(13)喪中期間

 一月三日。例年とは打って変わって静まり返っている藤宮邸を、何の前触れも無く従来通り手土産片手に訪れた秀明は、爽やかに挨拶してきた。


「やあ、こんにちは。冬とは思えない穏やかな良い天気で、外出日和だな」

「……どうも。何かご用ですか?」

 玄関で出迎えた美子が、その如何にも胡散臭い笑みに警戒心を露わにしながら来訪の向きを尋ねると、秀明が悪びれなく言ってのける。


「今年は年始客も来なくて暇だろうから、ちょっと来てみたんだ」

 それを聞いた美子の顔が、僅かに引き攣った。

「あなたは年始客ではないと?」

「冷やかし客だ」

「今すぐに回れ右をして、ここから出て行きなさい!」

 ビシッと背後を指して語気強く宣言した美子を、秀明は笑いながら宥める。


「ちょっとした冗談だ。一緒にこれをしようと思ったんだ」

 そう弁解しながら、秀明が持ってきた紙袋の一つから、中に入っている箱を軽く持ち上げて見せた為、美子が当惑して再度尋ねた。


「これって……、オセロ? どうして?」

「白黒だから、喪中にはうってつけかと」

 ひくっと口元を引き攣らせた美子が、何とか怒りを堪えながら、押し殺した声で問いかける。


「……ふざけてるの?」

「一割位は」

「あのね!?」

 さすがにここで声を荒げた美子だったが、ここまで姉の背後で様子を窺っていた妹達が、慌てて玄関に走り出てきた。


「いらっしゃい、江原さん!」

「ささ、どうぞどうぞ上がって下さい!」

「美野! 美幸!」

 秀明の手から手土産を受け取り、こぞって上がる様に勧める妹達を美子が叱りつけたが、いきなり美実に腕を掴まれ、半ば引き摺られる様に奥に向かって歩き出す事になった。


「暇なのは事実なんだし、この際少し付き合って貰いなさいよ」

「美実! ちょっと離しなさい!」

 宥めすかされながら客間へと進んだ美子は、結局不本意ながら、座卓を挟んで秀明と向かい合う事になった。


「それではごゆっくり」

「どうもありがとう、美恵ちゃん」

 タイミング良くお茶を淹れて持って来た美恵が二人の前に茶碗を置いて下がると、秀明はこの間ブスッとしていた美子には構わず、先程玄関で見せた箱の中身を取り出して座卓の上に乗せた。


「さて、準備するか」

 自分のしかめっ面など物ともせず、秀明がボードの両脇に付いている収納ケースのカバーを開けて駒を取り出した為、美子は益々顔を顰めながら声をかけた。


「ねえ……、まさか本当にオセロをする為だけに、家に来たわけじゃ無いわよね?」

 その問いかけに、中央の四つのマスに白黒二つずつ駒を置いた秀明が、顔を上げて不思議そうに尋ね返す。


「それ以外に、ここに来る理由があるとでも?」

 それを聞いた美子が、辛うじて怒りを堪えながら呻いた。

「できれば、他を当たってくれないかしら?」

「美子程、暇そうな人間がいなかった」

「だから! 気安く名前を呼ばないでよ!」

「この前は呼び捨てにしても、一々口答えしないで素直に頷いてたのに」

「…………っ!」

 しょうがないなとでも言わんばかりの口ぶりに、美子は自分の迂闊さを呪ったが、秀明は平然と話を進めた。


「ところで、準備が出来たから始めたいんだが。色はどちらが良い?」

「白」

「分かった。じゃあ俺が黒で先攻だな。始めるぞ」

(全く、どこまでマイペースなのよ! 仕方がないわ。何回か勝負すれば、飽きるでしょうし。それにしても黒……)

 美子の即答に秀明が応じ、手元の駒を一つ取り上げてボード上に置いた。そして挟んだ白の駒をひっくり返す一連の動作を眺めていた美子は、つい深美からの手紙の『黒兎』の箇所を思い出し、無意識ににやりと笑ってしまう。そこで顔を上げた秀明は、その表情を目にして不審そうな顔になった。


「……どうかしたのか?」

「何でも無いわ」

 声をかけられた事で自分の顔が緩んでいた事を自覚した美子は、慌てて気を引き締め、目の前ゲーム盤に意識を集中した。それからは互いに無言のまま、ひたすらに駒を置いたりひっくり返す音が繰り返されていたが、その静けさはそうそう長くは続かなかった。


「…………っ!?」

 終盤に入ってから、置く場所が無くなってしまった美子はパスを何度か繰り返し、それを尻目に秀明は次々と白を黒に変えて、全てのマスが埋まった時には白は二つしか残っていない状態であった。

 これ以上は無い位の惨敗っぷりに、美子は言葉も無く拳を握り締めて自分に対する怒りに震えていたが、その向かい側で秀明が小さく口笛を吹いて、遠慮のない感想を述べる。


「正直、ここまで勝てるとは思わなかったな。実に壮観だ」

 しみじみとした口調のそれを耳にした途端、美子の中で自分に対する怒りは、秀明に対するそれに瞬時に変換された。


「……もう一回」

「え?」

「もう一回やるって言ってるのよ! 勝ち逃げなんか許さないんだから!!」

 ドンと拳で座卓を叩きつつ吠えた美子を宥める様に、秀明は苦笑いで応じた。


「了解。それじゃあ罰ゲームに、美子が駒を元通り揃えて貰えるか?」

「やるわよ。やれば良いんでしょう!?」

(くっ、悔しいぃぃっ! ここまで惨敗したのは初めてだわ! 絶対、見返してやる!!)

 美子は完全に頭に血を上らせながら白黒の駒を二ヶ所に分けて収納し、それを終えてすぐに再戦となった。……しかしその結果は、美子の希望通りにはならなかった。


「ああ、今回はさっきより善戦したな。白が五つ残ってる」

 そんな事を言いながら、どこから取り出したのか、手帳に小型のボールペンで何やら書き込んでいるらしい秀明を、美子が叱りつける。


「何さり気なく記録を付けてるのよ!?」

「ちょっとした記念に。ここまで勝てたのは、記憶に無いから」

(この男、涼しい顔をして! 本当に根性が悪いわね!!)

 憤怒の形相で再び駒を揃え始めた美子を、秀明は変わらず笑いを堪える表情で眺めていたが、そんな二人の様子を、ごく細く開けた襖の隙間から、こっそりと覗いていた面々が存在していた。


「どうなってる?」

 至急の用事を済ませてから、遅れて合流した美恵が声を潜めて尋ねると、軽く後ろを振り向いた美幸が囁いた。


「美子姉さんが、オセロで三連敗したところ。今は四戦目の準備中」

「どうしよう……。美子姉さんの顔が、益々険悪になってきてるんだけど」

「美野、あんたがここで気を揉んでも、どうしようもないから」

 おろおろしている美野と場所を代わり、美恵が襖の向こうを窺い始めると、二人は再びゲームを始めていたが、ここで秀明が何気ない口調で言い出した。


「……ところで美子」

「五月蠅いわね。話しかけないで」

 順番が回って来た為、次にどこへ置くべきかと駒を片手に真剣に悩んでいた美子は、秀明の台詞を素っ気なくぶった切った。それに苦笑した秀明は、美子が駒を置いたのを見てから自身も駒を取り上げ、狙った所に置きながらさり気なく話題を出す。


「両親が亡くなった場合の、一般的な服喪期間と言うと、一年位だよな?」

「そうね。四十九日までは忌中で、一周忌までは喪中じゃない?」

 盤上を凝視したまま、殆ど無意識に答えた美子に、秀明は真顔のまま問いを重ねる。


「その間、祝い事はしないよな?」

 パチンと駒を置きながらの台詞に、美子は駒をつまみ上げながらも、僅かに顔をしかめながら言い返した。


「しないと言うか……、常識的に考えたら、そういう人をわざわざ結婚式とかに招かないものでしょう? 結婚する人が気にしないなら、構わないかもしれないけど」

 そう告げてから盤上に視線を戻し、また難しい顔で悩んだ末駒を置いた美子に、秀明は単なる世間話の様に続けた。


「それなら喪中の人間が、その期間に結婚するのはどうなんだろうな?」

 パチンと黒を置かれて、白い駒がパタパタと連続してひっくり返されていくのを見た美子は、顔を若干引き攣らせながら、苛立ち混じりに言い返した。


「普通はしないものなんじゃない?」

「そうか?」

「だけど結局は、それも当人の考え方次第でしょう。そもそも他宗教の人はそこら辺には拘らないかもしれないし、仏教徒でも婚約する人は婚約するし、結婚する人は結婚するわよ。その前にきちんと忌払いとかをすれば良い筈だしね」

 そして再び自分の番が回って来た為、駒を狙った場所に置いて黒をひっくり返す。すると秀明は駒を掴みながら、真顔で問いかけた。


「美子だったらどうだ?」

「呼び捨ては止めて」

 こちらも真顔で自分の顔を見据えながら宣言してきた為、秀明は苦笑しながら駒を置いた。

「じゃあもし君自身が、今、結婚を考えていたらどうする?」

 その問いかけを、あくまで一般的な仮定の話と認識していた美子は、次の一手をどうしようかと真剣に悩みながら、自分なりの答えを口にした。


「そうね……。『どうしてそんな期間に結婚したんだ』と色々詮索されるのは嫌だわね。デキ婚なのかとか、痛くもない腹を探られそうだわ」

「それはそうだな」

 それに秀明は素直に頷いたが、美子は更に意見を述べる。

「それに相手にだって悪いわよ。『非常識だ』とか『気落ちしてるところに何をつけ込んでるんだ』とか、周りから言われそうだし」

 そう言って駒を置いた美子に、秀明が何でもない様に答える。


「俺は、そういう事は別に気にしないが」

 そこで美子は、挟んだ駒をひっくり返しながら、殆ど無意識で気のない返事をした。


「そう。太い神経を持っていて良かったわね」

「……そうだな」

 あまりにもサラリと返されて、さすがに気分を害した秀明は、腹いせとばかりに次の手で立て続けに白い駒をひっくり返した。


「あぁぁっ! ちょっと!! 何でここでそこに置くのよ!」

「ここが一番ひっくり返せるからに決まってる」

 当然至極とばかりに堂々と言い返された美子は、盛大に顔を引き攣らせた。


「あっ、あなたね……。少しは博愛精神と言うものを」

「そんな物は元から持ち合わせていない。ちょっとムカついたしな」

「私が何をしたって言うのよ! 普通にオセロをしてただけじゃない!?」

 不機嫌そうに言い放った秀明を、堪忍袋の緒が切れた美子が怒鳴りつける。その一連のやり取りを聞いていた彼女の妹達は、襖の後ろで揃って頭を抱えてしまった。


「何であれをスルーするのよ。姉さん、鈍過ぎるわ」

「と言うか、江原さんが何て言って、自分が何を言ったのか、全然意識して無いわね。賭けても良いわ」

「やっぱり何かに集中すると、他の事への注意力が一気に削げ落ちるのね……」

「他に集中してるから、本音だだ漏れとも言えるけど。やっぱり江原さん、正面切って言わないと無理じゃない?」

 美幸が実に真っ当に聞こえる意見を口にしたが、美恵は真顔で首を振った。


「一晩一緒に過ごしたのに、どう見ても江原さんとは何も無かったとしか思えないし。正面切って言って、あの天の邪鬼な姉さんが、素直に頷くと思う?」

「…………」

 どう考えても美子が素直に頷くとは思えなかった為、問われた三人は全く反論できず、黙り込んで項垂れてしまった。


 妹達がそんな風に戸惑いと諦めの境地に至っている事など夢にも思っていない美子と、思惑をはっきりと面に出さないままの秀明は、それからも延々とゲームを続け、結局十回対戦してから切り上げる事になった。


「今日は楽しかった。付き合ってくれてどうも」

「……どういたしまして」

(これ以上は無い屈辱だわ……。十回やって、一回も勝てないなんて)

 一応秀明を見送る為、玄関まで付いて行った美子が、悔しさで歯ぎしりしたいのを必死に堪えていると、靴を履いた秀明が、若干憐れむ様な表情で言い聞かせてくる。


「そんなに落ち込まなくても……。次にやるまでには、博愛精神を身に付けておく様に努力す」

「実力で勝つわよ! 用が済んだならとっとと帰って!!」

 美子は秀明の台詞を遮りつつ怒鳴りつけて玄関から叩き出したが、彼はその扱いに気を悪くするどころか、楽しげに笑いながら藤宮邸を後にした。


「もしもし? 今日のあれは、一体どういう事なの?」

 その日の夜。美恵が電話をかけて日中の事を非難がましく問い質すと、秀明は電話越しに苦笑しながら応じた。


「単に、彼女の様子を見に行っただけだ。思ったより元気そうで良かったな」

「あまり元気じゃ無いですね。あなたに惨敗したショックで、今日は早々に布団をかぶって寝ちゃったんですが?」

 それを聞いた秀明が思わず噴き出した様子が伝わり、少し間をおいてから、何とか笑いを抑えている感じで声をかけてきた。


「そうか。やっぱり情緒不安定気味らしいが、お姉さん思いの妹が四人もいるから、あまり心配はしていないよ」

「それで? 本当に喪中の期間は結婚しない気?」

「別に、急がなければならない理由は無いからな。口さがない連中がつまらない事を好き勝手言うのを、美子の耳に入れたくも無いし」

 完全にいつもの調子に戻って淡々と述べてくる秀明に、美恵が疑わしそうに尋ねる。


「……結構過保護?」

「さあ……、どうかな?」

 そこで電話越しに面白がる様に言ってきた為、美恵はつい冷やかす様な口調で言ってみた。


「まあ、じっくり口説き落とすつもりだって言うのなら、好き好んで邪魔はしないけど。余裕かましてて、いつの間にか横からかっさらわれても知らないわよ?」

 それを聞いた秀明は一瞬黙り込んでから、先程の発言についての感想を、常より低い声で述べる。


「……随分、面白い事を言う」

 その口調に危険な物を察知した美恵は、冷や汗を流しながら慌てて電話を終わらせた。


「一般論よ、一般論。電話越しに凄まないでよね。それじゃあ」

 そして相手を意向を無視して一方的に通話を終わらせた美恵だったが、秀明がかけ直してくる事は無く、沈黙している自身の携帯電話を見下ろしながら、安堵の溜め息を漏らした。


「うっわ。電話越しに冷気感じるって、本当にただ者じゃ無いわ」

 半ば呆れながら感心した台詞を口にした美恵は、思わず今現在その人物の標的になっている、姉の部屋の方に身体を向けた。

「……色々頑張ってね、姉さん」

 そんな諦めを含んだ慰めにもならない言葉を、直接美子が耳にする事は無かった。

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