(11)余計なおせっかい
そのまま愚痴と文句と悪態交じりの泣き声が、暫く続いていたが、次第に美子の泣く勢いが弱まり、頃合いを見て秀明が冷静に声をかけた。
「少しは落ち着いたか?」
「……う、はい。すみません」
我に返って、顔を付けていた部分の布地が自分の涙でしっとりと濡れているのを認識した美子が、気まずそうに身体を離して頭を下げると、秀明が何気ない口調で言い出した。
「それなら寝るか。結構良い時間になったし」
「え? 帰るんじゃないの!?」
まだ深夜と言えるほどの時間でも無かった為、思わず慌てて問い返した美子だったが、それに秀明は盛大に顔を顰めて言い返した。
「これから? その化粧の崩れた酷い顔で? それ以前に、俺は明日までは仕事なんだ。勤務時間が終わっても色々忙しかったから、もう移動するのが面倒だ。このまま寝て、明日早めに起きて移動する」
「……申し訳ありません」
本気で嫌そうに顰められた顔を見て、美子は神妙に頭を下げた。すると秀明が立ち上がって歩き出す。
「じゃあ、皆から預かっておいた物を渡すぞ」
「皆からって?」
戸惑う美子には構わずクローゼットまで行った秀明は、今度は鞄をそのまま持って来て、机の上に持参した物を並べ始めた。
「美恵ちゃんと美実ちゃんからは、美子が普段使ってるクレンジングや化粧品のセット」
「あの二人だったら、知っているわね……」
「美野ちゃんからは、伸縮性の着物ハンガー」
「……気が利くわね」
「それから美幸ちゃんは、パジャマって言ってたな」
さり気なく言われた内容に、美子は微妙に顔を引き攣らせた。
「あの子、何を準備してるのよ。じゃあ皆は、私が今日ここに来てるのは……」
「当然、了承済みだ。社長には適当に誤魔化しておくからと言っていたしな」
「……そうですか」
大き目のポーチやビニール袋、紙袋を説明付きで出された美子は、妹達には今夜の事は筒抜けかと、盛大な溜め息を吐いた。それを見た秀明は、自身の濡れているワイシャツを軽く摘み上げて見下ろしながら、バスルームに向かって歩き出す。
「結構濡れたからちょっと気持ち悪いし、シャワーを浴びがてら着替えてくる」
「あ、はい……、どうぞ」
思わず反射的に頷いてから、美子は改めて渡された物をしげしげと眺めた。
「もう、あの子達ったら、何を考えてるのよ。確かにアメニティグッズはあっても、使い慣れた物の方が良いから嬉しいけど。着物用のハンガーは、本当に助かったわね」
それから手早く帯を解いて着物を脱ぎ、ハンガーを伸ばして着物や帯を掛け、紐などの小物を手早く纏めた美子は、長襦袢に腰紐を締めた状態になってから、美幸が寄こしたという紙袋に手を伸ばした。
「じゃあせっかくだから、これを着ようかしら」
そして中身を取り出そうとした美子は、縁を留めてあるシールを剥がして中を覗き込み、意外そうに首を傾げた。
「……え?」
疑問に思いつつも中に入っている布地を掴んで引っ張り出した美子は、明らかになったその代物を見て、こめかみに青筋を浮かべる。
胸下で切り替えて、フレアーが広がっているハイウエストのワンピースタイプのそれは、色こそ光沢のある明るいアイボリーではあったが、そもそも生地自体がしなやかで薄く、デザイン的にもオフショルダー仕立ての胸元とミニ丈の裾が、幅広く透けているレースのラインになっており、間違っても一般的なパジャマとは言い難い代物だった。
「美幸……。あの子ったら、一体何を考えてるのよっ!!」
元通り袋の中にそれを突っ込み、怒りに任せて叫んでから、美子はこの間すっかり忘れていた物の事を思い出した。
「そうだ、手紙!」
慌ててベッドに戻ると、そこに放置されていた封筒を発見し、美子は思わず安堵の溜め息を漏らす。
「良かった。家に帰って、落ち着いたら読もう」
そしてバッグの中に、美子が渡された封筒をしまい込むと、手早くシャワーだけ浴びて来たらしい秀明が、部屋に備え付けの前開きタイプの寝間着に着替えて、バスルームから出て来た。
「このまま掛けておけば、朝には乾いてるよな? 出勤前に、一度家に戻って着替えるし」
ブツブツとそんな事を呟きながら、着ていた服を抱えて出て来た彼は、手早くクローゼットにワイシャツやスラックスを掛けてから、何となく無言で彼を凝視していた美子に向き直り、不思議そうに声をかける。
「何を呆けてるんだ? 風呂を使って良いぞ?」
それを聞いた美子は、弾かれた様に立ち上がった。
「あ、ええと……、疲れたから顔を洗うだけにするわ」
「そうか。じゃあ、先に寝てる」
「……おやすみなさい」
「おやすみ」
そしてさっさとベッドに入って掛布団に潜り込んだ秀明を眺めてから、美子はコスメ用品を手にしてバスルームへと向かった。
(ええと、本当に大人しく寝るわけ?)
備え付けのヘアバンドを使って顔を洗い、いつも通りのケアを行いながら困惑しきりの美子だったが、恐る恐るバスルームから出て来て相手の様子を窺っても微動だにしていない為、段々腹が立ってきた。
(何かもう、熟睡しているみたいだし。一人で変に意識した私が、馬鹿みたいじゃない。じゃあ手を出して欲しいのかって言えば、そうじゃないけど……)
秀明と自分、双方に理不尽な腹立たしさを覚えながら、美子は寝る為に長襦袢姿のままで掛布団に潜り込んだ。
(この人にしたら、別に私なんか相手にしなくても、不自由はしないんでしょうけどね。全くムカつくったら)
そして腹立たしさで眠れないかもと密かに思っていた美子だったが、色々目まぐるしく状況が変化して精神的に相当疲れていたのか、布団に潜り込んで五分もしないうちに、正確な寝息を立て始めた。それから十分程して、実は寝ていなかった秀明は、隣で寝ている美子を起こさない様に慎重に上半身を起こす。
「さて……、寝たよな? あと一つ、やっておかないと」
そう呟いて床に降り立った秀明は、テーブルの上に置いておいた携帯を片手に、バスルームへと向かった。そして脱衣所に入るなり、電話をかけ始める。
「夜分恐れ入ります、社長」
「全然恐れ入っている様に聞こえないのは、俺の気のせいか?」
打てば響く様に返って来た声に、秀明は思わず笑ってしまった。
「それは気のせいですよ。しかし、如何にも待ち構えていたと言う感じで、出ないで貰えますか? それにもういいお年ですし、そろそろ夜更かしは翌日に響くのでは?」
茶化す様なその物言いに、昌典が気分を害した様に言い返す。
「平気で電話をかけてきた人間が何をほざく。第一、俺はまだ五十代前半だ。それよりも」
「以前言われた事は、遵守していますから。安心して、お休みになって下さい」
「……本当だな?」
若干疑わしそうに確認を入れて来た昌典に、秀明は相手に聞こえる様にわざとらしく溜め息を吐いてから言葉を返した。
「社長に嫌われたくありませんから。深美さんの次に、社長の事は好きですし」
「深美の次だと?」
「はい」
「それなら美子は?」
その問いに、秀明は一瞬真顔で考えてから、彼なりに正直に答えた。
「……社長の次でしょうか?」
「もういい。寝る」
そこで唐突に通話が終了された為、秀明は「微妙に怒らせたか?」と苦笑しながら携帯を耳から離した。
「さて、寝るか。睡眠不足で仕事にならないなんて事、社長が許す筈も無いしな。確認の為に、わざわざ俺の部署に乗り込んで来そうだし」
そしてベッドに上がって再び掛け布団に潜り込んだ秀明は、寝返りを打ったのか、いつの間にか自分と向かい合う形で熟睡している美子の顔を眺めながら、物憂げな表情で囁く。
「二回目だからな……。俺は本当に平気ですよ、深美さん」
そして秀明は、可能な限り睡眠時間を確保すべく、静かに両目を閉じて眠りについた。
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