第4号線「いつ帰ってくるのでしょうか」

 ララから差し出された紅茶を啜りながら、俺は彼女の話を聞いていた。

 ララは俺に確認をしてから正面に座り、この店について、マスターについての話を、楽しそうに話した。この店が営業を開始してすぐに、彼女はここのマスターに買われ、以来5年間この喫茶店を共に切り盛りしてきたらしい。紅茶の淹れ方についても、その5年間の間に仕込まれたのだとか。若い男性のマスターは非常にララを大切にしていたようで、共に庭の手入れや倉庫の整理をしたり、メンテナンスもこまめに行ってくれたりと、彼女にとって綺麗な思い出を沢山残していた。昔は本物の兎も飼育していたらしい。

 そしてそのマスターは「買い出しに行ってくる」と言ったきり、以来48年間、ここに戻ってこない。

 俺は相槌を打ったり、時折「へぇ」と声に出したりして、彼女の話を聞いていた。彼女は「人とお話をするのはとても久しぶりです」と、終始楽しそうにしていた。

 その顔には相変わらず、何の表情も張り付いていない。


 ルリハは、ずっと黙っていた。



 「マスターはいつ帰ってくるのでしょうか」



 ララが、ふと窓の外の遠くを眺めてそう呟いた。

 一瞬、右耳のイヤフォンから「あっ…」と声が漏れ、俺はルリハの言葉を待ったが、彼女は結局、沈黙を守るだけだった。


 ララの言葉だけが真っ白い空間に残響し、店内は静寂に包まれた。空に浮いた人間の領域や高く聳え立つ木々の間から溢れる日光は、入店時よりも少し低い位置から差し込んできている。時間を確認すると、もうこの店に1時間も居座っていた。


 クソッタレ、と思った。


 「あ、そう言えばショウさん、お願いがあるんです!」

 ララが何かを思い出したようにそう言って立ち上がる。その動きに合わせて、彼女の頭上のうさぎ耳が揺れ動く。

 その仕草を愛おしく思っていたであろう男に心の中で悪態をつきつつ、俺は彼女を見上げた。満月のような頭部が、俺を見つめている。

 「少し前に、手紙を見つけたんです。店の奥の棚に入っていたので恐らくマスターが残したものだと思うんですけれど、私、10年前から映像の認識ができなくなってしまったので、読めなくて…。でも、とっても内容が気になるんです。だから、代わりに読んで頂けませんか?」

 「いいよ。…いいけれど、その前に」

 俺はそう言ったはいいものの、少し言葉を渋る。



 〝10年前から映像の認識ができなくなってしまった〟



 「…あのさ、10年前、目が見えなくなったのは、どうして?」

 「見えなくなった理由ですか?えーっと…。10年前にも人間のお客様が3名、いらっしゃったのですが、注文を聞こうと思ったら、私、何故か少しの間、システムダウンを起こしてしまったんです。再起動した時にはもうお客様は帰ってしまっていたのですが、そのときから、映像認識にエラーが出ています」

 「そうか。その客はどんなヤツらだった?」

 「男性でしたが、布やヘルメットでお顔が隠れていたので、年齢や人相までは記録していません」

 彼女は屈託ない声で答えた。

 俺は「そうか、わかった、ありがとう」とだけ答えて、それ以上の追求をしなかった。察しはついていたが、予想どおりの結果に少し拍子抜けする。


 彼女はロボットだ。AIと違って、ロボットは〝学習〟ができない。プログラムされたことを実行するだけだ。「紅茶の淹れ方を仕込まれた」というのも、教えられ練習したわけではなく、単純にマスターが何度もプログラミングを重ねて試験的に紅茶を淹れさせ、微調整をしていただけに過ぎないのだろう。

 彼女は一貫して、俺の質問に事実を答えるだけだ。

 いや、それは事実ではない。真実でもない。それは彼女の〝認識〟だった。

 彼女は一貫して、被害者だった。



 ララの後について店の奥に入る。店の奥の部屋は棚の他にも無骨な椅子やベッドがあり、マスターの生活空間だったことが伺える。相変わらず全て真っ白だったのだが、ララが「えーっと、どの棚だったかな」と言って開いていく棚の中は、落ち着いた緑色や橙色をしていた。流石の彼女も棚の中までは、その色を失わせるほどに手入れなどするまい。当たり前だ。当たり前なのだけれど、真っ白な世界で色が少しずつ飛び出してくる光景は、まるでこの部屋が少しずつ時間を取り戻していくようで、なんだか自分が、この部屋の過去にタイムスリップしていくような感覚だった。


 「あっ、ありました!これです」

 彼女の声で、俺はハッとして現在に戻ってくる。


 彼女から差し出された封筒には、堅い文字で〝ララへ〟と宛名が書かれていた。


 俺は、封筒を開いて、中から手紙を取り出した。

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