第四章

15.港湾都市カルトノーア

 重々しい鐘の音が、時を刻んで響き渡る。人の声や馬蹄ばていの響はそれでも止むことなく、都市は異様なほどのざわめきに包まれていた。通りや家のあちこちにあるのぼりや、色鮮やかな旗が、吹き抜ける潮風にはためいた。

 港湾都市カルトノーア。古くから、「西大陸」と呼びならわされるこの大陸で、海上交易の拠点のひとつとして栄えてきた街である。主に、東大陸や南の諸島国家との貿易を請け負っており、湾につくられた港には、様式の異なる貿易船がいくつも停泊していることさえ、珍しくないのだった。


「通行証を」

 カルトノーアの入口にやってきたディランたちは、番兵であろう、甲冑姿の男に呼び止められ、足を止めた。ドナを出てからこっち、通行証を求められるほどの大きな街に入るのは初めてのことで、それが必要であることをうっかり忘れていた。

 とはいえ、ディランとゼフィアーはもとより大陸をさすらう旅人である。焦ることなく、それぞれに証明となるものを取り出した。ディランは、後ろを歩くレビに目配せをする。唯一の不安は彼だったが、レビは大きくうなずくと、自分の名前が彫られた木製のプレートを取り出した。

「ほう。発行元がカルトノーアではないか」

 レビの通行証を見て声を上げたのは、ゼフィアーだ。

「通行証」もしくはその代わりになるものはいくつかあるが、その代表が大きな都市の役場で発行してもらう名前と出身地が刻まれたプレートである。ゼフィアーとレビが持っているのがこれだった。

 番兵は、三人の取り出したものに目を通す。その中で、ディランが突き出したものを見て驚いていた。彼が兵士に見せたのは、太陽に照らされた剣の紋章が入った、赤銅色の丸い首飾りである。銀色の鎖が、しゃらりと音を立てた。

「……『烈火』の傭兵団の者か」

「正式な団員じゃなかったけど。信用できなければ調べてもいい」

 番兵は少し考えたが、やがてひらりと手を振ると、「よい。通れ」と言って三人を促した。こうして無事に門をくぐった一行だったが、ゼフィアーとレビが好奇の視線をディランに注ぐ。

「なあ、『烈火』というのはもしかして」

 ゼフィアーのためらいがちな問いに、ディランはあっさりうなずいた。

「俺を拾った傭兵のことだよ」

「……うーん。どこかで聞いたことがあるような……」

 レビがディランのすぐ隣でうんうんうなる。彼は心の中で、参ったな、と呟いた。

――彼が察してるとおり、『烈火』は名の知れた傭兵だ。別に隠しだてすることでもないのだが、今はそれについて語り合っている時間はない。ディランはしばらく悩んで、レビが答えに辿り着く前に、話題をすり替えようと決めた。

「俺の『親』のことは、今はいい。気になるならまた話してやるから。

それよりどうする。すぐ、『希望の風』支部に向かうか?」

 少年は雇い主に問いかけた。彼女は少し考えたが、自分の鞄をちらりと見やって、うなずいた。

「うむ。取り合ってもらえるかは微妙だが、もたもたしている時間もない。行って、話はしてみよう」

「ぼ、ぼくの出番ですね! がんばります!」

 レビが、拳をにぎった。右手に握られた棒が石畳を叩いて硬質な音を立てる。やけに気合の入った彼を見て、ディランとゼフィアーは揃って苦笑した。

「肩の力抜けよ」

 ディランはそれだけ言って、少年のやわらかな金髪をくしゃくしゃとなでた。


 商会『希望の風』の建物は、街の北側の港から離れた場所にある。カルトノーアを訪れた経験のある三人は、それを知っていた。建物、すなわち商館の中に入ったことがあるのは、レビひとりだったのだが。

 街の通りは、中心街以外は細い。けれど、きっちり整備されているせいか、直線的だ。灰色の石畳の上を、様々な服をまとった人々が通り過ぎていく。中には、いかにも質のよさそうな上下の男性や、白いスカートを身にまとい、きらりと光る宝石の指輪をはめた女性もいるものだから、レビなどはときどき怯んで足を止めていた。ここまで小さな村か森しか見てこなかったので仕方がない。

 煉瓦造りの建物が並ぶ通りを進んでいると、金属の胸当てと革鎧をまとった男の一団が通り過ぎていく。通行人の中には、いかにも荒くれ者な彼らを迷惑そうに避ける人もいたが、ディランたちはまったく気にせず通りを奥へ奥へと進んでいった。

 次第に、荒っぽい声や商売人の呼びこみが聞こえてくるようになる。やがて、遠目に水色の旗と白い屋根を見つけて、レビが声を上げた。

「あ、あれです。『希望の風』カルトノーア支部!」

「商館だけど支部なのか」

 ゼフィアーが小首をかしげた。ディランはそういうものなんだろう、と受け流す。『希望の風』のいわゆる本部があるのは、南の諸島国家ときく。それなのになぜ、会長であるラッド・ボールドウィンがカルトノーアにいるのかというと――

「どうも彼は、本部にいるより支部を転々とすることの方が多いみたいです。昔から、そういう人だという話は聞きますよ」

「なんというか、自由な人だなあ」

 心なしか楽しそうに語るレビを見つつ、ゼフィアーがのんきな声で感想をこぼした。

 このどこまでも自由人なに「自由」と評されるラッド・ボールドウィンは相当だな、とディランは苦笑した。

 他愛もないやり取りをしているうちに、道幅が一気に広くなる。気がつけば、商館のすぐ前にまで来ていた。ほんの一瞬、三人の顔に緊張が走る。いくらレビがいるとはいえ、すぐに通してもらえるとは露ほども思っていない。けれど、なんの対応もされないとは、考えなかった。

 ゼフィアーが息を吸う。ディランを追い越し先頭に立って、商館の門前へと進んだ。

 門の左右に立っている男たちが、目を瞬いた。上質な長衣を纏う彼らは、商会の一員なのだろう。右側に立っている温和そうなたれ目の男が、ゼフィアーへ話しかけた。

「おや、お嬢さん。『希望の風』に何かご用かい?」

「うむ」

 ゼフィアーはしかつめらしくうなずいた。いつものように堂々としているようでいて、その顔は緊張にこわばっている。それでも彼女は、口を開いた。

「ラッド・ボールドウィン殿にお会いしたいのだが」

 少女とは思えぬかたい口調で、らしからぬ用件を口にする。当然、二人の男は驚いて顔を見合わせた。たれ目の男がもう一度、今度はまじまじとゼフィアーを見つめた。

「……まさかとは思うけど、会長のお知り合いで?」

「いいや。直接の面識はない。ただ、そちらの会長殿の知己ちきであるマリクという商人に頼まれて、荷物を届けにきたのだ」

 ゼフィアーは淀みない口調で説明した。ディランとレビは顔を見合わせる。「知り合いの商人」の名を、二人はこのとき、はじめて知った。

 そして、男たちの方はというと当然戸惑っていた。中に通すべきか、追いだすべきか、悩んでいるらしい。そんな二人のもとへ、誰に言われるでもなく踏みだしたのがレビ・リグレットだった。

「あの、すみません!」

 いつもより大きな声を張り上げる。男たちの視線は、自然、少女の後ろにいた二人の少年へと向いた。そのうちの小さい方、レビが続けて声を上げる。

「ダンさん、ノルシさん。お久しぶりです」

 言いながら、彼は二人を順繰りに見ていた。左に立つ仏頂面の男はダンと呼ばれ、ゼフィアーに話しかけた方はノルシといわれた。二人はその、突然の挨拶にぽかんとしていたが、よくよく見たところで少年が何者か察したのであろう。一斉に声を上げた。

「レビ! 久しぶりだなあ」

「ほう。リグレットの坊主か」

 今まで後ろの方で控えていたダンが、ずかずかと前に出てきてレビの頭をめちゃくちゃになでる。彼はくすぐったそうにしつつ、はい、と答えていた。ノルシと呼ばれたたれ目の方が、ゼフィアーとレビを交互に見る。

「レビ。このお嬢さんは、君の知り合いなのかい?」

「はい」

 訊かれ、レビはここぞとばかりに力強くうなずいて、説明をする。

「彼女の言ったことは本当のようです。どうしてもラッド会長に荷物を渡したいと聞いたので、せめてぼくが仲立ちしようと思って、一緒にここまで来たんです」

「ふむ……」

「ぼくは子どもですから、そう簡単にいかないことは分かっているんです。でも、どうか、取り次いでいただけませんか。ゼフィー……彼女たちは、わざわざ森林を抜けてここまで来たんです」

 レビは必死になって、言葉を選んで考えて、二人に頼みこんだ。彼が以前商会にやってきて、二人やラッドと出会ったとき、彼は父の後ろに隠れていればよかった。だから、こんなふうに気を遣いながらお願いをすることはなかったのだ。けれど今は違う。後ろ盾になってくれる父はいない。

 自分が、やらなければ。その思いがレビを突き動かしていた。

「頼む! どうも、盗賊に狙われるほど貴重な荷物らしいのだ! あまり悠長に、待ってはいられないのだ」

 その少年の勢いに押されたのか、どうなのか。続けてゼフィアーも、頭を下げた。レビが繰り返し、お願いします、という。ダンとノルシは戸惑い、お互いを見ていた。

 が、やがてその視線は――少年少女の頭を飛び越え、その後ろに立つもう一人の少年へ向いた。

「君たちの気持ちは分かった。けれど、その……」

 ゼフィアーもレビも、視線が自分たちではない方に向かったことに、気づいたのだろう。顔を上げて振りかえった。

 全員にじっと見られたディランは、わずかにたじろぐ。二人だけで交渉が上手くいけば傍観を決め込むつもりだったが、やはりというか、そういうわけにはいかないらしい。

「後ろの彼は、その、傭兵のようだが信用できるのか?」

 信用できるのか。

 その問いは常に、傭兵や無法者の後についてまわる言葉だ。裏社会で生き、金で動き、時には己の手を汚す。少しでも傭兵稼業をしているものに、そういう印象を持つ人間は多い。

 ダンたちの問いに、まっさきに答えたのはゼフィアーだ。

「彼は私が道中で雇った護衛だ。腕の方はもちろん、お人好しぶりも保障するぞ」

 誰がお人好しだ、誰が。言いたくなったが、ダンとノルシの手前、ぐっとこらえるディラン。レビがすかさずそこへ追従した。

「そうです。確かに傭兵稼業もやってるみたいですけど、ぼくのことを狼から守ってくれたりしたこともある、優しい人ですよ」

 二人はすぐに言葉を返さなかった。疑わしげにディランを見ている。これだけ大きな商会だ。レビの父を護衛として雇ったことがあるというから、そういう手合いとの関わりもあるのだろう。――だからこそ、彼らが時折いらぬ騒動を持ちこむことも、よく知っているのだ。

 ディランはかすかに眉をひそめた。自分がゼフィアーたちの足をひっぱるのではどうしようもない。

「奥の手、使うか」

 街の入口でのことを思い出しながら、呟く。できるかぎり『親』の威光は借りたくないのだが、背に腹はかえられない。ディランは踏み出して、ゼフィアーたちと並ぶ位置に立つと、ダンたちをじっと見て、名乗った。

「ええと……ディランといいます。目的のために大陸中を旅してまわってます。確かに傭兵のようなこともしていますが、それはまあ、路銀を稼ぐため、程度のことで。今のところ彼女の持つ荷物を狙う盗賊以外には、誰にも追われていないはずです」

 彼らの憂慮しているであろう点を突いて、たどたどしい自己紹介をする。ダンも、ノルシも驚いているようだった。裏社会に片足を突っ込んでいる人間で、誰かに対して丁寧な物腰で接する人は少ないから、ディランの態度が珍しかったのであろう。

 だが、やがてそのような驚愕からも立ち直った。ダンが、ディランを厳しい目でにらむ。

「ご丁寧に名乗っていただいて済まないのだが、こちらとしては、いたずらに素性の知れぬ者を会長に会わせたくはないのだ。会長はその、好奇心が旺盛であられるから、余計に……」

 最後の方でこわもての男は言い淀む。ディランたち三人は、思わず顔を見合わせた。

 つまり、ラッド・ボールドウィン本人はむしろ、どこから来たのかも分からぬ者とも会いたがる人のようである。そしてそれを止めるのに部下が苦労している――というわけだ。特に目の前のダンは生真面目そうだから、そのぶん背負うものも多いだろう。

 彼の胸中を察して、ため息をついたディランは、手縫いの鞄をまさぐった。先程しまったばかりの首飾りを取り出す。

「どうしても身分証明が必要というのであれば、こちらを」

 そう言ってディランは、銀の鎖を持って、一見硬貨のような形の紋章を二人へ見せる。

――彼らの顔色が、変わった。

「こ、これは……『あかつきの傭兵団』の紋章ではないか!」

「君、彼女の、『烈火』の部下なのかい!?」

 ダンとノルシが同時に身を乗り出す。あまりの反応の変わりように驚いて、ゼフィアーとレビが呆然としていた。けれど、ディランにとって二人の反応は想定の範囲内である。どれだけ名を売ってるんですか、と心の中で師匠に呆れつつ、平然と続けた。

「部下といいますか、不肖の弟子といいますか。の傭兵団に身を置いていたのはほんの数年ですが、一員として働いていたのは確かです。そして必要とあらば……『暁の傭兵団』の名のもとに、誓います。商会の不利益になるような真似は決してしない、と」

 ディランは目を細め、改めて二人を見つめる。

 鋭い眼光に、ダンたちは少したじろいだ。若者のまとう空気が急に変わって、戸惑ったせいでもある。それでも二人は、紋章をしばらく眺めると、意を決した。

 三人に目をやり、彼らは言う。

「……わかった」

「会長に話を通すよ。少し時間はかかるけど、そこは許してもらえるかい」

 承諾の言葉を聞いて、ゼフィアーたちの目が輝いた。

「あ、ありがとうございます!」

「かたじけない!

――と、名乗り遅れてしまった。私はゼフィアー・ウェンデルだ。会長殿に伝えてくれ!」

 興奮する二人の横で、ディランは長い息を吐く。そして、視線を感じた気がしてちらりと商館の方を見た。すぐ近くの仏頂面と、視線が交わった。

「……どうか、しました?」

 ディランが慎重に問うと、ダンは無言で首を振る。その態度をますます訝しく思っていると、彼は去り際に呟きを残していった。

「会長との面会が無事終わったら、一度あんたと話がしたい、と思ってな」

 その言葉を聞いても、ディランの中に芽生えた疑念は深まるだけだった。

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