(10)事の裏側

 望恵から物騒な誘いを受けた翌日の日中、美子は叔父の携帯に電話をかけてみた。


「お久しぶりです、和典叔父さん」

「やあ、久し振りだね美子ちゃん。君の方から電話を貰えるなんて、本当に嬉しいよ」

「今、お時間は大丈夫ですか?」

「ああ、構わないよ。どうかしたのかい?」

「以前頂きました小型特殊閃光弾が役に立ちましたので、一言お礼をと思いまして」

 美子がそう口にした途端、それまでの和典の楽しげな口調が一変し、地を這う様な声で問い返してくる。


「あれが役に立っただと?」

「はい。それでお礼を言うのと同時に、加藤なんとかと言う代議士の事で、叔父さんが知っている事を教えて頂けたら助かります」

 叔父の怒りは分かったが、それは考えない事にして用意しておいた台詞を告げると、相手は冷静に確認を入れてきた。


「加藤? 名前の方は?」

「すみません、先生にお伺いすれば分かるかとは思いますが、わざわざ生徒さんの個人情報を尋ねるのもどうかと思いまして。望恵という名前の、二十代半ばの娘さんがいる方です」

「成程。それでは今回のトラブルは、日本舞踊教室関係、かつその娘絡みか。分かった。議員名簿とプロフィールを確認すれば、見当がつくだろう」

(相変わらず鋭いわね。もう思い当る節があるみたい)

 容易く推察してきた叔父に感心しつつ、美子は話を続けた。


「それと白鳥代議士が最近勘当した三男の事も、分かる範囲で教えて貰いたいのですが」

 それを聞いた和典は、少し意外そうな声で応じた。


「白鳥か……。親しくはしていないが、色々と好ましくない噂は聞いている。息子の件は併せて調べよう。結果は美子ちゃんのPCのメルアドに、送信すれば良いかい?」

「それでお願いします。申し訳ありません、お忙しいのにこちらの都合で無理を言って」

「これ位何でも無いさ。それに普段我儘なんか口にしない美子ちゃんの頼みだ。何だって聞くから、もっと遠慮なく言いなさい」

「ありがとうございます」

 笑って請け負ってくれた叔父に美子が心からの礼を述べると、和典が楽しげに話題を変えてくる。


「そうそう、今度のお袋の誕生日祝いの席には、是非五人揃って顔を見せて欲しいな。お袋が楽しみにしていてね。何と言っても、うちは男ばかりで潤いが足りないし」

「はい、そのつもりでした。お祖母さんに宜しくお伝え下さい」

「ああ。兄さんにも宜しく」

 そんな風に、最後は和やかに会話を終わらせてから二時間後。PCのメールボックスをチェックした美子は、思わず笑ってしまった。


「叔父さん、相変わらず仕事が早いわ。まあ、実際は秘書の方がされているんでしょうけど」

 そう呟いた美子は、まず叔父にお礼の言葉を返信してから、送信されてきた内容を確認し始めた。そして一通り読み終えた美子は、うんざりした顔で溜め息を漏らす。


「なるほど……。白鳥代議士と加藤代議士が与党内で同じ会派に所属していて、こっちは今回完全にとばっちりを受けた形になるわけね」

 そしてPCの電源を落とした美子は、「本当にろくでなしの上、疫病神だわ」と、一人悪態を吐いた。



 美子達の母親である深美(みよし)は、暫く前から東成大医学部付属病院に入院していたが、美子がトラブルに巻き込まれた日から二日後の日曜日、その個室に秀明が顔を見せた。

「深美さん、こんにちは。具合はどうですか?」

 そう声をかけられた時、深美はベッドを半分起こして本を読んでいたが顔を上げ、すっかり顔なじみになっていた人物を笑顔で迎え入れた。


「秀明君が顔を見せに来てくれたから、具合も気分も朝より良くなったわ」

「それは良かった。退院が決まったと聞きましたので、今日はそのお祝いを持って来ました」

「ありがとう。素敵なアレンジメントね」

 黄色とオレンジ系で明るい雰囲気で纏めたフラワーアレンジメントを、深美は笑顔で受け取った。そして彼女が少しの間眺めてから、秀明が再度受け取って窓際の棚の上に飾る。


「手術が成功して、一安心ですね」

 ベッドサイドに戻った秀明が椅子を引き寄せて座りながらそう口にすると、深美はどこか困った様に笑いながら告げた。

「取り敢えずは上手くいったそうだけど……、正直、あとどれ位持つかしらね。私の心臓」

「深美さん?」

 自嘲気味に深美が口にした内容に、秀明が忽ち眉間に皺を寄せた。すると深美は、軽く笑いながら彼を宥める。


「まあ、そんな怖い顔をしないで? 良い男が台無しじゃないの。せっかく目の保養をしているのに」

「分かりました。気を付けます」

 苦笑するしかない秀明が表情を緩めると、今度は深美は幾分残念そうに話を続けた。


「家に戻れるのは嬉しいけど、これまでの様に秀明君の顔を見られなくなるのは、ちょっと残念だわ」

「不甲斐無くて申し訳ありません。ですが美子さんに見咎められない様に、何とか忍んで行きます。偽名で連絡も取りますし、偶にはデートして下さい」

 それを聞いた彼女は、いたずらっ子の様に笑った。


「ふふ……、こんな年増のジュリエットでごめんなさいね。でもあの美子がムキになって、あんな無茶な事を言い出すなんてね。でも秀明君も相当屈折してるから、おあいこかしら?」

「酷いですね。俺のどこがそんなに屈折していると?」

「だって美子の事が一番好きだから、結婚を前提にした交際を申し込んだわけじゃないものね?」

 にこにこと笑いながら確認を入れてきた深美に、秀明は瞬時に笑みを消して真顔になった。


「……社長が何か仰いましたか?」

「いいえ、何も? ただ『屈折してて裏が有り過ぎて面白い奴が、美子にちょっかい出して返り討ちにあった』とは聞いていたけど。その直後に秀明君が来たでしょう? ああ、この子の事だわって、一目で分かったわ」

「本当に、お二人には敵いませんね」

「だって秀明君は、敵わない両親が欲しかったんでしょう?」

「…………」

 微笑した秀明だったが、深美がさり気なく指摘してきた内容に、再び表情を消して無言になった。そんな彼に穏やかな微笑みを向けつつ、深美が淡々と思うところを述べる。


「美子と……、他の子達もそうだけど、別に私達の娘と結婚しなくても、私は秀明君みたいな可愛い子なら、母親になっても良いと思ってるんだけど?」

 それを聞いた秀明は、思わず最大級の溜め息を吐いた。


「俺を評するのに『可愛い』なんて言葉を持ち出す酔狂な女性は、世間広しと言えども深美さん位ですよ」

「世の中には人を見る目が無い男性が多いと思っていたけど、見る目が無い女性も意外に多いのね」

「寧ろ、藤宮家の女性陣の方が、稀有な存在だと思いますよ? これは勿論、褒め言葉ですが」

「あら、私だけじゃなくて、娘達の事も褒めてくれてありがとう」

 そうして互いに楽しげに笑ってから、幾つかの話をして楽しく過ごした二人だったが、秀明が名残惜しそうに腰を上げた。


「さて、俺はそろそろ失礼させて貰います」

「あら、もっとゆっくりしていったら?」

 残念そうに深美が引き止めたが、秀明は軽く首を傾げつつ、丁寧に断ってくる。


「俺ももう少し長居したいのは山々ですが……、何となくそろそろお暇した方が良い様な気がしますので。退院まで、あと一回位は顔を出しますから」

「そう? それじゃあ、楽しみにしているわね」

 深美もそれ以上無理には引き止めず、笑顔で秀明を見送った。そして壁に掛けてあるカレンダーを眺めながら、ひとりごちる。


「ふぅん? 今日は、特に来るとは言ってなかった筈だけど……」

 そんな事を呟いているうちにドアがノックされ、騒々しい声と共に彼女の娘達が姿を現した。


「お母さん? 調子はどう? 美幸と美野が連れて行けって煩くて」

「お母さん! 退院、決まったんだよね? お部屋、綺麗に掃除しておいたから!」

「美幸! 病院で絶叫しないの!」

「今、美野姉さんだって、人の耳元で怒鳴ったじゃない」

「何ですって!?」

 相変わらず元気一杯の娘達の姿に、深美の顔が自然に綻ぶ。


「こら、美野も美幸も止めなさい」

「はい」

「怒られちゃったじゃない」

 ぶちぶちと文句を言い合っている二人から美子に視線を移した深美は、苦笑いしながら彼女に声をかけた。


「美子、毎日大変みたいね」

「もう慣れちゃったわ。……あら? あんなアレンジ、昨日帰るまでは無かったけど、朝からお見舞いに来てくれた方がいたの?」

 小さく肩を竦めた美子が窓際に目を向け、見慣れない物を発見したが、深美は事も無げに答える。


「ええ。忙しい人だから、時間ができた時に来てくれるのよ」

「そうなの」

 それ以上気にせずに、持参した着替えを片付けたりお茶を淹れ始めた美子を見て、深美は我知らず笑ってしまった。


「……本当に、勘働きの良い子」

「お母さん? 今、何か言った?」

「いいえ。何でも無いわ」

 何やら楽しそうに母が呟いた内容を美子が知るのは、これから何年か先の事になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る