15.師匠と弟子

 しばらく、道の上が静まりかえっていた。

 なぜか、野次馬のような傭兵たちは緊張に顔をこわばらせ、息をのんでいる。ゼフィアーたちも、困ったように言葉を探して、結局黙りこんでしまった。平然としているのは、ひと組の師弟していだけだ。

 永遠に続くかと思われた沈黙。けれど、かすかな息のような、声のような、短い音がそれを破った。

 続けて、大きな笑い声が響く。ジエッタが、笑ったのだ。

 傭兵たちがびくっとした。どこまでも届きそうな本当に大きな笑い声だが、不思議と嫌味な感じはしない。そうして、高らかに笑った女傭兵は、前に立って平気な顔をしているディランの頭を叩いた。

「いって!」

「ははっ、ほんとに、奇妙なことがあるもんだ! 久しぶりだねえ、ディランよ」

 ジエッタは陽気に言う。自分がレビを小突いたときの数倍の力で叩かれたディランは、頭をさすりながら、かろうじて声を上げた。

「お久しぶりです。師匠もその……お変わりないようで」

「ほう? あたしが相変わらずがさつで荒っぽくて、暴力的だと、そう言いたいんだな?」

「否定はしません」

 ディランがさらりと言うと、今度は左肩を叩かれた。それはもう、思いっきり。

「正直者で、取り繕わないところは変わらないね!」

 続けてもう一発。また荒っぽい痛みが走ったが、いつものことだ。大げさに叫ぶが、態度ほど動揺しているわけでも嫌がっているわけでもない。これは、じゃれあいのようなものだ。

 ひとしきり、ばしばしと弟子を叩いたあと、ジエッタは、ディランのそばでぽかんとしている人々に気づいたらしい。邪気のない笑みを浮かべ、言った。

「やあ、あんたらはこいつの同行者かい。不肖の弟子が世話になった」

「い、いや。むしろ世話をしてもらっているのは、こちらの方だ」

 ゼフィアーが緊張に顔をこわばらせて頭を下げる。その後ろではトランスが「え?『烈火』ってあの? びっくりだな」と呟いている。レビはそんな男を見て冷や汗をかいているようだった。

 三人を見て、ディランは申し訳なくなった。だが、そう思っているうちに、師匠の目が再び彼の方を見た。

「少し背が伸びたんじゃないか、ディラン」

「え、そうですか?」

 ディランが頭に触れながら言うと、ジエッタはうなずいた。

「男ってのはどうしてこう、図体ずうたいばっかりでっかくなるのかね」

 いつもと変わらず話しながら、なんの気もないかのように歩み寄って。


――突然、拳を突きだした。


「はっ!?」

 そばにいたゼフィアーたちが、驚きと緊張で声を上げる。一方、あるていど予測していたディランは、さっと首をひねってかわしたあと、手で一撃を受けとめる。重い。痛みが走った。先程の「じゃれあい」とは比べるべくもない本気の一撃。さすが、と言うべきだろう。

 ディランはジエッタの力を受けとめた勢いで、地面を蹴った。後ろに跳んで距離をとる。けれど、ジエッタもまたすぐに踏みこんできた。ディランは彼女が何かをする前に、自分から殴りにいく。けれどジエッタは、あっさり彼の拳を受けとめ――さらに、もう一方の手をディランの片手に沿わせて、力を流した。そのまま右腕は下へとひねられ、彼は投げ飛ばされる。彼はとっさに受け身の体勢をとった。

 体が激しく土に叩きつけられる。考える前にはね起きて、彼はまた後ろに下がった。ジエッタの足がとんでくる。一度避けても、すぐに二度目の蹴りがきた。ディランは、今度はかがんでかわすと、そのまま相手を撹乱かくらんするように走って拳を振るう。それが止められると、彼女の肩を蹴ろうとした。しかし避けられる。ディランは舌打ちをこらえて着地したが、直後、背筋に寒気が走って、とっさに横へとぶ。ディランのいた場所に風を切って刃が突きこまれ、それはそのまま軌跡を描いてディランの鼻先を滑った。

 ディランはぎりぎり剣撃けんげきを避けると、みずからも剣の柄に手をかける。

「ちょ……! さすがに刃物は反則でしょう!」

 一応、抗議してみるが、片手に剣を持ったジエッタは、とりあわない。拳をディランの胸に打ったあと、容赦なく剣を振ってきた。もちろん、刃はつぶされていない。

「けんかに反則も卑怯もない! そう教えただろう、ばか弟子! ええっ!?」

「これってけんかだったんですね! はじめて知りました!」

 叫びながらディランは剣を抜く。胸は痛いが気にしていたら大けがをしかねない。ほとんど本能で剣を振り、ジエッタの刃を受けとめる。激しい金属音が鳴った。ディランは剣を引きながら、手先に残る痺れを感じていた。

「へえ! 受けられるようになったか!」

「これでも、実戦で鍛えられましたからね!」

「そうかい! そういえば、あれから倒れたりはしなかったか!」

「一応!!」

 会話のあいまに、一合、二合、三合と容赦なく刃がぶつかり合う。ディランは相手の剣を利用して顔面に剣を突きつけてやろうと思ったが、ジエッタは逆に剣を上へ押し上げてきた。まずい、と思ったときには腹のあたりに彼女の足が入る。鋭く蹴り飛ばされ、ディランはうめいた。それでも止まらない。すぐに走り出し――また剣を使う、そぶりを見せた。ジエッタは己の剣を振り上げている。ディランは走りこみながら、手の中で剣を回転させた。つばのあたりをにぎって、突き出す。そこで、はじめて、ジエッタが目をみはった。

 柄頭つかがしらを打ちこむべく、腕を振った。けれど、肝心の一撃は当たらない。後ろによけられた、と思ったときには、背中に強い衝撃が走る。目の前で光が散って、息が詰まりそうになった。それでもディランは必死で地面を転がり、なんとか首と頭をとらえられるのを避けた。剣を土に突き立てて立つ。

 だがそこへ、ジエッタが再び拳を放ってきた。ディランもとっさに殴りかかって――互いの拳が、互いの頬をとらえようとしたところで、二人の動きは止まった。

 凍ったような静寂。誰ひとり、身じろぎさえしない。恐ろしい時間は、しばらく続いた。

 だが、やがて、ディランとジエッタはお互いに息を吐きだし、拳を引いた。同時に、周囲の空気も弛緩しかんする。

 ディランは、嫌な汗がふき出しているのを感じながら、苦笑した。

「まさか、背中に金属打ちこまれるとは思いませんでしたよ。骨にひび入ったかな」

「甘いねえ。だいたい、骨のひびくらいすぐ治るだろう。あんたなら」

「確かに」

 二人は、物騒なことを言い合ったあと、気の抜けたように笑いあう。

 ジエッタが言った。

「ま、多少はやるようになったね。剣を向けられて動じなくなっただけよしとしよう」

 そう評価したあと、しかし、ひゅっと拳をつきだし、ディランの顔面すれすれで止めてみせた。

「けど、なんというか、詰めが甘いのは相変わらずだ。柄頭を使うのはいい発想だが、あれは相手の懐に入るから反撃される危険性がある。それを理解して使わないと、痛い目みるよ。今回みたいに」

「肝に銘じます」

 ディランはそれだけ言って頭を下げた。すると――ジエッタはそこで、彼の頭を激しくなでた。髪をくしゃくしゃにしてみせてから、顔を上げたディランに向かって、にっと笑う。

「――とにかく。おかえり、ディラン」

 ディランは少しぽかんとしていたが、じょじょに頬を染めて微笑んだ。

「ただいま、戻りました」


 傭兵団の揉め事と、師弟の大立ち回り。ふたつの「予想外の出来事」が終わったことで、傭兵たちが安堵の表情を浮かべながら、道の向こうへ走り去ってゆく。ときどき、ディランの頭や背中を乱暴にどやしつけていく者もいた。きっと、どこかで出会ったことがある人たちだろう。ディランは苦笑した。

 今までたむろしていた人々が行ってしまうと、獣道はきゅうに静かになった。一行もまた、歩きだす。さらに、入れ替わるようにしてやってきた屈強な男たちに、揉め事の後始末を命じたジエッタも、すばやく後を追ってきた。

「いや、しかし」

 トランスが、上機嫌なジエッタの横顔を見て、顔を引きつらせる。

「再会して早々に、弟子にあの仕打ちとは。さすが『烈火』、おっかないねえ」

 レビが泣きそうな目でトランスを仰ぎ見ている。怒るかもしれない、と思ったのだろう。だが、ジエッタは陽気に笑うだけだった。

「何を言ってるんだ。弟子だからこそ、だよ。鍛錬さぼってないか、見てやんないとね」

 こいつはさぼるようなタマじゃないが。言いながら、女傭兵はディランに目をやる。彼は曖昧な笑みを返しただけだった。

 そこで、ふいに、ジエッタが足を止めて、一行を振り返る。剣の鞘を叩いてから、背筋を伸ばした。

「ああ、そうそう。名乗り遅れたね。

あたしはジエッタ。『暁の傭兵団』の首領なんてやっちゃいるが、実際はしがない傭兵だ。で、一応、そこのディランを拾って、数年間世話してた」

 ざっくばらんな自己紹介に、ディラン以外の三人は笑う。当のディランはというと、複雑そうな表情で目をそらしていた。

「私はゼフィアー・ウェンデルだ。よろしく頼む」

「ええっと、その、レビです!」

「緊張してんな、レビ坊。トランスだ。ま、適当に仲良くしてくれや」

ジエッタに触発されるようにして、三人もそれぞれに名乗り、ジエッタと握手をした。その中で、彼女はゼフィアーの目を気にしたらしく、珍しいものを見たとばかりに、身を乗り出した。

「へえ。ゼフィアーの目の色はおもしろいね。なにじんだ?」

「そう言われると困るが、『つたえの一族』の血筋ということで通っている」

 ゼフィアーははきはきと答える。ジエッタは、難しそうに首をひねっていた。彼女はディランの師ではあるが、竜については一般人と同程度の知識しかない。あたりまえの反応だ。ゼフィアーはひとまずうなずいて、「変わった一族なのだ」と、むりやり話題を打ちきった。

 ぽつぽつと話をしながら、道をゆく。時折、傭兵たちとすれ違ったが、彼らはジエッタの姿を見るなり目をみはって逃げ去った。その後ろ姿を複雑そうに追いながら、レビが呟く。

「それにしても。さっきのその、けんか? はなんだったんですか?」

「ああ、あれ。びっくりしたろ」

 ディランは肩をすくめる。小さく声を立てて笑った。

「行く先、戻ったところ、師匠に出会うたびにああやって腕試しさせられるんだ。顔を合わせたら殴りあい、なんていつものことだよ」

「い、いつものこと、ですか……」

 レビは棒をぎゅっとにぎりしめる。泣きそうになっていた。ディランはおわびの意味もこめて、彼の頭をなでる。横で、ゼフィアーが感心したように腕組みしていた。

「ディランがぜんぜん動じていないから驚いたぞ。にしても、腕試しであれはやりすぎではないか?」

 言葉の終わりにジエッタを見上げる。が、彼女は怒るでも馬鹿にするでもなかった。立てた指を顔の前で、ちっちっ、とばかりに振る。

「あれでやりすぎだって? 手加減した方だよ。左肩、狙わなかっただけでも、な」

 女傭兵の目が、にらむようにディランの肩にそそがれた。ディランは首をすくめ、それから仲間たちを振り返ってささやいた。

「あの傷な。まだ完全に治ったわけじゃないんだ。強すぎる衝撃を受けたりしたら、開くこともある」

「え? じゃあ、ジエッタさんは」

「見抜いてるんだよ、それを」

 ディランがひそっ、と言うと、レビとトランスはかすかに青ざめた。トランスなど虚空を見て魔除けの言葉を口にしている。一方、ゼフィアーは冷静な表情のままだったが、噛みしめるように呟いたのだった。

「つくづく、恐ろしい御仁ごじんだな」


 その後の道行きは、穏やかなものだった。やがて、地平線の上に家のかたまりのような影が見える。――町だ。一行はほっと力を抜き、対してジエッタは、おもしろそうな目で彼らと町を見比べた。

「お察しかとは思うが、あれがファイネだよ。荒くれ者の溜まり場で、傭兵団の町。法律なんてあってないようなもんだけど、まじめな傭兵団のおかげで、秩序は保たれてる」

「『暁の傭兵団』も、まじめな傭兵団のひとつか?」

「どうかね」

 ジエッタはゼフィアーの問いに、不穏な返答をしたあと、「けど」と言ってディランを見てきた。彼もうなずく。

「俺や師匠と一緒にいるかぎり、めったなことじゃ斬りかかられたりしないから」

 レビが、口のをいびつにもちあげた。

「とっても安心なんですけど、なんでこんなに胸騒ぎがするんでしょうか」

「言いたいことはわかる」

 そもそも、町中で斬りかかられる前提がある時点で、物騒な町であるのに変わりはない。ディランもジエッタも、けっして三人を心から安堵させるようなことは言わなかった。

 静かな道で、妙な会話をしているうちに、ファイネはすぐそこに見えていた。薄汚れた、背の低い家並みが出迎える。外から見る限り、道はきれいにされていて、活気に満ちているようだった。どこからかのぼった細い煙が、たなびいている。

 門はない。見張りもいない。ファイネであることを知らせる簡素な看板の前を通りすぎたら、もう、そこは町の中だ。雑多に広がる、道と家。その通りを、幸せそうな親子や凡庸そうな商人にまじって、剣や槍をたずさえた荒っぽい男たちが歩いている。誰もそれを気にとめない。

 あちらこちらから、雑な笑い声と、拳を打ちあう音がする。ジエッタが手をあげた。

「誰か知らないが、やりすぎてないといいけどね」

「けんかはするのが前提かよ」

「町民に手を出さないのなら好きにやっていい、ってことになってるよ」

 ジエッタはあっさりそう言って、通りをずんずんと歩いた。ディランも三人をうながしながらそれに続く。特に子どもたちはためらいながらだったが、ディランについてきた。

「おっ?」

 横から声が飛んできて、ディランは振り返る。

 果物屋の前に立つ二人の剣士が、少年を見て驚いていた。ディランにとっても記憶にある顔だ。よく、町を案内してくれた二人だ。ついでに酒場にひっぱりこもうすることがたまにあって、あとでジエッタに説教されてもいたが。

 二人が歩いてくる。ディランも表情を緩めた。

「お久しぶりです」

 傭兵たちが、少年のまわりに群がる。奇妙な光景だったが、彼にとっては普通だった。

「ディランじゃねえか! 戻ったのか!」

「まあ。師匠にいろいろ報告しておきたいこともあったので」

「あー、ほんとにディランだ。一瞬誰かわかんなかったけど、その喋り方でわかった」

「ジエッタさんの弟子たぁ思えないよな!」

 笑いながら、二人はディランの肩を叩く。そこへジエッタが割りこんだ。

「あーはいはい。悪かったね。弟子と違って荒っぽくて」

 彼女が満面の笑みで言うと、傭兵たちが大げさに怖がったふりをして、後ずさる。

「お、おお。いたのかジエッタさん」

「拳固めるのはよせって」

 言いながら、じりじりと距離をとり、最後には二人して走り去る。悪ふざけをしたあとの少年を思わせた。彼らを見送ったあと、ジエッタはなぜか、ディランの頭にげんこつを降らせる。

 とばっちりを受けた弟子は、とりあえず、「やつあたりはやめてください」とだけ言っておいた。

 その後も、ディランのことを聞きつけたのだろうか、多くの傭兵が彼らに寄ってきた。中には、最初の二人のように、ジエッタをからかって逃げていく者もいた。見る間に騒がしくなった通りで、ゼフィアーとレビ、そしてトランスの三人が、苦笑している。

「人気者だねえ。少年」

「数年だけとはいえ、濃いつきあいをしてたからな。ここの連中とは」

 人の輪の中から、ふらふらになって抜けだしてきたディランは、トランスの言葉に適当に答えた。それから、レビと目があって、思わず二人で笑いあう。

 そして彼は――離れたところを仰ぎ見た。

 これから彼らが入ろうとしていたのは、今までよりわずかに細い横道だ。その奥に、通りを占領するかのような高い建物がある。

 ディランは、懐かしさに目を細めた。

「あれが、『家』……。つまり、『暁の傭兵団』の拠点だよ」

 ディランの言葉につられるように、三人も通りの先を見つめる。そこへ、ジエッタがやってきた。

「さ。とっとと帰ろうか」

「はい」

「そんで、あんたの『報告』とやらを聞こうかね。なんで、いきなりお友達ができてるのかも気になるし」

 ゼフィアーたちを振り返りながらの、師匠の言葉に、ディランは大きくうなずいた。

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