8.慈雨と豪雨

 自分の独り言が聞こえてしまったためか。ゼフィアーが慌てて頭を下げた。

「す、すまない! 傷つけるつもりはなかった!」

「大丈夫です。むしろ、黙って知らない振りをされる方が辛いんです」

 レビは困ったように笑ってそう言うと――一軒の家に目をやった。二階建てで、扉に小さな看板がかかっている。一階の窓がカウンターになっていて、店として使っていることがうかがえた。

「ぼくの父は旅人でした。母はぼくを生んですぐに、病気で亡くなったそうで、ぼくは物ごころつく前から、父と旅をして生活していたんです。けれどあるとき、父も病気にかかってしまって――たまたま立ち寄ったこのリフィエ村で、息を引き取りました」

 少年の声が虚空に溶ける。ディランは黙って、彼の話を聞いていた。

 また風が吹く。風の音にかぶせるように、昔語りは続いた。

「村人たちはさぞ困ったでしょうね。何せ、病死した旅人は幼い子どもを残していってしまったんですから。――詳しくは聞いてないですけど、ぼくをどうするか、というので村の大人たちはかなりもめたみたいです。そして話し合いの結果、ぼくはナタリアさん……つまりさっきの女の人に引きとられることになりました。ナタリアさんも、仕方なく引き受けた感じだったんだと思います」

 どこか、自嘲的な声に重なって――ディランの脳裏には、レビに背を向けた女性の姿がよみがえっていた。


「事情はわかったが……難しい問題だな」

「おおかたそんなところだろうとは、思ってたけど」

 レビに部屋まで案内された二人は、荷をほどきながら言葉を交わしていた。たまに聞く話だ、とわりと冷静に受け止めるディランの横で、ゼフィアーは真剣に考え込んでいる。


 先程、少年が目をとめた家――それこそが、彼の暮らす家だった。客間として整えられた二階の一室は、狭くはあるが、きちんと清潔に保たれた二人分の寝台がしつらえられていて、寝泊まりする分に不自由はなさそうである。


 ディランは入口側の寝台に腰を下ろした。奥の方で、ゼフィアーが寝転がる姿をながめながら、彼はふと、遠い日のことを思い出した。

「『外から来る人間ってのは、そこに住む奴らにとっては雨みたいなもんなんだ』」

 記憶にあるままの言葉を口にすると、ゼフィアーが琥珀色の瞳に好奇の光を宿した。起き上がって、ディランの方に身を乗り出す。

「む? 誰の格言だ?」

「格言じゃないけど、俺の師匠の言葉。傭兵としての生き方、なんてのを教わってたときに、その人が口癖みたいに言ってたんだ」

 言いながら、ディランは枕元に置いた剣を一瞥する。

 何度も言い聞かせられた言葉は、一言一句そのままに、彼の舌に乗って滑りだしてきた。

「雨は農作物を実らせたり、飲み水を与えてくれたりする、天の恵みだ。けど、豪雨は浸水やら洪水やら、災いを引き起こす。それと同じで、旅人も金や情報、新しい物を落としていってくれる貴重な運びやであると同時に、騒動や余計なものを落としていく厄介者でもあるのさ――ってな」

「なるほどなあ」

 感心した様子でうなずいたゼフィアーが、にやりと笑って自分のサーベルを手の中で回す。

「さしずめ私たちは、災いをもたらす豪雨ってところだろうな」

「確かに」

 少女のきつい言葉に、ディランは苦笑しつつも同意する。

 素性の知れない黒装束に追いまわされる自分たちは、間違いなく村人にとって厄介な雨であろう。今のところ襲撃の気配はないが、ドナにいたとき襲ってきた集団の例もあるので楽観はできない。

「そしてレビの父親も、村人にとっては豪雨だったんだ。レビ自身もな」

 ディランが締めくくると、ゼフィアーは渋面に戻った。あー、とかうー、とか言いながら、寝台に寝そべって、そのまま転げ回る。小柄な少女が右に左に転がる様子を、ディランは黙って見つめていた。

「難しい話なのだ……。けども、このままではレビがかわいそうだ」

「気持ちはわかるけどな。ゼフィーも知ってるだろ。こういうのは、俺たちよそ者が口出ししていい問題じゃない」

「知ってるからこそもどかしいのだー!」

 ゼフィアーは白い敷布しきぬのを握りしめながら叫んだ。布に細かいしわができてしまっているが、少女は気にもとめない。少年もあえて指摘せず、ただ、重いため息をこぼした。

 そう。「あちこちふらふらしている」と自称するくらいだ、ゼフィアーが世の現状を知らないはずがない。リフィエのような村、レビのような境遇の人々は、たくさん見てきただろう。

 そしてそのたびに、悩んだに違いないのだ。――今、このときのように。

「誰かを思いやるのはいいことだけどな。おまえはとにかく、小包と自分の身を守ることを考えた方がいいと、俺は思うよ」

 ゼフィアーの心情もわかるが、現実のままならなさも見えてしまうディランとしては、わかりきったことを助言するよりほかになかった。


「あんたら、なんでリフィエに来たんだい?」

 そう訊いてきたのは、カウンターから身を乗り出している男だ。無精ひげを生やした彼は、だが店員らしく愛想がいい、というよりは好奇心に満ち満ちた子どものようである。

 レビが住む家の主人は名をロイといった。彼の問いに、ディランとゼフィアーは顔を見合わせる。少し視線をずらしてみれば、この家の息子が興味深そうに二人を見上げていた。

 わけを話すかどうか、ディランはつかのま迷ったが、結局当たり障りのない程度に話すことにした。

「リフィエには補給のために寄っただけですよ。目的地はカルトノーアです」

「届け物をしに行かなければならんのだ」

 ディランがさらりと説明すると、横でゼフィアーがしかつめらしい態度で付け足す。

 親子がそれを聞いて、ぽかんとした。

「カルトノーア? そりゃまたずいぶん、遠いところに行くなあ」

 ロイが感心したような声を上げる。そこで、レビが目を丸くした。

「って、リフィエここ経由でカルトノーアに行くということは、南の森林を通るんですか!?」

「そういうことになる」

 ディランはあっさり認めた。

 レビが目を輝かせながら、うわあ、と呟く。一方で、ゼフィアーは首をかしげていた。

「驚くほどのことか?」

「……ま、なんのかのと言って、大きな森ではあるからな。野獣も夜盗も、ときには出るし」

 けれど、長いこと放浪の旅をしてきたディランとゼフィアーにとっては、そのくらいの障害は障害にもならない。むしろ、小包を狙う黒装束に奇襲をかけられる可能性の方が心配だった。

 二人がそんなことを言いあっていると、ロイが手を打った。

「たくましいもんだな。でも、そういうことならきちんと物は揃えなきゃだめだぜ!」

「無論だ。そのために、今こうして買い物をしているのだからな」

「はは、違いねえ!」

 ゼフィアーの切り返しに笑うと、店主は後ろを向いてごそごそしはじめた。品物を確かめているようだ。しかし、途中でその手を止める。おっといけねえ、と呟いてから、頭だけをレビの方へ向けた。

「レビ。二階の倉庫の一番手前に、木箱があるはずなんだが。ちょっくら取ってきてくんねえか?」

「あ――はい! わかりました!」

 それまでぼうっとしていたレビは、養父の言葉を受け、弾かれたように家の中へ飛び込む。どたどたと階段を駆け上がる足音が遠ざかるのを三人はしばし黙って聞いていた。

 ロイが薬草の束を数えているところで、ゼフィアーがカウンターに身を乗り出す。

「なあ、ご主人。ご主人は、レビのことをどう思っているのだ?」

「ん?」

 ロイは、薬草を数える手を止めないままに言う。

「ああ、ひょっとしてなんか見たのか?」

 問う声は暗い。『なんか』が何を指すのか悟った二人は、無言でうなずいた。ロイの表情が曇る。

「そうか」

 彼はぽつりと、それだけこぼしてから、口元に笑みを刻んだ。嘲りにも似た苦笑。太い指が、薬草をひもで束ねる。木でできたカウンターの上に言葉がこぼれた。

「あのとおり、いい子ではあるんだよ。礼儀正しくて、よく働く。それは俺も、家内も、村の衆もわかってることだ。――けどな、どうも『よそ者だ』っていう意識が抜けきらないんだ。本当の子どものように育ててやりたい、そう思っても、心の片隅では『こいつはどこの者とも知れない旅人が落としていったガキだ』って考えて距離を置いちまう」

 それは、長い間この地に暮らしてきた人々にとって、当然の感覚ではあるのだろう。

 自分たちの住処を、家族を守るため、部外者を排除しようとする。根っからの「流れ者」であるディランに、その感覚を本当の意味で理解することはできないが、なんとなくそう思うだろう、というのは予想ができる。

「それに……見ててわかると思うが、レビはまとう空気からして村人と違うだろう。なんというか、浮いてる、というか」

「ああ――」

「それは、確かにある」

 相槌をうつディランの横でゼフィアーも呟いた。レビのまとう空気は「旅人」のものに近いのだ。ひとところに縫い止めきれず、そのうちどこかへ飛んでいってしまいそうな雰囲気。だからこそ村の人たちも彼を受け入れきれないままでいる。

「むう、なるほどな」

 ロイの「答え」を聞いたゼフィアーがまた考え込む。ディランは小さく首を振った。彼女なりに理解しようとして、余計に迷っている感じがある。大丈夫だろうか、と思うが、彼女の真摯な態度が新鮮で心地いいのもまた事実だ。

「すいませんね。余計なこと聞いちゃって。――でも、自分たちが助けた子のことですから、気になっちゃうんですよ、ゼフィーは」

「あんたら優しいんだな」

 ロイはそう言って薬草を手渡してきた。ディランはあらかじめ要求されていた銅貨十五枚を差し出しながら――ロイの言葉にさりげなく自分が含まれていたことに気付き、首をひねった。

 すると、ロイが意外そうな顔をする。

「なんだ、兄ちゃん自覚ないのか?」

 少年はなんのことです、と言おうとして、結局黙りこんだ。

 直後、カウンターの横の扉の向こうから、小さな足音が聞こえてすぐ消えた。

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