(18)秀明の郷愁

 東京から新幹線で名古屋まで移動し、在来線に乗り換えて暫し。それから私鉄に乗り換えて数駅移動して、とある駅のホームに降り立った美子は、土地勘が皆無の地域だった為、駅名を見ても正直位置関係が分からなかった。


「ここなの?」

 改札を通り抜けて広くない駅舎を抜けて駅前に出ると、ロータリーの隅の方に誰かを送って来たらしい白のクラウンが一台停車しているだけで、タクシー乗り場には一台も停車していない、閑散とした光景が広がっていた。それを見ながら問いかけた美子に、秀明が首を振って否定してから携帯電話を取り出す。


「いや、町に駅が無いから、隣町のここからバスかタクシーになるんだ。いつもは何台か居るんだが……、ちょっと駅舎の中で待っててくれ。すぐに呼ぶから」

「ねえ」

「何だ?」

「気を遣われすぎて、気味が悪いんだけど。朝から全然、あなたらしくないわよ?」

 その指摘に、秀明は指の動きを止めて、美子を見下ろした。


「……言っている意味が分からないが?」

「駅で待ち合わせていた筈なのに家まで迎えに来るし、『飲み物は?』とか『寒くないか?』とか、変に細かい事に気を遣うのがらしくないって言ってるの。まさかとは思うけど、緊張しているの?」

 真正面から睨み付ける様に言われ、秀明は本当に彼らしくなく口ごもった。


「緊張……、しているかもな」

「どうして?」

「女をここに連れて来たのは、初めてだし」

「そうなの?」

「ああ……。それが」

 そこで尚も何かを言いかけた彼の台詞を、第三者の声が打ち消した。


「秀明!?」

「え?」

「あら?」

 美子が驚いて声がした方を振り返ると、先程クラウンの前で立ち話をしていた自分達と同年代に見える男性が、驚いた表情で近寄って来るのが見えた。そして秀明の前にやって来た彼が、嬉しそうな顔になって話しかけてくる。


「やっぱりお前だったか。どうした、こんな時期に。命日でも盆や彼岸でも無いのに、顔を出すなんて珍しいな」

「ちょっと野暮用があって。元気そうだな、靖史。景気はどうだ?」

 珍しく隔意の無い笑顔で対応している秀明に、美子は(珍しい物を見たわ)と密かに思ったが、相手にとってそれは普通だったらしく、平然と笑顔で言葉を返してきた。


「相変わらず、パッとしないな。今日は内覧に来た客をここまで送って来たんだが、まさか秀明に会えるとは思わなかった。……ところで、こちらの女性は?」

「ああ、俺の嫁になる予定の女だが」

「え!?」

 サラッと秀明が紹介すると、何やら相手が驚愕しているのは分かったが、恐らく秀明の昔からの知り合いだろうと見当を付けた美子は、笑顔で挨拶した。


「初めまして。藤宮美子と申します」

「普通の人だ……」

「はい?」

 何故か呆然と呟かれてしまった為、美子は首を傾げたが、次の瞬間自分が何を口走ったのかを自覚した彼が、狼狽しながら必死に弁解してきた。


「あ、あのっ! すみません! 本当に変な事を口走って、申し訳ありません!! その! 秀明は昔から色々桁外れな奴だったので、もし結婚するなら同じ様に色々突き抜けてる女性じゃないかと、これまで勝手に思い込んでいまして! 藤宮さんの普通っぷりに、度肝を抜かれたと言いますか、何と言いますか!」

「あの……、仰りたい事は良く分かりましたから、落ち着いて下さい」

 眼鏡を持ち上げ、額に浮かんだ汗をハンカチで拭きだした相手が気の毒になった美子は彼を宥めようとしたが、横から秀明がフォローにもならない事を言ってくる。


「そうだぞ、靖史。第一、女を見た目で判断したら駄目だ。こいつはこう見えて、色々突き抜けているからな」

「……秀明さん」

 思わずジト目で秀明を見やると、目の前の彼は何とかしようと話題を変えてきた。


「ええと……、ところで秀明。これから寺に行くんじゃないのか? タクシーも居ないし、送って行くから」

「いや、それは」

「どうせ町に戻るところだし、途中で花屋にも寄るから」

 一応断ろうとした秀明だったが、重ねて言われて彼の好意に甘える事にした。


「じゃあ、そうさせて貰うか」

「ああ、遠慮するな。藤宮さん、あそこの車です。どうぞ」

「ありがとうございます。あの……」

 そして三人で白のクラウンに向かって歩き出しながら、美子が物言いたげな視線を向けると、その意味が分かった秀明は、うっかり失念していた友人の紹介をした。


「ああ、こいつは俺の小中時代の同級生で、勝俣靖史。今は不動産業を営んでいる、社長様だ」

 それを聞いた勝俣は、苦笑しながら秀明の腕を軽く叩く。


「先祖代々の土地を切り売りしているだけの、しがない三代目だ。大仰に言うなよ」

「お世話になります、勝俣さん」

「いえ、本当に戻るついでですから」

 そして笑顔で応じた勝俣が、小声で「いやぁ、普通の女性だよなぁ。皆に知らせたら仰天するぞ」と呟いていたのを、美子は聞かなかったふりをした。


 それから後部座席に秀明と並んで乗せてもらい、駅から離れた車の中から窓の外を眺めていた美子は、十分程走った頃、秀明達の話の内容から目指す町内に入った事が分かった。

(う~ん、なんとなくここら辺が町の中心部だと思うし、取り敢えず一通り商店や個人経営の医院は揃っている感じだけど……)

 都心と比較するのは間違っているとは思いながらも、お世辞にも活気溢れるとは言い難い中心部の光景に、美子は内心で密かに困惑した。そして男達の会話も、必然的に美子が目にしている光景に関する事になる。


「町は相変わらずみたいだな」

「今更、画期的な再生プランとか出す空気でも無いし、仕方がないだろうな」

「町長って、今何期目だ? 俺達が中学の頃からやってる気がするが」

「確か五期目だったか? 最近は対立候補も出なくて、議会も停滞してる感じだな」

 そんな会話を交わしてから、勝俣が運転席から突然声をかけてきた。


「藤宮さん。予想以上に寂れている感じで、驚きましたか?」

 その予想外の問いかけに、美子は半ば動揺しながら言葉を返した。


「いえっ! 想像も何も、これまでこの人から、この町の話を全然聞いた事が無かったですし。取り敢えず必要最低限の店舗や行政組織や医療機関がこじんまりと纏まっているので、それなりに宜しいんじゃ無いでしょうか?」

 何とか角が立たない様にと、必死に捻り出した言葉を聞いて、秀明は笑いを堪える表情になり、そんな彼を美子は無言で睨んだ。対する勝俣は笑いはしなかったものの、何やらしみじみとした口調で感想を述べる。


「なるほど……、『こじんまりと』か。上手い事を仰いますね。あ、勿論、これは皮肉じゃ無いですよ?」

「……どうも」

「俺達が子供の頃は、もう少し賑やかだったんですが。緩やかに寂れている感じですね」

「そうですか……」

 それ以上何も言えずに黙り込んでしまった美子だったが、タイミング良く一軒の花屋の前で、勝俣が車を停めた。


「秀明、行って来い」

「ああ。すまん、ちょっと待っていてくれ」

 そして秀明が店内に入り、何やら店員と会話しているのを眺めていると、勝俣が運転席から軽く身体を捻って、美子に尋ねてきた。


「これからどこに行くのかは、秀明から聞いていますか?」

 その問いに、美子は溜め息を吐いてから答える。

「何だか、朝かららしくなく緊張しているみたいなので、言っていない事に気が付いていないかもしれませんが、江原家のお墓ですよね?」

 その問いかけに、勝俣が頷いて話を続ける。


「正確に言えば、あいつが建てた母親の墓ですが。あいつの母方の近親者はいないし、母親の従兄弟辺りはいるみたいですが、関係を絶たれていますので」

「そんな事だろうとは思っていました。別にどうという事はありません」

 平然と美子が応じると、勝俣は安堵した様に顔を綻ばせた。


「それなら良かった。部外者の俺が口を挟む事じゃありませんでしたね。秀明の事を、宜しくお願いします」

「いえ、気を遣って頂いて、ありがとうございます」

 そんなやり取りをしていると、菊の花束を手にした秀明が戻って来た。


「待たせたな」

「じゃあ行くか」

 そして何事も無かった様に車は再度走り出し、とある寺の山門前に到着した。そして降り立った秀明が、座ったままの勝俣に礼を述べる。


「助かった、靖史。ありがとう」

「帰りはタクシーを呼べよ? 番号は控えてあるよな?」

「ああ、大丈夫だ」

 普段の秀明のイメージからは、かなり隔たりがあるその表情と口調に美子はかなり好奇心をそそられたものの、走り去る車を見送ってから秀明に促されて境内に入った。そして本堂の脇に置いてある桶と柄杓を借り、水も水道から汲んで重くなった桶を手に提げて歩き出す。


「悪いな。昔からある墓は本堂の近くにあるんだが、徐々に山を切り開いて墓地を造成したから、最近の墓ほど上に位置しているんだ」

 緩やかな坂道を上りながら秀明が説明すると、墓地と言えば平地に広がっているか、住宅に囲まれた狭い空間のイメージしか無かった美子は、軽いカルチャーショックを覚えながら正直な感想を述べた。


「なるほどね。こういうお墓は初めて見たわ。まるで段々畑ね」

「段々畑か。そいつはいい」

 何がそんなにツボに入ったのか、秀明はおかしそうに笑い出した。そして美子が(何もそんなに笑わなくても)と臍を曲げかけた所で唐突に笑い声が止み、周囲を見回してその理由を悟る。


(ここね……。確かに江原家之墓じゃなくて、江原優香之墓だわ。それなりに、お金はかけているみたいだけど……)

 秀明が黒光りしている墓石の前に屈んで、黙々と枯れた花や雑草を取り始めた為、美子は持っていた花束の包み紙を解いて花を飾り、二人で墓石を清めた後、秀明が持参して来た線香を上げた。


(別に、懇切丁寧に説明しろとは言わないけど。他人の事は言えないけど、本当に面倒くさい男。お母さんもこんなのを育てるなんて、相当苦労したわよね)

 しゃがみ込んで手を合わせながら、顔も見た事の無い故人に想いを馳せていると、静かに立ち上がった秀明が何気ない口調で話しかけてきた。


「ここに来るまでに、町の様子を見て来ただろう?」

「そうね。それが?」

 美子も立ち上がりながら尋ね返すと、秀明はいつもの辛辣な口調で言ってのけた。


「随分昔に鉄道の駅の誘致に失敗し、高速道路の出入口の誘致にも失敗し、大型商業店舗の誘致にも失敗し、最近では周囲の自治体広域合併にも取り残された、ショボ過ぎる町だ」

「……他の場所に住んでいる人間が、どうこう言う問題では無いと思うわ」

 急にいつもの状態に戻った彼を、美子が頭痛を覚えながら窘めると、ここで秀明はガラッと話題を変えてきた。


「三年位前に、言ってただろう? 俺の母が、どうして俺を産んだのか分からないし、気が知れないって」

 見に覚えがあり過ぎた台詞に、美子は故人に申し訳ない気持ちになりながら、素直に謝った。


「確かに言ったわね。言い過ぎだったと反省しているわ」

「本当の事だから謝らなくて良い。俺も一度聞きたかった位だ」

「そうなの?」

 苦笑交じりにそんな事を言われて美子は戸惑ったが、秀明は真顔で頷いた。


「聞いたら否定的な言葉が返ってきそうで怖くて、とうとう最後まで聞けなかったが。俺はガキの頃は、まだガラスの心臓の持ち主だったからな」

「繊細な頃のあなたに、一度会って見たかったわね」

 思わずからかう口調で口を挟んだ美子に怒る事もなく、秀明は一緒になって小さく笑った。しかし次の瞬間、硬い表情になって話を続ける。


「俺を産んだ理由が、あの血統上だけの父親を愛してたとか、そんなたわけた事だけは無い事は確かだ。理由は分からないが、未婚の母で周囲から白眼視されながら、俺を育ててくれた事に感謝してる。いつも大きくなったら楽させてやると思ってたが、その前にあっさり病気で死んでしまったが」

 その口調に何となく湿っぽさを感じた美子は、わざと明るく言ってみた。


「本当に……、こんなひねくれまくった子供を育てるなんて、お母さんは大変だったでしょうね」

「俺は子供の頃は、素直で明るい孝行息子だったぞ?」

「本当?」

「本当だ」

 真顔で言い切る秀明と顔を見合わせた美子だったが、どちらからともなく笑い出し、すぐに重い空気は吹き飛んだ。そして笑って幾らか気が楽になったのか、秀明が背後を振り返り、眼下に広がる町内を見下ろしながら話題を変えてくる。


「母は元々この町出身だったが母子家庭だった上、母親を早くに亡くして独りになったのを契機に、この町を離れたらしい。そして東京から舞い戻って、この町で俺を産んで育てたんだ。だから母にとっては、家族なんかはいなくても、思い入れがある場所なんだと思っていた」

「そう、なんでしょうね」

「だから中三の夏、母が死んで隣の市の児童養護施設に入る事になった時、いつかは絶対ここに戻って来て、母の墓を建ててやると自分自身に誓った」

「ちゃんと誓いを守ったのね」

「半分だがな」

「え?」

 困惑した美子に、秀明は苦笑してから、再び景色を見下ろした。


「さっきも言った様に、大した魅力も無いしパッとしない町だろう?」

「返答に困る質問をしないで欲しいんだけど」

「だが母と同様に、俺もいつかはここに帰って来るつもりなんだ。殆ど忘れかけていたが、深美さんの事を考えていたら、母の事を考えて自然に思い出した」

「そうだったの」

 どうして急に墓参りを思い立ったのかという理由が分かって、美子は頷いた。そんな彼女に向かって、秀明が冷静に説明を続けた。

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