だったから……』

「それもそうか」

 しゅん、とうなだれるルルリエに対し、ディランは肩をすくめる。

 それから少しの相談のすえ、とりあえず東の方に進んでみよう、という話になった。話がまとまった後、「じゃあ、地図でも買ってくるか?」とディランが立ち上がりかけたとき。さりげなく、歌うような声が響く。

「東ね。私もお供しようかしら」

 あまりにもさらりとした声。けれど、その内容はほかの四人にとって予想外のもので、彼らは揃って動きを止めた。声の主、マリエットを思わず見つめる。見つめながら、ディランは思った。

 なんだか覚えがあるな、この展開――と。

 目は自然と、亜麻色の髪の男の方へ向く。彼も同じことを考えたのか、苦笑していた。

「マリエットさん、ついてくるんですか?」

 レビが困惑した様子で訊く。彼女はあっさり、うなずいた。

「いいと言っていただけるのなら。

 あなたたちと一緒にいると、竜や竜狩人とよく出会えそうだし、それに」

 言い終わりに、女の目は、そばできょとんとしている少女を捉える。

「ゼフィアーに興味もあるしね」

 名指しされた彼女は、自分の顔を指さす。

「わ、私か?」

「ええ。『つたえの一族』の末裔なんて、滅多に会えるものじゃないわ。色々、お話が聞きたくて」

 返る声は弾んでいた。いつも冷静なマリエットが、好奇心に目を輝かせている。その姿を見た四人は、思わず視線を交わし合った。

「どうするよ、少年」

 トランスが、ディランの肩を叩く。

「俺は……いいと思うけど。味方が増えるのは嬉しいし」

 色々と謎に包まれた部分のある女性ではあるが、竜の研究をしている、というのは嘘ではなさそうだ。よこしまな一面も今のところは見られない。くわえて、彼らの中で大陸東部にもっとも詳しいのは、おそらく彼女だろう。地理や情勢に明るい人が来てくれるのは、素直にありがたかった。

 ディランが迷いながらもそう言うと、トランスとレビも、曖昧ながらうなずいた。

「そうだなあ。彼女、竜語ドラーゼもわかるみたいだし」

「……ちょっと不安なところもありますけど、大丈夫ですよね。ディランとルルリエを助けてくれた人ですもん」

 レビが自分に言い聞かせるようにして呟き、棒をにぎりしめている。彼らの姿を見たマリエットは、妖艶な笑みを浮かべた。

「じゃあ、お許しをいただいた、ということでいいのかしら」

 彼女の、問いとも断定ともつかない言葉に、四人がうなずき、ルルリエが鳴いた。

 四人から、五人と一羽に増えた旅の一行は、荷物の整理を終えた後、宿で一泊することに決める。砂漠越えと山脈越え、さらには竜狩人相手に立ち回ったことで疲れきっていた彼らは、泥のように眠った。レッタのときのような奇妙な現象も起きず、ディランは少し安心した。

 そして、翌朝、彼らは大陸の東部へ一歩を踏み出す。

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