12.ひび割れた夜

 宿の一階にある、小さな食堂には、夕食時ということもあってほどよく人が入っていた。人の声や食器の音が部屋を満たし、かなりにぎやかになっている。ちょっとした内緒話をしたくらいでは、誰にも気づかれないだろう。

 一行とトランスは、食堂の一番奥、かつ窓のない席を陣取っていた。まんなかの皿にのった焼き魚を仲良くとりわける。オルークは海が近いから、こうして魚が出されることは、普通だった。

「む、そうだ」

 魚の身を必死になってほぐしていたゼフィアーが、思い出したように顔を上げて、向かいの席の男を見る。

「ずっと気になっていたのだが……トランスは、竜狩人を追っているのだな」

「んー? あ、そうそう。ちゃんと話したこと、なかったっけ?」

「うむ。それで、理由が知りたくなったのだ。

竜狩人といえば、竜を狩れるほどなのだから、腕っ節は相当に強い。そういった者たちと、今回のように衝突することもあるだろう。命が危ないときもあろう。

なのになぜ、危険を冒してまで、竜狩人を追うのだ?」

 ゼフィアーの問いをきっかけに、ディランとレビも揃ってトランスを見た。彼は、気まずそうに頭をかいたあと、木匙をテーブルに置いた。

「……ま、しいていえば、恩返しかね」

 彼はちょっと口ごもったあと、そんなことを言った。三人にとっては意外な返答で、思わず首をひねってしまう。

「恩返し?」

 ディランとゼフィアーが、異口同音に繰り返した。トランスがうなずく。黒茶の目が、ふと、天井に向けられた。けれど、そのまなざしはまるで、天井よりもずっと遠くを見ているかのようだ。

「俺な、竜に助けられたことがあるんだ」

 やまない喧騒のなかで、静かな声はどういうわけか、はっきりと響いた。


 ディランたちが驚いて何も言えずにいるうちに、トランスは続ける。

「って言っても、すげえガキの頃だけどよ。

俺、当時は貧民街スラムにいてな。毎日、毎日、物乞いしたり金持ちに媚び売ったり、ときには盗みや殺しなんかをしながら、なんとかその日を生きてた。

けど、あるとき、ひっでえ失敗してな。俺がいた、おんなじようなガキの集団があったんだが、そこから追い出されちまったんだわ」

 人の笑い声にかき消され、過去をなぞる声は、まわりには聞こえない。けれど、ディランやゼフィアーやレビは、暗い世界の側面を語る言葉に、たしかに耳をかたむけていた。

「当然、ひとりになる。しかも、『失敗』のせいで警邏けいらモンにも目ぇつけられてたからな。街から出ざるを得なかった。けど、そんな状態で、ろくに食べ物が手に入らなくて、疲れて、ふらふらになった。ああ、もう死んでもいいや、って思いながら、俺はでっかい森に入ってったんだ。

そこで――竜に会ったのさ」

 トランスは、つかのま目を閉じる。遠い過去をゆっくりと、自分の中で、辿るように。

「青い竜だったから、おそらく水竜すいりゅうの仲間だろうと思った。でっかい竜にびっくりしたけどな、そいつはぼろぼろの俺を見て、『ゆっくりしていけ』って言って、翼で包みこんだ」

 三人は、視線を交差させる。戸惑いと、驚きと、言いようのない感動をわかちあっていた。そのとき、トランスが喉を鳴らして笑う。

「俺、しばらくその竜のところで世話になったんだけど、こいつが変わっててな。

普通、竜ってのは、あまり人間に干渉しねえんだ。ところがそいつは人間大好きで、しょっちゅう人里に下りては、食べ物とか、どうでもいいがらくたとか持ってきやがんの。そんな調子だから、人の文化や風習や、表の社会のことは俺なんかよりずうっと詳しかった。

数年そいつんところで暮らして、いろいろ教わったあと、俺は森を出てな。そんで、今みたいな放浪生活を始めたわけよ。で、竜狩りの現状を知った。俺を育てた竜が人間と竜の共存を願ってやまない奴だってことを知ってたから、竜狩人のことを聞いて、いてもたってもいられなくなっちまった」

 昔語りが、ふと途切れる。三人の耳にさざ波のようなまわりの音が戻ってきた。

 慰みのように匙を動かしてスープをすくったレビが、そうっとトランスに話しかける。

「それで、竜狩人を追う人になったんですか?」

「そういうこと。奴らの狩りをできるだけ阻止して、それがせめてもの恩返しになれば、って思うわけ」

 あいつがどう思うかは、わかんねえけどな。そう言ってトランスは笑う。陽気なようでいて、声にはかすかな自嘲がまざっている。ディランとゼフィアーは、少なくともとげとげしい響きを感じていた。

 ディランは腕組みをする。

「その竜は、今、どうしてるんだ?」

 男が再び天井を仰ぐ。組まれた木だけが、彼の瞳に映った。

「さあな。連絡をとりあう方法がないんで、わからん。けど、森の守護者っぽい感じだったから、今も森にいるんじゃねえかと思う」

「そっか」

 トランスのあっさりとした言葉にうなずいたディランは、そこで、ほぐした魚の身を口にした。

 ほどよい塩味は、ふわりと広がって、すぐに消えた。



      ※



 目に見えない輝き。生命の根源たる力。

 それは、見えないだけで、変わらずそこにある。きらきらと光る硝子がらす玉のように、あるいは葉から落ちた雫のように。あたりまえのようにる。


 だから気づかない。つけられた瑕を感じない。

 かすかな瑕。それは、少しずつ広がって。走るように。うねるように。

 瑕は亀裂となり。亀裂は裂け目となる。

 ひび割れる。あっけなく。

 亀裂は走り、力がもれだす。


 けれどいつまでも、それに気づくことはできず。

 ただ、すべてを知る生命のみが嘆き、叫び。

 見えないきずが、聞こえない音が、内側から、


 切り裂く――



      ※



 悲鳴とともに飛び起きた。

 ぐるぐる回る思考と、うるさい心臓の音を、冷たい夜気がかき乱して、静めていく。かきむしるように胸を押さえて何度も荒く呼吸をしていると、ようやく動悸どうきがおさまってきた。熱をまとった息を吐きだし、ディランはあたりを見回す。そこが、ベッドと小さなテーブルしかない宿屋の三人部屋であることを思い出して、ようやく現実に戻ってきた。

「なんだ、今の……夢?」

 あえぐように呟いて、彼はうつむいた。

 ふいに、それまでの記憶がよみがえる。


 トランスの思いがけない身の上話を聞きながら食事をしたあと、四人はそれぞれ、部屋に戻った。そして、三人部屋に集ったディランたちは今後の予定を確認したり武器の手入れをしたりしていた。街を出る前にロンとライサの店に寄っていって、マリクにも挨拶をしなければ、そんな話になったところで夜も深くなってきたので、彼らは順番に眠りについたのだ。


 ディランは夢の名残を追い出すようにかぶりを振ってから、頭をおさえた。なんとなく、頭の奥が痛む気がした。くわえて、全身にびっしょりと汗をかいていて気持ちが悪い。

「疲れてたのかな」

 呟いて、顔を上げ、窓の外を見る。三日月よりは少しふくらんだ月が、遠くの夜空に浮かんでいた。

 ぼんやりする。彼は無意識のうちに夢のことを考えていた。とはいえ、内容はもう思い出せない。ただ、変な夢だということだけは、なんとなく覚えていた。何が見えるわけでもなく、ただ「感じる」だけの夢。

 何を感じたのだろう。しばらく、そんなことを思っていた。が。

 どれくらい経ったかわからない頃になって、ディランはふいに胸を押さえた。今になって急にまた、気分が悪くなる。胸にえもいわれぬ不快感がまとわりついて、頭の芯から痛みが突き上げてくる。目が回る。

 胸が痛い。いや、違う。もっと、もっと奥が――

 それ以上を思う前に、ディランは寝台からとびだしていた。何も考えず反射で剣をとり、がむしゃらに部屋を出た。そんな状況にもかかわらず、足音をあまり立てなかったのは、日々の訓練の賜物としかいいようがなかった。

 扉が閉まる音を聞く。それでも振り返らず、少年は走っていた。

 空気の揺れと物音に気づいて目を覚ましたレビが、寝ぼけまなこで首をかしげたことなど、知るよしもなかった。



 夜のオルークを無心になって走っていたディランが我に返ると、もう、後ろには宿屋の影すら見えなくなっていた。

 どれほど遠くに来てしまったのか。回らない頭で思う。

 のろのろとあたりを見回してみれば、そこは、ひとけのない細い路地だ。家にも道にもあかりはなく、薄い闇がのびている。まっくらにならないのは、空に浮かぶ月と、星のかすかな光のおかげだろう。石畳が不規則に敷かれた路地は、きれいではないが、ごみや汚泥がとりのぞかれて清潔にされていた。

 誰もいない。なにも、ない。そう、わかったとたん、ディランはその場に崩れ落ちた。石畳をにらむようにうつむいて、荒く、呼吸を繰り返す。走るのをやめたためなのか、思考がまわりはじめたせいなのか、気分の悪さと激しい頭痛がぶりかえしてくる。あまりにもひどくて、視界がゆがみだした。

 いっそ、このまま気絶してしまった方が楽だろうか。そんな考えにとらわれかけたとき、背後から影がさした。ディランは驚いて、振り返る。

 闇を背にして、ひとりの男が立っていた。彼の持っている角灯の、橙色の灯火が、ぼんやりとその顔を照らし出す。

「ディラン? なんで、こんなところにいるんだ?」

 男は、トランスだった。ディランは彼の名を呼ぼうとして口を開いたが、声がうまく出てこない。気まずくなって少し目を伏せた。すると、角灯のあかりが少し動いた。同時に、訝しげだったトランスの表情が、驚愕したようなものに変わる。

「何があった」

 彼はささやくように訊いてきた。ディランは何も言わない。いや、言えなかった。声を出したらそれだけで、胸の不快感に耐えられなくなりそうだったのだ。

「死人みたいな顔しやがって」

 トランスはディランを咎めなかった。ただ、それだけ吐き捨てて、あいている方の手を彼へ差し出してきた。ディランはどうにかその手をつかむと、ふらふらになりながら、立ちあがる。

 二人は無言で歩いた。やがて、宿屋の看板が見えてくると、トランスの目がディランの肩に向いていた。

「ひょっとしてあれか? 傷が化膿したとか、痛みがひどくなったとか」

 ディランは首を振った。

 トランスは当然、不可解、といわんばかりに顔をしかめる。

 そのときになって、ようやく、ディランの喉が動いた。唾をゆっくり飲みこんで、確かめるように、声を出す。

「……ゆ、め」

「ん?」

「夢を、見たんだ。それだけだ」

 言いながらも、彼の手は自然と、胸を押さえていた。

「それだけなのに、すごく気分が悪くなって。思わず、飛び出してきた」

 あたりが静かなおかげか、ささやきのような声も、よく響く。トランスはしばらく何も言わなかったが、宿屋の扉の前に着くと、ふいに口を開いた。

「どんな夢だ?」

 ディランは自分の手を見て考えこむ。けれど、やはり、夢は夢だ。起きてからあっという間に記憶は薄れ、今ではもう、もやのような、衝撃の名残しかなかった。それでも、はっきりしない頭で言葉を選びながら口にした。

「――ひびが、入って。砕けそうで苦しくて。耐えられないほど、痛くて、不快だった」

 頭を覆って、髪をつかむ。くしゃ、という音がやけに遠かった。

「何も見えないんだ。痛みと苦しみしかない。叫びたくても声は出ない。嫌だ、って思う。でも」

 そのあと何を言ったかは、ディラン自身は覚えていなかった。ただ彼は、目をみはって黙りこんでいるトランスに向けて、微笑んだ。

「ごめん。驚かせた。話したら、ちょっと楽になった」

 トランスは、つかのま沈黙していた。けれど、ディランがそっと名前を呼ぶと、戸惑ったように苦笑して、言った。

「……いや。なんだか知らんが、無理するなよ」

 冷静で、いつも飄々としている彼には珍しく、ひどく動揺したような様子だった。ディランはそれを少し不思議に思ったが、自分自身がいっぱいいっぱいになっているせいもあって、追及はしなかった。

 咳払いの音がする。トランスは、ディランの背中を軽く叩いた。

「ほら。部屋、戻れよ。朝になるまでに気分が悪くなったら、俺のところに来い」

「え? ああ、ありがとう」

 ディランはうなずいて、男とともに宿屋へ戻り、そこで別れて部屋へ帰った。


 だから、知るはずがなかったのだ。――廊下で、トランスがひとり立ち止まって、険しい顔をしていたことなど。

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