16.大商人と小包
街に着いた頃には天頂の付近にあった太陽が、今では少し西に傾いてきている。
ダンとノルシの言葉どおり、ディランたちはかなり長い時間待たされた。が、ひとまず商館の中には通された。燦々と降り注ぐ太陽の下で待つはめにならなかったことと、日をまたがずに済みそうだという見立てが、彼らの安堵を誘った。
商館の入口付近には、来客用の空間がわずかに設けられている。丸い木のテーブルと、それを囲む三脚ほどの椅子。ディランたち三人もまた、そこに通されて話がつくのを待っている。壁際を仰いだディランは、小さな窓から差し込む光に目を細めた。
「なんというか、見られているな」
ゼフィアーが、まわりを見ながら呟く。声に反応して視線を戻したディランは、周囲から向けられる好奇の視線に気づきつつも、まるでそれがないかのように堂々と腕組みをした。
「俺たち、明らかに商人って見た目じゃないからな。というか、
「少なくとも、ディランはまだ商人の護衛を受けた傭兵って感じがしますよ」
棒を両手で握りしめ、レビがそんなふうに言った。彼の方は、この妙な視線に慣れているらしい。少し落ちつかない素振りではありながらも、冷静さを保っていた。けれど、改めてディランに目を向けると、ハシバミ色の瞳が興奮に輝く。
「それにしても、ディランを育てた傭兵って、本当に有名な方だったんですね。『烈火』も『暁の傭兵団』も聞き覚えがあります」
「あー……まあ、な。あれは名前が広まらない方がおかしい」
いきなり避けたかった話題に触れられたせいで、ディランの目はあらぬ方向に泳ぐ。師匠と彼女の率いる傭兵たちは、いざとなればかなり派手に暴れ回ることもあるというのを、彼は身をもって知っていた。それがありがたいのやら迷惑なのやら、今のディランにはよくわからない。
「きっと、とてもすごい人なんだな。会ってみたいな」
ゼフィアーも身を乗り出して、そう言った。彼女の瞳にもあふれる好奇心を見て取り、ディランはどう返すべきかと悩んだ。
幸か不幸か、その会話は途中で打ち切られることになる。
「お待たせしました」
その一言とともに、ノルシが姿を現した。彼は、三人が自分を見るやいなや、
「ラッド会長が、お会いになるそうです」
三人は、いきなり告げられた「許可」に少なからず驚いた。ゼフィアーが代表して、感心したような声をあげる。
「思ったよりも早かったな。もう少し待たされることも覚悟していたが」
「いえ、それが」
少女の言葉に、温和そうな男は苦笑した。困ったように頭をかいている。
「レビと『烈火』のお弟子さんが一緒だ、とお教えしたら、即断で『会う』と仰いまして」
ディランとレビは顔を見合わせ、困惑とも苦笑とも、渋面ともつかない表情でかぶりを振った。
三人はノルシの案内で、商館の奥へと通された。細い通路にひと気はほとんどなく、入口の喧騒はほとんど耳に入らない。しばらく歩いて、小さいながら高級感の漂う扉の前まで来ると、そこにはダンが立っていた。彼は三人の姿を認めると、わずかに眉を上げる。
「念のため、武器は預からせてもらいたい。構わないか」
彼は、開口一番そう言った。そういうことになるだろうな、とあらかじめ予想はしていたので、三人は素直に武器を預ける。何せ大商会の会長に会うわけなので、このくらいの警戒はされて当然だろう。
「長くて邪魔だと思いますけど、大切に扱ってください」
「言われずともそのつもりだ。安心しろ」
「投げナイフの中には麻痺毒が塗ってあるものもあるから、気をつけてくれ」
「……承知した」
先に剣を預けたディランは、そんなやり取りに苦笑する。ゼフィアーの言葉に顔を引きつらせたダンが、さすがに気の毒だった。年端のいかぬ少女がそんなものを持っているとは、普通考えない。
ほどなくして、扉のむこうへ通された。ノルシが三人の入室を確認し、慎重に廊下を確かめてから扉を閉める。大きさに似合わない、重々しい音がした。
部屋は狭かった。簡素な机と椅子が数脚あるだけの、殺風景な空間だ。もともと、軽々しく
そして、机を挟んで向かいあう位置に、件の人物は立っていた。床に裾がつくほどの長いローブをまとった、白髪の老人。長い髭を生やし、しわだらけの顔を少年たちへ向ける彼の姿は、一見ただの「おじいさん」だ。けれど、細められた目の奥には、獲物を捉えた猛禽類のような鋭い光が湛えられている。
彼は、口を開いた。
「ようこそ、
冷たい沈黙が場を覆う。
身じろぎすらためらわせる雰囲気の中で、ゼフィアーが、勇敢にも口火を切った。
「会長殿、お初にお目にかかる。私はゼフィアー・ウェンデル。マリクの頼みで会長殿に小包を届けにきた者だ」
老人が太い眉をわずかに上げた。やはり、彼女の口調は意外だったらしい。それでもすぐに元の表情に戻って、うなずいた。
「そうか。お嬢さんはマリクの知り合いか。世話をかけたな」
「問題ない。知り合いの頼みだからな」
ゼフィアーは胸を張ってそう言った。ラッドは喉を鳴らして笑い――そのまま、視線を後ろへ向ける。
「久しいな、レビよ。ずいぶん背が伸びたのではないか?」
「あっ、は、はい! お久しぶりです! ラッド会長!」
不意に声をかけられたレビは慌てて背を伸ばした。誰の目にもわかるほど、顔が引きつっている。緊張に固まった少年を見たおかげか、ラッドの眼差しが緩んだ。
「ほっほっほ。そうかたくなるな。
――しかし、そうか。ここにおるということは、リフィエ村を出たか」
しわの中に隠れた目が曇る。レビもまた、表情を曇らせた。だが、すぐにその両目には強い光が戻る。彼は堂々と言葉を返した。
「はい。ぼくの気持ちを見つめ直すために。ゼフィーたちには、無理を言ってしまいましたけど」
「なあに、気にすることはない。レビのおかげで楽しい旅ができたぞ! こうして会長殿にも会えたわけだしな」
恐縮するレビへ、すかさずゼフィアーが笑いかける。ラッドは二人のやり取りを楽しそうに見ていた。が、その視線もやがて移ろう。今度は当然、ディランを見た。
彼はなんと言っていいのかわからず、目を見開いて固まってしまう。二人の間をしばらく無音の時が流れた。
「ほう。これは、これは。不思議なこともあるものよ」
つかの間の沈黙を破ったのはラッドの方である。
「さすがは弟子というだけある。面構えがあのおなごにそっくりだ」
「え? ……は、はあ」
師匠をおなご呼ばわりとは、大した老人だ。ディランは生返事をしながらそんなことを思った。直後、ラッドはにやりと笑う。悪戯っぽい雰囲気が感じ取れて、ディランは後ずさりしそうになった。嫌な予感がする。
予感は、あっさりと的中した。
「君を見ておると、上手く丸めこんで、うちの高い商品を売りつけたくなるのう」
あろうことか目の前の老人は、そんなことをうそぶいて、笑ったのである。ディランは意表を突かれ、大物の目の前であるというのに唖然としてしまった。振り返ったゼフィアーとレビが、意外なものを見た、という顔をしている。
ディランは顔を引きつらせつつ、おそるおそる老人に問うた。
「あの。師匠と何かあったので?」
「色々とあったぞ。そう、色々と」
「……そうですか」
ディランは、ため息が出そうになったのをなんとか堪える。これ以上の追及はよそう、と心に決め、本題に入るべく言葉を続けた。
「それで、例の小包の件ですが」
「おお、そうじゃったな。まったく、歳をとるといらぬ話ばかり長くしてしまっていかんのう」
ラッドはそう言って、三人に着席をうながした。それぞれが椅子に座ると、自分も彼らと向かい合う形で腰を下ろす。ラッドに視線でうながされたゼフィアーが、鞄の中から小包を取り出した。
小包、というそれは、本当に小さかった。ゼフィアーの両手に収まるほどである。自分の目の前に置かれた小包を、ラッドはしげしげとながめた。そして、大切そうに手に取ると、少女へお礼を述べたのである。
「確かに、マリクに頼んだ荷物で間違いない。ありがとう、お嬢さん」
「うむ!」
元気よくうなずいたゼフィアーの表情は、隠しきれない安堵で満ちていた。それに釣られてほほ笑んだラッドは、改めて小包に視線を落とす。
「しかしあ奴、本当に手に入れるとは大したものだ。その報酬についてはまた今度渡すとして、お嬢さんにも何かお礼をせねばならんな」
ディランは、レビと一緒になって、無意識のうちにゼフィアーを見ていた。彼女は老人の言葉に何を思ったか、難しい顔をして考え込んでいるようである。やがて――思考にふけるラッドを見据えた。
「ならば、ひとつ、お願いがあるのだが」
先ほどまでより大きな少女の声に、ラッドが顔を上げた。
「ほう、何かね?」
興味深そうにする商人へ、ゼフィアーは彼が予想もしなかったであろうことを願い出る。
「その荷物の中身を、見せていただきたい」
朗々と響き渡る少女の一声。それを聞いたディランは、心臓が凍りそうになるのを感じていた。
さすがに、いきなりそれはないだろう、というのが彼の感想だった。荷物の中身は確かに気になるが、それを知る権利は、彼らにはない。向こうから見せてもらうのならともかく、こちらから頼みこむような話ではないはずだ。
ちらと視線をやると、レビも目を白黒させていた。まったく動じていないのは、ゼフィアーとラッド、二人だけだ。
「お嬢さん。確かに君は、荷物を届けてくれた。それには感謝している。だが、軽々しく中を見たいなどと言うものではない」
「わかっている。それが、他人に見せたくない『危険な代物』であるということも」
ゼフィアーは、ぴしゃりと返した。ほう、とこぼすラッドへ、彼女は言い募る。
「私はそれを運んでいる最中、何度も不審な連中に襲われた。それも、襲ってきた連中というのはひとつの組織、集団ではなかった。いくつもの集団が、その荷物を狙っていたのだ。だからこそディランを雇うことになった」
ゼフィアーの視線はラッドに固定されたままだ。そして老人もまた、身動きひとつしない。厳しい表情のまま、口を開く。
「ならばなおさら、首を突っ込もうなどと考えるでない。知らぬ方がよいことも世の中にはある、ということを学ぶべきだ」
咎める声は、商人の教示というよりも、ラッド個人としての忠告のようだった。
だが、ゼフィアーは、彼の冷厳な忠告を受けても、首を縦に振らなかった。
「わかっている。知らない方がいいということは、十分わかっているのだ」
「ならばなぜ、そうも知りたがる」
そこでようやく、ゼフィアーの視線がわずかに動いた。
ディランの方へ。
「小包の中がなんなのか。それがわかれば、おのずと襲ってきた奴らの正体もわかる。そうすれば――」
少女の言葉は、そこで途切れた。ラッドは「そうすれば?」と続きをうながしたが、ゼフィアーはすぐには続けなかった。琥珀色とも金色ともつかぬ瞳が、かたわらの少年の顔を捉えて揺れている。ディランは、彼女の意図を察して息をのんだ。
その目が、言葉の続きを語っていた。
そうすれば少しでも、手掛かりが得られるかもしれない――
「ゼフィー!」
ディランはたまりかねて、鋭い声を上げた。その場の全員が目をみはったことに気づかず、机の上で握りしめられた少女の両手に、自分の手を重ねる。
「何、おまえが気張ってるんだよ。それは俺の問題だろう?」
「っ、でも、だな。頼めるのは私しかいない」
「なんでそうなるんだ。俺の事情なんだから、勝手に話を進めようとするんじゃない」
ディランはわざと大げさに首を振り、ゼフィアーをいさめた。
まさか、ここで彼女が記憶の話を持ち出すとは思っていなかったのだ。だが、黒装束の正体につながるのは小包ひとつ。唯一小包の内容を知っているラッドにそれを尋ねようとするのは、ごく自然なことでもある。予測しようと思えばできたことだ。
ゼフィアーがまるで自分のことのように、ディランの身の上話を受けとめていたことに気づけていれば。
今にも泣き出しそうなゼフィアーの顔を見て、ディランは肩をすくめる。そして、横で成り行きを見守っていたレビもまた、ここへ来て、ゼフィアーが何を言おうとしたのかわかったようだ。「ああ、そうか」と呟いていた。
ディランは、ゼフィアーに代わってラッドと向き合う。怪訝そうな老人と目を合わせ、深呼吸した。頭の中で、話の内容を整理する。そして、口を開いた。
「その話については、俺の方から説明させてください」
そういう切り出しで、ディランはだいたいの事情を説明した。ゼフィアーとレビに語った記憶の話もそうだが、道中に襲ってきた黒装束の言動も、そこに付け加えた。ラッドは最初こそ身構えて聞いていたが、話が進むにつれ、驚きを露わにする。
「……なんと、いうことか」
話が途切れると同時、老人は嘆息した。
落ち着きを取り戻したゼフィアーが、悔しそうに目を細める。
「そもそも、私が護衛として雇わなければ、ディランが目をつけられることもなかったはずだ。だから、私の方から小包のことは頼もうと思っていた」
「そんなこと、考えてたんですか?」
レビが意外そうに訊いた。そして、彼女がうなずくと、大げさなため息をこぼす。
「ゼフィーもディランのこと、水臭いなんて言えないじゃないですか」
少年は呆れはてていた。
そして、話題の中心にいるもう一人の少年もまた、強く首肯する。まったくもって、同感だ。
「俺にとっては、むしろ、願ってもない機会だったんだよ。おまえがそんなに思い詰める必要、どこにもない」
あえて厳かに言ったディランは、少女の髪をくしゃくしゃにした。顔を歪めたゼフィアーは言い返す言葉を探していたようだが、やがてあきらめたのか、「すまない」と小さく呟く。
二人の少年は同時に、ラッドの方を見た。様子をしばらくうかがっていると、彼は思案のすえにうなずいた。
「……そういうことであるのなら、中身をお教えしよう」
しわがれた声でつむがれた言葉が、テーブルの上に落ちて跳ね返る。ディランたち三人は、ぱっと顔を見合わせた後、一斉に老人へ詰め寄っていた。
「ほ、本当にいいんですか!?」
「うむ。わしの見立てが正しければ……これは相当に深刻な事態なのでな。特例だ」
レビとゼフィアーが、お互いを見て歓喜に震える。今にも盛大な嬉し泣きをしそうだった。しかし、一方のディランは――ラッドの言葉を受け、目を曇らせる。彼は、大商人たるこの老爺が神妙に考え込む姿を見逃さなかった。
相当に深刻な事態。ラッドは確かにそう言った。
それはつまり――ディランが記憶を失う前、何かとんでもない事態に巻き込まれたか、尋常ならざる立場にあったということを意味している。決して喜んでばかりもいられない。
けれど、このとき、ディランは胸にうずまく諸々の感情を押し隠して、ラッド・ボールドウィンに精一杯頭を下げた。彼が重大な決断をしてくれたことに、変わりはない。
「……ありがとうございます」
心の中にくすぶる不安が、じわり、と染みのように広がった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます