(9)武道愛好会

「大丈夫ですか? 藤宮さん」

「……ええ、取り敢えずは。ありがとうございます」

 どう見ても年下にしか見えない品行方正を絵に描いた様な男が、殴った拍子にずれた眼鏡の位置を直しながら気遣わしげに尋ねてきた為、美子は一応礼を述べた。しかし彼の背後から同年配の顔立ちの整った男が、美子が放り出したハンドバッグと草履を手に近付きながら悪態を吐く。


「浩一、街中であんなとんでもない物持ち出す非常識女、大丈夫に決まってんだろ。危うくこっちまで、目をやられるところだったぞ」

「そう言うな清人。しかし神崎先輩のおかげだな」

「全くだ。こんな所でミリタリーマニアが役に立つとは」

 確かに非常識な物を持ち歩いていた自覚はあるだけに、美子はその非難に弁解はしなかった。しかし相手も美子に不必要に絡むつもりは無かったらしく、「どうぞ」と言いながら手にしている物を差し出す。美子も「どうも」と短く礼を言って受け取り、草履を履き直してから、現れた二人組に探る様な視線を向けた。


「ところであなた達はどなた? 実は連中の仲間で、安心させた所でどこかに連れ込もうって言う、二段構えの作戦じゃないの?」

 その問いに、二人は顔を見合わせてから答える。


「用心深くて結構ですね」

「僕達は東成大の学生で、白鳥先輩が在学中に設立した武道愛好会に所属している、柏木浩一と佐竹清人です。初めまして。今日は先輩から頼まれて、藤宮さんの護衛をしています。ほら、清人!」

「……初めまして」

 面白く無さそうな顔をしている相方を肘で突きつつ、柏木と名乗った方はポケットから学生証を取り出して美子に差し出した。少し遅れて佐竹がそれに倣い、彼女は手の中の二枚の学生証を見下ろす。


(あいつの後輩? 東成大経済学部の三年……、学生証は本物っぽいけど)

 チラッと色々と対照的な二人を見遣った美子は、すこぶる冷静に要求を繰り出した。


「自動車普通免許証保持者なら、それも見せて頂ける? 学生証だと、割と容易く偽造できそうだし」

「……どうぞ」

「拝見するわ」

 どこか困ったような柏木と益々渋面になった佐竹は、それでも一応素直に持っていた自動車免許を差し出し、それを確認した美子は納得して学生証共々二人に返却した。


「ありがとう。どちらも本物だし、本人みたいね」

「信用して貰えましたか」

 ここで安堵した様に柏木が表情を緩めたが、美子はにこりともせずに正直に告げた。


「信用できるの? 正直に言わせて貰うと、私的にはあの男の後輩って言うだけで、アウトなんだけど」

「…………」

 途端に顔を引き攣らせた柏木に、あらぬ方に視線を投げた佐竹。

 どうやら目の前の二人が、全面的に自身の先輩に当たる男を弁護する気は無いらしいと察した美子も無言になり、その場に気まずい空気が漂う。しかしそのまま黙っている訳にもいかず、美子は溜め息を吐いてから根本的な疑問を口にした。


「どうしてあいつの後輩が、私を護衛する必要があるのかしら?」

 その台詞に、柏木が怪訝な顔になる。

「え? 藤宮さんは、先輩とお付き合いされているんですよね?」

「…………全くの無関係です」

 無表情になった上、感情を押し殺した口調での反論に、男二人はひそひそと囁き合った。


「おい、浩一。何だか触れない方が良さそうだ」

「それは分かるが、そうなるとどういう事なんだ?」

(あの男……、私の知らない所で何を放言してるのよ!?)

「おい! 浩一、清人!」

 この場に居ない諸悪の根源を殴り倒したい欲求に駆られた美子だったが、この間半ば忘れていたが、少し離れた場所で三人の男が、柏木達と同様どこからか現れた二人の男に呆気なく道路に転がされてしまっていた。


「ぼちぼち人が集まって来たし、俺達はこいつらを連れて撤収するぞ?」

 二人に呼びかけながら走って来た上背のある男が、目の前に倒れている男を肩に担ぎ上げつつ宣言すると、二人が神妙に応じる。

「はい、後始末は宜しくお願いします」

「おう、任せとけ」

 そしてその男は美子に会釈だけして、彼女を連れ込んで移動する為に準備されていたワンボックスカーに向かって行った。そしてもう一人の仲間と共に、気絶している四人の男を手際よく車内に詰め込み、あっという間に走り去って行ってしまう。


「……ちょっと気の毒だな」

「ああ。先輩達、如何にも良い玩具が手に入ったって顔付きだった」

 ひたすら唖然としている美子の傍らで、二人がどこか遠い目をしながら呟いた。そしてさすがに騒ぎを聞きつけて近くの店舗から様子を見に出て来た者が集まって来たのを察して、美子を促しつつ表通りに向かって歩き出す。


「藤宮さん。これからのご予定は?」

 佐竹に斜め後ろから尋ねられた為、美子は軽く振り返りながら答えた。


「家に帰るだけです。それが何か?」

「できれば、暫く人目に付く所で過ごして欲しいんですが」

「どういう事でしょう?」

「連中にあなたを引き渡した女は、あなたが通っている教室の生徒ですよね? 恐らく次回の稽古の時、何食わぬ顔で出て来るのでは無いですか?」

 それを聞いた美子はピタリと足の動きを止め、何を考えているのか良く分からない整った佐竹の顔を凝視した。そしてすぐに言わんとする内容を理解する。


「私が何食わぬ顔で出て来た場合に噂をバラまくと言う、一応、二段構えの作戦というわけですね? ですがあの手下が失敗したのは、すぐ彼女に伝わるんじゃ無いですか?」

 一応確認を入れてみると、佐竹は肩を竦めてから事情を説明した。


「実はあの連中は、白鳥議員の事務所関係者だそうです。あの女の父親も代議士で、白鳥議員と裏で手を組んでいる関係で今回の話が持ち上がったみたいですから、直接彼女に話が伝わる事はないかと」

「それに彼女、連中にあなたを引き渡したら、その後は興味は無いんじゃないですか? わざわざ白鳥議員側に、詳細を問い合わせる可能性は低いと思いますが」

(あの男を勘当した親絡みだとは薄々思ったけど、他人に迷惑かけないでよね!?)

 同様に立ち止っていた柏木が横から補足説明してきた為、美子は内心で腹立たしく思いながらも納得し、咄嗟に思いついたこれからのプランについて尋ねてみた。


「それは道理ね。分かったわ。これから忘れ物を取りに戻ったと言って教室に行って、先生と適当な話題で話をして、そのまま夜のクラスに参加して初対面の何人かとお友達になって連絡先を交換する、と言うのはどうかしら?」

「完璧です。さすが白鳥先輩の恋人なだけありますね」

 軽く拍手しつつ心底感心した様に柏木が述べた瞬間、とうとう美子の堪忍袋の緒が切れた。


「付き合って無いって言ってるだろ、このメガネ! その耳は二つとも飾りだってのか!?」

 そう怒鳴りつけながら柏木の胸倉を両手で掴み上げると、瞬時に男二人の顔色が変わった。


「……っ!?」

「浩一、止めろ! 落ち着け、殴るな、蹴るな、投げるな!! あんたもその手を離せ!!」

「え? な、何?」

 蒼白になった柏木が何かする前に、彼以上に血相を変えた佐竹が、力任せに相棒から美子の手を引き剥がした。その二人の豹変ぶりに美子が驚いて様子を窺っていると、彼らは顔を寄せてボソボソと囁き合ってから、佐竹が柏木を庇うようにして美子に向き直る。


「藤宮さん。申し訳ありませんが、ちょっとこいつは女性恐怖症の気があるので、むやみに触らないで下さい」

 それを聞いた美子はさすがに驚き、慌てて謝罪の言葉を口にした。


「え? そうだったの? ごめんなさい悪かったわ、知らなかったものだから。確かに顔色が悪いみたいだけど、大丈夫?」

 心配した美子が体調を尋ねると、まだ幾分顔色が悪い柏木は呼吸を整え、なんとか微笑みながら答える。


「はい、大丈夫ですから、気にしないで下さい。じゃあ行きましょうか」

「ええ」

 そして二人を従えて表通りに出てからも、美子は無言のままある事を考えていたが、一分程経過したところで、軽く振り返りつつ斜め後ろの柏木に尋ねてみた。


「そうすると……、だから柏木さんは私の護衛の方に回ったわけ? そういう事情で、女の私に変な事をする筈が無いって事で」

「そういう事情だけでは無いと思いますが」

 思わず苦笑した柏木から、美子は佐竹に視線を移した。


「じゃあ佐竹さんの方は、女性恐怖症って風には見えないし、男にしか興味が無いとか柏木さんが恋人だから、私を襲う心配は無いとか?」

「え?」

 不思議そうに尋ねた美子とは対照的に、佐竹は傍目にも分かるほど顔を強張らせた。しかしそれに構わず、美子は自分の考えに浸りつつ歩き続ける。


「でも見た目、二人とも受けなのよね。カップリング的にはどうなのかと思うんだけど」

「……藤宮さん? 何を言っているんですか?」

 怒気を孕んだ佐竹の言葉にも動じず、美子は淡々と話を続けた。


「二番目の妹が、以前『面白いし世界が広がるから読んでみて!』と言って強引に押し付けてきたBL本を読んだ事があるんだけど、あなた達がそれの登場人物っぽいなぁって思って。褒めてるのよ? 二人とも腕は立つみたいだけど脳筋じゃない、見事にタイプの違うイケメンだし」

「あんたなぁっ!」

「落ち着け、清人! 藤宮さんに全く悪気は無いんだ! 一応イケメンだと褒めてくれてるし!」

 そこで憤怒の形相で彼女に詰め寄ろうとした佐竹を、柏木が必死の形相で押さえ込んだ。そして二人が足を止めた為、自然に美子も立ち止って引き続き自説を述べる。


「あ、そうか。柏木さんの方が普段は気弱なお姫様体質だけど、実は眼鏡を外すと鬼畜な攻め役に豹変って言うなら、ストーリー的に問題は無いわね。普段の女性恐怖症とのギャップとその二重人格キャラは、寧ろ萌え度倍増かしら?」

 そう言って「うんうん」と一人で納得している美子を、ポカンとした表情で眺めやった男二人は、我に返った瞬間、先程とは立場が逆転した。


「清人、離せ!! 今なら女だろうがなんだろうが、殴り倒せる気がしてきた!!」

「それは大いにめでたいが、白鳥先輩の女だけは止めろ!! お前、一生を棒に振りたいのか!?」

 柏木を羽交い絞めにしながら、必死に言い聞かせる佐竹の言葉に、美子が盛大に噛みつく。


「だから、私はあいつの女でも何でも無いって言ってるでしょうが!! あんた達、本当に東成大の現役学生なの!? 頭悪過ぎよ!!」

「頭がおかしい事ほざいてんのは、あんたの方だ!!」

「何ですって!?」

 そして駅前通りに出た直後に、乱闘寸前の怒鳴り合いを始めてしまった三人は、周囲の視線を集めている事に気付くまでの数分間、ぎゃいぎゃいといがみ合っていた。


 それから約五時間後。タクシーの後部座席から、美子が自宅の門の中に入るのを見届けた佐竹は、溜め息を吐いて携帯電話を取り出し、登録してある番号に電話をかけた。


「先輩、取り敢えず彼女は、タクシーで帰宅しました」

「清人、お前まさか彼女がタクシーに乗ったのを、間抜け面で見送っただけじゃあるまいな?」

 若干不機嫌そうに確認を入れてきた秀明に、佐竹は舌打ちを堪えながら説明を加える。


「説明不足でした。乗ったタクシーの後を付けて、彼女が自宅の門の前で降りて敷地内に入った事を確認しました。これで宜しいですか?」

「結構だ。今日はご苦労だったな。彼女に関しては、もう頼む事は無いと思う」

「本当に、これっきりにして下さいよ? 浩一の疲労度が半端じゃ無いもので。あの女、よりにもよって、稽古が終わってから若い女性に人気の、洋風居酒屋を銘打ってる所に繰り出しやがって……」

 心底忌々しげに吐き出した佐竹に、電話の向こうから苦笑が返って来る。


「それは悪かった。浩一にはお前から詫びておいてくれ。俺が直接声をかけたら、疲労度が倍増すると思うからな」

 その台詞に、彼は隣でぐったりと背もたれに体を預けている柏木に目を向けてから、話題を変えた。


「お気遣い感謝します。ところで、あのゴミどもの始末はどうするつもりですか?」

「あれなら当面は葛西達に任せた。なんでも葛西の奴が、催眠術の実験台にしたいとかほざいたからな。俺が最後に利用するから、皆には好きに遊んでも良いが廃人にはするなと言っておいた。あいつらの事だから、そこら辺は上手くやるだろう」

 くつくつと笑いを堪えきれずに伝えてきた相手に、佐竹は神妙に応じた。


「……聞かなかった事にします」

「浩一にも言わないでおけ。心の平安の為にな。じゃあ、今日は助かった。またな」

 そこで通話を終えて携帯をしまい込んだ佐竹に、柏木が短く尋ねてくる。


「先輩は何だって?」

「色々、面倒かけて悪かったとさ。あと、あの女絡みで、また頼まれる事は無さそうだ」

「それは良かった」

「じゃあさっさと帰るぞ」

 そして先輩からの無茶振り指令を何とかこなした二人は、自宅の住所を運転手に告げて、その場から去って行った。

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