30 憧れの星

「私ね、お姫さまのことを調べた時、心のどこかで思っていたの――きっとお姫さまも、私と同じようにこの月にうんざりしていて、自分がルナリアンであるってことにがっかりして、絶望しているんじゃないかって」

 

 私は勇気を振り絞って言葉を紡ぎはじめた。

 アスカに手を伸ばして、真っ直ぐに向かっていった時のことを思い出しながら。


 見上げた夜空に浮かんでいる星に願いをかけるのではなく――寄り添ってくれる憧れの星を抱きしめるように。


「それにね――私、心のどこかで期待していたんだと思う。きっとお姫さまだって、たくさんの失敗をして、たくさんのつまずきをしているんだって。挫けたり、投げ出したり、諦めたりしていたんだって。きっと、彼女も絶望したりしていたんだってことを――私は期待してたんだよ。お姫さまが困難を前にして悩んだり、苦しんだり、諦めたりしている姿を見ることで、私は自分を慰めてようとしてたんだ――」

 

 私は自虐的に笑って続ける。


「ほら? 月のお姫さまだってこんな有様なんだもん、私がルナリアンであることに疑問を抱いたって、宇宙に適応することから目を背けようとしたって、しかたないよって――そんなふうに自分に言い聞かせてようとしていたんだよ。ほんと、最低だよね?」

 

 一息に言葉にしてしまうと、私の両方の瞳からは自然と涙があふれていた。

 

 あの瞬間に気づいてしまった、望んでしまった、願ってしまった、期待してしまった、私の身勝手で、情けなくて、ひどくて、どうしようもなくて、ずるくて、みにくすぎる感情を思いだして――


 私は、さめざめと泣いた。


「――私、ルナリアン失格だよ。ほんと、あーあって感じだよね? 自分が情けなくて、みっともなくて、勝手すぎて、ほんと、うんざりしちゃうよ。誰かが失敗したり、つまづいたり、苦しんだりしていることを期待するなんて、ひどすぎるよ。そんなことを考えて、思っちゃったら――だんだん、ルナリアンのみんなと一緒にいるのも気まずくなって、セシリーたちと顔を合わせるのもつらくなってきて――」

 

 私は、胸の奥からとめどなく溢れ出す感情の波にのみ込まれてしまった。むせぶように泣いているせいで、私は上手く次の言葉を口にできなかった。


 生まれたばかりの子供のように、私は泣いていた。

 どうして生まれてきたのかも分らなくて、ただ私がここにいるんだよって知らせるみたいに――私はみっともなく泣いていた。

 

 でも、まだ話さなくちゃいけないことはたくさんあった。

 アスカは私の隣に寄り添って――私の言葉を待っていてくれる。

 

 私は、それに応えなくちゃいけない。


「去年ね、宇宙服を着て月面に出る『惑星探査実習』っていう授業があったの。実際に宇宙服を着て月面を探査する授業で、『船外活動実習』を翌年に控えた生徒たちが受ける必修授業なの。もちろん、私も参加した。でも、私――宇宙に出られなかった。宇宙服を着て一歩月面に足を踏みだしたら、急に息ができなくなって、気持ちが悪くなって――それで宇宙服の中で吐いちゃったの」

 

 私は、去年の悲惨すぎる自分の姿を思い出す。

 

 真っ暗で何もない月面に出ると、私は小さな一歩も踏み出せなかった。

 急に私の頭の中が真っ白になって、息もできなくなった。自分が立っているのか、座っているかも分らくなり、気持ちが悪くなって、胃の中のものを吐き出してしまった。気がついたら私は失神をしていて、目覚めた時には――弱虫ポーラで、泣き虫ポーラだった。

 

 危うく宇宙服の中で窒息死するところだった私に下された診断は――

 心的要因による空間識失調くうかんしきしっちょう

 

 正確な病名は『発作性ほっさせい空間識失調』。

 

 つまり、精神的な原因によって平衡へいこう感覚や空間把握能力を一時的に失って、眩暈めまいや吐き気、嘔吐はきけ、失神などを引き起こす。


 いわゆる、『バーティゴ』と呼ばれる宇宙病。

 

『空間識失調』自体は代表的な宇宙病の一つで、それほど珍しい病気ではないけれど――それがルナリアンの場合だと事情が変わってくる。

 平衡感覚や空間把握能力に優れ、生まれながらに宇宙に適応したルナリアンがこの病気にかかったという症例は、私を含めて三例しか確認されていない。私を除いた残りの二例は心的要因ではなく、実際に宇宙空間で活動中に起きた事故のようなもの。


 つまり現在、心的要因で起こる『発作性空間識失調』の患者は、私だけということになる。


「――私は、ただ一人宇宙から拒絶されたルナリアンなんだよ」

 

 でも、最初に宇宙とこの月を拒絶したのは――目を背けて、扉をかたく閉ざしてしまったのは、私のほう。

 お姫さまを知ろうとしたときに、私の宇宙への扉はかたく閉ざされて、私は扉から締め出されしまったのだ。


「きっと私は、月と宇宙から出てくるなって言われてるんだよ。私みたいなルナリアン失格の女の子は、一生暗い穴の奥に閉じこもってろって、きっとそう言われてるんだよ。自業自得だよね? お姫さまに勝手に共感して、それで勝手に裏切られたような気になって、一人で勝手に自分にうんざりして、周りのルナリアンたちとも距離をとったりして。セシリーだって、そんな私に呆れ果てて。そんなことしていたら、ますます色々なことにうんざりしはじめて。結局、宇宙にも出れなくなって。それなのに、この月からは逃げ出したいなんて毎日思ってて。ほんと、わけがわからないよね?」


 私は一息にまくし立てた。


「私、ほんと、どうしたらいいのかぜんぜんわらなくて――でも、そんな時にアスカが地球から月に上がってきて、私の友達になってくれて。それが、すごく嬉しくて。アスカの隣にいたくて。だけど、アスカと一緒にいても、私はアスカの足を引っ張るだけだってセシリーに言われて。それをぜんぜん否定できなくて。セシリーの言っていることは正しいんだって分ってて。でも、それでも――私はアスカと一緒にいたいし、アスカには私の隣にいてほしいって、私、そう思ってる。ほんと、わけわかんないよね? わけがわからないけど、どうしたらいいのかぜんぜんわからないけど、これが、今の私。これが――私のぜんぶだよ」

 

 私は、ぜんぶを吐きだした。

 

 これが私の全て。

 丸裸の私の姿。

 

 こんな私を、アスカが受け入れてくれるかどうかは分らない。

 それでも、私はぜんぶを吐きだしてしまったことに心地良さを感じていた。

 

 もう、私にはなにもない。

 からっぽになってしまったんじゃないかってくらい、私の心は軽くなっていた。

 

 私は、展望室から見える遥か遠くの宇宙に視線を向ける。 

 すると、遠くの宇宙に流れ星が見えた。

 

 今はつかまえることも、願うこともできない流れ星が――

 一瞬のきらめきを放って宇宙の彼方に消えていく。

 

 今は、それでいいような気がしていた。

 今は、幼稚で愚かな――不細工でデコボコな、私という星と向き合えただけでよかった。

 

 隣には、私を私と向き合わせてくれた憧れの星が寄り添ってくれている。

 青くて美しい星が。


 

 それ以上のものは――


 何ひとついらなかった。

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