11.平穏ならざる黄昏時

「おいおい。まーた、珍客か」

 嫌そうな声を聞き、ディランは我に返った。見ると、センが手を振りながら、実に面倒くさそうな目で乱入してきた男をにらんでいる。

 対して闖入者ちんにゅうしゃトランスは、大胆不敵に彼へ武器を向けていた。それは、弓ではなく、腰に吊っていた短剣だ。

「悪いね。俺としては、竜狩りを見過ごすわけにゃいかねえのよ。

 ――まさか、かの有名な『破邪の神槍』の傭兵たちが犯人だとは、思ってなかったけどな」

 言葉の終わりに、男の目つきが鋭くなった。

 センが舌打ちする。

 一触即発。そんな言葉が似合いそうな空気を、しかし、たったひとつの声が打ち破った。

「なるほど。噂には聞いたことがある」

 低い声。その場にいた全員が、はっと振り返った。その先には、ゼフィアーとの打ちあいを中断させられたカロクが、槍を携えて立っている。彼はトランスをじろりとにらみ、続けた。

「竜狩人を追いまわし、時に狩りを妨害する謎の男がいる、とな。おまえがそうか」

「あらら。俺って、噂になってるわけ? まいったね」

 トランスは肩をすくめて、おどけてみせた。肝心な答えをぼかしてはいるが、実質、カロクの言葉を肯定している。

「っ、ディラン!?」

 悲鳴のような声を聞き、ディランは顔を上げた。レビが、棒を片手に駆け寄ってくる。どうも、あちらもトランスの介入によって戦いを中断させられたらしい。チトセもまた苦々しい顔で、カロクの隣についていた。

 竜狩人たちは、この場にまったく関係のないはずの男を忌まわしげに見る。

 だが、彼らにとって厄介な事態は、そこで終わらなかった。

 空気が動く。肌が痺れるような感じがして、ディランは首をひねった。

「うわっ!?」

 ゼフィアーの素っ頓狂な声が響く。その声に気がついた全員が、彼女の方を振り返って、絶句した。

 少女の視線の先で、ふたつの巨体が立ち上がっていたのだ。負傷して動けなくなっていたはずの茶色い巨竜は、ゆっくりと首を上げ――口を開いた。


 重々しい咆哮が、ひと気のない鉱山に響き渡る。


 竜の声は容赦なく鼓膜を震わせた。ディランは思わず目をつぶってうめく。大気が震動しているせいで、耳だけでなく、傷も痛かった。

 気圧けおされていたのは彼だけではない。カロクの悔しげな呟きが聞こえてきた。

「回復するだけの時間を与えてしまったか」

 彼は、仕事の邪魔をしてきた人間たちを順繰りににらんだ。殺意すら感じられる視線だったが、彼はディランを見たところで目を止めると、ふい、と視線を逸らす。どころか、四人に背を向けた。

 チトセがぎょっとして、長の背に声をかけている。

「首領!?」

「やむを得ん。今回は、退くぞ」

「でもっ……!」

「竜と二度やりあうだけの力はない。少なくとも、今はな」

 何か言いたそうにしていた少女はしかし、有無を言わさぬ圧力に、言葉をのみこんだ。振り返ってとレビをにらみつけると、何かから逃げるようにカロクへ続く。センもまた、疲れたように息を吐くと、トランスに飛ばされた剣を回収して、二人の後を追った。

「厄介なのが敵に回ったもんだねえ、まったく」

 疲れのにじんだ呟きを聞いたような気がして、ディランは目を瞬いた。

 傭兵たちが去った後、鉱山の裏手には、気の抜けたような静寂が漂っていた。誰もが毒気を抜かれたような状態だったが、そんな中で一番に気を取り直したのは、ゼフィアーである。いや、正確には、竜のうなり声に意識を引き戻されたのか。

「へ、平気なのか!?」

 つい人の言葉でそう話しかけ、転がるように二頭の竜のもとへ行った。岩山を思わせる巨竜たちは、互いの顔を見合わせて、それから喉を鳴らす。人間であれば大きくうなずいていたところだろうか。彼らの反応に、少女がほっと息を吐く。ディランをはじめとするまわりの人たちも、ぞろぞろと、竜のところへ集まった。

『よかった。本当に』

『我々の治癒力は、人間のそれとは比べ物にならぬゆえ。とはいえ、心配をかけてしまったことは、申し訳ない』

『よいのだ。無事ならそれでよい』

 少女と竜が竜語ドラーゼを交わしあう。その光景は、なんとも奇妙なものだ。少なくとも、ディランには、彼らが何を話しているのかほとんどわからない。それでも、竜がゼフィアーにお礼を言っているのはわかった。

『助かった、感謝するよ』

『気にしないでくれ。私だけの力でも、ないのだ』

 ゼフィアーに言われて、竜たちがその後ろのディランたちをぐるり、とながめる。そして、ディランの前でほんのわずか、視線を止めた。軽く首をかしげている。その意味がわからず、ディランもまた、彼らの動きに合わせるように首をかしげてしまった。

 まるで、鏡か小さい子どもの遊びのようだ。

 結局、竜は何も言わずに、喉を鳴らしあってから大きく羽ばたいた。空気がうなり、風が吹く。人々は思わず顔を覆っていた。竜たちの巨体はあっという間に宙を舞う。彼らは青空を背にして、地上の人たちへ人間の言葉を投げかけた。

「ありがとう、人の子よ」

 低く、太く、声が響く。そして、竜たちはあっという間に飛びさって、見えなくなった。吹く風だけが彼らの名残を残している。

 竜の影が完全にわからなくなった頃になって、レビがぽつりと呟いた。

「なんだか、とんでもないですね……」

 ディランは放心状態のままうなずく。彼らにとって「生きた竜を見る」というのは初めての体験で、ひどく心を揺さぶられるものだった。それはきっと、竜を見たことのあるゼフィアーやトランスにとっても同じことだったのだろう。

 蒼穹そうきゅうに向けて、目を細めた二人の横顔が、印象に残った。


 緊張が解けたせいだろうか。鉱山の裏手にいるのが四人だけになると、レビが膝から崩れ落ちた。同時に、ディランも顔をしかめて汗をぬぐう。忘れていた左肩の傷が、痛みをもって主張を始める。

「だっ……!」

 その、あまりの激しさに、思わず声を上げた。それを聞いたトランスが振り返り、ぎょっとした顔になる。

「おいおいおい、その傷どうした!? まさか、カロクの槍にやられたとか言わないよな?」

「残念ながら、その、まさかだ」

「……とんだ無茶しやがるな。ディランよ」

 大きな手の感触と、呆れたような視線を感じて、ディランは笑う。一方、トランスはほかの二人にも目を配って、ため息をついた。

「レビ坊もじゃないか」

「坊ってなんですか。これくらいの傷なら、大丈夫ですよ」

 レビは言いながら右腕をつつく。すでに血は止まりかけている。しかし、トランスは首を振った。

「いーや、甘く見ちゃいけねえ。あいつらが持ってたのは、竜狩りゅうがりに使う特別な武器だ。普通の武器と比べて硬さも鋭さもかなり高めてあるからな。振り方次第じゃ、見た目以上に体が傷ついてることもある」

 語る声は、重いほどに真剣だ。レビはぽかんとして男を見た。

「ずいぶん詳しいですね。さすが、というか」

「おうともさ。伊達に、三十年近くも竜狩人やつらを追っかけちゃいねえよ」

「そ、そんなに?」

 二人の会話を聞きながら、ディランはぼんやり思い出す。チトセと初めて出会ったとき、彼女が持っていたのは、確か手槍だった。けれど、今回使っていたのは曲刀だ。とすれば、手槍は「傭兵としての」彼女の武器なのだろう。

 ぐるぐる思考をしていると、トランスに軽く背中を叩かれる。

「ま、でも、宿に戻んねえとちゃんとした手当ては無理だ。とりあえず少年の止血だけしとこうや」

「あ、ああ。わかった」

 さらりと言われ、ディランは気まずさを抱えつつうなずいた。


 四人は必要な応急処置だけを済ませると、オルークに戻った。偶然は重なるもので、トランスが泊まっていた宿は、ディランたちと同じ宿屋だった。集まってあれこれやるなら広い方がいいだろう、と、ディランたちが取っている三人部屋に集うことになる。

 一応、この場の全員が、旅の中の治療のすべをある程度心得ている。が、中でもゼフィアーとトランスの知識は抜きん出ていた。トランスの方は年の功、ゼフィアーは、故郷の村に薬師くすしが多かったおかげらしい。

 とはいえ今回、ゼフィアーはカロクに蹴られて地面を転がったりしたせいで、トランスから「大人しくしてろ」と言われていた。けが人たちはすなおに彼の手当てを受け、ディランの包帯が巻かれたところで、ほっとひと息ついた。

「ありがとうな」

 ディランは肩を確かめながら、トランスに礼を言った。彼は「いいってことよ」と、飄々ひょうひょうとした態度でいる。レビが寝台に座りながら苦笑した。

 ディランもまた口の端を持ち上げたが――すぐに笑みを消して、ゼフィアーを見た。彼女もまた、寝台の上に両足を投げだして、彼らの様子を見ている。ディランは彼女の前まで歩いていった。

「ゼフィー。体の具合は、どうだ」

「ん?」

 訊かれて初めて、ゼフィアーは声を上げた。ディランをまじまじと見た後、首を縦に振る。

「問題ないぞ。もう痛くもないし、気分も悪くない」

「そうか」

 ディランは答え、そして、目を細めた。

 空気が少しだけ冷える。

「なら、わかってるな?」

 心もち声を低くして問うと、ゼフィアーは目を見開いた。

 けれどディランは、彼女の返事を待たず、その両肩をつかみ――


「このっ――大馬鹿がっ!!」


 ――怒鳴った。


 ゼフィアーが目を白黒させる。二人の背後でレビが唖然としていた。

「ちょ、え?」

 少年は慌てたように立ち上がる。けれど、そんな彼を、大きな手が制した。

 トランスだ。

 彼は静かな目で、二人を見つめている。

 そんなやり取りがあったことを、残る二人はもちろん知らない。ディランはゼフィアーの肩を軽くゆすってにらみつける。ゼフィアーがあえぐように口を開いた。

「ディラ……」

「いい加減にしろ! 何いきなり死のうとしてるんだ! 少しはてめえのことを考えろ!」

 声をさえぎられたゼフィアーはけれど、その時点で、彼が何に怒っているのか気づいた。

『あとで、説教だ』

 彼の声を。冷たい目を、思い出す。ゼフィアーは動揺しながらも、震える唇を一生懸命動かして、反論していた。そこに冷静な思考はない。

「だ……だって、そうしないと、あのままじゃ竜たちが」

「それが馬鹿だって言ってんだよ!」

 再び、一喝。

 ゼフィアーは驚きすぎてわけがわからなくなっていた。当然だ。出会ってこの方、ここまで激しく怒っているディランを見たことがなかった。少女にとって彼は、粗野なところがありながらも、心穏やかな少年だった。

 けれど、今のディランは、ただ激しい。激しく必死に、ゼフィアーを叱りつけていた。

「おまえが死んだら、竜はどうなる! ろくに動けもしない状態で、なぶり殺しにされるだけだろ! そうなりゃ連中の思うつぼだ!」

 ディランは少女の肩をつかんでいた手を離した。そして、ゼフィアーの胸倉をつかんで引き起こす。不安定に揺れる両目を、むりやり自分の方に合わせた。肩がじくじくと痛んでいるが、無視した。

「自分も竜も生きる方法を考えろよ! 竜の前まで行く力があるなら、あいつに体当たりのひとつもかましてりゃ隙くらいは作れたはずだ! おまえならそっからどうにでもできる!

 ――だから俺とレビは、おまえを信じて、センとチトセを引き受けたんだよ、わかるか!!」

 ディランは息を整えた。泣きそうな少女を見つめる。彼女のその表情が、怒られた衝撃によるものでないことは、わかった。目が物語っている。

 こみあげてくるものを抑えるのをやめて、ディランはぐっと顔をしかめる。彼もまた、泣きそうな顔で少女を見ていた。手が、指が、震える。

「頼むから、あきらめるな。命を粗末にしないでくれ」

「っ……」

「いいな、ゼフィー」

 答える声はない。けれどゼフィアーは、大きくうなずいた。それと同時に、ディランの手も滑るようにしてゼフィアーの胸元から落ちる。二人はそのままずるずるとへたりこんで、詰まっていた息を、細く、吐きだす。

 二人のあいだに言葉はない。そんなものは必要なかった。こうして相手の前にいる。それだけで、十分だ。

 ディランもゼフィアーも沈黙しきったところで、ようやく、トランスが動いた。彼はディランの隣まで来ると、まずは彼の頭をぽんぽんと叩いて、それから、ゼフィアーの胸を小突いた。少女が顔を上げる。

「俺が言いたかったこと、まるまるディランに取られたよ」

「トランス」

「けど、仲間が言ってくれた方が、効果あったな。ま、とりあえず、頭冷やせ」

 な? と彼が片目をつぶって見せると、ゼフィアーは黙ってうなずいた。トランスは笑って、彼女の髪をわしゃわしゃとなでる。それから、また、ディランを見下ろした。

 少し心が冷えてきていた彼は、ちょうど、立ち上がろうとしていたところだった。偶然にもトランスと目が合って、途端に気まずくなる。

「なんか、ごめん」

「謝るなって。おまえたちのために、必要なことだ。いきなりああも激しく爆発するとは思わなかったがな」

「……悪かった」

 ディランは頭を下げた。トランスだけでなく、ゼフィアーにも。すごく、びっくりさせてしまっただろう。言いたいことを言い尽くして、燃え尽きた後になって、そんな気持ちがわいてきた。けれど、ゼフィアーは大きく首を振った。彼女も、自分の無鉄砲さを自覚しはじめていたのである。

 青い目の少年は、背後で無言になっているもう一人の少年を振り返る。

「レビも」

「え? あ、いや、平気です。びっくりしたけど、平気です」

 レビは顔の前で両手を振った。それから、ふくれっ面をつくってゼフィアーに向ける。

「それに、ディランが怒りたくなる気持ちもわかります。竜のことで必死になっちゃうのはあるかもしれないですけど、勝手に色々背負いすぎですよ。もう少し、ぼくらを巻き込んでください」

「む? けども、これ以上私のことで迷惑をかけるのも」

「それがダメなんですって! 遠慮しないでください。竜狩人が許せないのは、ぼくらだって同じなんですから」

 レビが腰に手を当てて言う。彼は最年少のはずだが、こうしていると、とても大人びて見えた。ディランとゼフィアーは、顔を見合わせて、こっそりほほ笑む。それからゼフィアーはようやく、「わかった。ありがとう」と言った。

 望んだ返事がもらえたからか、レビは歯を見せて笑っていた。

 ――その瞳の奥に、わずかなきずがあることには、まだ誰も気づかない。

 軽く、乾いた音が響いた。トランスが、両手を打ち鳴らしたのだ。ディランたち三人は、一斉にそちらを向く。

「話がついたようだしさ」

 彼は、閉められている扉を一瞥した。

「落ち着くためにも、腹ごしらえしないか? たぶん、そろそろ食堂あいてるぜ」

 そう言われてみて、ディランはふと、窓の外を見た。太陽は西の端へと沈もうとしていて、空はすでに深い紺碧に染まっている。黄昏時が、通りすぎようとしていた。

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