⑯容赦の無い品定め

 前年から一人暮らしをしている美恵が帰って来た為、藤宮家では久しぶりに家族全員が顔を揃えて、和やかに夕食を食べていた。すると食後のお茶を飲みながら、美恵がさり気なく実家に帰って来た用件を口にした。


「お父さん、姉さん、義兄さん。私、結婚を考えている人がいるの」

「ほぅ?」

「あら……」

「えーちゃ?」

 淡々と口にされた内容に昌典は軽く眉を上げ、美子は軽く目を見開き、妹達が無言で固まる。何やら周囲の空気が微妙に変化したのを敏感に察した美樹が、美子の隣で子供用の椅子に座ったまま不思議そうに叔母に目を向けたが、ただ一人秀明だけは素直に祝いの言葉を口にした。


「そうなんだ。おめでとう、美恵ちゃん」

「ありがとう、お義兄さん。それで」

「その人は入籍前に、ちゃんと家に挨拶に来るんでしょうね?」

 自分の言葉を遮って疑わしげに確認を入れて来た美子に、美恵は若干ムッとしながらも怒りを抑えて応じた。


「……今月末に帰国するから、その後に連れてくるわ」

 その言葉に、美子は不思議そうに問い返す。

「あら、その人は今、海外出張でもしているの? どんなお仕事をされてる方?」

「冒険家よ」

「え?」

「は?」

 さらっと告げられた言葉に、美恵以外のその場全員が、驚きの表情になって絶句した。そして一番先に気を取り直したらしい美子が、含み笑いを漏らす。


「……それはなかなか、面白そうな方ね」

「…………」

 美子と美恵が静かに睨み合う中、妹達は顔を寄せて囁き合った。


「ぼ、冒険家って、職業って言えるの? どこを冒険するの? 地球上で探検されてない所なんてないんじゃない? あ、宇宙とか?」

「馬鹿な事を真顔で言わないで。第一それだと、宇宙飛行士でしょうが。ええと……、今時、未開の辺境とかを探検ってわけじゃないでしょうから、ヨットで海を横断とか、大陸をオートバイで横断とか、気球で世界一周とかかしら?」

「はっきり言えるのは、金儲け度外視の酔狂な人間のやる事よね。美恵姉さん、最近男の趣味が変わったのかしら? 以前は『男の価値って、女にどれ位貢ぐかよね』とか言っていたのに」

 未だ唖然としている秀明の耳にもその囁きは聞こえていたが、その横で美子が、美実と同様の推測をしながら他人事の様に言い出した。


「冒険家なんて、企画を立ててメディアに売り込んだり、スポンサー探しをするのが大変よね? 定職に就けないから、生活費はバイトで稼ぐしか無いだろうし……」

 そう言ってわざとらしく溜め息を吐いた姉を、美恵が険しい表情で睨み付ける。


「嫌味のつもり? 言っておくけど、旭日食品や関連会社に彼のスポンサーに付いて貰うつもりはないし、康太は自分の生活費位、自分で稼げるわよ」

「それなら、あなたの生活費はどうするの?」

「これまで通り、自分で稼ぐわよ。会社の運営が軌道に乗ったばかりだから、仕事を辞めるつもりは無いし」

「あら、まあ……」

 如何にも大仰に驚いて見せた美子に、美恵が早くも噛み付く。


「『何て甲斐性無しなの?』とか言わんばかりの顔、しないでくれる!? ムカつくから!」

「被害妄想気味ね。頭を冷やした方が良いわよ?」

 しかし美子は美恵の非難の声を物ともせず、淡々と話を進めた。


「取り敢えず話は分かったわ。お父さんの予定と摺り合わせて、一度皆で顔を合わせる機会を作りましょう」

 それを受けて、この間黙っていた昌典が会話に加わる。


「そうだな。美恵、因みに相手の名前は?」

「谷垣康太よ」

「分かった。覚えておこう」

「それじゃあこれまで通り、どこかの日曜のお昼に皆揃ってご飯を食べながら、谷垣さんのお話を伺いましょうね」

「話は終わりよ。帰らせて貰うわ」

 にこやかに美子が話を纏めると同時に、美恵が不機嫌そうに立ち上がった。それを見た美子も、椅子から腰を浮かせる。


「あら、もう帰るの? じゃあお惣菜を持たせてあげるから、ちょっと待って」

「良いわよ。ちゃんと食べているし」

 余計なお世話だと言わんばかりに素っ気なく言い返した美恵だったが、美子は構わずに台所に向かいながら妹に言い聞かせた。


「食べていると言っても、外食ばかりでしょう? もうタッパーに詰めて、台所に準備してあるから。玄関で待っていて」

「……分かったわよ」

 微妙に押しが強い姉に、それ以上逆らう気は無かったらしい美恵は、ブスッとしながらも頷き、他の者に短く別れの言葉を告げた。


「じゃあ、また来るわ」

 そうして美恵と美子が食堂から出て行くと、美子の代わりに美樹をあやしながら、秀明が昌典に問いかけた。


「お義父さん。さっき美子が『これまで通り』と言っていましたが、今までに似たような事があったんですか?」

「ああ。美恵が結婚を考えている相手を家族に紹介するのは、今度で四人目だ。秀明が家に来てからは初めてだな」

「そうですか。それでは……、美恵ちゃんは、これまでに三回婚約解消したという事ですか?」

 初めて聞く話だった為、一応控え目に尋ねてみると、昌典は彼から微妙に視線を逸らしながら、意味不明な事を呟いた。


「……一番最初は、特上鰻重だった」

「はい?」

 何やら重々しい口調のそれに、秀明はわけが分からないまま問い返したが、そこで恍惚とした表情で、美幸が口を挟んでくる。


「あれ、凄く美味しかったな~。ここら辺でも美味しいって評判の、老舗の特上だったし」

「普段は『子供には贅沢です』って頼んでくれないのに、私や美幸にもきちんと一人前だったわよね」

「食べた後が最悪だったけどね……」

「何かあったのか?」

 美野もうっとりしながら相槌を打ったものの、一転して美実が苦々しい口調で続けた為、秀明は怪訝そうに義妹達に尋ねた。すると彼女達が、口々にその時の状況を説明してくる。


「終始にこにこしていた美子姉さんが……。その人が帰った瞬間、『こんなにご飯粒を食べ散らかす様な男、あちこちで女を食い散らかしてるわよ』って激怒したの」

「それに美恵姉さんが『そんなの、偏見以外の何物でも無いわよ! まともに男と付き合った事も無いくせに、大きな顔しないで!』って怒鳴り返して」

「その後暫く、家の中の空気がもの凄く悪かったんだけど……。少しして、その男が三股かけてたのが分かって、美子姉さんがそいつの職場に乗り込んで、殴り倒してきたらしいわ」

 淡々と美実が言った内容について、秀明は思わず確認を入れた。


「ちょっと待った。その馬鹿男を殴り倒したのは、美子じゃなくて美恵ちゃんだろう?」

「いや、美恵ではなくて美子だ。しかもあの後、即行で腕利きの弁護士を雇って、暴行をふるった事を無かった事にした挙げ句、相手から慰謝料をふんだくっていたな」

「…………」

 どこか遠い目をしながら語る義父に、秀明は思わず黙り込んだ。すると美幸が、次の話題を出してくる。


「二回目は、特上の握り寿司だったよね?」

「あれも美味しかったわ」

「食べている最中、どうしようかと思ったけど……」

「……何があったんだ」

 盛大に溜め息を吐いた美実に、嫌な予感を覚えながら秀明が尋ねると、義妹達はチラリと互いの顔を見合わせてから、順番に話し出した。


「それが……、四人前の寿司桶を二つ持ってきて貰ったんですけど、普通何人前って言ったら、すしネタはその桶の中に人数分ずつ揃えて握ってくれますよね?」

「普通、そうじゃないのか?」

 控え目に美野が確認を入れてきた為、それはそうだろうと思いながら秀明が頷くと、美実が苦々しげに告げた。


「それなのにその人、『美味い美味い』って絶賛しながら、雲丹とか車海老とか高いのばかり何個も食べたのよ」

「そのせいで私あの時、雲丹が食べられなかったんだから!」

「それは……」

 憤然としながら文句を口にした美幸に、秀明はさすがに何と言えば良いか分からなかった。


「美子姉さん、終始笑顔で『お好きなだけ召し上がって下さいね』と言っていたけど、それを真に受けて他の人間の分までガツガツ食べてたあの馬鹿が帰った途端、『あんな食い意地が張って、礼節を弁えない男、金に汚いに決まっているわ。衣食足りて礼節を知ると言うのは本当ね』と言い放って」

「美恵姉さんが『自分が食べたい物が食べられなかったからって八つ当たり? それなら最初から一人前の寿司桶を、人数分頼めば良いでしょう!?』と言い返して、大喧嘩になりました」

「それから少しして、その人が勤務先の会社のお金を使い込んでいたのが発覚してクビになって、どこかに行方をくらまして自然消滅」

「……なんかもう、言葉がないな」

 半ば呆れて溜め息を吐いた秀明だったが、義妹達の打ち明け話はまだまだ続いた。


「それで三人目は……」

「美子姉さんがどこに何を頼んだかは、その時になるまで誰も知らなかったんですけど……」

「もう、料理が出た時点で駄目だと思ったわ」

「何だったんだ?」

 三人揃って、沈鬱な表情になって話し出した為、秀明は何事かと思いながら尋ねると、美実が端的に告げた。


「中華料理屋のオードブル」

「何か少し、レベルが下がったみたいだが……」

 思わず正直な感想を漏らすと、美野が追い討ちをかけてくる。


「この界隈でも、美味しくないって評判のお店のだったんです」

「率直に言えば、評判通りの味だった」

「一気にレベルが下がりましたね……。それで? どうなったんですか?」

 昌典がぼそりと会話に加わってきた為、秀明は僅かに顔を引き攣らせながら、結果を尋ねてみた。すると彼女達は再度顔を見合わせてから、ぼそぼそと話し出す。


「それが……、どう贔屓目に見ても美味しくなかったのに、その人それを褒めちぎって食べまくって。私達の事も、ヨイショしまくりだったよね?」

「でも料理に対するコメントが、殆ど内容が無かったし、私達に対する美辞麗句も、完全に上滑りしていたもの」

「あれなら、言わない方が遥かにマシよね」

「普通の人間だったら、あんな物を出された時点で、歓迎されてないと察する筈だがな」

「…………本当に料理も男も、レベルがガタ落ちだったんですね」

 とどめを刺した形の昌典のコメントに、秀明は深々と溜め息を吐いた。


「そして終始にこにこしていた美子姉さんが、その人が帰った途端、『ろくな物を食べていなくて品性卑しいだけに限らず、空気が読めない上、褒め言葉もまともに口にできないなんて、職場の人間関係に問題ありね。そのうち上に愛想尽かされて飛ばされるわよ』とばっさり切り捨てて」

「美恵姉さんが『不味いと分かってる物をわざと出す方が、遥かに人間性に問題あるわよ! このギスギス女!!』と激昂して、取っ組み合いの喧嘩になって」

「止めようとした私達三人、とばっちりで怪我をしたのよ」

「その翌月、その男が福岡への配置転換になってな。美恵に一緒に来てくれと言ったらしいが、美恵は仕事を辞める気は無かったから別れたと言っていた」

「……そうですか」

 洗いざらい聞いた秀明は、余計な事は言わずにただ頷いたが、義妹達は懸念を口にし始めた。


「今度はどうなるのかな?」

「今までは普通の会社勤めの人ばかりだったけど、何と言っても今度は冒険家なんて言っている人だもの……」

「なんかもう、全然予測が付かないわね。その日、何か予定を入れようかしら?」

「あ、狡い、美実姉さん! それだったら私もパス!」

「そんな事言っても……。これまでも『こらから家族になるかもしれない人が、初めてご挨拶に来るんだから、こちらだって一家揃って歓待するのが筋でしょう』っていって私達を同席させていた美子姉さんが、ちょっとやそっとの理由で出かけるのを許してくれるとは思えないわ。嘘をついて出かけても、後でばれた時が怖過ぎるし」

「そうよね……。諦めなさい、美幸」

「そんなぁ……」

 そして三人揃ってうんざりした表情になっている中、昌典が弁解するように秀明に話しかけてくる。


「秀明。美恵はこれまでの傾向からすると、付き合う男は多いが、男運があまり良くないみたいでな。美子は美子なりに、結構心配しているらしい」

「はぁ……」

 なんとも微妙な話に、珍しく秀明がコメントに困っていると、美恵に惣菜を渡した美子が食堂に戻ってきた。


「まま~、えーちゃ?」

「美恵叔母さんは帰ったわよ? また来るから、その時に遊んで貰いましょうね?」

「うぅ~、や! えーちゃ!」

 久しぶりに顔を見せた叔母に懐いている美樹は、彼女の帰宅を知って忽ち不満そうな顔付きになり、それを美子や他の者達があやして宥め始めた為、自然とその話はそこでおしまいになった。


 その日の夜。秀明が風呂から上がって寝室に入ると、壁際の机の前に座り、パソコンのディスプレイを凝視している美子の姿が目に入った。

「……ふぅん? へぇ……、なるほどね……」

 何やらブツブツと呟きながら、手元の小さなノートに何やら書き込んでいるらしい美子に、秀明は斜め後ろから近寄りながら声をかけてみた。


「美子?」

 その声に、彼女が笑顔で振り向く。

「あなた、お風呂は上がったのね。パソコンを使う?」

「いや、明日までに仕上げておく物は無いし、社のホストコンピュターに繋いで確認する様な事も無い。何を見ているんだ?」

「谷垣康太さんが開設している、ブログの記事を追っていたの」

「……どうしてそんな事を?」

 あまり良い感じはしなかった秀明が確認を入れると、美子はにこやかに笑いながら言ってのけた。


「今度お招きする事になったから、谷垣さんの嗜好の確認と、おもてなしの対策を練る為の情報収集よ」

「何か分かったか?」

「ええ、それなりに。きっとご満足して頂けると思うわ」

「そうか」

 笑みを深めて頷いた美子に、秀明も相槌を打つ。すると美子は、その笑みを若干不敵で不穏な物に変化させつつ、話を続けた。


「念の為、金田さんにもちょっと調べて貰おうかと思ったんだけど、それはしなくて済みそうよ。プライベートな事で話を持ちかけなくて良かったわ」

「……それは良かったな」

(当日外せない用事を、どうにかして作りたくなってきた)

 どうにも波乱の展開しか予測できなかった秀明は、義妹達同様、その場に同席するのを回避する方法を、半ば本気で模索してしまった。

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